青戸高射砲陣地 2019 (後編)

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前回からのつづき。青戸高射砲陣地の2019年近況の後編。
隣家が建て替えで解体されて、これまで把握しづらかった全貌がわかるようになったのでざっくりと実測してきました。

青戸高射砲陣地 2019 (後編)_d0360340_06363822.jpg円形台座の半径は2250mm。直径にすると4500mm。これは近隣の駐車場に残る台座とも寸法が一致。コンクリートの厚みは右側のアパート敷地の地面から20cmほどの高さが露出、左側の建て替え敷地側は基礎工事の都合で掘り下げてあるのか30~40cm程度が見えていて、まだ地中に続いている。

中央部のコンクリート円盤は外形900mm、中心に頂部外形240mmの円錐台形の突起。高さは5cm程度(実測忘れ..)で鉄管で補強された8cmぐらいの穴が開いている。
このコンクリート円盤は周辺とは少し材質が違うようだ。高射砲との連結で中心部は施工精度が必要とされたために工場で制作したプレキャスト部材ではないだろうか。これを現地に据えた後に周囲にコンクリートを流して固定したと想像。

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現地では前日に降った雨で周囲が濡れているだけかと思っていたのですが、こうやって写真を見ると円盤周囲のコンクリートは粒子が荒く少し柔らかそうな印象。ひょっとするとコンクリートでもないのかもしれない。機会があれば材質の違いを再確認してみたいところ。

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駐車場の台座にはこの中央部の円盤部材は残っていない。あればこんな感じかというのを黄色で写真に加筆してみた。周囲とは別部材で充填材が硬くなかったため撤去が容易だったのではと想像できます。現在はアスファルトが充填されている。
これらの実測、観察を整理したものが下の図。
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周囲の3箇所の弾薬庫など点線部分は推定です。弾薬庫はコンクリートで作られていたものの、鉄筋の替わりに竹が代用されていたとの話もあって簡単に壊せたようです。台座直径が4.5mは実測。弾薬庫の配置が直径8m程度の円に外接するのは戦後米軍が撮影した航空写真地図から推定。設置されていた99式8cm砲は、図面が見つからなかったので、元になったクルップ8.8cmSK C/30のもので代用。違いは照準器ぐらいとのこと(wiki)

直径4.5mの円形台座には内接1.9mの8角形の開口縁取りがあり、その中央部に直径90cmの円盤状部材をはめ込み、周囲を充填固定する構造。その充填部分、図でいうグレーに塗った8角形のエリアには12本の固定用ボルトが埋め込まれているはずだが、今回のリサーチでは未確認。

今回、隣家建て替えの情報をいただいた葛飾音頭さんから、最新のストリートビューに建物解体時の状況が写ってるとの追加情報。ストリートビューからのキャプチャー画面を貼っておきます。

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円形の台座が完全な形で残っていたのがわかります。その上に前に建っていた木造家屋の基礎工事で損傷した痕跡も見えないので、それこそ台座をそのまま基礎に利用していたのではないかと推測します。解体時の状況が見れたら面白かったかも。
例の中央の8角形の充填部のエリアがわずかに凹んでいるが見てわかります。

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今回リサーチの台座は図のA列3番の台座。駐車場に残っているのは6番の台座。このA~C列、No.1~18までの番号は私が便宜的につけているもので、公式に振られた番号ではないので間違いのようにお願いします。
このほかには2番の台座の半分が建物基礎に転用保存されているのがわかっていて、C列15番の台座の下部が地中に埋まっているとのこと。

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15番の台座が埋まっている駐車場の現在。地上面に痕跡はなく、葛飾音頭さんからの情報によれと解体時に12本のボルトが露出、それが地表に露出していた、とのこと。
はたと思いついて、ストリートビューの時間さかのぼり機能がリサーチに使えるかも、と試してみました。

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ストリートビューの左上に表示される撮影インデックスに時計のマークがついてる箇所は、過去のストリートビュー画像を見ることができます。この場所は2010年の撮影まで遡れました。

見つけました! ありましたよ、ボルトが。駐車する車のタイヤを痛めないようにかゴムシートを被せてますが、ボルト用の鉄管の頂部が地表面に並んでいるのが写ってました。2013年ストリートビュー画像ぐらいまで残っているのが確認できます。何だかタイムマシンみたい。

Commented by 葛飾音頭 at 2019-05-28 01:30 x
現地へ行かれたのですね。基礎工事の途中も貴重な記録だと思います。
ストリートビューでは映っていない情報を記します。
3番目の台座側面、扇形の支点方向にはパイプの穴が空いていました。円錐台状の凸部の穴と繋がっていたかどうかは不明です。

15番目の台座跡は昨年(2018年)の前半と後半で様子が変わっています。
徐々にコンクリートの露出が多くなり、近くからは鉄パイプも露出しました。
hn-nh3 さんが22日に訪れた時には自動車が停まっていたようですが、右前輪付近に鉄パイプが露出していたはずです。
自動車が無い時に確認しましたが、露出している鉄パイプは1本のみ。他11本は確認できません。
『研究紀要 第5号』では鉄パイプの太さは8cmとありますが、現在露出している鉄パイプは潰れて変形しているせいかそれよりも太い。
電柱に近い方のコンクリートの露出は、2010年のストリートビューとの比較から、上面を破壊された台座のコンクリート本体と考えられます。
このことから、15番目の台座は上部を破壊されているが、残存部の一部が露出していると言えます。
Commented by hn-nh3 at 2019-05-28 06:07
>葛飾音頭さん
貴重な情報、ありがとうございます。
撤去されて跡形もないんだろうなと行ってみたら、まさか地中に残して新しい家を建てようとしているとは思いもよりませんでした。

台座側面に穴が空いてたのですね。扇型支点方向に伸びていたとすると、高射算定具からの信号ケーブルを通すための配管穴でしょうね。昭和19年に陸軍が撮影した航空写真には扇の要の部分にぼんやりと構築物らしきものの影が写っているのでその辺りに指揮所があったと推測しています。

15番目の台座があった駐車場は地面に露出するコンクリートが気になって他にも写真を撮ってあるのですが、駐車している車のタイヤ付近に鉄パイプらしきものが写ってました。コンクリートは表面に骨材が露出していて、丸みのある川砂利であることから、川砂利の採掘が禁止された1960年代以前のものであることはわかります。戦前まで遡れる可能性大です。台座の残存部かもしれませんね。

鉄パイプは12本のうち1本だけ残しておくということは考えにくいので、案外地中浅くにまだ残ってるのかもしれませんね。車のタイヤを痛めないようにパイプの頂部をハンマーで叩き潰して砂利を盛って埋め込んだものが、盛り土が薄くなってきて潰し損ねのパイプの1本がふたたび見えてきてるのかも。

『研究紀要 第5号』は私も博物館に立ち寄って購入してきました。聞き取り調査など目視では知りえない話が載ってますね。
近日中にその情報も含めて追加記事を書く予定です。(^^)
Commented by かば◎ at 2019-05-29 08:49 x
砲台山の台座も、披露山公園の猿山の台座も中心部分はなくなっています。
据え付けた砲の種類が違う、というだけでなく、そもそも陸海軍の別もあるので設計施工に大きく違いがある可能性もあるのですが、やはり中心部分は撤去しやすかったのか……。
(猿島の高角砲台跡は中心が埋まっていて円周状にボルト穴がありますが)
Commented by hn-nh3 at 2019-05-30 07:35
中心の据付部と周辺のドーナツ状のプラットフォームが別構造になっているのは、単純に施工上の理由(現地徴用の技量に劣る工務店でも工事できるように)かと思ってました。他の場所の砲台でも似たような構造になっている、という指摘は興味深い問題を示唆しているように思います。

想像するに、砲台の中心の据付部が取り替えが効く構造になっていると、装備する砲のアップグレード(8,8cm砲を12cm砲に換装)にも対応できる、ということを想定してのことかもしれません。あるいは予定していた火砲が充足できず旧式の兵器を据え付ける事態もあったかもしれませんし。

猿島や名古屋、群馬の太田などに残る台座は中心部と周辺のプラットフォームが一体の構造になっているので、必ずしも別構造にする必要があった訳ではないのでしょうが、だからこそ青砥(白鳥)や小坪(披露山公園)など別構造の砲台が存在するというのが、必然性のある理由に基づいて作られたと想像できますね。
Commented by かば◎ at 2019-05-31 10:13 x
いや、猿島の高角砲台も、現時点で中心部が失われずに残っているというだけで、やはりドーナツ状に、外側のプラットフォーム部分と、内側の砲の据付部とでは、同様にコンクリート製ではあっても別材のようです。

http://kabanos.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2017/02/19/20170218_121530.jpg

装備する砲のアップグレードにも対応できるように、という考察は、なんだか「ありそう!」という気がします。
Commented by hn-nh3 at 2019-06-02 00:58
猿島の砲台も中心部と周辺のプラットフォームは別の構造になってましたか。別体築造にはやはり共通する明確な意図がありそうですね。猿島の写真を見ると、円形プラットフォームの周囲に別の構造体の基礎が残ってますが、即応弾用の弾薬庫でもあったのかしら。

調布飛行場の防衛用の高射砲陣地(三鷹市大沢)の構造物が現在も残ってますが、プラットフォーム周囲の弾薬庫が発掘調査で確認されてるようです。
http://mitaka-rakusankai.com/_files/00004541/koushahoujintiato.pdf
Commented by かば◎ at 2019-06-02 10:19 x
……忘れてました。
以前、「逗子フォト」のライブラリで見たように、披露山の砲台は、真ん中はもともと、同心円階段状の穴でした。

http://kabanos.cocolog-nifty.com/blog/cat61201790/index.html

写真を見ても穴の状態がそれなりに綺麗なようなので、コンクリート製の何かがそこにあったものを撤去した痕というよりは、一二糎七連奏高角砲用の台座はそういうもの、と考えた方がいいのかもしれません。
ちなみに猿島の「フラットで円形のボルト列」のほうは、八糎高角砲用だそうです。

ただ、いずれにしてもドーナツ部分はほぼ同形状で、中心だけが(砲に対応して)形状/状態が違う、ということは確かなようです。
Commented by hn-nh3 at 2019-06-02 14:08
>>披露山の砲台は、真ん中はもともと、同心円階段状の穴でした。

あーそうでした。私もいろいろなところに情報が断片化してしまってるので、何か横断的なアーカイブが欲しくなります。。

艦載用のものはプラットフォーム/ターンテーブルが埋め込み式なのが基本仕様なのかもしれませんね。
戦時中の陣地の写真(館山?)を見ると、四十口径八九式十二糎七高角砲(連装/127mm)は周囲のコンクリートプラットフォームと床レベルを揃えた半埋め込み式台座のようにも見えますね。
https://hnnh3.exblog.jp/dialog/images/viewer/?i=201707%2F01%2F40%2Fd0360340_12174443.jpg

>>猿島の「フラットで円形のボルト列」のほうは、八糎高角砲用だそうです。

というと、海軍の九八式八糎高角砲(単装/76.2mm)が装備されてたということでしょうか。

陸軍は高射砲と呼んで、海軍は高角砲。ややこしいですよね。
設置された火砲の形式や台座形状をきちんと紐付けて見ていかないと判断を誤りそうです。

主なものをリストアップすると
(海軍)
九八式八糎高角砲(単装/76.2mm)
九八式十糎高角砲(連装/100mm)
四十口径八九式十二糎七高角砲(連装/127mm)
四十五口径十年式十二糎高角砲(単装/120mm)

(陸軍)
八八式七糎野戦高射砲((単装:75mm)
九九式八糎高射砲(単装:88mm)
三式十二糎高射砲(単装:120mm)
五式十五糎高射砲(単装:149.1mm)

口径しかり、海軍と陸軍で互換性がなさそう。
火砲の開発チームには仕様や部品を共通化して生産性をあげようなんて発想がそもそもなかったように思えますね。
by hn-nh3 | 2019-05-26 08:08 | 高射砲陣地 | Comments(8)