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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )
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ターレットトラックシリーズ、京都編のつづきのつづき。
前回「BENRYCAR」のさらなる追跡。

京都市中央卸売市場で見かける「BENRYCAR」というロゴがついたターレットトラックは東京の旧築地市場では見かけなかった車種で、おそらくは関西方面の小さな製作所が作っていた車両と思われるが、メーカーなどの情報はネットでは見つからず、その詳細は不明。

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オレンジとブルーのツートンボディのR-3号車とNo.12号車。奥にはパープル車体のR-11号車。市場内で見かけるBENRYCARのボディカラーはこの2タイプ。築地市場では仲卸の屋号が書くのが一般的であるのに対して、ここ京都市場ではRと数字のナンバリング。

撮影は11月26日と9月17日。
追跡調査といっても、ただターレを追いかけて写真を撮っただけではある。

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パープルの黒ナンバー、R−1号車はメッキ車台。このタイプのBENRYCARは電動モーター駆動なので、その日の仕事が終わると必ずバッテリーの充電が必要。9時も過ぎるとコンセントのある柱の周りにターレが集結。衝突防止の黄色いバーが柱の周りに設置していあります。

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R−1号車のディテール。「BENRYCAR」のロゴの上に見える"MAC"の文字はメーカーロゴか。
ハンドル操作部にもメーカーロゴらしき"MAC"の文字。全体のデザイン、各パーツの構成は朝霞製作所の「ターレットトラック」にとてもよく似ている:過去記事参照
機能を追求した結果、似たような形に収斂したというより明らかにコピー商品。

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黒ナンバーのR−1号車ではあるが別の車両。ナンバーの文字も小さい。車台はメッキでななく塗装タイプ。荷台のエッジはイエローにペイント。ただし前々回の記事に登場した場外のR−1号車とも別の車両。

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パープル車体、黒のR−3号車。数字の3が剥ぎ取られているのは何故か。白のR-6号車、黒のR−7号車ともう一台の黒のR−7号車。数字の大きさは2タイプ。

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パープル車体、黒のR−13号車。数字の10の桁の1が3よりも小さく書いてあるのがロゴデザイン的にもかっこいい。

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オレンジ車体のR−1号車とR−2号車。後ろに見えるのはもう一台のR−1号車。こうして見ると車体ナンバーは通し番号ではなく、持ち場ごとにつけられた「小隊番号」のようなものなのか。

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ちょっと面白い車両を見つけた。一見するとオレンジボディのR−2号車ではあるが、上面の円形のカバープレートがオレンジボディで標準のブルーのものではなく、パープル車体。


よく見ると、車体内部のパネルもパープル。これはベースパープル車体にオレンジ車体のサイドカバーを装着した「ニコイチ」車両なのかな。

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場内でみかけた変な車両。鹿の角よろしく竹箒を2本たてたフォークリフト。サイドに箒を差し込むための「ホウキホルダー」がついてるので、クリスマス用の演出などではなく、構内清掃のための「正規車両」なのでしょう。

この記事ではフォークリフトの写真がほとんどないけど、実際にはターレと同じくくらいにフォークリフトは走ってます。写真に登場しないからといって存在しないように見えてしまうのは記録写真の罠です。

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丸いヘッドランプの旧型「ターレットトラック」の"中央砂糖"号も健在。いつもの時間にいつもの場所。安定のポジションです。

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旧型ボデイの「マイティカー」。グリーンとブルーはなかよく市場の七条通側の入口付近に停車中。それぞれのターレはだいたい居場所が決まってます。

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「新種」のターレを発見。ボディに大きく"unica"のロゴ。バックガードの"ユニトラック"の文字は製品名か。ユニトラックというネーミングは、現在の豊洲市場で主流のニチユ製「エレトラック」の名前をもじったようでもあり、これまたパチもんっぽさを漂わせますが、ボデイのデザインはオリジナル。

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他のメーカーの車両は円筒をベースにした曲線主体のデザインなのに対して、これは多面体ベース。衝突ガードのプレート端部の斜めの切り欠きがプラットフォームの上下でずらしてあるのはデザインでもあるのだろうが、衝突時にシャーシにかかる力が一点にかかるのを避けるためか。

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ディテール。ハンドル周りは樹脂成形のカバーがついてどことなく軽自動車風。ギヤの基部も蛇腹のカバーの密閉構造。メーターに赤い蓋がついてるのが面白い。

ネットで調べてみると、この車両は(株)ユニカが製造している”ユニトラックE"という車種であることが判明。 愛知県にある産業用車両のメーカーで、トヨタのグループに入っている様子。
メーカーサイトはこちら:ユニトラックE

荷台は亜鉛メッキの縞鋼板ベースで荷台の後輪部分はタイヤと干渉しないようにサイドに円形の切り欠き。中央の蓋の下に駆動用のバッテリーを収容するのは電動ターレに共通する構成。荷台の左右と後部の端に三角に折り曲げたプレートが溶接してあるのは、京都市場のターレに共通する仕様で納品に際してのカスタマイズと思われます。

荷台周りはどの市場でも固有の仕様があって、たとえば旧築地市場では狭い構内でも曲がれるように荷台とホイールベースを短くしていたり、青果棟では縞鋼板荷台に対して水産棟ではゴムシート式の荷台だったりと使う場所によっても違いがあったりします。各メーカーもそれに対応するのが一般的。


# by hn-nh3 | 2019-12-01 20:50 | ターレットトラック | Comments(6)

東京AFVの会と戦利品

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先週の土曜日。今年の「東京AFVの会」は11月23日と、例年より1月早く開催。雨の中、下北沢の会場に行ってきました。
10時の開場に出遅れて、結局着いたのが11時近かったものだから会場はすでに満員。人をかき分けてテーブルの隙間になんとか出品作を並べることはできたけど、梱包の箱を開ければ砲塔ハッチは取れてるしフィギュアは戦車から転がり落ちてるでアタフタアタフタ。家を出たのは早朝だったのだけど、訳あって朝イチの築地で寿司をつまんでたりした報いですね。仕方がない。

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そんなこんなで会場でお会いした皆さんの作品の写真が撮れてないんですよ。ネットで拝見していた作品を直に見るのに熱中して写真を撮ってなかったり、1年ぶりの方々と話すのが楽しくて撮った写真もピンが甘かったり手ぶれしてたり。

今年の課題は「ソ連」。写真はTarot_G3さんのM3スカウトカーの作品。
タミヤから今年リリースされた3Dスキャンのフィギュア入りキット。箱から出してそのまま組むだけでも十分な出来ですが、こういう場所にストレート組みで出品するのはなかなか勇気いりますよね。Tarot_G3さんは蹴散らしたドラム缶が周囲に飛び散ってる瞬間を再現するという虚を突いた趣向で「定型」に絶妙な崩しをいれてました。瞬間を切り取った作品は模型の実物で見ると時間が止まったような面白さがあって模型を見る楽しさ満点です。ガッシュを使った塗装も絶品。見事、課題部門で1位を獲得してましたよ。

そうか、蹴ちらすドラム缶がダークイエローなのか。敵兵を見せずして敵を描く... なるほどぉ。

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会場でみかけた作品、ヘルガさんの沖縄シャーマン。沖縄戦の仕様と塗装はカラーフィルムで見る青黒い塗装を再現したとかで、パープル立ち上げの青みを帯びた車体と足回りの赤土のオレンジが補色効果で鮮やかな色彩効果を出してました。

当時のカラーフィルムは緑が褪めてしまったりと必ずしも「正確」な色彩が再現されてることは少ないのだけど、なんだかんだ記憶されている車両のイメージは当時のカラーフィルムの色調に負うところが大きいから、塗料サンプル云々の考証よりもこういう「リアル」って好きかも。

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大賞獲った方の作品の一部。IPhoneのカメラに写ってたのは草の生え方とかそんなディテールばかり、何を撮ってんだか。。
橋のたもとの雑草の表現など見事ですね。種類によって色を変えた草の植え方、地際の枯れた葉。石畳の隙間から生える草。繊細な表現に惚れ惚れします。崩れた斜面の土の湿り具合と乾いた表面のかさかさした感じ、色の濃度、密度も美しい。

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それで、今回出品の拙作。T-60軽戦車(第264工場製)、1942年8月のロシア南部都市、ロストフ郊外の風景。

んん。新作じゃないじゃん!  ..すみません。
ここんとこ完成したのがなくて旧作です。展示会では初のお披露目ということで。

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結果はこちら。出品した課題部門「ソ連」では箸にも棒にも、でしたが「熱田賞」をいただきました。副賞はタミヤの1/48 ケッテンクラートと航空機用電源車。
会場に並ぶ作品の熱量に気後れもして会場の後ろの席に避難、発表される入賞作を遠目に眺めながらうとうとしてたら突然、呼ばれていることに気がつき慌てて前に出たもんだから何話していいのかしどろもどろ.. 聞かれたら話したいこといろいろあったような気もするけど。

熱田さんに塗装の色調や麦畑の表現など褒めていただき、ちょっとうれしかった。

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この日の収穫をもうひとつ紹介。恒例のじゃんけん大会での商品。賞をもらったんだから遠慮すればいいのに我欲に負けてじゃんけんに参加したら、勝ってしまいました。
自制しろよと心の声は聞こえてましたよ、イベントだからじゃんけんに参加する人も多いほうが楽しからろうと手を挙げてみればこの結果。無欲の勝利という訳ではないけど、まあいいや。欲しかったし。

「カンプ グルッペ ジーベン」70年代に活動を始めた伝説の模型サークルでこの東京AFVの会も主催。というか彼らの集まりに端を発して現在に至るというべきか。その珠玉の作品群は当時のタミヤニュースを飾り、タミヤのカタログに載ってるのを見た模型少年の憧れでした。その機関紙「Kampf in action」の2号と3号。これを見事にゲット。皆さんごめんなさい。

罪滅ぼしにちょこっと中身を紹介します。

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2号の表紙をめくれば冒頭の特集はボイテT34。ドイツ軍が東部戦線で鹵獲した車両を自軍の編成に使用したものでマーキングや部隊改造など、絶好の模型アイテム。

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かくいう自分もドイツ軍戦車モデラーからボイテ仕様に惹かれてソ連軍モデラーに寝返ったりしたクチなので、ボイテ車両は大好物。しかし情報の少なかった当時によくこれだけのリサーチをしてたとは。これがあってこそ現在があるということを改めて実感。

写真に注釈をつけるのではなくイラストに起こして特徴を記録していくスタイルは学ぶべきものがあるかもしれない。手で描いていて気がつくことって多いですよね。写真だけ見て作っていると工作がほぼほぼ終わったところであれ?写真と違う、ということに気がつくことの多いこと。

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十川俊一郎さんのタイガー戦車製作の解説。ワイヤーのクランプやらSマイン、予備履帯のラックなど現在なら最新のキットやエッチングパーツでフォローされているディテールをタミヤのキットの改造ポイントとしてイラストに書き起こしています。
タミヤの戦場写真集を買い込み、本屋で戦車マガジンなどを立ち読みして、あれ?タミヤの「タイガー戦車」と記録写真の中の「ティーガー(ティーゲル)」は何か違う..とその何かを追いかけるようになった模型少年の頃を思い出します。


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特ニ式内火艇(カミ車)の詳細な図面なんかも入ってましたよ。これを見てスクラッチしろ、ということだったのかな。こんなレアアイテムがドラゴンからインジェクションモデルで発売されるなんて、想像した以上の未来が来たんですね。それも今は昔。

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3号の巻頭特集はパンツァーファウストの図解。装填方法や安全装置、注意書きなどこれまた詳細なリサーチ。実際の仕組みとディテールの関係がわかると模型の作り方も変わってきますよね。今でこそネットで情報が手に入るけど、彼らはどうやって調べていたのだろう。

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発行は1977(昭和52)年。発行は年に3回。これだけ密度の濃い内容のものを同人誌として発行していたこと自体が驚き。
当時、片田舎の模型少年だった自分にはそんな情報は届かず、その存在を知ったのはずっと後の話。

カンプを率いた十川俊一郎さんは数年前に惜しくも他界。編集後記に掲載された機関紙を取扱ってくれてた模型店も大半が既になかったりして、そこから長い時が流れたことに改めて気がつく。

# by hn-nh3 | 2019-11-26 08:19 | 日々 | Comments(6)

公園の人型(続編)

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京都市内の公園で見つけた不思議な公園遊具のレポート続編。
このちょっと変わった形の遊具については、
と、2つ事例を紹介した。
この遊具をなんと呼ぶのは正式な名前はわからないのだけど、かば◎さんより「顔山」なる素敵なネーミングをいただいたので、以降は「顔山」と呼ぶことにしましょう。

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その記事を書いた後、東山の銀閣寺の近くの馬場児童公園、西に桂川を超えたところの桂巽公園にも「顔山」があることが確認できました。この他にも事例があるのかは調査継続中。

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行ってみました、馬場児童公園。古そうな門柱。文字が右から書いてあります。所在は京都市左京区浄土寺下馬場町52。町名は「じょうどじしもばんばちょう」と読むから、馬場児童公園は「ばば」ではなく「ばんばじどうこうえん」と読むのでしょうか。

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いました「顔山」。他の公園と同様、丸い砂場の中に富士山型の白いコンクリートの山。顔が4つ。公園の東に見える山には五山の送り火で有名な大文字。

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4つの顔の配置はほぼ東西南北を向いているとも言えるが、厳密には若干ずれていて、北が0時30分の方向。4面それぞれ違う表情。

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北側は他の三面とは大きく異なり、吊り上がった目が印象的。鼻は他が幾何学的な三角なのに対して丸みのあるおにぎり型。口も大きく開いて笑っているのか怒っているのか。北面の表情は十一面観音でいうと裏側の「暴悪大笑面」をイメージしたのだろうか。

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顔の目鼻はくぼんだ造形で、登る時の階段の足がかりになるように考えられているのは、他の「顔山」の事例と同様。山の部分は白セメントを混ぜた肌理の細かい仕上げなのに対して顔の部分は黄色を帯びたセメントに粒のあらい砂利を混ぜて表面の凹凸を増やして滑りにくいようにしているのがわかります。

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山の裾野は富小路殿公園では円形の縁が砂の上に露出していたのに対して、ここ馬場児童公園のものは、砂の中に埋まりこんで縁の形がどうなっているのか、同じ形なのかは確認できず。

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例によって、山の上に登って四面を見下ろし撮影したものを合成した写真。外周が砂に潜り込んでいるので外径がはっきりしないものの約3.6m。高さは1.2m程度。山の頂上は直径0.9m。顔は縦横それぞれ約1.3m。

子供たちに愛されているようで「顔山」は砂まみれ。実は馬場児童公園の顔山リサーチは2度目のチャレンジ。最初訪れた時は夕方で、放課後の小学生が群がって砂をかけたり登ったりで顔山は大賑わい。さすがに箒を振り回して子供たりを追い払って撮影するような大人気ないことは出来ないので、その日は退散。日を改めて次の出張の時に普段より出発時間を早めて朝イチで公園に立ち寄り。人気のない公園で無事に撮影成功。

最近はよその子供を写真に撮るといろいろと面倒なことになるので、公園での撮影は気を使います。実は富小路殿公園のリサーチも一度失敗してます。午前中の10時半過ぎも鬼門ですね。近くの保育園の子供たちのお散歩タイム。

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その他の公園遊具も紹介。馬場児童公園の滑り台も京都市の公園の標準であるコンクリートとスチールのハイブリッド型。しかしよく観察すると、富小路殿公園の滑り台とも南岩本児童公園の滑り台とも階段や手すりの形が違ってたりすることに気がつきます。このあたりのディテールの違いを追いかけ始めると滑り台も以外と「沼」

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公園の定番、動物遊具。リアルな造形で、前に「ブタ公園」でレポートしたような東京郊外でよく見かける動物遊具とはデザインの傾向が違います。

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フタコブラクダ。かなり具象的な表現。公園になぜラクダがいるのか? ゾウは動物園で子供たちの人気者だから、公園にゾウの遊具があるのはわかりやすいけど、なぜラクダ? 

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これまた見慣れない遊具。タイヤを埋めてレーシングカー仕様。だけど埋まってたら走れないよねー。

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馬場児童公園に行くにはバスが便利。銀閣寺行きのバスに乗って、白川通今出川の交差点から少し下ったところ。最寄りのバス停は浄土寺前。

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地形的にはこんな感じ。東に大文字山。公園西側の丘陵は吉田山。この山にある吉田神社は少し変わった神社で、社の形も独特。なんでも明治政府の国家神道の政策以前は、全国の神社の神職の任免権があるなど伊勢神宮よりも権威を持っていたこともある神社らしい。


もうひとつの顔山、桂巽公園にも行ってきたので近いうちにそのリポートとそれぞれも形態比較なんかもやってみたいと考えているので、とりあえず今回は馬場児童公園の訪問記に留めます。

# by hn-nh3 | 2019-11-17 21:54 | 動物系 | Comments(2)
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1944年8月、ワルシャワで蜂起したポーランド国内軍(AK)の手に落ちて使用されたヘッツァー「Chwat」号の車両的特徴を整理してみます。(11/06 追記)

ヘッツァーの車両番号はNr.321078。チェコのBMM工場で1944年6月に生産された車両。段付きの砲身、エラの張った初期型の防盾、戦闘室天板のピルツ(簡易クレーン台座)は未装備、放熱板付きの横置きマフラー、転輪は幅広リムの32本ボルトタイプ、12穴の誘導輪。初期生産型の典型的な仕様。

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撮影:Tadeusz Bukowski/写真出典:Nieznane ZDJĘCIA z Powstania Warszawskiego.

事実上の初陣にもなる第743戦車猟兵大隊のヘッツァーはワルシャワ蜂起の鎮圧の開始早々、8月2日早朝の市街戦で火炎瓶攻撃を受けてノックアウトされてしまう。その際の内部火災でダメージを受ける。
(1) 戦闘室天板はめくれ上がり、(2) 車体右側面の前と後ろの2箇所に大きな亀裂が入る。

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左の写真は8月5日、蜂起部隊が鹵獲したヘッツァーをバリケードから回収するときの撮影だろうか。
(2)車体側面の装甲板は車長ハッチ開口から下方に亀裂。(4) 右後部のサイドスカートは脱落気味。

右の写真は8月5日に回収して修理した後、走行デモンストレーションしたときの映像。8月14日頃か。
”Chwat”というロゴを鉄十字の上にオーバーペイントした車体、(2) 右側面前部の亀裂は溶接して塞がれているのがわかる。(2) 側面後部の亀裂も同様に溶接修理されたことは、この一連の映像から確認されている。(4) 右後部のサイドスカートは修理の際に取り付け直されている。

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左の写真はバリケードに組み入れられていた時の写真。
(1) 戦闘室天板がめくれ上がっている。(11) 右フェンダー上の木製ジャッキ台は脱落。(10) 車体左側のノテックライトは横を向いてしまっている。冒頭の兵士といっしょに撮られた写真を見るとわかるのだが、ノテックライトはバリケードに組み込まれていた間に紛失していたことがわかる。

右は修理後の写真。車体前面にも”Chwat”のロゴ。
(10) ノテックライトが再び設置されている。ドイツ軍の様々な車両で使われていた汎用装備でもあるから補充も容易だったのだろう。(1) 戦闘室天板は修理後もめくれ上がったままの状態で走行している。

戦後に瓦礫の中から掘り出されたときの写真を見ると、最終的には天板も閉じられたようだが、どの時点で行われたのかは不明。

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(13) 車体後部の車間距離表示用のリアランプは筒型のものを装備。鹵獲直後の写真(左)では確認できるのに。修理後の映像では基部の金具を残してライト本体は紛失。この手の「使える装備品」が放置されている間になくなっていくのはよくあること。
(7) 車体後部のエンジン始動用のクランクシャフトのカバーは鹵獲当初から取り外された状態。

(3) エンジン点検ハッチ、車長ハッチは記録に残る写真を見る限りは開いた状態がこの車両の「標準」。車長シート部分のハッチの裏側は、隣接するエンジン点検ハッチとほぼ同色。車内色(アイボリー)なのか、プライマー色なのかダークイエローなのかこの写真からは判断がつかない。

火炎瓶を投げ込まれて、側面装甲板にクラックが生じるようなダメージを受けたにしては、内部火災はそれほど長くは続かなかったのか。車長席のハッチの裏側に煤など黒変した様子は見られない。
...火炎瓶から漏れたガソリンが車内に充満、瞬間的に爆燃を起こして装甲板を破壊したのか。弾薬の誘爆につながるような火災は続かず、程なく鎮火したのか....

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(9) 戦闘室の天板上に装備されているリモコン機銃は、鹵獲直後の写真(左)と回収修理後(右)の写真のいずれもシールドの装甲板が確認できない。車体の塗装はダークイエローベースにグリーンの斑点、ボケ足の短いブラウンの縁取りが施されている。内部火災による塗装のダメージは殆どないように見える。

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(左)8月5日の回収作業中の写真を見ると、エンジン点検ハッチの一枚が閉じられているおかげで、エンジンルーム上中央の予備履帯が装着された状態であることが確認できる。この時期の生産車は、車体後部右側の予備履帯は後面装甲ではなく、エンジンルーム後端に設置されている。
(12) ジャッキやバールなどのOVM(車外装備品)類も既に紛失している。(5) 右後部のフェンダーは痛みが激しい。

(右)回収修理後の走行デモンストレーション時のフィルムに、戦闘室上面を捉えたシーンがある。
(9)左手前のリモコン機銃の銃架がシールドなしの状態。(8) 照準器のスコープと天板の可動シールドも喪失。

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回収されて中央郵便局中庭のアーチ内で修理中の写真。(3)ハッチ類は全開。(9) シールドを失ったリモコン機銃の銃架のシルエットが車体上部に見える。(6) 横型マフラーの放熱ガードの中央左よりに凹みがあるのがわかる。(14) 車体後部左側の予備履帯と (15) 後部中央に標準装備のワイヤーロープも喪失。この手の装備品は迷彩塗装前に装着されて、迷彩はその上からオーバースプレーされたのか、装備品の形で迷彩の塗り残しができているのが面白い。

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製作中のヘッツァーの側面装甲板に実車同様のクラックを入れてみました。本当なら連載記事の初回がこの作業なのかもしれないけど、ここまで都合7回を費やしました。車内の再現など水面下の工作が続いて、ようやく地上戦。長かった。。

クラックの位置を記録写真で確かめて描いた鉛筆の線に沿ってピンバイスで穴をたくさん開ける。穴を繋ぐようにカッターで切り込んでボデイを少しづつ割っていく。もう後戻りはできない。
パーツが思った以上に分厚くて割れ目がぎこちなくなった。本当はもうちょっとぱりんと割れた感じを出したかったのだけど。

戦闘室天板もめくれ上がった状態にするために切り離して、内部爆発時に脱落したボルトの穴を再現。さすがにこ脱落したボルトの位置はChwat号の記録写真では確認できなかったけど、他の破壊されたヘッツァーの写真などダメージを受けた天板を見るとボルトが脱落している事例が多い。

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キットでは車体と一体成型であった車体天板を切り離す。そのままでは1mmくらいの厚さがあったので裏から薄く削り込み。火炎瓶の内部爆発で天板がめくれ上がった時に隙間から見えるであろうボルト接合用のフランジを再現。細く切った0.3mmプラ板に0.4mmのボルト穴を開けてみた。車体右側のフランジ材は後端部の車長の観測用小ハッチの開口部分では縁が細く削り込まれているので、その形状を再現。

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このボルト接合用のフランジは、車体前面と側面の3方は装甲板側で溶接、天板とはボルト固定する構造になっているが、後方に関しては、天板にフランジ材の片側を溶接、もう一方は折り曲げられてエンジン隔壁にボルト固定するような方法をとっている。これは前回の記事でも触れたように、エンジン組み込みの手順の都合で、天板の後方のフランジ材だけ天板先付けになっていると考えられる。

火炎瓶を投げ込まれて内部爆発を起こした時に、側面装甲板にクラックが入るほどの衝撃があったにもかかわらず、天板が完全に吹き飛ばされずに残ったのは、この天板固定のフランジ材の配置に理由があったと想像している。

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... 車体前面と側面はフランジの天板側がボルト固定になっていたため、爆発の圧力の上に抜ける力で簡単にボルトが抜けて天板が外れた。しかし後部のフランジは天板側が溶接となっているため上向きの力には強く、その部分の天板は剥がれずに残った...

この構造を理解したときに、ここでひとつの疑問が生じた。天板をめくれ上がらせ、側面装甲板にクラックを生じさせる爆発の圧力が戦闘室後部のエンジン隔壁に損傷を与えることはなかったのだろうか。装甲板より薄い隔壁が無傷であった可能性はむしろ少ないのではないか?

おそらくは爆発の圧力はエンジン隔壁に損傷を与えて、爆風は後方のエンジンルームに抜けたのではないだろうか。そしてその圧力が車長席のハッチとエンジンルームのハッチを跳ね上げた。
つまり、エンジンルームのハッチは誰かが開けたのではなく、爆風で内側から突き上げられて、鹵獲時には全てのハッチが開いた状態になっていた...
そんな推理も可能だ。

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気になって、エンジン隔壁がどうなっているか、もう一度写真を確かめてみる。

写真右の修理中の写真をよく見ると、右側の車長席の後面の隔壁や左側の無線機ボックスがあるはずの部分は黒い影になり、その中に修理している人の服のシルエットが見える。何としたことか... 今まで気づいていなかったが、エンジンルームはハッチの影になって暗くなっていたのではなく、実際は隔壁パネルを取り付けるためのフレームだけを残した「黒い穴」になっていたのだ。戦闘室とエンジンルームを隔てる壁は完全に喪失。

これは不覚。写真に映っているものも、意識して見なければ必要な情報として見えてこないのだよ。

もちろんこの写真だけでは、隔壁のパネルがない理由が爆発で脱落したのか、それともエンジンの修理のために取り外したのかは判別できない。そこで鹵獲時に撮られた写真(左)にも目を凝らしてみる。
写真を明度調整して影の部分を明るく引き上げると、車長席の背面パネルに相当する部分(黄色い矢印で示す箇所)に何か周囲より明るく見えるところがあるのがかろうじて判読できる。隔壁のパネルにしては明るくなる形が不自然。これが何なのかは定かではないが、背面パネルが外れて隔壁の側面点検口なのかエンジンの一部が見えているのか? なんとも言えないところではあるけど。

(11/06追記)
さらに目を凝らして見ると(写真はクリックで拡大)、赤い矢印で示す部分で隔壁の固定用フレームが本来の位置(赤い点線)からずれていることに気がつく。おそらく爆発の際に隔壁のパネルは脱落、フレームも歪んで外れてしまったのだろう。

一体どうしたものか、エンジン隔壁が失われている可能性が限りなく高いことはわかったものの、これを製作中の模型でも再現すべきなのか。。
これまで時間をかけて自作したエンジン隔壁のパーツを自分で壊すのは実に忍びない。

どうしたものか。心は揺れる。

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記録写真は主にWikimedia Commonsより。
キャプチャー画像の動画出典:https://www.facebook.com/watch/?v=10156365756128930
説明図は "38式駆逐戦車ヘッツァー"(大日本絵画)より引用の図面に加筆制作

# by hn-nh3 | 2019-11-05 18:58 | HETZER | Comments(2)

Walk Around Hetzer

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閑話休題。ヘッツァーに関する無駄話はちょっとお休みして今回は資料本の紹介。
今回のワルシャワのヘッツァーの制作の参考にしている資料のひとつは、スコードロンシグナル社の "Jagdpanzer 38 Hetzer walkaround"

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A4横サイズ。80P。2011年刊。現存車両のディテール写真と解説。表紙のドローイングは何となく一時代前のスタイルでビジュアル的にはだいぶ損をしている気はするけど、いやどうしてなかなかの良書。
数年前にAmazon.comで19.95ドルで買い求めたものですが、今年の春にも国内入荷があったようで国内在庫もまだある模様。

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基本、本はジャケ買い派なので、表紙を見てどうしたものか躊躇していたのですが、レビューでこのページが出ていたのが購入の決め手。ヘッツァーの後部排気管のバリエーションの解説ページ。
44年9月までの横置きマフラーと以降の縦型簡易排気管の違いはよく知られたところですが、後期の排気管のマイナーチェンジはまだあまりフォローされてないところ。1945年4月のシュコダ工場生産車は縦型マフラーが斜め配置ではなく垂直配置になっているのだとか。このドローイングを見て、いい本だと思って購入。

車体後部に追加されたアクセスハッチの解説も写真つきでありますね。オスプレイ本を下敷きにした和書では当初はここにハッチがなく燃料補給もパネルのボルトを外して行っていたのを不便だから小ハッチが追加された、なんていう記述もありますがこれは明らかな誤訳。燃料注入口は上の大きなハッチの下にあり、追加された小ハッチはエアフィルターやラジエーターなどのアクセス用。
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記録写真は有名どころですが、ツボを押さえた写真が大判で見れるのは嬉しい。製造中の風景はプラハのBMM(CKDをドイツ風に改名)工場。車体の基本形がよく分かる写真。砲身をつける前にすでに迷彩塗装をしていたようにも見えます。

転輪や小パーツはレッドプライマーベースにダークイエローを塗ったものが納品されてたのか、写真でもノテックライトが車体とは違う塗装済みの状態で取り付けられているのが確認できます。
車体はレッドプライマーで塗装されていたとあるけど、個人的には38t戦車系列、ヘッツァーの車体はグレープライマーで塗装されてたと考えてます。現存車両のいくつかにそんな形跡。この話はまたどこかで。

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Walkaround本のメインとなるディテール写真。車体の部位ごとに生産時期のことなる車両の比較と解説。
ヘッツァーの生産はBMMと途中から加わったシュコダの2社。ボルディ工場で制作された車体が両社に供給されて部品の組み立て。その過程で細部に差分が生まれて、たとえば牽引フックの三角の補強プレートはシュコダ生産車の特徴なのだとか。後期ヘッツァーはBMMとシュコダ生産車では迷彩パターンも違ったりするから、こうした工場別の差分がわかる資料は大事。

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生産時期別の特徴の解説。最後期型によく見られる4つ穴の簡易型誘導輪もシュコダ工場生産車の特徴。それに対してBMM工場では1944年11月に採用された6穴の誘導輪が最後まで使われていたのだとか。


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転輪のディテール写真。ゴム部分との接合ボルトは初期は32本、後期は16本。ボルトのリム幅も生産途中で狭いものに変わる。さらにはボルトからリベットに変わったりと、意外に細かな変更もあったりするので気になり始めるとヤヤコシイ。

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内部の写真もあるよ。例の暖気取り入れダクトのインレットもクリアな写真が掲載。ここにも1944年11月からの装備と書かれてます。内部写真に関しては戦時中に生産されたヘッツァーではなく戦後型(スイス軍に供給)のG-13のものなので、そこは留意して見る必要あり。エンジンルームの写真などもあるけどそれもG-13。欲をいえば戦時中の生産車の内部写真も比較掲載して欲しかった。

ヘッツァーの現存車の内部写真を見ると2タイプの砲架が確認できて、エデュアルトのキットでは2タイプの選択式になってたけど、その違いが何なのかこの本でやっとわかった。ヘッツァーが積んでたのはPak39。戦後生産のG-13はStuk40。俯仰左右旋回の機構に違いがある。

ヘッツァーは現存車両も多く残っていてネットでディテールの写真を集めるのも比較的楽ではあるけど、その中にはG-13をヘッツァーに「復元」した車両も多いので注意して見ないと現存車の罠に嵌ります。識別ポイントとしてはG-13の砲身は根元で少し膨らんでいる。ヘッツァ−の砲身はストレート。

各部のディテール写真の他に、有名な車両の塗装パターンもカラーで再現されてたりするので、この1冊あればモデリングには十分な情報量。これで2000円そこそこならお買い得。

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ネット上のヘッツァーのWalkAroundページのメモ

Prime portal > Hetzer WalkAround

言わずと知れたWalkAround の老舗のページ
アバディーンにあるヘッツァー後期型(シュコダ工場生産車)
屋外展示で状態は悪いもののオリジナルな状態がよく残ってる車両。


Tank_Archives "Hetzer from Aquino"

ウォークアラウンドのページではないが、カナダのボーデン博物館にあるヘッツァー初期型のエンジンルームなどがわかる貴重な写真。このヘッツァーは残念なことにエンジンなどの主要パーツを喪失。しかしそのおかげて燃料タンクや隔壁の基本構造などがよくわかります。このヘッツァー(1944年6月頃の生産車)の燃料タンクを見ると、後期型でよく見かける大型のキャップではなく、38t戦車で使われていたような小さな蓋。最初この写真を見たときは、レストアの際にパーツ欠損で仮の塞ぎをしているのかとも思ったけど、どうやら初期型の燃料キャップはこの形だった様子。


ポーランド、ワルシャワの陸軍博物館にあるヘッツァー初期型。ワルシャワのヘッツァーではあるが、Chwat号ではない。Chwat号は戦後に博物館で展示されるものの、当局の指示で処分されてしまったため、残念ながら現存していない。
この車両は戦闘時に誘爆した車両なのか後部が大きく破損している。そのおかげで一部ではあるが初期型の内部構造が伺いしれる。燃料タンクのキャップも小型のものがついているのが判読可能。

外部、内部ともによく理解できる写真が多い。リモコン機銃のディテール、他のページでは7.5cm砲の砲尾に遮られて写ってなかったりする車長席周りを捉えた写真があったり、細部の作り込みに役立つアングルでの写真など、多分にモデラー目線を感じます。
非常に状態のいい車両ですが、この車両はG-13ベースの「ヘッツァー復元車両」なので、そこを留意して観察する必要あり。


Tanks.Built2Scale >Tanks > HETZER
アバディーンの展示車両のウォークアラウンド。非常にマニアックなアングル。こんなとこまで撮るかという写真が満載。網越しに観察できる内部もよく捉えている。普通は写真に映らないサスペンションの裏側や、被写体に正対した撮り方など、部品の形状把握に役に立つ写真が多い。こんな写真撮るのは絶対にモデラー。ウォークアラウンドかくありき、というページ。

# by hn-nh3 | 2019-11-02 17:40 | 資料 | Comments(8)
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前回に引き続き、ヘッツァーのエンジン周りの工作。
戦闘室の天井装甲板の後端とエンジン隔壁の位置(赤い線)は実車でも微妙にずれている。最初は7.5cm砲の後座長の関係で隔壁の位置を調整したのかとも想像したのだが、そんなのは防盾の砲耳の位置を前に出せば調整できそうだし、あれやこれやと考えてみたけど結局、理由がわからない。もちろん、わかったところで模型作りに影響のない話。

このずれを解消するために鉄板を折り曲げたフィラーが設置されているのが現存車両の内部写真などから確認できます。

このフィラーは細長いプレートの片側を天井板に溶接、エンジン隔壁にはボルト固定する形式になってます。天井板の側面と前側は、車体に溶接したフランジ材にボルト固定する方法をとっているのに、なぜ、このフィラーは同じ形式(車体側に溶接、天井板とはボルト固定)になっていないのか? おそらくは組み立て工程に由来するのかと想像してます。前回の記事でエンジン隔壁はエンジン設置後に組み立てているらしいことを書きましたが、おそらくはそれが理由。

そんなことはどうでもいいのですが、模型的には黄色い矢印で指した部分のフィラーのはみ出しが気になるところ。車長用のハッチ開口の部分にはみ出してしまってるんですね、実際にも。なんだか設計的に納まってなかったんじゃないかという気もしますが、計画段階でそれをうまく処理する時間もなく生産が始まっちゃたんでしょうね。

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ハッチからちらりと見える戦闘室内部も少しだけ再現。エンジンから伸びるドライブシャフトとその先のトランスミッションを簡略化して再現。細かなディテールは省略してシルエットだけ。ハッチから奥を覗いて何もないよりは暗がりの向こうに何かある、程度に。

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エンジン隔壁につく、暖気循環用のインレットも自作。プラ棒の先に三角に切ったプラ材を貼って、外周はプラペーパー巻き。
隣の部材はドライブシャフトの基部のカバー。ドリルレースでテーパーつけたプラ棒をに丸く切ったプラ板でフランジなど再現。ボルトはハッチから見える上半分だけに留めて時間の節約。

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エンジン隔壁のパネルは丸頭のビスで隔壁のフレームに固定されているので、それも見えそうな場所に限定して再現。極小のビス/リベットの「供給源」としてタミヤのヴェスペの床パーツが使えるとme20さんが言ってました。秋葉原のイエローサブマリンのランナーバラ売りコーナーで運良くそのパーツを見つけて即購入。

床板の滑り止めの丸突起は裸足で歩こうものなら足のツボが全て覚醒してしまいそうなぐらいに突出したモールドで床板としては少しオーバーディテールに思えるのだけど、リベットとして使うには程よいメリハリ。しかし、いざ移植しようとカッターで削いでみれば、吹けば飛ぶような小ささ。模型の達人はこれを移植するのか。。

うーん。どうしよう。やります、やってみます。自分にだって出来るはず。。

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というわけで、自分にも出来ると信じてチマチマとリベットを貼ってみました。最初は作業途中に行方不明になるリベットばかりでしたが、だんだんに目が慣れてくると、出来るもんですね。少しづつ眼とピンセット先の解像度が上がっていくのが自分でもわかります。
「リベット3年」とはよく言ったもの(誰が)

暖気のインレットなど自作した部材も接着。細かなボタンやハンドル類はドラゴンのキットの不要パーツから流用。消火器は38t 戦車系列でよく使われているチェコ製のものをこれまたドラゴンのキットの不要パーツから。便利ですね、こういう時だけ。

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車内の硝煙排気用のダクトはプラ板を曲げたものを積層。無線機用の変圧器の取付板も自作。
変圧器本体は無線機とあわせて「鹵獲時に持ち去られた」設定にて省略。

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内部の工作完了。こうやって拡大してみると工作精度はマダマダですね。内部完全再現モデルを目指すなら、もう少し水平垂直の精度を確保して、小さい部材の端部処理の解像度ももう一段階上げないとダメなんだろうけど、今回はチラ見え内部の再現なので、ここで打ち止めにします。

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中は出来たし、次の作業は..と資料の確認をしているところで、ちょっと気まずいことが発覚。
ネットで拾ったオスプレイ出版のヘッツァーの本を拙い語学力で拾い読みしてたら、燃料の注入口に大型のキャップが採用されたのは1944年10月頃、暖気循環用のダクトが導入されたのは1944年11月頃、なんてことが書いてあるじゃないですか。

このChwat号は1944年8月のワルシャワ蜂起で鹵獲された車両で、1944年7月頃の生産車。だから、それらのパーツが車内にあるのは考証的にはちょっと微妙。

さて、どうしよう?

# by hn-nh3 | 2019-10-27 09:17 | HETZER | Comments(6)
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話を戻してワルシャワのヘッツァー。記録写真に残るChwat号はエンジンハッチを全開にしているのが「標準仕様」。だからその状態を再現しようとするとエンジンルームもそれなりに作り込む必要があるのだけど、さすがにエンジンを自作するのは気の遠い作業になるから今回はちょっと楽させてもらって、サンダーモデルのベルゲヘッツァーのキットからエンジン部品を流用。

d0360340_10325843.jpg調達したのはベルゲヘッツァーの前期型の限定版(TM35103)。通常盤には無いエンジンパーツ入りです。キットのエンジンを抜いてしまってもエンジンハッチを開けない限りは普通にベルゲヘッツァーとして組めるので、ひとつで2度美味しい。しかも中古キット屋で見つけてお安くゲット。ふふ。

これのエンジンをワルシャワのヘッツァーに流用して、残った車体はプラハで蜂起部隊に鹵獲された30mm機関砲搭載ベルゲヘッツァーに使おうかしらとあれこれ画策中。(そんな予定ばっかり..)



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ひとまずサンダーモデルのベルゲヘッツァー車体に組み込んでエンジンの組みあがり状態をチェック。パーツはまずまずシャープ。細部まで表現しようとするメーカーの意気込みを感じますね。でもちょっと取り付け方が曖昧だったり、抜きテーパーの処理などプラモとしてのノウハウの蓄積はまだまだかな。

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これをタミヤのヘッツァー車体に組み込みます。しかし、一瞬にして問題発覚。
エンジンがうまく入らないんですよ。。

なんとも困った事態に。エンジン隔壁の位置の設定がサンダーモデルのキットと若干違うのも一因だけど、そもそもヘッツァーの車体後面の装甲板は前傾しているため、ラジエーターなども全て前傾状態でのセッティング。その結果、エンジンを上から落とし込むスペースが不足。。うーむ。

資料をあれこれ漁って見つけたヘッツァーの工場での組み立て中の写真を見ると、どうやらエンジンの隔壁より先にエンジン本体を取り付けてる様子。車体が狭いからそうしないと取り付けた後の機器の調整もできないようなレイアウトになってます。エンジン交換とか、実際どうしてたんでしょうね。

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とはいえ、せっかくスクラッチしたエンジン隔壁をバラすのは忍びなかったので、見えなさそうなところでエンジンのパーツを切りつめて無理やり押し込みました。エンジンの隔壁も無線機収納ボックスがエンジンルームのハッチと干渉することが発覚して、一度周囲をバラして新しく作った部品に取り替えたりと、なんだかんだ大改造になってしまってるのです。。見えない苦労はいろいろあります。

手前に転がってるのは車体右側に搭載する燃料タンク。しかしこのままでは納まりません。キットのパーツ形状だと後部に大きく張り出した車長席と干渉してしまうのです。

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はい、正解は.. 大胆に干渉する部分をざっくりとカットします。これは実車でもそうなっている仕様で、右側の燃料タンクは左側の半分の容量。少しでも容量を確保するためか、車長席のシートの下にも燃料タンクが伸びてます。タンクをL型にカットしているのはそういうこと。

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これはヘッツァーとベルゲヘッツァーの燃料タンクの形状の違い、ということではなくサンダーモデルのキットの考証が不足。だと思ってます。記録写真でベルゲヘッツァーのエンジン隔壁の形状がわかるものは少ないのですが、この写真を見る限りは、エンジン隔壁はヘッツァー同様に右側がオフセットした形状のままになっていると推測できます。

これに対してサンダーモデルのキットはエンジン隔壁をフラットに再現してしまっているので、その帳尻合わせに「フルサイズ」の燃料タンクのパーツを想像して作ったのではないかと。

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結局、あちこちを切った貼った削った盛ったで、なんとか組み込み成功。疲れました。

エンジンの左側にうねうねしているダクトは車内に暖気を送るためのもの。ラジエーターグリルのファンから排出される空気は通常は車体上部のメッシュグリルから排気される訳だけど、グリルのシャッターを閉めると、流れを遮られた暖気がダクトへと流れ込み、隔壁に設置された筒状の吹き出し口から暖気が出る仕組み。こういうメカニズムがわかると少し楽しい。

# by hn-nh3 | 2019-10-23 18:25 | HETZER | Comments(4)

公園の人型(後編)

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前回の記事でリポートした京都市の御所南、富小路殿公園にある、人の顔の造形が施された不思議な公園遊具。この類のコンクリート製の遊具は公園ごとの現場制作になるため、一回性の造形であったりする場合が多いのですが、同じものがもうひとつ京都市の南側にあるのを見つけてます。冒頭の写真がもうひとつの石の山。

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京都駅の南側、鴨川にほど近いエリアにある南岩本児童公園。夏草の生い茂る忘れられた公園にひっそりとその山があります。

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公園には滑り台が2台。これは京都市の公園で標準的に設置されてるコンクリートとスチールのハイブリッド構造のタイプ。
件の石の山は富小路殿公園の石の山と同様、砂場の中に設置されていたようであるが、今はすっかり草に埋もれてます。

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石の顔が4つ。誰もいない公園で誰を待つのか。
富小路殿公園にあるものと同じ造形であるが、個別に写真を撮るのを忘れたため4つの顔を比較できていないため、全く同じものかどうかは判断できない。富小路殿公園では顔の向きが東西南北に対して45度振った配置になっているのに対して、ここ南岩本児童公園のものは東西南北に配置されている。その違いに意味があるのかないのか。

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疎らに配置された遊具。「児童公園」にしては不自然な広さ。理由がわからない位置でフェンスで区切られていたり。

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公園の一角には柵で囲まれて一段高くなっている場所も。階段の入り口はフェンスが閉じられていて中に入ることはできない。

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中を覗くとフェンスの向こう側も公園。原っぱにジャングルジム。だけど誰も入れない。

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公園の表札は少し歪んでいて、後から貼り付けられたものかもしれない。昔の航空写真で見てみると、「ジャングルジムのある囲まれた高台」は水泳プールであったようだ。いつの時代か廃止されたプールを土で埋めてそこも公園とすべくジャングルジムを設置したのだろう。この公園にどのような歴史があったのか、どのような経緯を経て今の姿になっているのかは、航空写真からの風景の変遷だけではわからなかった。

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公園のある一帯は空き地だらけ。フェンスで囲まれた空白の街。

南岩本児童公園の人の顔のついた石の山を見つけて、これらの写真を撮ったのは2015年。
こっちを先に見つけていたことになるが、しかしその公園だけの特殊な造形なのか、市内にいくつも作られた同じ形の遊具の一つなのかが暫くわからなかった。
同時に、公園の風景の背後にある、この街のことを語ることも避けられなくなるため、南岩本児童公園の石の山のことは語らずにいた。

忘れられた公園にある石の山が、果たして最近見つけた御所南の富小路殿公園の石の山と一対の造形なのか、その他にもまだあるのかもこれからの話。

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南岩本児童公園があるのは、京都駅の南側。東九条(トンク)といわれるエリア。
戦前から戦後にかけて朝鮮系の労働者が多く移り住んだ街で、鴨川沿いの堤防を占拠した0番地といわれる場所もあった。
映画「パッチギ」の舞台になった街でもある。

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以前はバラックが立ち並ぶなど立ち入りがたい雰囲気も漂っていた場所であるが、現在は区画整理の用地買収が進み、そうした風景は殆どなくなっている。

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街の痕跡はフェンスに囲まれた空白として残る。フェンスは線路を超えて駅の北側、崇仁地区まで続いている。そこも謂れのない差別を受けていた街があった場所。

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# by hn-nh3 | 2019-10-20 09:19 | 動物系 | Comments(10)

公園の人型(前編)

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公園の石の山。公園のコンクリート製遊具には不思議な造形のものがあったりします。前に動物遊具の「ブタ公園」の記事を書いたりしてますが、今回は「ヒトガタ」の山。

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この山を見つけたのは京都市中京区の富小路殿公園(とみのこうじどの こうえん)。古めかしい名前で文字が右から書かれてるので戦前からある公園と思われます。その中央にあるのが砂場にそびえる石の山。

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丸い砂場の中央に据えられた富士山型のコンクリートの白い山。斜面には登るための階段も兼ねた4つの人の顔がかたどられていてなんともシュール。

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4面それぞれ別の顔。北側の2面は不気味な笑い顔(怒り顔?)、南側は無表情な顔で謎めいた風情。顔面の配置は東西南北に対して45度回転した配置で、鬼門(北東)や裏鬼門(南西)など陰陽道にまつわる方位学との関連も想像できますが、 それも想像の域をでるものではない。いったいどうしてこんな造形になったのか。

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上から撮ってみたよ。といってもドローンで空中撮影できる訳ではないので、山の頂上に登って4面それぞれ見下ろした写真を撮って、パソコンのソフト:PhotoShopでパノラマ合成。この写真を作ってみたかったんですね。

PhotoShopの画像構成機能で自動判定で無理やりレンダリングしているところもあるので、正確な上面図にはなっていないのは断っておきます。山裾はきれいな円になっているけど、山の頂上は合成の際にすこしカクカクしてしまいました。この画像が生成されたとき、笑ったのが山の中央の「黒いボール」。撮影時に写り込んでいた自分の足が画像合成のいたずらで黒い球に。。 

黒いボールと化した自分の姿にいろんな想像ができます。....禁忌を犯したことで山の呪いがかかって小さな球に閉じ込められてしまった....誰かに水をかけてもらうと人間に戻れる....とか。

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しかし、なんでこんな造形になったのかは謎。ネット検索でもこの遊具への言及はほどんど見あたらない。この辺りに住む人は誰も気にしていないのか、あるいは人の形が見えている人が少ないのか。

公園遊具の発達史のなかでは、土管などを埋め込んた築山をコンクリートでかたどってた「石の山」というジャンルがあって、それに滑り台の機能が付加されるようになり、やがてタコの形をした巨大な滑り台や、象の形の滑り台へと「進化」する流れがあるのですが、これは「石の山」のバリエーションに位置付けられるものなのだと思います。年代的にはコンクリート遊具が各地に設置された1960〜70年代のものと想像します。抽象絵のような顔の作り方に岡本太朗の太陽の塔などを想像させます。

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コンクリートは耐久性もあって腐食にも強いので、公園の遊具や設備によく使われてます。自由な造形ができるのも魅力で、FRP素材が出てくるまでは他に替わる素材もなかったのでしょう。水飲み場の造形もなかなか。これは工場生産の製品なのか、京都市内の公園のあちこちで見かけます。C型というらしい。水を貯める水盤の形が素敵です。

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なんでもコンクリート。もうひとつの砂場の縁取り。滑り台の滑走部もコンクリート。この滑り台。コンクリートと鉄部材のハイブリッドで、これも標準設計なのか京都市内の公園でよく見かけるアイテム。

煉瓦の塀の向こうに見えるのは京都ハリストス正教会。ギリシャ正教会の京都聖堂で明治34年(1901)の完成。美しい木造聖堂で形は函館のハリストス教会などと共通。京都に教会というのは馴染みのない風景ですが、どういう経緯でここに建てられたのか知りたくなります。

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富小路殿公園があるのは、京都市役所を北側徒歩5分ぐらい。二条通りの北、富小路通と柳馬場通に挟まれた場所。街の北側に京都御所を控えて、いわゆる御所南といわれるエリア。'富小路殿"と書いて「とみのこうじどの」と呼ぶ「殿」の文字は、その昔に御殿があったことに由来。この場所にはかつて「御所」が置かれていたことがあるという。

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調べてみると平安時代後期から室町時代にかけて、天皇や上皇の居場所である御所は平安京の大内裏の場所から離れて貴族の邸宅に寄宿する「里内裏(さとだいり)」という形をとって、内裏は市中を転々としていたらしい。その一つがこの場所の「二条富小路内裏」。後醍醐天皇の内裏でもあったようで、建武の新政が崩壊したときの戦乱で焼失。今は昔。

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(後編につづく)

# by hn-nh3 | 2019-09-29 10:38 | 動物系 | Comments(2)
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ワルシャワの蜂起部隊に鹵獲されてバリケードに利用されたヘッツァー:Chwat号のバックショット。エンジンルームやコマンダーズハッチは開けっ放しの状態。エンジンを始動できるかを試みたのか、あるいはバリケードに向けて撃ってくるドイツ軍の銃弾から身を隠すための銃座の替わりに使用していたのか。

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正面側からの写真。戦闘室天板は火炎瓶による火災のダメージでめくれ上がっている。乗員用のハッチも開いた状態になっているのが確認できる。フェンダー上のジャッキ台とノテックランプは紛失。

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数日後、バリケードから回収して郵便局中庭で修理中の写真。エンジンルームなどのハッチは全開。ハッチの裏はプライマー色ではなく、車体色(ダークイエロー)に塗られているようにも見える。車体後部のエンジン始動用クランクシャフトのカバーは紛失。

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復旧作業が成功して中庭を走行してる時の映像。走行テスト中なのか、エンジンルームのハッチは相変わらず開いたまま。

火災によるダメージがあったとはいえ、車体の迷彩塗装が熱で痛んだりしていないように見えるので火災がそれほどひどくはなかったのでしょう。車体側面と正面に「Chwat」のマーキングが新たに施されてます。ノテッックランプが復活、リモコン機銃のシールドは失われたままになってますね。ノテックランプは他の車両でもよく使われている汎用品だったからパーツ取りもできるけど、リモコン機銃の部品は手に入らなかったんでしょうね。ワルシャワ戦がヘッツァーの初陣でもあったみたいだし。

こうやって残っている写真を見ると、エンジンルームのハッチが開いている時のものが殆ど。もちろんその後の訓練などでは閉じたりもしたのだろうが、模型でChwat号を再現するときには、エンジンルームのハッチを開けた状態にするのが「記録に残っている姿をリアルに再現した」ということになるのかしら。

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エンジンルームやコマンダーズハッチを開けた状態にするには、内部の構造をある程度作り込む必要もでてきます。キットの内部はまるっと省略されているので、先ずは戦闘室とエンジンルームを仕切る隔壁(バルクヘッド)をプラ板で再現。隔壁の上端のラインと戦闘室天板の後端がずれているのは工作ミス、ではなく実車もそういう仕様なのです。

ヘッツァーは小さな車体に7.5cm砲を積んだために、車長の席が戦闘室のエリアには確保できず、エンジンルームの一部に食い込むように配置。無線機のラックもエンジンルームの隙間にはめ込むようになっているので、エンジン隔壁はクランク状に入り組んだ複雑な形状になってます。

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エンジンの隔壁を再現するためにCADで1/35スケールの図面を起こしてみました。参考になる内部写真をトレースして、写真の歪みなどを補正しつつ、各部の関係を整理していく。ブルーで着色した車長席(左側)と無線機ラックのニッチ(右側)が隔壁から奥まっている部分。

①の淡いブルーの部分はアールがついて車長席の側板につながっている。しかくそのまま垂直に壁を下ろすとエンジンに緩衝してしまうため②のように車長席側板を斜めに細工してエンジンを収容するスペースを確保するなど、なんとも複雑な納まり.. ③の部分、車長席の床は燃料タンクになっている。反対側と同じように本来であれば大きな燃料タンクが置かれる位置に車長席を設けた関係で、少しでもタンクの容量を確保できるようにしためたなのか。

エンジンのフライホイールのハウジングは隔壁より車内に突出しているため④のような半円の張り出しが作られている。このハウジングは①のアールのついたパネルと絡むので取り合う形状は複雑。
エンジンを車体底板に固定するための桁材:⑥がエンジンルーム側ではなく戦闘室内にはみ出している..というのもまたややこしい。

と、ここまでは何となく理解できたのだけど。⑤の部分では④の半円の張り出しが車長席にかかるところで寸法的にはみ出してしまうということに.. この部分がはっきり写っている写真が見つからず、いろいろな写真からの類推にはなるのだけど、どうやら直線上にハウジングの張り出しがカットされたような形状になっているようなのだ。
設計的にはどうにも「納まってない」ように見えるのだけど、仕方がなかったのか。

この部分が明瞭に写った写真がもう少し欲しい。細部の取り合いがどうなっているのかディテールが知りたいところ。

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とりあえずプラ板を組み合わせて基本形を作ってみました。WAVEのグレーのプラ板0.5mmを切り出して加工。斜めだったり曲線だったりを組み合わせる必要があったので工作は大変でしたよ。
 
たかが隔壁一枚にこんな複雑な作業が必要だなんて、実際のヘッツァーの生産もなんだかんだ手間がかかってるのね。

# by hn-nh3 | 2019-09-23 19:52 | HETZER | Comments(8)