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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(後編)

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昭和33年(1958)年にオープンした逗子の披露山公園の風景。
(写真出典:「写真アルバム 鎌倉・逗子・葉山の昭和」いき出版)

逗子の披露山公園の話の続編。戦前の高射砲陣地の遺構が現在も残っているというのも驚きでしたが、戦争の記憶からいちばん遠くてもよさそうな公園の施設に軍用施設の構造物を利用しているのがとても不思議でした。3つの台座は花壇、猿の檻、展望台にと姿を変えてはいるものの、確かにそこに何かが存在した、という形をしています。猿の檻に至っては、痕跡どころか、ほぼ完全な状態。

一体どういう経緯で公園が作られたのかとか、公園施設であるなら何らかの記録があるのではと、逗子の市立図書館にも寄ってみました。郷土資料コーナーにはめぼしいものがなく、見つかったのは公園オープン時の写真。
未来的な展望台の形から70年台頃かと想像していたら、もっと古くて50年代の終わり、昭和33年でした。

戦前にコンクリートの台座が作られたのはその15年ほど前。「もはや戦後ではない」という言葉が語られたのは2年前の1956年。建設資材も重機もまだ貴重だった時代にそれほど古くなってない台座をわざわざ壊して全く新しいものを造るよりは、使えるものは使って市民の憩いの場を作った、ということなのかもしれません。
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配置図。右は公園の案内板、左は公園のレストハウスに貼ってあった都市計画地図。
こうやって地形を見ると、張り出した細長い尾根の上に作られたことがわかります。地形に沿って丸い砲座を並べ、尾根への入り口には(現在はレストハウスになっている)指揮所を置いて... 守備には向いた地形、なんだか山城のような配置。
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花壇、展望台、猿の檻、と丸い公園施設が等間隔で並んでいます。写真のいちばん手前に写っている花壇は、オープン当時は植栽もまばらだったようですが、現在はこんもりと常緑の低木を中心とした茂みに成長しています。その周囲を堀のように水草が浮く池で縁取っています。この池、話によると子供たちのザリガニ釣りの場になっている(かばぶのかば◎さん談)とのこと。
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高射砲座と花壇の関係を見るために、図面に起こしてみました。地中に埋まっているだろう台座の形は現在も確認できる猿の檻から推定。直径12mの円錐型のコンクリート土留めの外周に沿って池の縁石が並んでいます。池に恐る恐る手を突っ込んでみたら..ビンゴ。池の縁は垂直ではなく斜めになっているのが確かめられました。ちょっとぬるぬるするけど水の中に当時の遺構が沈んでます。そのままどこまで続いているのか手を伸ばしたかったのですが、カミツキガメとかいたら怖いのでやめました。だから池の深さは推測です。

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円錐型の砲座の底の丸いラインが花壇の縁になっていると思われます。そこからコンクリートを立ち上げ、池の水が漏れないようにして、巨大な植木鉢よろしく大きな丸い花壇を作ったのでしょう。台座の底面は中央の高射砲を据えるベース以外は土だったと思われるので、ちょうど植木鉢の水抜き穴のように、そのまま使ったのではと推測します。

周囲が池になっているのは、砲座のコンクリートの斜面で水が遮られるので、草花を植えるより池にするほうが都合がよかったのでしょう。公園の花壇にこういった類型は少なく、確実に砲座の構造が庭園デザインに影響を与えてます。

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猿の檻は、それこそ台座そのものに鉄のカゴをかぶせただけの構成。中央には水のたまった浅い池。ときどき猿が水を飲んでます。そのとなりに溶岩を積んだ猿山。円錐型のコンクリートの壁は猿を観察しやすく猿も駆けあがれるくらいの傾斜。
斜面の8つの横穴は猿の隠れ家みたいだけど、元は弾薬保管庫だった穴。猿を飼うための施設としてもよくできています。まさか敗戦後の使い道を想像していたとは思わないけど、他の使い方が考えられないくらい自然。

d0360340_15525936.jpg底の部分にコンクリートが全面に敷かれてるのは、戦前にはなかった仕様。周囲に排水の側溝が設けられています。中央には檻の構造柱のための基礎をとりまくように池がありますが、よく考えたら変な配置。中央に池がある必要もないと思うし、錆びやすい鉄の柱をわざわざ池の上に立てるのも、どこか不自然。

そういえば、隣町の鎌倉にある神奈川県立美術美術館に鉄の柱を池に浮かぶ柱の上に立てているデザインがあったけど、あれは 昭和26年(1951)だから、ひょっとしたら影響を受けたのかもしれないけど、ともかく池を中央に配置するのが都合がいい理由がそこにあったようにも思います。

たぶん、高射砲を据える台座コンクリートがそこにあったのが理由でしょう。それが元々どんな形状で、猿の池にどう利用されたのか、檻の外からは遠くて確かめようもないのですが。わからないことは猿に聞け... か。

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この公園の白眉はやはり、空に浮いたようなデザインの展望台でしょう。現在では不可能な薄さ(14cm)の円板状の床が空中に浮いたようになってます。中央のコンクリート円柱から跳ね出した軽快な構造体。屋根も同じように中央から円板状に張り出して、周囲には構造的な柱がでないように作られてます。GoogleMapで空から見ると、屋根は中央部に向かってくぼんでいるようです。通常の屋根のように周囲に向かって低くなって軒樋で水を受けるのではなく、その逆で中央部で雨を集めて、外周部には風景を遮る雨樋がでてこないように設計されているのがわかります。

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展望台には風景を遮る壁や柱は無く、周囲には細い手摺の支柱だけ。この日は靄がかかって富士山は見えなかったけど、江ノ島ぐらいまでは見えました。
建設当時の写真を見ると、現在とは少し違って透明なガラスかアクリル板でがあったようにも見えます。地上部も何かの施設があったのか...展望喫茶とかそんなのだったのかしら。

展望デッキの薄い床の構造はどうなっているのか、下から見上げたら、中央の円柱から腕のように梁を突き出して、階段を囲むように曲線梁を設けて床を支えてました。薄く軽くみせるための工夫で気の利いたデザイン。

1950年代って、戦後の復興で大した建物とかなかったように思うけど、神奈川県立美術美術館の他にも横浜の神奈川県立音楽堂ができたのは昭和29年(1954)とか、戦後モダンデザインの傑作がいくつも作られてた時代。この展望台もそんなムーブメントの中で誕生したと想像しますが、詳細は不明。これはもう少し調べてみたいところ。

話を戻して、展望台と高射砲座遺構との関係。展望台の地上部を横の方に回り込んでいくと、展望台周囲の空間が円形に周囲の地面から45cmほど下がって、その段差部分が斜めになっています。円錐型の斜面の勾配は2:3。 そこにかつての砲座のコンクリート擁壁が埋まってます。この窪んだ部分は現在のウッドデッキの下まで続いてたことも、ちょっと前の写真を検索して確かめることができました。

戦前の陣地のコンクリートは鉄筋は使わず、土圧を避けて斜めの構造にしたと思われます。しかし新たに展望台、それもこんなアクロバティックな構造物を作るのに際しては、さすがに鉄筋なしの基礎という訳にもいかず砲座を基礎として転用するのは諦めて、砲座の窪みをゼリーの型のように利用して新しいコンクリートを流し込み、展望台の基礎を作ったと想像します。

しかし、新しいコンクリートをなんで周囲より低い位置で止めたのかは謎。むしろ周りより高くしてより眺めが良くなるようにとか考えそうなものだけど、何かこれには理由があったのでしょうね。今となってはわからないけど。

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図面をPDFにてダウンロードできるようにDropBoxリンク貼っておきます。
展望台とか猿の檻のジオラマとか作ってみたい人は、DLしてご利用あれ。
小坪 高角砲台その後(花壇)_170707.pdf
小坪 高角砲台その後(猿の檻)_170707.pdf
小坪 高角砲台その後(展望台)_170707.pdf




Commented by かば◎ at 2017-07-09 09:46 x
昨日、私も改めて披露山の台座跡観察に行ってきました(暑かった……)。
撮ってきた写真などは改めて「かばぶ」にupしたいと思いますが、猿の檻に関して新知見。
hnさんの猿の檻図面(高角砲陣地&現況)は、周囲の弾薬集積用?ニッチが8カ所、等間隔で並んでいますが、檻の中から見て階段に向かって左側は、もうちょっと間隔が離れています。
で、hnさんの写真にも写っている四角い小檻がありますが、ここは弾薬用壁龕よりも深く大きく窪んだ地下室になっているそうです(ちょうど猿の飼育員の方がいたので聞きました)。兵員の詰め所? あるいは避難所?
おおよそですが、「表に出ている檻の2倍くらい奥がある」とのことです。
Commented by hn-nh3 at 2017-07-09 17:20
>かば◎さん

連日暑いですね。こんな猛暑の中、わざわざ猿を見にくる人は他にいないでしょうね(笑)

小檻の奥に地下室があったのですね。待避所でしょうか。他の事例を調べて見ると大きめの窪みがあったりして、披露山の台座には...と気になってましたが、その話を聞いて腑に落ちました。階段の配置を含めてその辺り、ちょっと規則性から外れてるなとは思ってたのですが..

かば◎さんの発見レポート、楽しみです。
Commented by mitch at 2017-08-06 13:09 x
披露山公園へ徒歩で行ける距離に住む者でございます。
貴重な力作リポートを楽しく拝読いたしました。
最後の写真と解説文末尾
>しかし、新しいコンクリートをなんで周囲より低い位置で止めたのかは謎
についての記憶ですが、
開園当初の外周リング状半分近い海側部分は現在のようにコンクリートで埋められておらず、
半地下状の ’ 小動物舎 ’ でした。
その後現在の動物舎が作られ、コンクリートで埋めらた。
更に数年前に、ウッドデッキも設置されました。
Commented by hn-nh3 at 2017-08-07 06:17
>mitch さん
初めまして。地元ならではの貴重な情報ありがとうございます。

展望台の下には小動物舎があったのですね。旧砲台の外周リングの半地下状の空間が中途半端に残されているのがどうにも不可解でしたが、この話を聞いて納得です。
開園当初は小動物舎、そして今はウッドデッキ。時代のニーズに合わせて使われ方が変わっていく歴史も面白いですね。

猿舎の先を少し下ったところに不思議な3角を描く植え込みがありますが、これは何かご存知でしたらご教示願います。
→不思議な三角:www.google.co.jp/maps/place/%E6%8A%AB%E9%9C%B2%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92/@35.2949859,139.5646387,49m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x60184661112b78f9:0x943ee0b1048d6f4f!8m2!3d35.2967586!4d139.564835
Commented by かば◎ at 2017-08-09 12:33 x
>>不思議な3角を描く植え込み

写真で見ると、植木が「ここ」という字のように植わっているところでしょうか。
これは披露山山頂広場から遊歩道を下って庭園住宅に抜けるちょっと手前に設けられた小公園状スペースで、戦時中からそういう道筋があったかどうかはわかりませんが、とりあえず、現状はかなり新しく、おそらく庭園住宅と同時期に整備されたような外観です。
Commented by hn-nh3 at 2017-08-10 19:08
>かば◎さん
そう、「ここ」です。現地は、植え込みがある部分が50cm盛り上がった土壇のようになっていて、何か古代の祭祀跡か、何土の下に何か埋まっているのか、という風情でした。

航空写真で少し時間を遡ってみました。
http://imgur.com/a/ewGgo

戦前の砲台施設とは全く関係なし、戦後に公園として整備された時もそこはただの畑。披露山庭園住宅が造成されたときに、住宅街から公園にアクセスするルートの入り口として整備されたものなのでしょう。

昭和52年の写真を見ると、謎の植え込みは「ここ」ではなく、大きい円と小さな3つの円でできた大きな足跡のようにも見えます。一体何を意図していたのでしょうか。
窪んでいるのならともかく、盛り上がっているので巨大生物の足跡の可能性はなさそうです。ゴジラも上陸地点は品川ですし、横須賀の近くを歩くのは避けたのでしょう。
Commented by かば◎ at 2017-08-10 22:44 x
確か低い石垣で丸く囲って高くしてあったような。で、「こ」の字の開いているところはちょっと石段のようになっていて、中に上がれたような。

植え込みに(雑草として)アケビが生えていて、春にこの植え込みでもアケビの芽を収穫した覚えがあります。
Commented by hn-nh3 at 2017-08-17 05:53
30cmほどの低い石垣で縁取りされた植え込みには切れ目があって道がついていたので中に入ってみました。が、中に何がある訳でもなく、それで、ここは何するところ? と...

アケビ? ふーむ。実のなる季節が待ち遠しい... (笑)
Commented by かば◎ at 2017-08-20 01:14 x
いや、逗子近辺、アケビはもうあっちゃこっちゃわさわさ生えていますが、実はほとんど生らないんですよ。芽を収穫するようになって以来、近辺でアケビがそれなりに茂っている場所は結構把握しているのですが、アケビの実は(手の届かないような高さに生っているのを)数年通して2,3個しか見たことがありません。
by hn-nh3 | 2017-07-07 17:30 | 構造物 | Comments(9)