断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(補遺)

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逗子の海を望む高台にある披露山公園が戦前は高射砲陣地だったこと、戦後に公園と整備したときに残っていたコンクリートの砲座を公園施設(花壇、展望台、猿舎)に活用したこと、その現地リポートと考察を前に書いたが、その後いろいろと情報が寄せられ、前の記事内容も少し修正が必要になってきたので、改めて気になってたことも含めて書き留めておきたい。

いつもコメントをいただいているかば◎さんが、披露山公園(小坪砲台)と横須賀の砲台山の遺構をリサーチしているので、詳しくはそちらを確認されたし。

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そこから解ってきたことは、披露山(小坪砲台)の公園猿舎のコンクリートサークルと床は砲座の構造物がほぼそのまま転用されたと考えて間違いないこと、三浦半島にある砲台山の遺構とは基本構造が同じ、ということ。

かば◎さんが飼育員に聞いた話として、猿舎の側壁に設置された小檻の奥には大きな穴があって、隣接するニッチの倍ぐらいの奥行きがある、ということを指摘。これは、砲台山などの類例から待避所の跡だったと推測。ニッチは即応弾用の弾薬保管場所だったと考えられ、合計8箇所あったらしい。階段脇の1つは埋められたらしく、現在確認できるのは7箇所。

床面の待避スペースに相対する位置に、円環状の金具が3〜4箇所。砲台山の遺構にも同様の痕跡が残っていることから、おそらくこれも当初からのものと考えて間違いなさそう。このことから猿舎の床も戦前の砲台の遺構を活用したものと推測。床面の構造は砲台山のものとは少し異なるものの、床の全面にコンクリートを敷設した様子は館山の砲台に類似。ニッチの天井の入隅や開口出隅のディテールにも違いがあって、砲台ごとのバリエーションがあったと考えられます。

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猿舎の小檻の奥に残存する待避スペースについての考察と妄想。

参考資料として類例の写真を引用(館山の砲台写真:原典不詳、佐世保・弓張岳の砲台遺構:洗鱗荘ブログ>弓張岳高射砲陣地、横須賀・砲台山の遺構:鯛の尻尾をうばいとれ>砲台山、小坪の空中写真は国土地理院のアーカイブより)

類似の遺構(館山、佐世保弓張岳、横須賀砲台山)を見ると、兵員の待避スペースは天井のない塹壕状の半地下空間で砲座の円形のコンクリート側壁よりも周囲に張り出した構造。奥行きは弾薬保管庫の2倍程とのことなので、規模的には一致。披露山公園の小坪砲台の待避スペースも露天の窪みであった可能性もあるが、現状は上部もコンクリートで覆われた横穴になってます。戦後米軍が撮影した空中写真に目を凝らすと、露天の階段が現在の猿舎と花壇の砲座でそれとなく確認できます。しかし待避スペースらしき窪みの影は確認できず、これはやはり他の砲台とは違って、小坪砲台は地下に隠された横穴状の空間だったのではないかと。

右の写真。小坪砲台の航空写真に砲座の階段と待避スペース位置を復元してみます。
一番下の現在は猿舎の砲座。階段、待避スペース位置は現在も確認可能。現展望台の真ん中の砲座(実際は射撃観測所として使用)の階段と待避スペースは全くの推定。展望台階段の前のステージが何らかの地下構造物を埋めた痕跡ではないかと想像。一番上の現在は花壇となっている砲座は、空中写真の影から階段位置を推定。待避スペース入り口を写真の影からなんとなく想定。もっともこの推理は、不鮮明な写真の影から幽霊を探す作業以上のものではないことを断っておきます。

配置復元図の中に、ちょっと試しに待避スペース(黄色部分)を結ぶ点線(青)を描いてみました。ここからは全く憶測の域を出ない話ですが、「3箇所の砲座待避所を結ぶように連絡用の地下トンネルが存在した」..かも、かも、というイメージが3箇所の待避所の位置関係から浮かび上がってきます。

トンネルがあったという推理は想像の域を出るものではないものの、全く根拠のない話ではありません。それを示唆するのが、佐世保と横須賀砲台山の待避スペースの写真。奥の壁にトンネルの出入口があったような痕跡がそれぞれあります。ひとつは穴を埋めた痕跡、もうひとつはトンネルが崩れた土の穴。実際、他の事例ではトンネルや塹壕など砲座を結ぶ連絡通路が設けられてたという記述もあったりします。

小坪砲台の場合、高射砲を据えたのは花壇部分と現猿舎の砲座2基。中央の現展望台の砲座には測距儀(おそらく高射機も)を据えて観測所として利用していたと言われています。観測所の測距儀と高射機は各砲座と電気的に接続して、敵機の予測進路を電気信号で送り砲弾にセットする時限信管を調整していたようです。電線を地面に転がしただけだと誰かが足をひっかけて転んだり、切れたりするかもしれないから、当然のことながら埋設していたはずで、その埋設溝をかねて砲座をつなぐ地下連絡通路を作った可能性もあります。...実際、小檻の奥の穴の底に何があるかは、猿に聞いてみるのが早いかも。

床の円環金具が何のためのものかは、あれこれ想像するものの、これもまた推測の域を出ない話。例えば、射撃時に自動排出され薬莢がすこーんと飛んで転がって待避スペースの兵員に当たったりしないように防護ネットを張るためのもの。あるいは夜間の天幕用テント支柱。可能性がいちばん高いのは、時限信管の調整器と観測所からの電線を据え付けるためのもの。

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アップデートした図面です。待避所推定位置、謎の床の金具など追記してあります。
PDF図面をダウンロードできるDropBoxのリンク:→小坪 高角砲台_170811.pdf

各地にあった対空防衛用の高角砲台が実際どんな姿だったのかはその頃の機密情報だったりして当時の写真を目にすることは殆どなく、戦後に米軍が記録した写真の中にいくつかは確認できます。東京の小岩にあった防空陣地の写真を見つけたので、それを紹介しようと思ったのですが、記事が少し長くなってきたので、それは次回に譲り、ひとまず逗子の小坪砲台で話をまとめます。

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逗子の披露山公園:昭和33年開園当初の展望台遠景
(写真出典:「写真アルバム 鎌倉・逗子・葉山の昭和」いき出版)

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上は市立図書館で見つけた写真集の中から、開園当初の写真。周囲に樹木もまだ少なく、かなり開けた場所になっていたようです。円形の展望台のデザインも、基礎周りの砲座構造の影響を受けたことは想像に難くないものの、ぐるりと周囲を見渡せる場所であったことが決定的な理由だったかも知れません。戦前、防空陣地を構築した時に射撃の障害にならないよう伐採した可能性もあります。いずれにせよ、鬱蒼とした森に囲まれた現在の姿とはずいぶん違ったものだったのでしょう。

展望台既存部に露出する砲座の円形側壁。周囲から少し窪んだ形で残されていることの意味が読み取れないと前の記事で描いたら、近郊にお住まいの mitch さんから貴重なコメントをいただきました。
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開園当初の外周リング状半分近い海側部分は現在のようにコンクリートで埋められておらず、
半地下状の ’ 小動物舎 ’ でした。
その後現在の動物舎が作られ、コンクリートで埋めらた。
更に数年前に、ウッドデッキも設置されました。
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なるほど、今の猿舎と同じように半地下の砲座の構造が家禽類を飼育する囲いとして活用されていた、という話。展望機能と関係のない砲座の形が残された理由がわかりました。その後、新しい動物舎が花壇の脇に作られたとき、不要となった砲座の窪みはコンクリートで埋められるものの、手すりの支柱の足元の高さの関係で期せずして現状45cmほど窪んだ状態になってしまったのでしょうか。

前の記事に掲載した猿舎などの図面で少し修正が必要なものはあらためて、またアップします。

Commented by かば◎ at 2017-08-11 21:40 x
おおお。素晴らしい。
新しいPDFも早速DLしました。

若干の修整点です。
●待避所?の奥行きは「ニッチの2倍」ではなく、待避所部分に設けられた檻の2倍くらいくらいだそうです。もちろん、飼育員さんの感覚的な意見なので実際はどうか判りませんが。
●図面では待避所奥が扇形に描かれていますが、これは平行じゃないかなあ……。といっても、これも単純に私の想像です。砲台山のものをもっとちゃんと観察してくればよかった(藪が深かったので尻込みしてしまいました……いやだから真夏に行くなって)。
●例の円環金具、図面ではほぼ待避所入口幅に描かれていますが、(図面上での)左側端は、隣のニッチの左端も越えるくらいの感じです(少なくとも砲台山では)。また、配列も左右対称ではありません(しかしその微妙なズレ具合まで砲台山と披露山でたぶん一緒)。

開園当時の新たな写真2枚、1枚目は駐車場側からの写真ですね。本当に今は鬱蒼としている木が全然ないな……。
2枚目は庭園住宅側から。根元の様子が、今とだいぶ感じが違いますね。
Commented by hn-nh3 at 2017-08-12 09:24
>かば◎さん

ご指摘ありがとうございます。
読み返したら、檻の2倍くらいの深さでしたね。日本語も読めないようだと披露山のサル以下ですねー(笑)

待避所は、当然に平行だと私も思うのですが、作図的にどうもうまく解けません。
http://imgur.com/a/K70Uh
↑というように、砲台山の写真で確認できる形と辻褄が合わないのです。それで前方後円墳のような台形に...

..たぶん古墳時代から同じ問題に直面したんだろーな。円墳と方墳をくっつけたら、なんで台形になるの?って。

※金具の位置も同検討図で修正を試みてます。
Commented by かば◎ at 2017-08-12 16:48 x
そうなんです。
私も、「単純に平行だったら、隣の壁龕との間が、もっと上に行くにしたがって広がってなきゃおかしいよな」と思いました。
が、砲台山の写真をよくよく見ていると、もしかしたら、待避所左右の壁がわずかに下すぼまりになっているんじゃ……というような気がしてきました。
要するに、hnさんが新たに書いた検討図の、Aが床面のライン、Bが天井のラインという感じで。

いやいや、砲台山でちゃんとチェックしていれば別にあれこれ想像しなくて済んだんですが。
寒くなったらもう一度行ってきます。

向かって左奥が出っ張っているのは、ほぼ規定の形状という感じがしますね。
今度また猿の飼育員さんにあったら、奥の形状を改めて聞きたいと思います。
(「この人は猿のことは何も聞かずに、なんでこんなことばっかり聞くんだろう?」と思われそうな気がする)
Commented by hn-nh3 at 2017-08-17 06:03
>>この人は猿のことは何も聞かずに..

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2. 心理学者:洞窟の形状がが猿の深層心理に及ぼす影響
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by hn-nh3 | 2017-08-11 14:10 | 構造物 | Comments(4)