断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

船岡山に登る

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盆の京都。朝の大徳寺界隈の散歩ついでに、船岡山に登ってみる。山といっても標高112m、外周1.3kmの小高い丘で、周辺との標高差は45m、「登山口」のある北側からだと30mくらいか。右の写真は北大路通りを挟んで大徳寺側から見た船岡山遠景。山全体は公園として整備されていて、中腹の広場では近所の人が朝のラジオ体操してました。

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観光的に何がある訳ではないけど、一度は登ってみたいと思っていた理由がこれ。地図は現在の京都の地図に平安京の条坊のグリットを重ねたものですが、南北5.2km、東西4.5kmの平安京の中心を南北に貫いて大内裏に至る道が朱雀大路。その軸を北に伸ばした位置にあるのが船岡山。都の中心軸の真北にあるこの山はその昔、平安京造営の際のベンチマーク(測量基準点)になったと言われています。

d0360340_11312250.jpgd0360340_11312941.jpg船岡山の山頂。樹木を植えるにしては大き過ぎる奇妙な円形構造物。
むむ... これは⁉︎ と、最近調べていた戦時中の高射砲陣地のことが頭をよぎります。丸い台座を見つけると、つい反応してしまいますが、船岡山に高射砲陣地があったという話は聞かないので、その可能性はなさそう。
 
山の麓の建勲神社にある船岡山の地図を見ると、この辺りに猿の檻があったと書いてあります。公園で猿を飼うのが流行ったことがあったのかしら?

山頂広場の隣の平地に別の丸い構造物。中央の石杭と周囲に自然石を埋め込んだ物体は明治26年設置の地図測量用の三角点。山や公園で時々目にしますが、その性格上、安定した地盤で見通しがよい所に据えられてます。平安京の造営基準点だったこの山に、近代になって再び基準点が設置されたのも、むべなるかな。

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そして本題。この三角点の後ろに何やら奇妙な構造物。庇のついた円柱に人がかろうじて一人入れるくらいの四角い下屋が付属しています。中は側面両側に小さな高窓、中央正面の壁の下部に小さな開口。円柱側の室内壁面には錆びた金属製の函体。
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これは何?と再び、船岡山の地図を調べて見ると「サイレン塔」と書いてあります。
現地には何の説明書きもなく、ネットを検索すると、戦時中には空襲警報、戦後は時報を鳴らしていたと言う記述が見つかります。このサイレン塔に関するそれ以上の情報は出てこないので詳しい来歴は不明。

塔のデザインから想像すると、おそらく戦前に建てられたもの。シンプルで機能的なフォルム。曲線を取り入れた水平のラインを強調した建築デザインは、旧逓信(郵便・電話)建築などでもよく見ることができます。このサイレン塔も、おそらく昭和初期。1930~40年代に作られたものではないかと想像します。


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d0360340_11365047.jpg三角点の広場の端の斜面には、岩盤の露頭があります。石の種類はおそらくチャート。京都盆地が地殻変動で形成された時の痕跡か。

この巨大な岩。古代の磐座だったのでは... こういう場所は、石を御神体に見立てて神社があったりするのですが、しかし船岡山にはそういったものが見当たりません。山麓の織田信長を祀った建勲神社は、明治期に建てられたもの。それ以前に何故、神社が建てられなかったのか理由がありそうですが、話が脱線するのでこれは宿題。

この霊力を感じさせる巨石の露頭。位置と大きさから想像するに、平安京造営時に都の中心軸を決めたベンチマークそのものだったのではないかと想像します。

山腹には幾筋もの人工的な溝。道でも排水溝でもなく、等高線に沿った切り通しのような地形。これはアレですね。中世の山城とかにある空堀建勲神社(横堀)でしょう。建勲神社の境内に堀切の跡も残っているようです。この山、砦を作るにはうってつけのサイズ。室町時代、応仁の乱の時に西軍の陣が付近に敷かれ、この山も砦が築かれたとのこと。
ちなみに、西陣織で有名な西陣という町の名前は、応仁の乱の時に山名宗全率いる西軍の陣が置かれたことが地名の由来だとか。

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そして現在。船岡山からの眺め。8月14日早朝。

MEMO:平安京の地図を現代に重ねられるサイト。
 ※記事で使用した地図はこのサイトのものに加筆

Commented by かば◎ at 2017-08-21 19:48 x
>>旧逓信(郵便・電話)建築

以前に、某所の逓信建築の建物の三次元測量と、その3Dモデルのウェブ上一般公開の経緯だの何だの、という話を聞きに行ったことがあります。

kinuyo-bunka.jp/3d/post-38.html

その時に「逓信建築とは何ぞや」をさらっと調べたこともあっていささか馴染みがあり、ちょっとぴくっと耳が動きました(笑)。

それにしてもこの「サイレン塔」は、名前だけは案内板にも書いてあるようなのに、その由来だのは検索しても出て来ないし(ラジオ塔と混同しているのはぞろぞろ出てくるのに)、不思議ですね。
Commented by hn-nh3 at 2017-08-22 06:50
3D測量。 どんな機材と記録方法なのか興味がわきます。
添付のURLから見に行って見ましたが、3Dモデルが閲覧できるんですね。PDFにそんな機能があったとは!

急逓信省の施設は、当時のハイテク技術を扱う部署でしたからそれにふさわしい外観が求められたのでしょう。海外の最先端の建築デザインを取り入れたりして。
所変わってイタリアも同様で、ムッソリーニ政権下でモダンなデザインの郵便局がいくつも作られてますね。

京都のサイレン塔は謎です。うっかり見逃したラジオ塔は調べるといろいろと情報は出てくるのですが。それに引き換えサイレン塔はさっぱりです。まさか、今も密かに機能していてその情報はブロックされている...ということもないのでしょうが。

戦時中のサイレン塔であるなら、立地的に防空監視哨も兼ねてたような気もします。塔の基部の下屋もそんな目で見れば、類似施設と共通する形にも思えたり。
隣にあった猿の檻というのも気になるところで、元々は別の用途で作られたのではとの妄想も.... 終戦時の航空写真で存在を確認できますが、果たしてそれが猿の檻なのか人間のためのものなのかは判読できず。
Commented by かば◎ at 2017-08-22 11:12 x
えーっと。私自身専門家ではないので、単純に聞き書いたものを丸写しですが、

・トプコンの3DレーザースキャナーGLS-2000を使用し、建物内外のスキャニング作業を実施。
・外観は4人日の作業、15カ所にスキャナーを設置し4500万点の点群データを取得。
・室内は8人日、56カ所で8700万点の点群データを取得。
・上記点群データをAutodesk ReCap Proを用いて結合、ノイズ取りなどを行い、さらにAutodesk Revitで3D-BIMモデルを作成。

なお、このプロジェクトは、建物の竣工90周年記念、および田中絹代ぶんか館オープンの5周年記念の事業として、山口県下関市、公益財団法人下関文化振興財団、株式会社NTTファシリティーズ、オートデスク株式会社、株式会社トプコンが共同で行ったもので、2014年5月にスタート、2015年2月に3Dモデルが公開されたものです。

――以上は、NTTファシリティーズによるプロジェクトの発表説明会での説明および資料から。

サイレン塔はいつか機会があれば私も見てみたいです。しかし京都はもう何年も行っていないし、そもそも仕事で出張があってもだいたいとんぼ返りなんですよね……。
Commented at 2017-08-22 19:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by hn-nh3 | 2017-08-16 17:25 | 構造物 | Comments(4)