OVMは何色だったのか(前編)

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戦車模型で車体に積んでいるシャベルやらハンマーの類、いわゆるOVM(車両装備品)を何色に塗るか、というのは実は悩ましい問題。
プラモの組み立て説明書には鉄部はメタリックグレイかガンメタル、木部はレッドブラウンに塗りましょう、なんて指示があったりするものの、それはリアルさの表現というより模型的な約束事という気もします。

実際、どうだったのか。ドイツ軍の場合、大戦初期はダークグレーの車体に鉄色と木色の組み合わせのOVMで間違ってません。しかし中期以降、車体の基本色がダークイエローに変更され、3色迷彩が一般的になる時期になると、車体色と同じ色で塗りつぶしている事例を見かけるようになります。冒頭の写真もその一例。


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1944年4月。某総統閣下にヤクトティーガーがお披露目された有名な写真ですが、注目すべきは丸で囲った部分。車体側面に搭載しているシャベルの鉄部は車体色と同じダークイエローで塗装されています。予備の履帯も同様、ダークイエローが塗られているのがわかります。
モノクロだと、反射で光ってるのか、土埃を被って白くなっているのか判別がつかないことが多いのですが、カラー写真は、そのあたりの識別も容易。


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同様に新兵器、ヘッツアー・シュタールのカラー写真。「砲身がグレーの耐熱プライマーで塗られていた」という事例でよく使われる写真ですが、注目すべきは砲身の下、右フェンダーの上のジャッキ台。木の厚板にスチールの補強バンドが巻かれた標準装備品ですが、これも車体と同じダークイエローで塗りつぶされています。

よく見ると、転輪のゴム部分にもホイールを塗ったときのダークイエローが結構はみ出してますね。塗装なんて案外、こんなもんだったんですね。


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三色迷彩のsdkfz.251/D。東部戦線で撮られた動画からの1コマですが、フィルムの退色と解像度の荒さで正確な色調とは言えないものの、色のニュアンスはわかります。車体についているシャベル。これも車体色と同じ色調と思われます。少なくとも黒鉄色の光沢で明るく見えている色ではないのは確か。

車体と同じダークイエローでペイントして工具のシルエットを際立たせない、というのは迷彩効果として考えれば当然の思考だと思います。大戦初期のグレーの車体色の時であれば、OVMの鉄部がいわゆる工具色である黒色塗装であっても、車体に溶け込んで目立たなかったものの、車体色がダークイエローに変更された以降は、車体から浮き上がらない色調が望まれたのではないかと推測します。

ただし、OVMの塗装色もダークイエローになるのがいつ頃から一般的になるのかは不明。43年の夏頃だと、ダークイエローの車体に従来タイプの色調の工具が載っているものも多く見られます。


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パンターA型。写真の日付が正確であるなら1945年の4月21日。車体側面のOVMが3色迷彩でオーバーペイントされている事例。
もっとも、このパンター、A型が生産されていた時に一般的だった迷彩は輪郭のぼやけた吹き付けで、コントラストをつける迷彩のスタイルは44年の秋以降に流行するパターンと思われます。おそらくリペイントされたもので、その時に工具類も一緒に塗りつぶされたものと想像します。なので、これが一般的なものと言えるかは微妙。


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1945年3月、ドイツ国内、フランクフルト南方の街で撮られた写真。第643重戦車駆逐大隊のヤクトティーガー。これもフィルムが退色していて正確な色調とは言い難いものの車体に3色迷彩が施されていることは判別できます。よく見ると、パターンに斑点の混じった「光と影」迷彩であることがわかります。44年の9~10月頃に塗装されたものになるでしょうか。


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その写真の部分拡大。車体側面に搭載された3本クリーニングロッドのパイプは、車体の迷彩と一緒にオーバーペイントされているようです。

丸で囲んだ部分を見ると、クリーニングロットを固定しているステーの金具の横の部分に「明るい影」があります。これはパイプの元々の色の木の色調(orダークイエローに塗装されたもの) の上にグリーンとブラウンの迷彩色がスプレーされた時にステーの金具の下に隠れて迷彩色が付かなかった部分で、使っているうちにずれて元の色が見えていると想像します。


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スクラップヤードのⅣ号駆逐戦車。1945年4月。出典はPANZERWRECKS 3 p94。
手前の車体の天板の上に転がっているシャベルの鉄部は明らかに明るい色が塗られて、使ってペンキが剥げたところに金属色が露出しています。シャベルの柄の部分が木肌の色なのか、同じくダークイエローで塗られているのかはモノクロ写真から判別することはできませんが。シャベルの手前に転がっている車体基銃の曲銃身の黒鉄色とは明確に違う明るい色調であるのは確か。


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ダークイエローの基本色で塗られたヘッツアー。写真出典はIN FOCUS 1 jagdpanzer38t p95。別写真からわかる車体番号より1944年7-8月生産車とのこと。撮影地はイタリアか旧ユーゴスラビア。車体後部側面にバールとジャッキを搭載。どちらも車体と同じダークイエローで塗りつぶされているのがわかります。バールや斧などの工具までダークイエローで塗るのが標準化していたのかは不明ですが、ジャッキを車体と同じ色でペイントするのはヘッツアーに限定されない一般的な仕様になっていたようです。


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1945年5月9日。チェコ国内から撤退するドイツ軍部隊のsdkfz.234/4。出典はPANZERWRECKS 4 p51。
44年秋以降、迷彩はすべて工場塗装。輪郭のはっきりしたパターンの場合、ちょっと困ったことになります。装備品はフェンダー中央部に消火器、クリーニングロッド、フェンダー前部にシャベル(別写真で確認)を積んでいますが、すべてダークイエローでペイント済み。工具色を車体と一緒にペイントしたのではなくあらかじめダークイエローの塗装で納品されたものをそのまま積んだと想像しますが、グリーンやブラウンのパターンの上にダークイエローの工具が搭載されると、却って目立ってしまってます。
こうなるとまた工具はイエロー以外の塗装が望まれ、それに対応事例もまた見られるようになります。

今回はここまで。

次回は大戦前期のグレー車体での事例やイエローベース車体での例外的な事例などなど。




by hn-nh3 | 2017-09-27 20:45 | 資料 | Comments(0)