四谷の穴
2018年 05月 31日
左が現在の地図。赤い丸で囲んだところが穴の空いている場所。中央の地図は明治16年(1883年)頃の地図。そこが旧江戸城の外堀であったことがわかります。右の図は現在と過去を重ねたもの。外堀だったところにJR中央線(旧甲武鉄道)を通して四ツ谷駅をつくり、戦後に地下鉄の丸ノ内線が開通して地下鉄の四ツ谷駅ができて、その二つの駅に挟まれた部分に、その穴が空いています。
外堀の水面だった部分、かつての堀の底なので地盤が悪くて建物を建てるのに向かないという説もあるようですが、そんなこといったら湾岸の埋立地なんて地下数十メートルまでの杭を打って建物を立ててるぐらいだから今の技術をすればなんら不可能はない話。それに外堀のこの部分は台地を掘削して作ったものだから堀の底には硬い地面があると想像します。これを地盤が悪いといったら、干潟に木杭を打って建物建てたベネツィアなどは未だ水の底。
四ツ谷駅付近を低空から撮った写真。前に紹介した「米軍が見た 東京1945年秋」に掲載の1枚。1945年8月25~9月1日撮影。
四谷見附の交差点の手前、この頃はまだ地下鉄丸ノ内線はなく、穴のある場所は、外堀を埋め立てた低地の状態。戦時中につくったのかその頃は畑になっていた様子。
その横の中央線のホームの手前に、今はない跨線橋が確認できます。現在の迎賓館方面に抜ける出口が当時はあったのでしょうか。
昭和38年(1963年)の空中写真を見ると、地下鉄丸ノ内線(1954年開業)が見えます。この部分は地上に現れる地下鉄の線路敷とその上に高架状につくられた丸ノ内線の駅舎。穴の部分は、鉄道用の付属施設でしょうか、いくつかの建物が並んでいるのが見えます。
(写真と図版はいずれもクリックで拡大)
1979年と1984年の写真では穴の中の建物はいちど消滅して、1992年には再び現れて現在はまた無くなってます。
ゼンリンから発行されている最新の地図に穴(黄緑に着色した部分)と昔の江戸城の外堀の位置を青い点線で重ねてみました。堀割りのラインは明治の頃の地図を参考にトレースしただけなので、あくまで位置は目安。変遷を見ると、元々の堀割の地形が残る穴の底は、今まで建物が全く建てられなかった訳ではないけど、結果として空地になってしまっているようです。
駅ビルとは言わないまでも穴を埋めてしまってタクシー乗り場にしたら便利なのにとか、せめて駅前広場ぐらいには整備したらいいのに、とも思いますが。ひょっとして穴のままにしておかないといけない理由があるのか?
穴の下には迎賓館へと続く秘密の地下トンネルがあって塞ぐことができない...とか。穴の底にはたどり着けた人の願いが叶う秘密の小部屋があるのに階段を降りて行った人たちは誰も帰ってこなかった...とか。戦時中に動物園から逃げた象が今もかくまわれている..とか。
人知れず囁かれ続ける都市伝説のように妄想は膨らむものの、見えているのはただの空虚な穴。(後編に続く)
by hn-nh3
| 2018-05-31 22:40
| 構造物
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Comments(2)