四谷の穴(後編)

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地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅前にある大きな穴の話の後編。(前編はこちら
駅の改札口と四谷見附の交差点の間に縦横30mほどの未利用の窪地。ここが江戸城の外堀の一部であったことは地図で確かめられたものの、どうして何も使われない穴として残されているのか。

四谷の穴(後編)_d0360340_16234565.jpg何か手がかりはないかと穴の周囲を観察してみると、厳密には「穴」ではないことに気がつきます。一見すると、周囲から陥没した窪地のように見えるものの、東側のJR中央線の線路敷とを仕切っている通路はコンクリート製のブリッジ。

切り通しのようになっている外堀を埋めてJR中央線の線路を通した堀跡の地形が、ブリッジを超えてそのまま伸びてきて「穴」の底と繋がっているのが確認できます。前回の記事に載せた終戦直後の写真に写っている畑になっていた地形がそのまま残っていると思われます。

四谷の穴(後編)_d0360340_16495737.jpg低くなっている地形を地図に落とし込んでみます。薄いグレーグリーンで塗ったところが外堀跡の低地と堀の縁の斜面。青い点線は外堀の水面あったところの推定ライン。そして黄緑色の変形5角形の「穴」のエリア。

中央線に沿って連続した堀跡の低地を横断する四谷見附橋と丸ノ内線改札から橋に向かって伸びるブリッジ。丸ノ内線の線路の上に蓋をしてつくらた改札前の小広場で囲まれた部分が結果として穴のように見えていることが、地図に描いてみると理解できます。

穴の底は、かつての水面だったところですが、建物を作ることができない底なし沼のような軟弱地盤ではないことを知るために、大きな地図を作ってみました。

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江戸城があった範囲の地形がわかる地図です。国土地理院の治水地形分類図に江戸城の堀割りを何かの図から抽出してオーバーレイ。濃い青で着色した部分が江戸城の堀やそれにつながる小河川と運河。それにWikipediaにあった地下鉄路線図から銀座線と丸ノ内線を重ねてみました。数ある地下鉄路線からこの2つの路線を選んだのは戦前戦後の早い時期に作られた地下鉄で深度の浅い部分を通しているため、地形との関係がわかりやすいと思ったからです。

オレンジ色のエリアが台地の部分。江戸城は東側の低湿地に向かって伸びる舌状台地の地形を利用しつつ、台地の尾根の部分を土木工事で切断して堀を通して防御力を高めています。尾根部分を切るのは城郭用語で「堀切」という手法で尾根伝いに敵が侵入するのをふせぐ陣地構築法です。江戸城の内堀と外堀の西側のラインはともに「堀切」によって作られているのが見てわかります。図の左側のエリア、件の「穴」のある地下鉄丸ノ内線の四谷駅の辺りは、緑の点線で示すように、尾根の頂部を切断するように切削して堀を通しています。

地下鉄丸ノ内線の線路は、戦後の資金難で地表の浅いところにトンネルを通したため、四ツ谷駅付近の切り通し状になっている堀跡の低地部分では線路が「空中」に露出、再び迎賓館下のトンネルへと吸い込まれる構造になってます。
同じように御茶ノ水駅付近でも、江戸期の治水と防御のため台地の尾根を切って通した神田川を跨ぐように、地下鉄の線路が空中を横断しています。

戦前につくられた銀座線では終点の渋谷駅で空中に線路が飛び出す以外は地下トンネルですが、なるべくトンネルが堀やすいように地盤のいい場所を選んで通しているようにも見えます。東側の新橋から銀座、日本橋、神田そして浅草に至るラインは地形図をみると、江戸時代以前から陸地であった場所で、それをトレースするようにトンネルを掘っているのがわかります。そうした場所に江戸の町が発展していた、ということもできますが。

話を四谷の穴に戻すと、台地の尾根が走っていた地形を切削してつくった堀なので、堀の底は岩盤とは言わないまでも地山のかなり硬い地盤であると考えて間違いはないでしょう。明治期に堀を埋めた埋戻土はさすがに使えないにしても、その下の原地形まで基礎の杭を届かせれば問題なく建物は建つ、はず。
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それでも穴は何十年も穴のまま。という状況には何か別の理由がありそう。

ピンときたのが、法律や権利の関係で建物が作れない場所。というようなこと。
たとえば、河川や池、運河など国が管理する水面は、不動産用語的には「青道」もしくは「青地」と言われていて、土地の用途(地目)が宅地や畑ではなく「青道」となっている場所には原則建物を建てることはできないのです。
たとえば、その昔に水路があった場所で、現在は埋め立てられて周りの土地と平らになっている場所でも法務局にある図面で「青道」となっていると、それが私有地内を通っていたとしてもそこに建物を建てることは法的に許可されません。水路を廃止して国から払い下げを受けて地目を「宅地」に変更して、初めて建物が建てられます。

この穴も昔の堀跡だったことから、未だに「青道」として登録されて国が管理している場所なのでは?と思った訳です。

四谷の穴(後編)_d0360340_17571484.jpg調べてみました。法務局に登録されている、この穴のある土地の「公図」と「登記簿」。公図は土地の権利の境界を示した図面、登記簿はその土地の用途(地目)や面積、所有権者、変更履歴などが記載された公的書類で、法務局にいけば誰もが閲覧、取得することができます。もちろん有料ですが。
最近はインターネットでもとれるから便利な時代になりましたね。

そして分かったこと。この土地は水路ではなく、「鉄道用地」として登録されていました。穴と丸ノ内線の駅舎とホーム、地上に露出した線路の部分を含めて登記されてました。元々は旧国鉄の用地として国有地だったものが昭和60年に国鉄精算事業団、昭和62年の分割民営化の時にJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)へと所有権が移転、「民有地」となっていました。

鉄道用地とされていたのは予想の範囲内でしたが、所有が東京メトロ(東京地下鉄株式会社:旧交通営団)ではなくJRのものだったのは意外。地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅駅舎とホーム、付近の線路はJR東日本から土地を借りているという扱いになっているようです。したがって、「穴」も敷地はJR東日本の所有。穴に蓋をして駅前広場にしたりビルを立てたりするにはJRの同意としかるべき賃借料が必要だから、簡単には話が進まないということなのでしょうか。以前に穴の底にあった簡易な建物が撤去されたのも、そのあたりの事情が絡んでいるのかもしれません。

元々はなんとなく国有地というぐらいの扱いだったのでしょうが、国鉄民営化の際に民有地としてJRに払い下げられたことであらためて権利関係が発生したようにも見えます。でもなんでその時に地下鉄:東京メトロの所有地にならなかったのか。

おそらく東京メトロは基本的には地下に線路を敷設、さらに原則として道路や水路、公有地の下を通すことで土地の買収や賃借が発生しないようにしていることが理由かもしれません。駅も基本的に地下ですし。
地下鉄のカーブ部分など民有地の地下を通る場合や、四ッ谷駅付近のように地上に現れる部分に限り、賃借料を払うなどの措置をしていると思われます。なので所有しないまでも、事業的にペイするものであれば土地所有者に費用を払って何かを作ることはできます。

それでも四ッ谷駅前の穴が、雑草の生える穴のまま残っているのは何故?

四谷の穴(後編)_d0360340_19114489.jpgそれは地下鉄だから。地図に色をつけてわかりました。

たとえば、地上に線路を敷設して地上に駅舎をつくるJRなどであれば、駅舎の前にはバスやタクシーなどのロータリー。駅前広場などをセットで整備するのが、基本的な「駅前整備パターン」になっています。収益アップのため、駅舎の上にテナントビルを建てて大家さん業に勤しむのもその延長。

それに対して、地下鉄は基本は地下に線路も駅もつくるので、土地を所有することもなく、だから駅ビルも必要なく、駅前広場もバス乗り場も整備することなく、ただ、地上との連絡階段を作るだけ。ホームから昆虫の脚のような連絡通路と出入口を伸ばして地上とつながるだけ。

丸ノ内線の四ッ谷駅もその例に漏れず、地形の関係でたまたま地上に露出してしまったけど、メンタル的には「地下」にある駅のパターンのまま、なんですね。

改札口から伸びるのは「地上」の四谷見附橋につながるコンクリートブリッジと四谷見附の交差点につながる通路を整備するのがその仕事の範疇であって、「穴」は「連絡通路の外側の土」と同じ、だったのだと想像します。おそらく。

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ちなみに文中で「四ッ谷」と「四谷」とツをつけるかつけないかを使い分けているのは、その使い方にしたがってます。地名は「四谷」、駅名は「四ッ谷」ということになるようです。 読みやすいようにツをつけてるという話ですが、江戸時代の文献にも「ツ」がつく表記はあるようです。その昔、四つの谷ではなく4軒の家(四ツ家)があったから、だとか。

穴の話は本当はちょっとした話の枕でスナップと都市伝説ぐらいで済ませて本題に入ろうと思ってたのですが、いつものくせでつい深入りしてしまいました。穴の写真を撮ったときは2回もひっぱるとは想像もしなかったですが。

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ツ のつかない四谷の話。「よつや」と聞いてピンとこないモデラーはAFVモデラーではないと言っていいくらいの有名模型店。その名は「四谷仙波堂」。駅から5分ほどの小さなビルの3階にある、店内で人が一人すれ違うのが困難なほど商品の積まれた魔窟のような実店舗よりも、ネット上の存在するグリーンバックのホームページ。
その言説空間はひとつの神話だと思います。
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個人的な話になりますが、インターネットが普及した1990年代後半に模型よりもそっちのほうに興味が移って、積んであったキットも机の中の塗料も接着剤もことごとく処分してもう戻ることはないと思っていたのだけど、2011年にふとしたことでAMAZONでイタレリの「SEMOVENTE da47/32」を見つけて、思わず買ってしまったのが再び模型を作るようになったことのきっかけ。

最初はひとつ作ってやめようと思ってました。この趣味が底なしなのは過去に知っていたから。
資料は買わなくてもネットで写真を集められようになってたし、カッターと接着剤と最低限の塗料だけ買って..

その時に見てしまったのが四谷仙波堂のページ。模型店の販促用ページであるからには、基本セールストークであることは承知するにしても、店主の言葉の世界は魅力的でしたね。新商品につけられたメーカーの売り文句のコピペでもなく、3ミリ広いとか狭いとか、毒にも薬にもならない批評でもなく、キットの再現度についてのクールなコメント、モチーフについての熱を帯びた説明。これは面白かったですね。というよりこのページがなかったらAFV模型はもっと寂しい世界だったかもしれません。
だから90年代にやめたんだし、また続けてもいいかなと思ったんだし。
..そしてまた穴に落ちる。

金額的には量販店にはどうしてもかなわないけど、ホームページのキット紹介を見て購買意欲が高まったキットはここで買うことにしてますよ。情報の対価、表現にたいする対価に疎くなってはいけないと思う。

四谷の穴(後編)_d0360340_20150247.jpgこの間、四谷仙波堂で買ったキット。MIniartの新製品「東欧の家財道具」(no.35584)。

素朴な形のテーブルと椅子。前にカフェテーブルのセットで椅子があったけどあれはトーネット社の有名な椅子をモチーフにしたから、使えるシーンはどうしても限定されていまったけど、これは考証の縛りも少なく使えそう。
ストーブはスライド金型を使ってディテールを再現。たかがストーブなのに。

食器にスプーン、ソーセージなどの食材、そしてちょっと欲しかったサモワール。
前にICMでも女性下着とともにサモワールを再現したキットがあったけど、ディテールはエッチング部品も組み込んだこっちのほうが高精度か。

しかし、最近のMiniArt。アイテムのチョイスも再現技術も素晴らしいですね。ロシアのクリミア併合で本社の移転を余儀なくされたときはどうなるかと思ってましたが、見事に持ち直した、というか次のステージに進んだ感じですね。最近のキットを見ていると。

「東欧」という言葉を聞くと、つい旧共産圏のポーランド、チェコ、ハンガリーあたりを想像してしまうのですが、サモワールとかがテーブルに乗っているのを見ると、ウクライナやベラルーシなど旧ソ連諸国、ウラル山脈以西のロシア、などロシア文化圏のことを「東欧」と扱ってる気がします。そのカテゴリーからするとポーランドとかは中欧という扱いになるのか。といってだからポーラーンドの設定で使えないかというと、そうではなくお皿に乗っているのはソーセージだし。
四谷仙波堂のページでは、戦争末期の東プロイセン辺りの設定でも..と紹介するあたりは、いや流石ですね。

当事者でなければサモワールも乗ってるから、これはロシアの家財道具(ソーセージが乗っているは侵攻したドイツ軍が使っている設定)と言ってくれたほうがわかりやすいのかもしれないけど、ウクライナのキエフに本拠を置くMiniArtとすれば、そこはロシアではなく東欧、なんでしょうね。やっぱり。
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Commented by デビグマ at 2018-06-03 06:32 x
ふとした疑問からここまで調べちゃうのも脱帽しちゃいますが、やる気になればここまで調べられちゃうネットもすごいなと。仙波堂の話、知識量もすごいですが、キットへの愛情溢れるコメントが好きです。新製品が出ると逆に仙波堂でどんな評価してるのか気になって探してみたり。影響されて買ったものも多数。。ミニアートのこの手のミニチュアって、自分は結構好きですが、AFVの世界では絶対必要なわけじゃないので、買う人は限られるわけでいったいどんだけ売れるのかと。なんか他に市場があるんですかね。
Commented by hn-nh3 at 2018-06-03 10:36
家具や食器のようなアクセサリーキットは車両キットに比べて金型開発が安価ですむから、そこそこ売れればペイすると想像します。人気車両だと他メーカーと競合して後塵を拝して売れ行きさっぱりというリスクもあるし、大作キットの開発の隙間で日銭を稼ぐに必要、という理由もあったりするのかも。

ランナーの小型化はいいアイディアでしたね。「東欧の家財道具」の食器の一部は食器セット(no.35559)から、ストーブはGAZトラックのキャビンタイプ(no.35183)からひっぱってますね。この前のミルクカートは今度の難民セットのジャガイモカートに転進の予定だし。
「小型カートのスポークは8本ではなく10本では?」とか考証にうるさいモデラーは少なそうだし....あ、スポーク10本説はベルリンのフィルムを調べた結果です(笑)

Commented by hn-nh3 at 2018-06-03 10:56
新興メーカーの製品ラッシュで模型店はどこも仕入れが大変でしょうね。四谷仙波堂もストック場所の制約からか最近は、売れる見込みのない..売るに値しない..キットの仕入れを控えているようで、以前のようにキット紹介で「仕入れてはみてけど..」的なニュアンスが行間に隠されているアイテムが少なくなってしまったのが読み物的には少し残念ですね。そのあたりのことを店主に直接確認した訳ではないですが、「GAZのタンクローリーを買う人は日本にいないから最初から仕入れなかった」とは言ってましたね。

地形の話は元来好きなネタで、大昔にブログやってたときはよく書いてました。今回は模型ブログなので控えてますが、その時のクセでつい筆が走ってしまいました。ミリネタに関連する話題であれば、時々はやろうかなと。都内の高射砲陣地の話はそのうちやりたいと思ってたり。
Commented by me20 at 2018-06-04 23:18 x
巨大穴でも仙波さんでもウクライナのメーカーの話でもなく恐縮ですが、一応私も出戻りモデラ―で、といっても29年前の話だし、止めていたのはその前の10年間だけなので、正しい出戻りと言えるのかどうか。

でも「もうこの趣味に戻ることはない」という、何故か晴れ晴れとした気持ちと、「ああ、またあの趣味沼に戻ってしまうのか…いやまだ間に合う」という複雑な気持ちはよーーく判ります。

因みに出戻ったばかりの頃に「出戻りの星」的な内容でタミヤニュース「私の傑作」に載りました(爆笑)。作品は2号戦車です。
Commented by hn-nh3 at 2018-06-05 05:49
昨晩のWWDCでは新しいMacの発表は特になかったようですが、SteveJobsが一度は追放されたAppleに復帰したのは1996年。ジャンルは違えど彼も「出戻り」というのか(笑)

AFV模型界の出戻りの星、me20さんが帰ってきた29年前は...というと、タミヤのリニューアルティーガー1など長かった冬が終わる時代ですね。しかし2号戦車はC型ではなく、あのF型ですか... me20さんが見事な作品にしてしまったものだから、タミヤさんが「うんうん、F型はまだ現役!」って勘違いしちゃたんじゃないかなー w

沼からの脱出願望は今もありますよ。物を持たない生活を目指しているのに、模型箱が最大の敵。
Commented by me20 at 2018-06-05 23:58 x
自分語りにもう少しお付合い下さい。すみません。
まさしくタミヤのタイガー1後期型が発売されたと何かの雑誌で知って、模型誌で確認して、悩んだ末に模型屋でタイガー、赤い柄のニッパー、接着剤を買って…という流れです。1個だけ作ってみるつもりだったんですけどね。

2号戦車は1970年頃発売の、F型ですがゲペックカステンを付けたら何とG型になる、アレです(笑)。
フェンダーの雑具箱を外して、滑り止めパターンはサビオの裏紙を貼って再現、戦車兵はファインモールド…。
モデグラのアハパンを参考にして作ったので、タミヤニュースの記事をファンレターと一緒に尾藤満さんに送ったら返事を貰って…。

今はその尾藤さんと毎年合同展でご一緒しているので、何だか不思議に思います。
Commented by hn-nh3 at 2018-06-06 06:01
me20さんの出戻り物語、素敵です。赤いニッパーと接着剤。その日のことが目に浮かぶようです...
サビオの裏紙とは恐れ入りました。w まさに2号戦車にうってつけ。そういえばアフターパーツが少なかったころは日常の物の中に使えるものがないかよく探しましたよね。

その逆でスターウォーズの映画のプロップ、ミレニアムファルコンのディテールにヤクトパンターなどプラモのパーツがたくさん使われている、というのも面白い話です。

尾藤満さんのアハパンシリーズは、自分にとっては離れていた時期に出版されたものが多いので殆ど持っていないのですが、今にして思えば奇跡のような本ですね。
車両の生産時期とバリエーションによるディテールの変遷。これをつくり込む現在のモデリング、メーカーのキット展開のスタイルはアハパンなしでは成立しなかったように思います。

氏のウェブサイト(Panzer Memorandum)が休止してしまったのは残念ですし、アハパンもアップデートして再出版を希求しますが、現在の出版事情を考えると望むべくもないのかもしれませんが。
by hn-nh3 | 2018-06-01 21:43 | 構造物 | Comments(7)