断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

8月のワルシャワ

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(当時の写真はすべてWikimedia commonsより)

1944年8月のワルシャワ。ナチスドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで、接近しつつあったソ連軍に呼応するようにレジスタンスが武装蜂起を起こすものの、ソ連軍の支援を得られず一月ほどで悲劇的な結末を迎える。
「ワルシャワ蜂起」として知られるこの出来事は、アンジェイ・ワイダの映画「地下水道」や「灰とダイヤモンド」などの映像としても記憶されています。

近年にタミヤからリリースされた無線操縦車ゴリアテやブルムベア突撃砲後期型などがワルシャワで使われた写真が残っていることもあり、AFVモデル的にも気になるところ。映画「地下水道」にもゴリアテがやってくるシーンがありましたね。

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前回の記事でMiniartからリリース予定のケーブルドラムのことを記事に書いたら、かば◎さんからワルシャワのChwat号のバリケードで使われてると指摘があったので、少し気になってあれこれ調べてみました。

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--- フファット(ポーランド語: Chwat)とは、ワルシャワ蜂起中の1944年8月2日にポーランド側が鹵獲したドイツ軍のチェコ製軽駆逐戦車ヘッツァーの愛称である。ポーランド側が火炎瓶を用い乗員を殺害してこの車両を鹵獲した時点で車体の大部分が焼け焦げており、当初はバリケードの一部として使用された。後に修理されたものの、バリケードを崩すことが認められず戦闘に投入されることはなかった。そののちに郵便局の建物に移されたが、この建物が爆撃を受け倒壊した折、瓦礫に埋もれ放棄された --- ( Wikipediaの記述より)


蜂起部隊に鹵獲されたこのHetzerは焼損していたこともあり、もっぱらバリケードの「構成材料」として利用されていた様子。その経緯など詳しく解説したページがあるのでリンク貼っておきます。

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バリケードがあった場所なども同定されているようで、地図にマッピングされてます。


このページの地図をクリックすると大きな地図に移動して、周辺で撮られた当時の写真を見て歩くことができます。
こんなページがあるなんて知りませんでした。蜂起部隊を撮った場所がほぼ同定されてます。

Wikipediaのページにも膨大な写真アーカーイブが整備されていて、ポーランド人の執念を感じます。
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街路にはあちこちでバリケードを構築。車両を使った即興的なものから市電や瓦礫を積んだものまで、さまざまなバリエーション。

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人力で特に重機も使わずに作るとなると、歩道の敷石や瓦礫など近くに転がる「ありあわせの材料」に限定され、件のChwat号もケーブルドラムやバケツと同様にバリケードの構成部材として利用されたのか。

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バリケードに使われてるケーブルドラムの側面には”KABELWERK”とドイツ語のステンシル文字が書いてあるのがなんとなく判読できて、これがドイツ軍の資材であったことが想像できます。
ドラムをよくみると、”KABELWERK”の先にも文字があってMIniartのキットのデカールとは違ってドラムの半周くらいを文字が占めるレイアウト。
"O......ROW" というような綴りと思われるものの、単語は特定できず。

このシーンを再現するなら、Chat号はタミヤのHetzer中期型をベースに初期型の防盾に換装するなど改造。バリケードのケーブルドラムは、規格やステンシル文字など多少の違いを問わなければMiniartのものは利用できそうだし、木箱や椅子の類もキット化されているので流用は可能。
あとはドラムの傍に転がるゴミバケツさえリリースされたら完璧。

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追記:蜂起は結局失敗に終わり、参加した人間は捕まり、街も破壊されてしまったけど、意外なほど写真は撮られていて保存されているんですね。残すべき記憶として。

Commented by hiranuma at 2018-07-15 12:04 x
面白いMAPですね。
これは便利!

中程にマンハッタンのビルにそっくりなビルがありました。
アイロンビルと呼ばれている三角ビルです。
半月滞在したマンハッタンで前をよく通りました。
https://search.yahoo.co.jp/search?search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=2&oq=マンハッタン+アイロンビル&at=s&ai=eyLcaSOxSJynBb8mpnFRPA&ts=18346&fr=top_ga1_sa&rkf=1&p=Frederick+P.+Dinkelberg
Commented by かば◎ at 2018-07-16 03:06 x
以前にも話題にしたことがあるのですが、実は、ワルシャワ蜂起の際に構築されたバリケードのみを集めた大冊・ハードカバー(確か)の飼料があり、「ラスカン」高橋さんに見せて頂いたことがあります。
市内に構築された各バリケードの写真、構造図、バリケードの設計者(?)の写真などが(おそらく)網羅されていて、「こ、こんな恐ろしい資料があったら、ワルシャワ蜂起のバリケードのジオラマなんておいそれと作れない!」と、戦慄を覚えました(笑)。いやまあ、作りませんが。
今でもどこかで売ってるのかなー。ちょっと欲しいなー。
Commented by hn-nh3 at 2018-07-16 06:28
> hiranumaさん
当時の写真を辿ってワルシャワの地図を歩くと、文字でしか知らなかった歴史の一断片がリアルな空間として追体験できるような気がします。自作装甲車 Kubuś(クブシュ)はどこを走ってたのかしら?と地図の上のワルシャワの街をうろうろしてしまいましたよ。

ニューヨークの三角ビルはポストカードにもなってるフラットアイアンビルでしたっけ? 自分にとってニューヨークは未踏の街ですが、訪れる機会があったら最初に見に行きたいビルですね。グリッド状にできた街にブロードウェイが斜めにクロスすることで出来てしまった三角の土地に建ってたからあんな形になってたのですね。地図と紐付いて形の理由を初めて理解しました。^^)
Commented by hn-nh3 at 2018-07-16 06:52
>かば◎さん
ボリケード本、買ってどうする的なものかもしれませんが、ちょっと欲しいですね。今回、ちょっと検索しただけでも市街戦の記録が地理的アーカイブになっているのを知って、バリケードを解析しているポーランド人は絶対いることは容易に想像がつきました。

Chwat号のバリケードは裏表いろいろな角度からの写真が残ってるので、その気になれば復元はそれほど難しくなさそう。
実は半分本気で平面図くらい作ってみようかと。Hetzer、ケーブルドラム、ゴミバケツ、一輪車、木箱...

街区の幅を探ろうとGoogleのストリートビューで「その地点」を訪れたのですが、周囲の建物が古い佇まいにもかかわらず記録写真に写るものと全く違うのに面食らってしまいました。同定の場所が違っているのか、独軍に報復で街が破壊された傷跡なのか。そのあたりの判断がつかなかったので、復元は思いとどまりましたが..

それでなくても未完のライフワークは多いので..
高射砲台追跡シリーズは都内の痕跡探し続行中、先日は出張ついでに大阪東淀川の西淡路砲台を見に行ってきました。まとめる時間が全くとれなくて... それもそのうちに ^^)
Commented by かば◎ at 2018-07-16 08:59 x
高射砲台追跡シリーズ、ますます深まってますね!
今後が楽しみです。

それはそれとして、クブシュの話題が出たので言いますが……。
そろそろ、(1).クブシュのベース車両がなんだったのか、(2).クブシュの迷彩塗装は結局何色と何色だったのか、の2点については納得がいく「なるほど、それか!」という答えが出て欲しいです。

※上記2点について、個人的にどうも釈然としないこと。
(1).割と新しい説として、ベースはキャブオーバータイプのシボレー・トラック、モデル155だったというのが出て来ているんですが、キャブオーバーのシャーシに「簡易的に」装甲をかぶせてあのスタイルになるとは思えない。従来節のシボレー・モデル157のほうが納得できる。
(2).濃淡グレー2色説、グレーにブラウン説の2節が並立しているが、どちらも「明色の上に暗色を重ねた」解釈の塗装図が主。でも当時の写真を見ると、どうしても暗色に明色を重ね塗っているように見える。
Commented by hn-nh3 at 2018-07-16 19:16
クブシュはオリジナルが現存しているから、シャーシなど実車を調べればいいのにとも思うけど... キャブオーバータイプであればもっとノーズヘビーなシルエットになるはずで、その説は簡単に否定できそうなものですが、そもそもその話が出てきたには理由があるはずでそれが気になります。
157と155を検証している画像拾いました。
https://imgur.com/a/EnT0pdM

博物館に保存されてる車両(とレプリカ)の塗装の復元はそれなりに根拠があるはずだとは思いますが、確かに当時の写真をみると逆で、ベースは暗色ですね。
しかしそもそも、迷彩色でライトグレーを使う意味がよくわからないですね。何かの塗料の流用なのでしょうが。

思うに、ベースはグレーのプライマーで、迷彩は独軍のダークイエローをシンナーで希釈してスプレーしたらはっきりしないライトグレーになった、という解釈は容易です。模型でもグレーサフにダークイエロー薄吹きするとそんな感じになりますし。
このページの塗装スキームは共感できます。
http://www.info-pc.home.pl/whatfor/baza/pojazdy_w_powstaniu_kubus.htm

もしくはレッドオキサイドの錆止め塗料の上にグレープライマー迷彩。

塗装に関しては状態のいいカラー写真が発見されるか、実車の塗膜を検証してみないかぎりは憶測の域を出ないでしょうね。ポーランドに行く人いたら100円玉でボディを引っ掻いてきてほしい...
Commented by かば◎ at 2018-07-17 12:19 x
私もうろ覚えなんですが、「シボレー157じゃなくて155」説が出てきたのは、(hn-nhさんの貼ったリンクにあるように)、「157だとクブシュの装甲ボディに比べてシャーシが長いようだ、155ならぴったりはまる」というのが根拠だったような気がします。でも、いちいち運転席位置を移動するなんて余計な手間のかかることはしないですよねえ……。

なお、現存クブシュに関しては、戦後長らく放置されている間に装甲ボディのみになってしまい、シャーシはレストア時にどこかから持ってきたものでオリジナルではない、というような事情で、それがシャーシの由来に決着がつかない背景にあったような気がします(これもうろ覚え)。

塗装に関しては、個人的には、「ブラウンが使われていた」説が従来からあることから、「さび止めのオキサイドレッド」の上に乱雑にありあわせのグレーを吹いたのでは、とボンヤリ思っています。
Commented by hn-nh3 at 2018-07-17 21:29
戦後放置されていた時の写真を見ると、タイヤ(+ シャーシ)を取り去られて上部構造だけになっているようにも見えますね。戦車ですら蜂起車両から転輪など盗まれるケースが多いことからすると、トラックのシャーシ、サスペンション、タイヤなど走行コンポーネント一式が揃っている車両が放置されていたら.....結果は言わずもがなですね。

博物館車両の塗装色がアテにならないのは、高田さんのブログのハンガリー車両の話と似たようなところがあるような気がしますが、クブシュのレプリカで敢えて現存車とは違うブラウンを使っているのは何らかの根拠がありそうですね。錆止め塗料の可能性も大。

いずれにせよ、もう少し当時の状況がわかる物証が欲しいところですね。米軍の進出範囲だったらカラー写真が見つかる可能性もあるのですが...

同じような話でチェコも南部ボヘミア、ピルゼン辺りで止まらず首都プラハにも米軍が進出していれば..と思うことがよくあります。そしたら例のCSR未完成Hetzerの車体色もカラー写真で判明した可能性もあるのに...
個人的にはプラハの未完成Hetzerはレッドオキサイド色ではなくグレープライマー色だったのではないかと思ってます。
博物館車両の他にいくつか物証はあるので、暇をみて記事にまとめたいとは思っているのですが.............
Commented by かば◎ at 2018-07-19 08:51 x
>>個人的にはプラハの未完成Hetzerはレッドオキサイド色ではなくグレープライマー色だったのではないか

ああ、それは楽しみです。

「プラハ・ヘッツァー」はアカデミーのキットも持っていますし、いつか作ってみたいアイテムですが、こうなると、グレーに塗るかブラウンに塗るか激しく迷ってしまいそうです。
Commented by hn-nh3 at 2018-07-19 19:05
プラハヘッツアーの色に関しては傍証でしかないので、もう少し慎重に検証してからとは思ってます。

以前はグリーンとかグレーとかの説をとってる文献もありましたが、最近はレッドオキサイド色が定説になっているようで、それが何を根拠にしているのかを確認しておきたいところなのですが、チェコ語の壁が...
by hn-nh3 | 2018-07-15 10:17 | 構造物 | Comments(10)