断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

ふたたび船岡山

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8月16日早朝。毎年の盆の京都、今年もまた船岡山に登る。目的は山頂にあるサイレン塔の「追加調査」。昨年の夏に書いた記事(船岡山に登る)の続編。

船岡山の山頂にある謎の構造物は、戦前に作られたサイレン塔というもので、戦時中は空襲警報を鳴らし戦後しばらくは時報を流していた、ということらしい。しかしそれ以上の情報はネットでは得られず、その詳細は不明。

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全景はこんな感じ。高さ6m程度の小さな構造物。船岡山はかつての平安京の中心軸北方に位置する標高差45m程度の小山で平安京の造営基準になったと言われていて、中世の応仁の乱の時には西軍の陣地が築かれたこともあるような周囲から独立した山。周囲からの視認性もよいので、サイレン塔の手前には地図測量用の三角点が据えられている。

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サイレン塔の構造はコンクリート。外壁表面には化粧モルタルが塗られ、現在はペンキ塗り。側面には横長の66cm幅の小窓。木枠が残っているものので、当初は何らかの窓部材があった可能性あり。

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建物裏側には地面に近いところに小さな小窓。何のための開口なのだろう。窓の横には配線を通すための鉄管が残存。


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巻尺とレーザー距離計で簡易計測して図面化してみました。外面寸法で1.7m弱の矩形に内寸50cmの半円形の煙突状の塔が付属する平面構成。

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塔は中空。中から見上げると上に抜けているのがわかる。塔というよりも煙突というべきか。上に抜けているだけなのでサイレンの音を遠くに飛ばす構造には思えず、何のためにこうした形状になっているのかが分からない。まさか煙を焚いて狼煙(のろし)をあげていた訳ではないだろうに。

「煙突」の内側頂部をよく見ると何かの金具が残っているのが確認でき、おそらくは頂部に4方に向けたスピーカーなどが取り付けられていて警報などを発していたのか。この塔は煙突の機能というよりスピーカーを高所に設置するための「台座」として便宜的に形作られたものと想像します。むろん全て憶測の域をでるものではないのですが。


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塔を裏側から見たところ。裏面はフラット。水平に回された2段の庇は正面からの見え方だけのために設置、というデザインの割り切りがすごい。裏側をよく見ると所々に金具の痕跡が見られ、おそらくは梯子がついていたものと推測。庇が裏側にないのはそのため、ということもできる。

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断面図、立面図も作成。塔の高さは2段目の庇までをレーザー距離計で測って頂部までの距離は写真からの推測。平面寸法は作業に必要なスペースなどの機能寸法から導かれたものと思われるが、塔の高さは何を基準に設定されたんでしょうね。2段目の庇の上端までの高さは約4m85cm。尺貫法でいうと、一丈六尺。釈迦の身長といわれる丈六仏の高さと符号しますが、塔の頂部までの高さではないから、特に関連はなさそうです。

塔の曲線を生かした水平の庇を上部に回すデザインは戦前の1930年代に流行したモダン建築に見られるもの。昭和12年(1937)に完成した関西電力京都支店のビルも同様のデザイン。

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内部の壁はコンクリートの素地。西面に奥行30cm程の錆びた鉄箱。上面にはスリット、下部は底がないのか腐食して抜けてしまったのか。箱内部は上下に合計8本の機器(or配線)固定用のペグ。北側の外壁から飛び込む配線用配管が下部に、上部には西側外壁上部に抜ける配管が残存。

今回のサイレン塔調査はここまで。30分ほどの簡易計測なので、図面精度もそのぐらいのものですが、例によってDropBoxリンクでPDF図面をダウンロードできるようにしておきます。


文献資料に関してはやはりネットでは限界あるので、どこかで京都市の図書館にでも行って手がかりを探してみたいところ。

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船岡山は現在、東の山麓に建勲神社、西側は船岡山公園。写真は公園の入口付近にあった案内版を撮ったものなのでガラスの映り込みがあって見づらいところもあるものの、サイレン塔などの位置関係はだいたいこれでわかると思う。
写真で見切れてしまってる部分には昭和10年の開園当初からの広場に「ラジオ塔」が残っています。

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d0360340_09533276.jpg高さ2.5mほど、花崗岩が貼られた四角い塔の上部には四方に四角い開口があり、内部にスピーカーがあるのが網越しに確認できます。胴部にはラジオ塔の由来を書いた銘版があり、それによると昭和10年(1935年)の開園にともなって建設されたものだとか。ニュースやラジオ体操を流していた様子。

現在はラジオ塔は使われていないものの、公園の広場ではラジカセ持参で近所の人たちがラジオ体操してました。


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d0360340_10372286.jpg船岡山の南側の山麓は急峻で斜面にはあちこちにチャート石の露頭が姿を見せていて、山全体が大きな岩盤でできているように思われます。西賀茂断層の一部なのでしょうか。

山の頂にも古代の磐座と思しきチャート石の露頭。隣にある丸い花壇のようなものは正体不明。


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案内図に記載のあった旧猿舎を探すものの特に目立つ痕跡はなし。周囲に低い土留めを築いた丸い土壇が猿の檻があったところなのだろうか。ただの空地。兵どもが夢の跡ではなく猿が夢の跡。

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d0360340_11231391.jpg例によって年代別の空中写真の比較。写真は国土地理院の空中写真閲覧サービスのページから。空中写真は上が北。
上掲の案内板の地図は南が上に描かれているので位置関係が左右逆に見えるのは要注意

2008年(平成20年)、1975(昭和50年)、1946年(昭和21年)の写真で共通に確認できるのは明治期に設置された測量用三角点。サイレン塔もあるはずなのだが解像度の限界で判別はできず。現在、東西2箇所の広場にある円形の花壇のようなものは、1975年の写真では確認できないことから比較的新しい時代のものか。猿舎は2008年、1975年の写真で確認できるように思われるものの像がぼやけていて定かではない。


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猿舎の跡地からの南側の眺め。猿の見た京都もたぶんこんな風景。

by hn-nh3 | 2018-08-18 11:46 | 構造物 | Comments(0)