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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

千歳船橋高射砲陣地跡

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自転車で街を走るのが気持ちのいい季節もそろそろ終わり。東京の鉄道は郊外に向けて放射状に整備されているので都心部に出るのは便利でいいのだけど、横断的に繋ぐ路線は少ない。そんな時に便利なのが自転車。途中いろいろ寄り道できるし。

この間、自転車を走らせていたら前方をショベルカーが道を塞いでいてちょっとびっくり。駐車場でトレーラーから下ろして近くの解体現場に向かうところのようだけど、キャタピラの金属音を響かせて進む姿に、戦車ってこんな感じかと思ったり。

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今回の目的地は千歳(船橋)高射砲陣地跡。航空写真は例によって国土地理院の空中写真サービスから。USA-M449-62/1947年9月8日米軍撮影。

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都下、城西地区にも戦時中、高射砲陣地が構築されていたことがわかっているが、遺構として当時の構造物が残っている場所は少ない。確認されている事例としては、先日紹介した青戸(白鳥)の砲座跡の他には、皇居の北の丸公園内の機銃座、調布(大沢)の保育園園内に残る砲座、前にここでも記事を書いた下仙川の町内会の看板の土台に転用された台座の一部。

ほとんど戦後の開発で失われているので、行ったところで何があるでもないのだけど、街のどこかに痕跡が残ってたりはしないかと、「跡地」となる場所を自転車での移動の時に寄り道するのが何となくライフワークと化しつつあるこの頃。

まずは事前のリサーチとしてどこに高射砲陣地があったのかを探すのだけど、東京西側の台地に作られる高射砲陣地は、場所の選定に少し法則があって「近くに小川のある台地の縁」というもの。これを頼りに戦後米軍が撮影した空中写真上を「飛行」していくとそこそこ見つかります。

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千歳(船橋)高射砲陣地のロケーションはこんな地形。地図は"今昔マップon the web"から並列の画面で地図と時代毎の航空写真、地形などが表示できるので便利です。これに砲台などの配置を加筆してみました。

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ゼンリンの住宅地図に重ねて見る。目黒川の支流となる烏山川(今は暗渠)に刻まれた南側に開けた台地の縁に陣地が鋼地区されてます。西側方向からの爆撃に備えたものか、扇型に高射砲の砲座が6基。1947年の写真ではそのうち4基は台座周囲の円形土塁が残存。2基は土塁が失われて台座まわりの3つの弾薬庫が露出。そのほかに機銃座なのか測距儀を据えたのかと想像できる円形の半地下構造が確認できます。

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1944年に陸軍が撮影した写真:95C3-C6-96 にも陣地の様子が比較的鮮明に写ってます。写真は国土地理院から。
これを見ると、6基の台座はすべて土塁が築かれ、隣接するように待避所なのか予備弾薬庫なのかは不明ではあるものの長方形の土盛り構造物があたことがわかります。扇の要にあたる部分に指揮所と思われるものも確認できます。台地を降った低地部分(現在は都立千歳丘高校のグラウンド)に兵舎などの建物があった模様。

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6月の初旬。荒玉水道道路を自転車で走らせていて、そういえばこの辺りだったかと寄り道。台地の縁の斜面。見通しのきく地形だったのだろう。

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フェンスの向こうは高校のグラウンド。当時の様子を伝えるものは全く無し。

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2番の台座があった辺り。何てことのない住宅街。近年に道路が拡幅されたのか電柱が路上に取り残されてます。

実は訪れた時には台座の詳細配置を検証する前で、だいたいこの辺りかぐらいで写真撮ったので少々的を外している。写真の右、赤い車が停まっているあたりに台座があったと思われます。ちなみに台座番号は例によって説明の都合で筆者が便宜的に割り振っただけなので誤解のなく。

思った通り、当時の痕跡は何もなかったよ、という報告で終わるのかと思いきや。後日、Googleのストリートビューの「タイムマシン機能」を使ってみたら、痕跡を発見。

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2番台座のあった場所の2009年の姿。ストリートビューの左上のインデックスに時計のアイコンついてる場所はクリックすると過去のストリートビューを見ることができます。

丸いコンクリートの変な駐車場。庭と仕切るフェンスも丸く。同心円状に分節されたコンクリートの中央は8角形になっていて中心部に円を描くようにボルト穴が12本(※本数は後記の別記事による)。これはどう見ても確実に高射砲の台座。

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Google Earthを使うと、近過去の空中写真を見ることができます。2007年の写真を見ると円形の台座が残る様子がはっきりと確認できます。近年までそのまま残ってたんですね。丸い形の駐車場として利用されていたというのはちょっと面白い
時代を替えて2012年になるとその場所は3軒の建売住宅に建て替わるので、 2010~11年頃に解体撤去されたのか。

調べてみると、このページ:Web東京荏原都市物語資料館(2015/12/17) に解体前の写真が掲載されています。土地の所有者の方が写した写真、とのこと。前ページには解体時の写真も。

その記事によれば、千歳船橋の陣地に配備されていたのは八八式7.5糎砲。部隊は陸軍高射砲第112連隊、第一大隊の第ニ中隊とのこと。第一中隊は久我山(15糎砲配備)、第ニ中隊が千歳、第三中隊は下仙川に配属。
千歳の部隊はB29を撃墜したという記録がある。昭和20年5月24。機体は赤堤付近に落下したらしい。

by hn-nh3 | 2019-06-18 12:36 | 構造物 | Comments(0)