西淡路(国次)高射砲台跡:前編

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西淡路高射砲台跡(2018.8 撮影)

新大阪駅から電車を乗り継ぎ、阪急の淡路駅で降りて商店街を抜けて歩くこと7,8分ぐらいだっただろうか、計画道路のフェンスの中にそれはあった。

戦時中に作られた高射砲陣地の砲台と指揮所の構造物に戦後、人が住み始めて「住宅」として利用されていたのだ。その風景に興味をひかれて、2018年の6月と8月に訪れて写真を撮った。

西淡路高射砲台は軍事遺構が現在も残るものとしては有名らしく、とある本に掲載されていた写真でそれを知り、昨年に大阪出張ついでに見に行った次第。調べてみると大阪市の教育委員会も調査しているようで、報告書(西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書)を市の図書館で閲覧、コピーすることができた。自分なりに少しまとめてみようかと図面を起こし始めたところで仕事が忙しくなりそれっきりになってしまったのだが、今年の11月に解体されてしまったことを知って、ふたたび現地を訪れた。

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砲台が残っていた土地は計画道路の敷地となっていたため、周囲の宅地開発の波に晒されながらも残りつづけていたのだが、道路の計画が進んでいるのか、遠くないうちに解体されるとの話は今年の初め頃には聞いていた。そして、ついにその時がきてしまいました。なんとも残念。

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訪れたのは12月の10日。11月の中頃から解体が進んでいて、すでに基礎も撤去されて工事は残材の排出と整地の段階。

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西淡路高射砲台跡(2019年12月撮影)

三番砲台消失。兵どもが夢の跡..である。フェンスの向こう側、かつてそこに高射砲台があった。

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西淡路高射砲台跡(2018年6月撮影)

昨年の6月に訪れた時の写真、である。雨の中、道路予定地のフェンスで囲まれた中に砲台が残存。二階建てのコンクリート構造で、周囲には戦後に住人がランダムに増築した木造建屋。

戦時中に都市防衛のためにつくられた高射砲陣地は、周囲に土塁を築いた半地下式の掩蔽壕のような砲座が一般的で、東京でも郊外に設置されたものの大半は円形のコンクリートベースを地上に設置、周囲に小さなコンクリート弾薬庫を配置した外は周りに土を盛り上げただけのものだったのですが、大阪市内では敷地の周囲が既に都市化していたからなのか、コンクリート構造の2階建になる高床式の砲座を備えた陣地がいくつも作られたようです。

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西淡路高射砲台跡(2018年6月撮影)

回り込んで南側から見た砲台跡。周囲に増築を重ねて住宅として使われていた痕跡。既に住人は退去したらしく廃墟状態。

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西淡路高射砲台跡:3番砲台(2018年8月撮影)

隣接するマンション付近からの俯瞰。6角形平面の砲台の周囲にはトタン板の部屋が増築されている。屋上の砲座の部分にも小屋が建てられ、土を入れて菜園になっていたようだ。木まで生えている。なんだかラピュタ的。

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図版出典:西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書 (2006,12 発行)

T型の平面形をした指揮所の周囲に6基の高射砲台が配置された扇型の陣形。図面は報告書からの引用だが、 驚くことに80年代の後半まで、全ての砲台が残っていたようだ。

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解体の状況を配置図にしてみました。地図はゼンリンの住宅地図を使用許諾付きのものを購入。
東側の1番砲台と2番砲台は前述の調査報告書によるとマンションの建設にともない平成4年(1992 )に取り壊し。※西淡路高射砲台のWikiが最近できたらしく、それによると解体は1989年とある。

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西淡路高射砲台跡:3番砲台(2018年8月撮影)

そして赤くマーキングした3番砲塔が 今回解体された最後の砲台。その西側の4番砲台、5番砲台は近年に建売住宅が開発されるまでは残っていたらしくこの頃に取られた写真は各種メディアや文献で目にすることができる。西端の6番砲台は鉄工所の敷地内にあり、建屋の一部として取り込まれて「鉄工所」として稼働していたが、今年の2月頃に解体されてしまった。

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西淡路高射砲台跡:6番砲台(2018年6月撮影)

この鉄工所の6番砲台のことは、個人の敷地内にあるという性格上か言及されている文献も限られていたため、昨年訪れるまでは自分も残存していることは知りませんでした。3番砲台の写真を撮った後、周囲になにか痕跡は残ってないかと散策していたら、近所の鉄工所の入り口の奥になにやら古めかしいコンクリートの筐体... んんん?何かあるぞと

覗き込めば工場ではとうてい作らないような多角形のコンクリート構造物が工場建屋に格納されてました。これは砲台跡に違いないと、ちょうど中で作業していた鉄工所のおっちゃんに声をかけてみたら、そうだよとの返事。見てったらいいよと快く工場の中に入れてもらいました。

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西淡路高射砲台跡:6番砲台(2018年6月撮影)

6角形のプラットフォームが増築されたコンクリートの屋根に取り込まれて残ってました。下の「待避所」になる部屋は、もともとは壁で囲まれていたけど、工場として使いにくいので柱だけ残して壁は撤去した、とのこと。工場は先代が砲台付きのこの土地を手に入れ、今は兄弟二人でやってると、いろいろ話をしてくれました。 その話はまた次回にでも。

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西淡路高射砲台跡:6番砲台(2019年6月撮影)

その1年後の風景。工場の奥にあった砲台は撤去されてしまって青空駐車場になってました。おっちゃんがいたら、壊した経緯など聞いてみたかったけど、姿は見えず。

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西淡路高射砲台跡:3番砲台(2019年12月撮影)


先日見てきた3番砲台の解体現場で工事ゲートの前でガードマンのおじさんに聞いた話では、解体は結構時間がかかったとのこと。予想以上に鉄筋が多く使われていてコンクリートがなかなか壊せなかったそうな。「中心部の柱なんか、コンクリートというより鉄筋の塊だったよ、地中の基礎梁もすごかったよ。六角形の建物にあわせて放射状に梁があったけど、それも太くて、外周のひとつひとつに大きな基礎(フーチング)が設けてあった。高射砲の振動で壊れないようにしてたんだろうね」「結構見に来る人いたね、そうそう岐阜から来た、なんて人もいたよ」

写真の奥、突き当たりに指揮所として作られた建物はまだ残ってました。ガードマンのおじさんの話ではまだ人が住んでいるらしく解体の計画が立てられないらしい。

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西淡路高射砲台跡:指揮所(2019年12月撮影)

T型平面のコンクリート構造物。これも周囲に木造の建屋が増築されている。この裏側には玄関があってちゃんと表札がでてましたね。

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西淡路高射砲台跡:指揮所(2019年12月撮影)

指揮所のT型の建物南端は道路に面してます。放置された廃車がなければ気づかず通り過ぎてしまいそうな建物。3番砲台を見に行くには指揮所の張り出した階段下の「私道」を通り抜けていく形になります。

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西淡路高射砲台跡:指揮所(2018年8月撮影)

隣のマンション「付近」からの俯瞰。地上からは周囲の増築部分に遮られてよくわからなかったT型の平面形状がよくわかります。一部は屋上になっていて、土が溜まって草が生えてるようです。もともとは観測所が設けられてたのか。射撃制御用の高射算定具が配置されてたのかも。

(つづく)



Commented by かば◎ at 2019-12-17 21:14
面白い!
日本版高射砲塔……というには低いですが、これは取り壊される前に見てみたかったです。
特に鉄工所に取り込まれていた6番砲台を間近に観察できた記録は貴重ですね。

>>6角形のプラットフォームが増築されたコンクリートの屋根に取り込まれて

砲台は写真で見ると8角形?12角形?くらいに見えるのですが、根元部分は6角形なのでしょうか?

調査報告書の図面では、そもそも正多角形ですらなく、カンマ形に描かれているのも気になります。
これは階段が張り出しているのか?
2番砲台は張り出しているというより切れ込みがある感じ、6番砲台は張り出しも切れ込みも無しと、図に個体差があるのも、なんなんだろう……。
Commented by hn-nh3 at 2019-12-17 23:21
かば◎さん
ウィーンの高射砲塔と比べられるような規模のものではないですが、都市型の砲台としては貴重な遺構でした。壊されたのが本当に残念。これが6基、住宅に紛れて残ってた80年代の風景を見てみたかった。

砲台の形状については次回記事で詳しく扱う予定ですが、1Fの待機所スペースが6角形、屋上の砲座が変形12角形です。張り出しと切り欠きがあって、地上部に土盛りしたスロープがつくられていたようです。

鉄工所にとりこまれた6番砲台にも実は切り欠きがあります。ちょうど一番砲台と対称の関係になってます。いろいろと改造を施されているため、調査の際に見落としたと想像します。。私も後で写真を見返していて、他と同様に切り欠きがあることに気がつきました。
Commented by かば◎ at 2019-12-18 19:58
本当に、6基まとめては無理でも(本当はそれが理想的ですが)、1基くらいはどうにか残しておいてほしかったですね。
砲台が真ん中にでんと居座る児童公園……「顔山」よりももっと異様ですが(笑)。

>>大阪市内では敷地の周囲が既に都市化していたからなのか、

と、hn-nhさんも上に書かれていますが、実際、東京郊外は、以前の記事に掲載された空中写真を見ても周りは一面の畑で、視界(というより射界)を遮るものが、ほとんど何もなかったのが分かります。
こっちは「都会タイプ」ってことなんでしょうね。

ところで、これは据えられていた砲はどんな形式なんでしょう?
Commented by hn-nh3 at 2019-12-19 00:08
配備されていたのは、八八式7.5cm野戦高射砲のようですね。
B29相手には非力な気もしますが、低空侵入を防ぐ程度の抑止的効果はあったのかもしれませんね。

東京郊外の高射砲陣地がほぼ土塁だけの簡易なものだったのは、周りに人家の少ない場所に作ったことの他に地形を利用していたことも大きなファクターだったと思ってます。都内では台地を浸食する小川のそばの高台に高射砲陣地が築かれている事例が多いです。

大阪は、大阪城のある上町台地以外は起伏が少ないので、陣地構築の条件をみたそうとすると、高射砲塔という人工地形を築く必要性があったのかもしれません。
それと、コンクリート構造の高射砲塔の設計は各師団に配属された設計技師が行っていたようですが、京都大学系の理論的気風があったんじゃないかと想像してます。
Commented by ふかまん at 2022-05-20 10:59
初めまして。
相当にお詳しい記事を有り難く拝見しました。
私も2018年に現地へ行きました。
隠れた跡地の存在は知らなかったので、惜しい気持ちもしますが…ここで知る事ができて嬉しいです。
ありがとうございます😊
Commented by hn-nh3 at 2022-05-22 22:40
ふかまんさん コメントありがとございます。
2018年というと私が訪れたのと同じ頃ですね。
鉄工所内の砲台は写真を撮っているときに偶然に気が付きました。まさかそんなものがあると知らなかったので、心の準備ができておらず、いろいろと調べ忘れたことが多くて心残りです。
指揮所の建物はGoogle Mapでみるとまだ残ってるようですね。しかしこれも近いうちに撤去されてしまうのでしょうね。
by hn-nh3 | 2019-12-15 09:30 | 高射砲陣地 | Comments(6)