西淡路(国次)高射砲台跡:前編
2019年 12月 15日

戦時中に作られた高射砲陣地の砲台と指揮所の構造物に戦後、人が住み始めて「住宅」として利用されていたのだ。その風景に興味をひかれて、2018年の6月と8月に訪れて写真を撮った。
西淡路高射砲台は軍事遺構が現在も残るものとしては有名らしく、とある本に掲載されていた写真でそれを知り、昨年に大阪出張ついでに見に行った次第。調べてみると大阪市の教育委員会も調査しているようで、報告書(西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書)を市の図書館で閲覧、コピーすることができた。自分なりに少しまとめてみようかと図面を起こし始めたところで仕事が忙しくなりそれっきりになってしまったのだが、今年の11月に解体されてしまったことを知って、ふたたび現地を訪れた。














T型平面のコンクリート構造物。これも周囲に木造の建屋が増築されている。この裏側には玄関があってちゃんと表札がでてましたね。

指揮所のT型の建物南端は道路に面してます。放置された廃車がなければ気づかず通り過ぎてしまいそうな建物。3番砲台を見に行くには指揮所の張り出した階段下の「私道」を通り抜けていく形になります。

面白い!
日本版高射砲塔……というには低いですが、これは取り壊される前に見てみたかったです。
特に鉄工所に取り込まれていた6番砲台を間近に観察できた記録は貴重ですね。
>>6角形のプラットフォームが増築されたコンクリートの屋根に取り込まれて
砲台は写真で見ると8角形?12角形?くらいに見えるのですが、根元部分は6角形なのでしょうか?
調査報告書の図面では、そもそも正多角形ですらなく、カンマ形に描かれているのも気になります。
これは階段が張り出しているのか?
2番砲台は張り出しているというより切れ込みがある感じ、6番砲台は張り出しも切れ込みも無しと、図に個体差があるのも、なんなんだろう……。
日本版高射砲塔……というには低いですが、これは取り壊される前に見てみたかったです。
特に鉄工所に取り込まれていた6番砲台を間近に観察できた記録は貴重ですね。
>>6角形のプラットフォームが増築されたコンクリートの屋根に取り込まれて
砲台は写真で見ると8角形?12角形?くらいに見えるのですが、根元部分は6角形なのでしょうか?
調査報告書の図面では、そもそも正多角形ですらなく、カンマ形に描かれているのも気になります。
これは階段が張り出しているのか?
2番砲台は張り出しているというより切れ込みがある感じ、6番砲台は張り出しも切れ込みも無しと、図に個体差があるのも、なんなんだろう……。
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かば◎さん
ウィーンの高射砲塔と比べられるような規模のものではないですが、都市型の砲台としては貴重な遺構でした。壊されたのが本当に残念。これが6基、住宅に紛れて残ってた80年代の風景を見てみたかった。
砲台の形状については次回記事で詳しく扱う予定ですが、1Fの待機所スペースが6角形、屋上の砲座が変形12角形です。張り出しと切り欠きがあって、地上部に土盛りしたスロープがつくられていたようです。
鉄工所にとりこまれた6番砲台にも実は切り欠きがあります。ちょうど一番砲台と対称の関係になってます。いろいろと改造を施されているため、調査の際に見落としたと想像します。。私も後で写真を見返していて、他と同様に切り欠きがあることに気がつきました。
ウィーンの高射砲塔と比べられるような規模のものではないですが、都市型の砲台としては貴重な遺構でした。壊されたのが本当に残念。これが6基、住宅に紛れて残ってた80年代の風景を見てみたかった。
砲台の形状については次回記事で詳しく扱う予定ですが、1Fの待機所スペースが6角形、屋上の砲座が変形12角形です。張り出しと切り欠きがあって、地上部に土盛りしたスロープがつくられていたようです。
鉄工所にとりこまれた6番砲台にも実は切り欠きがあります。ちょうど一番砲台と対称の関係になってます。いろいろと改造を施されているため、調査の際に見落としたと想像します。。私も後で写真を見返していて、他と同様に切り欠きがあることに気がつきました。
本当に、6基まとめては無理でも(本当はそれが理想的ですが)、1基くらいはどうにか残しておいてほしかったですね。
砲台が真ん中にでんと居座る児童公園……「顔山」よりももっと異様ですが(笑)。
>>大阪市内では敷地の周囲が既に都市化していたからなのか、
と、hn-nhさんも上に書かれていますが、実際、東京郊外は、以前の記事に掲載された空中写真を見ても周りは一面の畑で、視界(というより射界)を遮るものが、ほとんど何もなかったのが分かります。
こっちは「都会タイプ」ってことなんでしょうね。
ところで、これは据えられていた砲はどんな形式なんでしょう?
砲台が真ん中にでんと居座る児童公園……「顔山」よりももっと異様ですが(笑)。
>>大阪市内では敷地の周囲が既に都市化していたからなのか、
と、hn-nhさんも上に書かれていますが、実際、東京郊外は、以前の記事に掲載された空中写真を見ても周りは一面の畑で、視界(というより射界)を遮るものが、ほとんど何もなかったのが分かります。
こっちは「都会タイプ」ってことなんでしょうね。
ところで、これは据えられていた砲はどんな形式なんでしょう?
配備されていたのは、八八式7.5cm野戦高射砲のようですね。
B29相手には非力な気もしますが、低空侵入を防ぐ程度の抑止的効果はあったのかもしれませんね。
東京郊外の高射砲陣地がほぼ土塁だけの簡易なものだったのは、周りに人家の少ない場所に作ったことの他に地形を利用していたことも大きなファクターだったと思ってます。都内では台地を浸食する小川のそばの高台に高射砲陣地が築かれている事例が多いです。
大阪は、大阪城のある上町台地以外は起伏が少ないので、陣地構築の条件をみたそうとすると、高射砲塔という人工地形を築く必要性があったのかもしれません。
それと、コンクリート構造の高射砲塔の設計は各師団に配属された設計技師が行っていたようですが、京都大学系の理論的気風があったんじゃないかと想像してます。
B29相手には非力な気もしますが、低空侵入を防ぐ程度の抑止的効果はあったのかもしれませんね。
東京郊外の高射砲陣地がほぼ土塁だけの簡易なものだったのは、周りに人家の少ない場所に作ったことの他に地形を利用していたことも大きなファクターだったと思ってます。都内では台地を浸食する小川のそばの高台に高射砲陣地が築かれている事例が多いです。
大阪は、大阪城のある上町台地以外は起伏が少ないので、陣地構築の条件をみたそうとすると、高射砲塔という人工地形を築く必要性があったのかもしれません。
それと、コンクリート構造の高射砲塔の設計は各師団に配属された設計技師が行っていたようですが、京都大学系の理論的気風があったんじゃないかと想像してます。
初めまして。
相当にお詳しい記事を有り難く拝見しました。
私も2018年に現地へ行きました。
隠れた跡地の存在は知らなかったので、惜しい気持ちもしますが…ここで知る事ができて嬉しいです。
ありがとうございます😊
相当にお詳しい記事を有り難く拝見しました。
私も2018年に現地へ行きました。
隠れた跡地の存在は知らなかったので、惜しい気持ちもしますが…ここで知る事ができて嬉しいです。
ありがとうございます😊
ふかまんさん コメントありがとございます。
2018年というと私が訪れたのと同じ頃ですね。
鉄工所内の砲台は写真を撮っているときに偶然に気が付きました。まさかそんなものがあると知らなかったので、心の準備ができておらず、いろいろと調べ忘れたことが多くて心残りです。
指揮所の建物はGoogle Mapでみるとまだ残ってるようですね。しかしこれも近いうちに撤去されてしまうのでしょうね。
2018年というと私が訪れたのと同じ頃ですね。
鉄工所内の砲台は写真を撮っているときに偶然に気が付きました。まさかそんなものがあると知らなかったので、心の準備ができておらず、いろいろと調べ忘れたことが多くて心残りです。
指揮所の建物はGoogle Mapでみるとまだ残ってるようですね。しかしこれも近いうちに撤去されてしまうのでしょうね。
by hn-nh3
| 2019-12-15 09:30
| 高射砲陣地
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Comments(6)

