ゆりかごから戦場まで

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物語には終わりがある。1970年代にタミヤのMMシリーズが1/35スケールで開拓した「情景」に少年たちは心を奪われてプラモデルでジオラマを作ることに熱中した。時が過ぎるのも忘れて模型を作り続けた。それから50年の月日が過ぎて、この世界にもそろそろ終わりの季節が訪れようとしている。

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タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ(MMシリーズ)のフィギュアはプラモデルに「時を与えた」と思っている。プラモデルは戦車や戦闘機を子供でも持てる大きさに縮小した玩具だった。少年はミニチュアに電池とモーターを入れて畳の上を走らせ、手で掲げて空を飛ぶ姿を夢想した。だけどリモコンのスイッチを切れば空想の時間は終わり。玩具を放り出して少年は外に遊びに行ってしまった。所詮はプラモデル、現実世界の中で動かないものを動かすのは徒労だった。それに気づいたタミヤのミリタリーミニチュアは動かすのをやめた。電池とモーターを外したキューベルワーゲンの傍には兵士のフィギュアが添えられた。当然のことながらフィギュアは静止している。しかし本当に動く姿を写真に撮ったようにポーズを決めて立っていた。

戦場で急停車したハーフトラックから兵士が飛び降りる。決定的瞬間を捉えた写真が永遠の時間を刻むように、一瞬を表現したジオラマは現実の時間を止める。そこに物語の空間が開く。解き放たれた少年の心は戦場を駆け回ることができた。プラモデルは戦争映画の1シーンや戦場写真集の1ページを再現するツールだ。時間を止めると1/35の情景が見えた。

そして少年たちは空想の庭に閉じ込められた。


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長い間、1/35スケールはミリタリーだけの空間だった。飛行機は1/48でカーモデルは1/24。ガンダムは1/144。飛行機やカーモデルには1/32スケールのキットもあるが、1/35との縮尺のわずかな違いのためにMMシリーズの情景アクセサリーとの互換性がなく、スケールを揃えてフィギュアやアクセサリーを利用し合うエコシステムは生まれなかった。ミリタリー以外の1/35スケールのプラモデルはハセガワの建設機械のシリーズやメカトロウィーゴなど、ミリタリーと親和性のあるジャンルに限られる。このスケールを好むモデラーがミリタリーに限られてたマーケットを踏まえれば当然の帰結だったのかもしれない。

その意味では昨年に海洋堂からリリースされた ARTPLAの動物園シリーズは異色だ。キリンやハシビロコウ、ゾウガメといった野生動物だけでなく、動物を眺める子供たち、カップルや若い親子、そして飼育員など、ミリタリーの匂いとは無縁の動物園という日常空間のプラモデルだ。しかも1/35というスケールで。


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ARTPLA 観光客とキリンセット」からベビーカーと小さい子供の手を引く母親のフィギュアを作ってみました。子供の手を引く母親のシルエットが綺麗。もう自分で歩けるんだとベビーカーから降りて一人で歩こうとする子供の手と母親の手がギリギリ繋がってるんですよね。歩く子供の足が地面につくかつかないかのバランス。一人で歩けると言ってもまだ母親が支えてあげないと転んでしまうくらいの頃が描かれています。こういうのは作ってみないとわからない。その実感は子供の手を引いたことがないとわからないかもしれない。

フィギュア原型には3Dスキャンも活用してるのだろうか。重心の位置がとても自然に見える。パーツ分割もジョイントが気にならないように配置されるなど最近のタミヤのフィギュアに迫る水準。さすがに魔法のようなタミヤのパーツ分割には及ばないところもある。ベビーカーのシートなどは分割を増やせばジョイントが気にならなくなるだろうし、フレームは抜きテーパーが目立たないように別パーツにしたらと思うところもない訳ではないけど、ディテールの解像度よりも気軽に組み立てられることを優先した結果なのだろう。

プラモデルを初めて作ってみる人だったら、タミヤの兵隊フィギュアよりもこの動物園セットを手に取ってみると思う。ずっと昔にプラモデルを作ってた少年が親になって子供と一緒に作るプラモデルを選ぶのもこっち。子供たちは動物たちをニッパーで切り離して、かつての模型少年はベビーカーを組み立てる。

ベビーカーはボディの左右をモナカみたいに貼り合わせるだけの簡単な分割だけど、ダブルになった車輪は別パーツで再現されてます。後輪にはちゃんとストッパーのペダルがあるのよ。知ってた?

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2022年はミリタリーモデラーにとって居心地の悪い年だった。ロシアのウクライナ侵攻でミリタリーのプラモデルメーカーの拠点でもあるキエフまで攻め込まれるというプラモデル存亡の危機にも直面した。目を背けたくなる戦場の映像もSNSで飛び込んでくる。空想の庭で起こっていた戦争が現実の世界に流れ込み、遠い世界のファンタジーではなくなった。プラモデルの戦争と現実は違うと言えばいいのか。1/35の情景で追い求めていた戦場のリアルとは何だったのか。

答えはひとつ。おそらくずっと前から戦争を描いてはいなかったのだろう。1/35の兵士たちはとっくに戦うのをやめていた。

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昨年にリリースされたタミヤの「アメリカ歩兵偵察セット」は素晴らしい出来だった。3Dスキャンで作るフィギュアの原型は実際の人体をトレースしただけあって、しゃがんだ難しいポーズでも生身の身体がそこにあるように見える。衣服のシワや身に付けた装備が感じさせる重力。フィギュア造形のひとつの到達点だと思う。同時に限界も。

アクションシーンよりもスタティックなポーズが求められるのが最近のフィギュアの傾向だろう。この兵士たちも敵の様子を探りに出た偵察中の緊迫感のあるポーズではなく、作戦の合間の小休止のシーンを再現している。少し緊張が和らいでお互いに言葉を交わしている姿はリアルだ。戦車のキットの横に置けばあっという間に情景が生まれる。1/35の兵士達の過ごした時間が見えてくる。そう、なのか?

ミリタリーのフィギュアは動くことを忘れてしまった。いつの間にか。
たとえば、ベビーカーから降りて母親から手を離して歩き出そうとする忘れられない瞬間のようなものはそこに描かれているのか? 忘れようもない時間はそこにあるのか。


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一瞬を切り取って見せたミリタリーミニチュアの面白さは遠くなった。子供の頃に近所の高校の文化祭で目撃した模型サークルのジオラマを今も覚えている。おそらくはタミヤの「ドイツ歩兵進撃セット」をそのまま使っただけの今にしてみれば稚拙なジオラマだったのだろうが、小さな戦場を駆け回る兵士たちが確かにそこにいた。目の前にある時を止めた小さな世界のワンダーはずっと忘れることができなかった。

10年前くらいに長い間やめていたプラモデルを再び手に取ったとき、時間を止めて見せるジオラマのダイナミックな時間表現はいつの間にか失われていた。躍動感のあるフィギュアが少なくなった。モデラーがアクションシーンの情景を好まなくなったのかもしれない。理由は分かっている。テレビで戦争映画を流すことがなくなった。メディアから戦争表象が遠ざけられて情景のイメージが共有されなくなった。それ以上に模型少年は歳をとってしまった。もはや戦争ゴッコに興じる年齢ではない、戦場を駆けるシーンに胸を熱くした日は遠くなった。命がけで戦う兵士の姿にリアリティを感じなくなっていた。

少年たちは我に返る。勝ち目のない場面でも走らなければならないのは無能な上司のせいだ。何者かになりたいと叫ぶよりも、地図を広げて状況を分析したり現場のランチタイムにボヤいてみたり迷子の子犬と目を合わせたりすることにリアリティを感じる。フィギュアは現実世界を生きる自分の現し身(うつしみ)だ。

かけがえのないこの瞬間を切り取ったような情景は今でも可能なのか。終わってしまったこと、まだ始まっていないこと。


<2022/01/16>
<2021/01/04>
<2020/01/04>
<2020/04/14>


Commented by デビグマ at 2023-01-09 23:57 x
マスターボックスの戦闘シーンのフィギュアやタミヤのアフリカ軍団、1次大戦のイギリス兵等の一部を除けば、全体としては静的なフィギュアが大半で、雑誌やコンテストで発表される作品も戦闘中を再現したものは少なく感じられますが、理由の考察に時代背景と高齢化を絡めた説得力のある文章に引き込まれてしまいました。と同時にますますARTPLAシリーズ、ますます入手したくなりました。。民間人のフィギュアも魅力ですが、昔からブリテン社の動物とか好きだったんですよ。あと、大胆な分割の軽トラも気になる・・。

P.S.前回のコメント、マウスモデラーのスペル間違ってました。お恥ずかしい限り。
Commented by redsoldiers at 2023-01-10 01:10
拝読して今一つピンと来なかったというのが偽ざる所です。

それは、恐らく世代や作ってきたフィギュアが違うからだと思います。
私はタミヤのフィギュアは殆ど作った事がなく、舶来物のフィギュアばかり作っていたので、フィギュア文化史的な部分で差違があるのだと思います。
それと慣れ親しんだ戦争映画の演出の時代差とか。

欧州のフィギュア作品だとある瞬間を切り取った作品ほど動きが無い様に感じます。
また血みどろの殺し合いや虐殺を再現したフィギュアも古今多々あり、1/35のフィギュアたちは戦い続けていると思います。

最近はマスターボックスの様に動きがあるキットも多く(タミヤの影響か?)、特に技術的に向上したガレージキットは大仰なポーズのヒストリカル(ミリタリー)フィギュアが好まれる様です。

嫌な傾向だな・・・とは思います。
リアルじゃないので。人が殺し殺される時は、そんなに大胆な動きはしないのですから。
多くは現実では無く、戦争をテーマにした映画や絵画、ゲームの模倣なのでしょう。元ネタが判る時もある位なので。
それに与えられたキットを素組みで楽しめば良いですが、素材と考えたら、動きが顕著なキットは作り手の自由な創造性を阻害します。お前の用意した空気しか再現出来ないじゃ無いか!と。

そういう意味で、鉄道メーカーの作るフィギュアは自然な立ち振る舞いで、見事にシーナリー(バイプレイヤー)に徹していて美しいと思います。
Commented by hn-nh3 at 2023-01-10 06:49
デビグマさん
ブリテン社の動物だったかは覚えてないのですが、東急ハンズの模型売り場にたくさん動物フィギュアが並んでいて渋谷に行くといつも眺めていました。欲しいけどミリタリーフィギュアとの接点がないから使い道がないなと眺めるだけでしたが。
アフリカゾウとDAK歩兵をあわせて「ドイツアフリカ軍団!」なんてことしたらB級映画みたいだしw

今回のフィギュア試論は「なぜアクションシーンが遠ざけられたのか」ということを考えてみたかったからなんです。去年、タミヤのSASジープを作った時に砂煙を上げて砂漠を駆け抜けるというベタなジオラマに挑戦したら、ああこういう表現に進道もあったんだなと思ったのがきっかけでした。
モデラーの高齢化は比喩的に使ったのですが、ジャンルの寿命も絡んでる話だと思ってます。プラモデルに限らず映画やあらゆる表現ジャンルに共通する話ですが、黎明期のエネルギーはいつしか失われて表現が枯れてきます。洗練と言うのは簡単ですが、新しいコンテンツが加わっていかないと先細りになる気がします。3Dスキャンと言うのはブレイクスルーのきっかけになりそうですが、まだ見えてこない。それでアートプラのシリーズがちょっと面白いんじゃないかと。

何と言うか、ジョジョ立ちじゃないですけど戦車の横にアルパインのフィギュアを立たせたらはい出来上がりという状況には食傷気味。
Commented by hn-nh3 at 2023-01-10 07:32
redsoldiersさん
ありがとうございます。こういう反論はうれしいです。
最近の1/35フィギュアの簡単な見取り図を描くために捨象したところなので。

欧米のフィギュアは54mmフィギュアなど連綿と続くフィギュアの文化や絵画や彫刻での戦争表象の伝統も絡んでくるから、問題は複雑になりますね。

タミヤのミリタリーミニチュアを基盤にした1/35のプラモデルフィギュアの表現の話とそれを同列に語るのか、共時的な問題として考えるべきなのかは、判断のつかないところではありますが「瞬間を切り取ったポーズ」の話も含めて少し掘り下げると面白くなりそうなので、コメントでまた続きを書きますね。
Commented by hn-nh3 at 2023-01-12 09:21
欧州フィギュアの造形はやっぱり西洋絵画/彫刻に縛られてる。「シンメトリー」だと思うんです。一義的には左右対称のことですが、その先にあるのは「均衡」で、これが美意識の根底にあります。ダイナミックな騎馬像でも動きを止めて均衡を成立させる。大理石のような脆い材料だと物理的にも成立しない事情もあります。欧州フィギュアが静止して見える理由は伝統的な美意識を下敷きに作品を作ってることではないかと。

写真は動きを表現するのか。これも難しい。レンズは動いてる瞬間を捉えてるのに、よく撮れてる写真を選び出す時にアンバランスな構図よりも均衡が成立している写真を美しいと思ってしまう罠があります。「決定的瞬間」を捉えたことで有名なカルティエ・ブレッソンの写真にしても、構図の根底に西洋絵画的な均衡がある。

タミヤの70年代のフィギュアに動きを表現したものが多いのは時代背景もあったと思います。やっぱり映画やテレビ、アニメや劇画など「動き」を表現するメディアの影響なのかな。アニメーターの大塚康夫さんがフィギュアのポーズ監修に関わっていたのは決定的です。

物を動かすにはシンメトリー/均衡を崩す必要があります。ポーズで言えば重心を体幹の軸から外すと、ズレを修正する方向に身体が動いていく。しかし動いてる瞬間のポーズって実際は必ずしも美しく見えないことが多く、フィギュアを「止め絵」として、そのサジ加減をコントロールできるのは大塚さんのような優れたアニメーターだったんじゃないかと想像しています。この辺りは詳しく調べてみたい領域です。
by hn-nh3 | 2023-01-09 17:30 | 人々 | Comments(5)