高射砲陣地(陸軍高射砲部隊 関東地区 1945)
2023年 03月 10日



高射砲陣地 展開図(陸軍高射砲部隊 関東地区 1945.5 ): 本土地上防空作戦記録関東地区 付図 S26/7 復員局作成

開戦から僅か4ヶ月後の4月、日本近海に密かに接近した米空母から16機の爆撃機が東京を襲った。ドーリットル空襲と言われるこの事件で本土攻撃が現実の問題として認識される。首都の防空態勢は大きく見直され配備される高射砲は300門へと倍増された。米軍が長距離爆撃機B-29を開発している情報は1943年には日本軍も察知し、中国大陸やマリアナ諸島から射程距離内に入ることが予見されていた。首都及び京浜工業地帯の防衛のために関東南部一円には高射砲陣地130箇所、照空灯陣地320箇所が急ピッチで整備された。終戦時には高射砲731門、機関砲301丁が残っていたことが同書の配備表に記録されている。



当時の状況が分かる高射砲陣地の現存写真は少ない。関東エリアでは戦時中に撮られた房総半島の海軍砲台、足立区の保木間陣地で撮られた日常スナップ、終戦時に至近距離から空撮された川崎一号地(水江)の12cm砲陣地、小岩の12cm砲陣地、 そしてこの写真。場所は特定できてないのだが終戦時に米軍が撮影したもので高射砲がまだ残っている。7cmないし8cm砲の陣地だろう。中央部の半地下指揮所の構成もよく分かる。後方の兵舎は一般的な棒状に長い構成ではなく、中央部が空き地になったセパレートタイプは珍しい。何らかの状況で除去されたのか、あるいは都内近郊の陣地ではないのかもしれない。陣地の周囲には防火用水も兼ねたため池か小川があることが多い。



Googleのマイマップ機能を利用して、位置同定の済んだ高射砲陣地と照空灯陣地をプロットしている。位置は資料に記載された1945年5月後の布陣になる。ピンを立てた登録地は450を超えて、想定される陣地の90%が場所を明らかにできた。と思いっている。オレンジのピンは12cm高射砲、赤が8cm高射砲、パープルが7cm高射砲。黄色が照空灯陣地、ウグイス色は陣地名の記載のない照空灯陣地、もしくは他の陣地との位置関係から存在が推定される照空陣地。茶色は表には載っていないが空中写真に写る痕跡から高射砲陣地と推測される、あるいは伝文が残っているもの。青が機関砲陣地。モスグリーンのピンは電波評定機を設置したレーダーサイト。それぞれのピンには陣地が写り込んだ空中写真を登録しておいた。地図はGoogleMapと同様、拡大縮小とスクロール。ピンをクリックするとその場所にあった高射砲陣地の写真を見ることができる。






繰り返し語られてきた被害者的な市民の戦争体験、もしくは加害者的な歴史観を引っ張り出して語る事はしたくない。
だけどこの地図を見て、一つだけ確かに言えるとすれば、
それは、昔々、僕らの祖父や祖母が暮らしていた街は紛れもなく普通に戦場だった、ということだ。是非もなく。

<海軍防空砲台:逗子>

