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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

公園の人型(前編)

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公園の石の山。公園のコンクリート製遊具には不思議な造形のものがあったりします。前に動物遊具の「ブタ公園」の記事を書いたりしてますが、今回は「ヒトガタ」の山。

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この山を見つけたのは京都市中京区の富小路殿公園(とみのこうじどの こうえん)。古めかしい名前で文字が右から書かれてるので戦前からある公園と思われます。その中央にあるのが砂場にそびえる石の山。

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丸い砂場の中央に据えられた富士山型のコンクリートの白い山。斜面には登るための階段も兼ねた4つの人の顔がかたどられていてなんともシュール。

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4面それぞれ別の顔。北側の2面は不気味な笑い顔(怒り顔?)、南側は無表情な顔で謎めいた風情。顔面の配置は東西南北に対して45度回転した配置で、鬼門(北東)や裏鬼門(南西)など陰陽道にまつわる方位学との関連も想像できますが、 それも想像の域をでるものではない。いったいどうしてこんな造形になったのか。

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上から撮ってみたよ。といってもドローンで空中撮影できる訳ではないので、山の頂上に登って4面それぞれ見下ろした写真を撮って、パソコンのソフト:PhotoShopでパノラマ合成。この写真を作ってみたかったんですね。

PhotoShopの画像構成機能で自動判定で無理やりレンダリングしているところもあるので、正確な上面図にはなっていないのは断っておきます。山裾はきれいな円になっているけど、山の頂上は合成の際にすこしカクカクしてしまいました。この画像が生成されたとき、笑ったのが山の中央の「黒いボール」。撮影時に写り込んでいた自分の足が画像合成のいたずらで黒い球に。。 

黒いボールと化した自分の姿にいろんな想像ができます。....禁忌を犯したことで山の呪いがかかって小さな球に閉じ込められてしまった....誰かに水をかけてもらうと人間に戻れる....とか。

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しかし、なんでこんな造形になったのかは謎。ネット検索でもこの遊具への言及はほどんど見あたらない。この辺りに住む人は誰も気にしていないのか、あるいは人の形が見えている人が少ないのか。

公園遊具の発達史のなかでは、土管などを埋め込んた築山をコンクリートでかたどってた「石の山」というジャンルがあって、それに滑り台の機能が付加されるようになり、やがてタコの形をした巨大な滑り台や、象の形の滑り台へと「進化」する流れがあるのですが、これは「石の山」のバリエーションに位置付けられるものなのだと思います。年代的にはコンクリート遊具が各地に設置された1960〜70年代のものと想像します。抽象絵のような顔の作り方に岡本太朗の太陽の塔などを想像させます。

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コンクリートは耐久性もあって腐食にも強いので、公園の遊具や設備によく使われてます。自由な造形ができるのも魅力で、FRP素材が出てくるまでは他に替わる素材もなかったのでしょう。水飲み場の造形もなかなか。これは工場生産の製品なのか、京都市内の公園のあちこちで見かけます。C型というらしい。水を貯める水盤の形が素敵です。

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なんでもコンクリート。もうひとつの砂場の縁取り。滑り台の滑走部もコンクリート。この滑り台。コンクリートと鉄部材のハイブリッドで、これも標準設計なのか京都市内の公園でよく見かけるアイテム。

煉瓦の塀の向こうに見えるのは京都ハリストス正教会。ギリシャ正教会の京都聖堂で明治34年(1901)の完成。美しい木造聖堂で形は函館のハリストス教会などと共通。京都に教会というのは馴染みのない風景ですが、どういう経緯でここに建てられたのか知りたくなります。

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富小路殿公園があるのは、京都市役所を北側徒歩5分ぐらい。二条通りの北、富小路通と柳馬場通に挟まれた場所。街の北側に京都御所を控えて、いわゆる御所南といわれるエリア。'富小路殿"と書いて「とみのこうじどの」と呼ぶ「殿」の文字は、その昔に御殿があったことに由来。この場所にはかつて「御所」が置かれていたことがあるという。

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調べてみると平安時代後期から室町時代にかけて、天皇や上皇の居場所である御所は平安京の大内裏の場所から離れて貴族の邸宅に寄宿する「里内裏(さとだいり)」という形をとって、内裏は市中を転々としていたらしい。その一つがこの場所の「二条富小路内裏」。後醍醐天皇の内裏でもあったようで、建武の新政が崩壊したときの戦乱で焼失。今は昔。

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(後編につづく)

# by hn-nh3 | 2019-09-29 10:38 | 動物系 | Comments(2)
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ワルシャワの蜂起部隊に鹵獲されてバリケードに利用されたヘッツァー:Chwat号のバックショット。エンジンルームやコマンダーズハッチは開けっ放しの状態。エンジンを始動できるかを試みたのか、あるいはバリケードに向けて撃ってくるドイツ軍の銃弾から身を隠すための銃座の替わりに使用していたのか。

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正面側からの写真。戦闘室天板は火炎瓶による火災のダメージでめくれ上がっている。乗員用のハッチも開いた状態になっているのが確認できる。フェンダー上のジャッキ台とノテックランプは紛失。

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数日後、バリケードから回収して郵便局中庭で修理中の写真。エンジンルームなどのハッチは全開。ハッチの裏はプライマー色ではなく、車体色(ダークイエロー)に塗られているようにも見える。車体後部のエンジン始動用クランクシャフトのカバーは紛失。

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復旧作業が成功して中庭を走行してる時の映像。走行テスト中なのか、エンジンルームのハッチは相変わらず開いたまま。

火災によるダメージがあったとはいえ、車体の迷彩塗装が熱で痛んだりしていないように見えるので火災がそれほどひどくはなかったのでしょう。車体側面と正面に「Chwat」のマーキングが新たに施されてます。ノテッックランプが復活、リモコン機銃のシールドは失われたままになってますね。ノテックランプは他の車両でもよく使われている汎用品だったからパーツ取りもできるけど、リモコン機銃の部品は手に入らなかったんでしょうね。ワルシャワ戦がヘッツァーの初陣でもあったみたいだし。

こうやって残っている写真を見ると、エンジンルームのハッチが開いている時のものが殆ど。もちろんその後の訓練などでは閉じたりもしたのだろうが、模型でChwat号を再現するときには、エンジンルームのハッチを開けた状態にするのが「記録に残っている姿をリアルに再現した」ということになるのかしら。

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エンジンルームやコマンダーズハッチを開けた状態にするには、内部の構造をある程度作り込む必要もでてきます。キットの内部はまるっと省略されているので、先ずは戦闘室とエンジンルームを仕切る隔壁(バルクヘッド)をプラ板で再現。隔壁の上端のラインと戦闘室天板の後端がずれているのは工作ミス、ではなく実車もそういう仕様なのです。

ヘッツァーは小さな車体に7.5cm砲を積んだために、車長の席が戦闘室のエリアには確保できず、エンジンルームの一部に食い込むように配置。無線機のラックもエンジンルームの隙間にはめ込むようになっているので、エンジン隔壁はクランク状に入り組んだ複雑な形状になってます。

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エンジンの隔壁を再現するためにCADで1/35スケールの図面を起こしてみました。参考になる内部写真をトレースして、写真の歪みなどを補正しつつ、各部の関係を整理していく。ブルーで着色した車長席(左側)と無線機ラックのニッチ(右側)が隔壁から奥まっている部分。

①の淡いブルーの部分はアールがついて車長席の側板につながっている。しかくそのまま垂直に壁を下ろすとエンジンに緩衝してしまうため②のように車長席側板を斜めに細工してエンジンを収容するスペースを確保するなど、なんとも複雑な納まり.. ③の部分、車長席の床は燃料タンクになっている。反対側と同じように本来であれば大きな燃料タンクが置かれる位置に車長席を設けた関係で、少しでもタンクの容量を確保できるようにしためたなのか。

エンジンのフライホイールのハウジングは隔壁より車内に突出しているため④のような半円の張り出しが作られている。このハウジングは①のアールのついたパネルと絡むので取り合う形状は複雑。
エンジンを車体底板に固定するための桁材:⑥がエンジンルーム側ではなく戦闘室内にはみ出している..というのもまたややこしい。

と、ここまでは何となく理解できたのだけど。⑤の部分では④の半円の張り出しが車長席にかかるところで寸法的にはみ出してしまうということに.. この部分がはっきり写っている写真が見つからず、いろいろな写真からの類推にはなるのだけど、どうやら直線上にハウジングの張り出しがカットされたような形状になっているようなのだ。
設計的にはどうにも「納まってない」ように見えるのだけど、仕方がなかったのか。

この部分が明瞭に写った写真がもう少し欲しい。細部の取り合いがどうなっているのかディテールが知りたいところ。

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とりあえずプラ板を組み合わせて基本形を作ってみました。WAVEのグレーのプラ板0.5mmを切り出して加工。斜めだったり曲線だったりを組み合わせる必要があったので工作は大変でしたよ。
 
たかが隔壁一枚にこんな複雑な作業が必要だなんて、実際のヘッツァーの生産もなんだかんだ手間がかかってるのね。

# by hn-nh3 | 2019-09-23 19:52 | HETZER | Comments(8)

0.3mmサークル

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0.3mmプラ角棒で直径15mmのリングを作ってみた。

事の発端は前回の記事。ヘッツアーの初期型誘導輪のリブを再現するのに四苦八苦していたら、「プラストラクトの 0.3 x 0.3 Square Rod あたりを爪先でしごいて丸くするなんて方法もいけるかも?」とのアドバイスをセータ☆さんからコメントいただいた。

そうか、円をつくるのにはサークルカッターで切り抜くのにこだわってたけど、プラ材を丸めて円にする方法もあったね。サークルカッターで極細のリングを抜くのが困難を極めた段階で別のアプローチも考えて見るべきでした。

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試しに作ってみたよ。

プラストラクトの0.3mm角棒をしごいて丸めて、円をきれいに保持するための内接円となるジクを透明塩ビ板でつくりました。サークルカッターで塩ビ板から円を切り抜き、土台となるプラ板に両面テープで固定、これにプラ棒を巻きつけて接着剤で固めて塩ビ板を抜けばきれいな円の出来上がり。

塩ビ板はプラスチック用接着剤では溶けないので、それならプラ角材ともども土台のプラ板に貼り付いてしまうことがないので安心ですが、引っ張って抜くためのひっかかりを作ってなかったので脱型には苦労しました。インジェクションキットのパーツに押し出しピンの跡がついてる意味がよくわかります。

円の始点と終点となるプラ棒の継ぎ目は、写真の2〜3の工程で長めに残したプラ棒を始点に重ねてカッターでぴったりに切り落として、流し込み接着剤で継ぎ目を溶かし固めてます。プラ棒の円の始点になる部分はジグから離れることがないように少しきつめにクセをつけておくのがコツ。

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0.3mmプラ角棒を丸めて作ったサークルと、この前、サークルカッターで切り抜いて作った円形リブを並べて比べて見ます。うーん。これは公開処刑ですね。

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サフェーサーを吹いて仕上がり具合を確かめてみます。結果は上々。ベースに固定するための流し込み接着剤がジグに使った塩ビ板の裏側に回りこんで下地を荒らすので、接着剤は使用は少なめにしたほうがきれいにつくれるけど、少なめにしすぎて円周の接着部分が途切れ途切れになってしまっていると脱形時にリングがゆがんだりするので加減が難しい。流し込み接着剤を塗るのは、フタに付属する刷毛ではなく、面相筆で丁寧に塗り込んだほうがいいかも。

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リブを追加したヘッツァー誘導輪にもサフェーサーを吹いて並べてみます。
ん? この配置。どこかで見たことありますね。

最近発表された、iPhone11 Proの3眼レンズのレイアウトに寄せてみたよ。

# by hn-nh3 | 2019-09-15 06:54 | 資料 | Comments(6)
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ワルシャワの蜂起軍に鹵獲されたヘッツァー(Chwat号)はバリケードに利用された数日後に回収、中央郵便局の中庭ゲートまで運んで修理される。その時に撮影された鮮明な映像が残っているおかげで、前後左右、かなりの範囲で細部の特徴を解読することができる。

「解読できる」ということは、模型にもその特徴を盛り込むことも可能....ということになるんですよね。
それでしばらく悩んでいたのが車体後部の誘導輪のディテール。記録フィルムを見ると、Chwat号の誘導輪は外周部にリブがついたタイプなのが確認できます。しかし、それに対してタミヤのキットの誘導輪にリブはついてないのです。

なんでもタミヤがキット化に際してディテールを省略したというのではなく、実際にもリブなしのタイプの事例はあるのでヘッツァーのキットとして間違いではない。Chwat号に使われているリブ付きのものは38t戦車の誘導輪に似た形状だったりするので、おそらくは生産初期に登場した仕様なのか。リブなしタイプはその後に登場した簡易改良型になるのだろうか。このあたりはもう少し事例を見て精査が必要。

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意を決してリブ付きの誘導輪の再現にチャレンジ。サークルカッターで細い輪を切り出す。使ったのは0.14mmのプラペーパー。本当は0.3ミリぐらいのプラ板から切り出してテーパーをつける加工をしたかったのだけど、サークルカッターの刃がプラ板の厚みで軌道がぶれてしまい、きれいな二重円が描けず断念。0.14mmでもわずかに軸ブレが起きたので、カッターで輪の内側を撫でてなるべく均一な輪になるように調整。

サークルカッターは「スーパーパンチコンパス」という製品を使ってます。小さな直径の円もきれいに切り出すことができるので便利なのだけど、さすがに0.5~1mm幅の二重円を切り抜くのは難しい。もっと高精度の円が抜ける道具が欲しい。

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切り抜いたプラペーパーの輪を貼り付けて調整。リブの厚みを0.3mm程度に細くしたかったので、ドリルレースで微妙に細削り。ドリルレースといってもハンドルーターの先につけた誘導輪のリブにカッターをフリーハンドで当てる程度の作業なので、加工精度はこの程度。プラペーパーとパーツの入隅にリキッドタイプのサフェーサーをパテ代わりに塗り込んで、ペーパーがけしてなだらかにリブが盛り上がったような形状に。しかしこうやって拡大してみると工作がまだまだ甘い。

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上部転輪の基部にもディテール追加。初期型の現存車両を観察して、リブを3本、ボルトを5本追加。軸部の形状はキットのような円錐形ではなく実物はラッパ状にすぼまっていく形状になっているのだけど、さすがにそれはスルー。再現したところでほぼ見えないし。

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誘導輪、転輪を装着してみました。転輪はリムのボルトが32本のタイプの初期〜中期型タイプになるので、キットのものをそのまま使用。転輪のリムやゴムの縁の形状は実物ではもっと微妙なニュアンスがあるのだけど、タミヤはあっさりと単純化してきます。ヘッツァーに限らずタミヤは転輪のディテール表現が物足りないと思うことがしばしば。
少し前にドラゴンがヘッツァーの自走砲型のためにリニューアルした転輪はそのあたりの再現度が緻密で、ドラゴンもまだまだ捨てたもんじゃないと思います。転輪のパーツだけ欲しい。

改造した誘導輪はなんとなくリブ付きのタイプに見える、でしょうか。


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結局、ヘッツァーの初期型の特徴をチマチマと再現するのにずいぶん時間を使ってしまいました。

転輪のリーフスプリングサスペンション軸部に開けた軽め穴とか、上部転輪の基部に追加したディテールとか、気にしなければそれまでだけど、やればやっただけの効果が出ているのがわかるでしょうか。
わからないですよね(笑)....自分でもそう思います。

# by hn-nh3 | 2019-09-10 18:40 | HETZER | Comments(8)
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ターレットトラック、京都編つづき。
前回の記事に登場した「BENRYCAR」というロゴのあるターレについての補足。
この写真は2015年8月に撮ったもの。ターレというより、背後に積み上げてあるフォークリフト用の木製パレットが、どんだけ積むの!状態になってるのが面白くて撮った写真ではあるのですが、手前に止めてあるターレットトラックが「「BENRYCAR」の R-2号車。

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京都市中央卸売場にて、2019年8月撮影。(以下同様)
これも「BENRYCAR」で、ボディカラーはパープル。シャーシとバックガードは亜鉛メッキのシルバー色。ホワイトナンバーのR-8号車。

市場内に構内運搬車であるターレットトラックは、前輪の上のエンジンを収容する円筒状のボディが水平回転して方向転換のハンドルも兼ねるユニークな機構を持ち、そのメーカーは、その名前の由来にもなった朝霞製作所の「ターレットトラック」の他に、ニチユの「エレトラック」、関東機械センターの「マイテーカー」、富士重工の「モートラック」などなど。旧築地市場や豊洲市場で走っている車両を調べた限りでは、概ねこのくらい。以前にも記事「ターレについて知ってる20か30の事柄」でレポートしてるので、そちらも参照のこと。

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しかし、京都市中央卸売場では豊洲市場で現在主流のエレトラックなどは少数派で、むしろこの「BENRYCAR」というロゴのあるターレをよく目にします。ボディカラーも個性的でパープルとブラックのツートンの他にオレンジとブルーの車両が多い。写真のホワイトナンバーのR−9号車はシャーシとバックガードが亜鉛メッキのシルバーのタイプですが、バックガードがボディと同じ塗装仕上げで荷台のサイドがイエロー塗装のバージョンも見かけます。

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画像が少し荒れてしまっているのですが、パープルの車両の手前を走っているのも「BENRYCAR」で、ボディカラーはイエローとブルーのツートン。

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しかし、この「BENRYCAR」ですが、どこのメーカーの車両なのか調べようとネット検索しても情報がでてきません。既に生産中止してるのかしら。

検索でピックアップされるいくつかの写真を見ると、大阪の卸売市場でも多数使われている様子。ボディカラーはイエローとブルーのツートンが多そう。しかしそれ以上の情報がなく、想像するに、大阪や京都などの近畿圏でシェアを持ってたメーカーなのか。

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検索していて、ちょっと面白いことに気がついたのですが、写真の中のアルファベットの文字、たとえばターレのボディについているロゴの"BENRYCAR"という文字をGoogleの画像検索はちゃんと識別してるんですね。OCRかけて文字情報を紐付けしているのかしら。


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その他、京都市中央卸売市場で見かけた「車両」
小運搬用の手押車で、木製のシャーシ兼荷台に鋳鉄スポークの車輪を装備。築地でもよく使われていた台車で「小車(こぐるま)」と呼ばれている。「大八車(だいはちぐるま)」を小型化して、市場の狭い通路でも扱いやすくしたというのが、「小車」の名前の由来なのか。ちなみに京都の市場では何と呼ばれているのかは知らない。機会があったら聞いてみよう。

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コンビ台車。かご台車ともコンビテナーとも呼ばれる汎用ワゴン。これは市場に限った車両ではなく、物流現場でよく使われているものです。宅急便屋さんやスーパーのバックヤードでも目にしますね。折りたたみができて、この写真のように重ねて収容可能。軽量で省スペースなのが重宝される理由でしょうか。3台がひとまとまりになって4輪×3の「12輪車」になってる状態が面白くて撮った写真。

このコンビ台車が気になっている人はやはりいるようで。hiranumaさんが1/12スケールで模型再現を企てているらしい。真鍮線をハンダ付けして作るのかしら? 真鍮パイプでヒンジを作って可動式になったりすると楽しそう。

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# by hn-nh3 | 2019-09-05 20:55 | ターレットトラック | Comments(8)
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京都駅から七条通りを西へ2キロほど。平安京の旧朱雀大路の上を走る山陰線の軌道と並行した七条通りから五条通りまでのエリアが京都市中央卸売市場。ここでは東京の豊洲市場ではもう見られなくなってしまった丸いハッドランプのターレーが残っている。確認できているのは2両ほど。場外エリアの「関連11号棟」の入り口付近にいつも停まっている「中央砂糖」号。

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もう1両は少し南側の農協エリアの「桂勘」号。いずれも旧朝霞製作所のターレットトラック。旧築地市場ではターレットトラックはガソリンエンジン車が一般的だったが、京都中央卸売市場に現存するこの2台はバッテリーモーター車のタイプ。

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停車場所を地図で示すと赤い星をつけた場所。いつもこの場所に停まっているので、その店の専用の車両なのだろう。地図は市場のホームページから借用。レイアウトの都合なのか、地図の南北が横方向(左が北、右が南)になっているので要注意。市場の中央を南北に新千本通が貫いているが、市場内の専用通路となっているので一般車両は通過できない。その通路と線路に挟まれた長大なエリアが卸売、仲卸の売り場になっている。

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中はこんな風景。ずらりと仲卸の店舗が並ぶ。買い出し人などプロの業者専用の場所なのでここでは一般の小売はしていない。以前の築地や現在の豊洲市場のように一般客にも開放している訳ではないので、探検は邪魔にならないように空気になって..そおっとそおっと。

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市場を歩いているとやっぱり京都だなと思うのは、魚の品揃え。鯛や甘鯛(ぐじ)、鱧(ハモ)などがずらり。金目鯛は見かけないけど真魚鰹があったり、食文化が東と西では違うのを感じます。
ターレも豊洲で主流の黄色いエレトラックもいるにはいるけど少数派。見つけてすかさず撮ったのが上の写真。

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京都のターレは、意外にカラフル。よく見かけるカラーです。これは「BENRY CAR」 という車種。メーカーはどこなのか資料が見つからず調査中。

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オレンジ。「BENRY CAR」のノーマルカラーと思われます。これもよく見かける。

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ボディ部分のアップ。これも電動車のようですね。「BENRY CAR」でネット検索しても情報が出てこないのですでに存在しないメーカーのものなのかしら。いい情報あったら教えてください。

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グリーン。これはマイティカー、関東機械センター製です。マイティカー自体は旧築地市場でもよく見かけた車種ですが、グリーンボディは見なかったかも。エリアによって色の好みも違うみたい。

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レッド。これはエレトラック。現在、豊洲市場でも主流の車両ですが、豊洲では黄色とグレーのボディが標準ですが、こっちは赤と黒。うーん、京都は派手ね。車両の仕様も納入される市場毎にカスタマイズしているらしく、京都のターレは荷台がチェッカープレートで周囲に折り曲げたチェッカープレート製の縁取りが施されてます。積荷が走行中にずれ落ちないようにする工夫なのでしょう。これはエレトラックに限らず、市場内の他のメーカーの車両でも同様なので京都中央卸売市場の共通仕様のようです。

築地や豊洲市場ではターレの荷台は水産棟ではチェッカープレートではなくゴムシート敷きが一般仕様。市場内の洗浄水に海水を使っていたから耐食性の高いものが求められたのでしょう。京都の市場ではさすがに海から遠いし海水は使わないからチェッカープレートでも十分に耐えられるのかも。

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ブラック。マイティカーですね。前掲のグリーンボディのマイティカーとはモデルが違ってライト周りにリブ付きフェンダーが施されたデザイン。業務用車なのにハンドルは白。カラーリングにこだわりを感じます。

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丸型ヘッドランプのターレットトラック、11号棟に停まる「中央砂糖」号の観察。車両の名前は便宜的に自分でそう言ってるだけなので本当の名前はお店の人に聞いてください。

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ボディを斜め上から。前輪と一緒に回転するボディ。中はガソリンエンジンではなく電動モーターなので、放熱穴は少なめ。ヘッドランプはボディの鉄板とは繋がってないので、ランプの角度を変えられそうな感じがしますね。こんど行ったとき触ってみよう。

だいぶ年季が入っているらしく、塗装も光沢が失われてマットな質感。ヘッドランプの上の「ターレーット」のロゴや注意書きのシールも退色してしまって文字が読み取れなくなってしまってます。円形リングのハンドルを握りながら指で操作できるように小さく作られたシフトレバーが可愛い。

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斜め前から。台形のステップ部分はガソリンエンジン車では全面チェッカープレートで縁も折り返しのついた一体型であったが、このバッテリーモーター車では、チェッカープレートは足元の一部のみ、サイドの踏み板も三角に切った鉄板を溶接しただけのシンプルな仕様で、「簡易生産型」といった風情。運転シートは折りたたみ式。

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チェッカープレート製の荷台。荷台下部にバッテリーを納めているので、中央部は取り外し式の蓋。手掛けのくぼみは前日が雨だったにもかかわらず水は溜まっていない。おそらくは水抜きの穴があるのだろう。

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シャーシ側面。荷台下部のバッテリーボックスが確認できる。密閉式の鉄箱ではなくアングル材で吊り下げた開放性のあるラックになっているようだ。シャーシには中央部に荷台を支持する桁材。荷物を結わえるロープを掛けるフックがついてる。

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ブレーキペダルのディテール。踏み込むとクランク式に後輪を制御するロッドが引っ張られる機構。ちなみにアクセルはボディ上部の円形ハンドルの上のリング。傾けるとスピードが出る形式はメーカーによらず共通。

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荷台後部。周囲に三角に折り曲げたチェッカープレートが溶接してあるのがよくわかる。荷物のずり落ち防止のためのディテール。後端のバルジが寸足らずになっているのはそこから水が抜けるようにするための工夫だろう。小さなフックが溶接してあるのも確認できる。これらは豊洲市場のターレにはない、京都の市場に固有な仕様。

このターレが停まってる11号棟は市場のゲート外側で周囲の街とも繋がっているので気軽に入れる場所。朝早くからやってる食堂や喫茶店などもあります。豊洲みたいに観光化もされておらず市場で働く人に交ざって朝飯を食べるのも乙。ご飯の盛り付けは普通と言っても世間でいう大盛りがデフォルトなので、ご飯は少なめでオーダーしましょう。

写真の撮影は2019年8月14日と31日。

# by hn-nh3 | 2019-09-01 18:53 | ターレットトラック | Comments(4)
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前回に引き続きchwat号の砲身周りの制作。タミヤのヘッツァーのキットは車内の砲尾部分は省略されているため、ハッチからチラ見え程度に再現しようとすると、どこからか使えそうなパーツを探して流用してこないといけない。

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搭載砲は7.5cm Pak39。7.5cm対戦車砲Pak40を車載用に改良したもので、閉鎖機を垂直閉鎖式に改め、駐退機のシリンダーを上部に2本並べた構成。

写真は1944年6月19日、プラハのBMM工場で撮影されたもので右側に搭載前のPak39がずらりと並んでいるのが見えます。
Chwat号も車体ナンバーから6月生産車と推測、この写真の時期に生産されていた車両なので、ひょっとするとどこかに写ってるかもしれませんね。天板のピルツ、車長の小ハッチがが未装備などの特徴は、写真に写っている車両と同じ。

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砲尾を流用するのに使えそうな車両を「地下工場」からひっぱりだしてきました。III号突撃砲G型とⅣ号駆逐戦車L/70(A)。

単純に同じ48口径だからとIII号突撃砲のものが使えるのかとパーツ形状をチェックすると、閉鎖機の上部の角部分がIII号突撃砲G型のキットではアールがついているのに対してヘッツァーの閉鎖機は45度に面を取った角張った形状なので、むしろⅣ号駆逐戦車のものに近い。駐退機のディテールもⅣ号駆逐戦車のものに似ている。

ちなみにIII号突撃砲G型の搭載砲は7.5cm Stuk40というものでⅣ号戦車(長砲身型)用のKwk40を突撃砲に搭載するために照準操作部や駐退機シリンダーの配置を変えたもの。口径こそ同じもののヘッツァーのPak39とは違うタイプ。Ⅳ号駆逐戦車L/70が搭載するのは70口径のPak42。閉鎖機まわりはヘッツァーのPak39と似ているが、ガード部分の形状が直線的であるなどの違いがある。車載形式に同じカルダン枠を採用するなど共通点は多いので、Ⅳ号駆逐戦車のパーツをベースに調整するのが近道。パーツ用にタミヤラング用砲身追加パーツを購入。

閉鎖機まわりはほぼそのまま使って、後退時のガード部分をコーナーを曲面に改修、長さも少し切り詰めるなどしてそれっぽく改造。操作用ハンドルは車外から覗き込んでも見えなさそうなので省略。あくまでハッチから砲尾がチラ見えする程度なので、それらしく見えればOK。
撮影用に出てきてもらったIII号突撃砲G型とⅣ号駆逐戦車L/70(A)は工場に戻します。

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防盾の鋳造表現を改良。前回の作業でテクスチャーづけに使った瞬間接着剤はタミヤのイージーサンディング。粘度が低いこともあって少しガサガサな質感になってしまった。今回はシアノンにベビーパウダーを混ぜて粘度をあげたものを使用。爪楊枝でのの字を描くように塗りつけて、硬化後に軽くサンディングするなどして表面をもったりした感じに調整しました。

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防盾基部、前期型と後期型の揃い踏み。左が今回制作した前期型のタイプ。タミヤの中期型のパーツから改造。右はというと、これは前に購入したプラハのヘッツァーのキット(アカデミー製)から。これもキットのパーツを削り込んだり、エポキシパテを盛ったりと基本形状をだいぶ修正してます。どこをどう直したかはだいぶ前のことなんで忘れちゃいましたが。。プラハのヘッツァーもパーツ撮影した後、また「地下工場」に戻します。

しかしいったい、いくつ未完成キットがあるんだろう。(自分でも謎)

# by hn-nh3 | 2019-08-28 21:01 | HETZER | Comments(4)
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「Chwat」号の製作編その2

前回は、1944年6月生産車の特徴を再現すべく車体足回りの修正。今回は車体上部の修正作業。ベースとしたタミヤのヘッツァーは1944年8−9月頃の中期型の車両のため、初期型にするにはいくつかの変更が必要。

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車体上部についているピルツ(組み立て式クレーンの取付台座)は7月以降の装備になるので、先ずはそれを削り取る(写真の矢印の3箇所)。

車長席は戦闘室レイアウトの関係でエンジンルームに食い込むような位置に設けられてますが、そのハッチは大きな跳ね上げ式。さすがにこれでは不便だったらしく、中期型以降は小ハッチが設けられる(黄色い丸の部分)ことになるのですが、6月生産車では未装備なので、ハッチのモールドを削り落としてハッチの溝をパテ埋め。パテはいつもの「瞬着パテ」(シアノン+ベビーパウダー)。

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「Chwat」号に車長用のハッチが未装備なのは、当時の記録フィルムでも確認できます。8月5日、バリケードから回収する時に撮影されたフィルムより。

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「Chwat」号を正面から捉えた映像。中央郵便局の蜂起軍部隊拠点にて修理して自走できるようになった時に撮影されたときのもの。前面装甲には"Chwat"のマーキング。
車体天板は火炎瓶攻撃の際の火災で外れたのでしょうか。そのままになってます。この特徴は後の作業にて再現する予定。

先ずは初期型の最大の特徴である砲身周りの修正。砲身は先端部にネジが切ってあるタイプ。防盾は側面のエラが削げたような形状。これらはDEFモデルのアフターパーツ(レジン+金属砲身)を利用。車体側のマントレットはキットの中期型のパーツを改造して初期型仕様に仕立てます。

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車体にボルト接合するための「耳」が左右に張り出しているのが初期型の特徴。プラ板をサークルカッターで切り出してピンバイスで穴あけしたものを重ね貼りにして厚みを確保したものを接着。エポキシパテを盛って周囲をなだらかに整形。外周のフランジも初期型は少しスリムに見えるので、実車の写真を参考にアウトラインを修正。

砲耳の部分は周囲がドーナツ状に浅く盛り上がっていて以降のタイプは形状が違っています。一度モールドを削り落としてプラ板をリング状に切り出したものを接着。これは別部品ではなく鋳造で一体で形作られているので、周囲にエポキシパテを盛ってシームレスに再現。

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砲耳部分に埋め込みもマイナスネジは0.5mmプラ棒の小口に筋彫りして再現。ピンバイスに挟んで作業したらセンターもとれて簡単にできました。砲耳の両側にある2つの大きめのネジは砲の吊込用のフックをつけるためのネジ穴のようです。1.0mmのプラ棒を利用して制作。

筋彫りに使ってるのはシモムラアレックのホーリー0.2。これ意外に便利。

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表面に鋳造のテクスチャーをつけます。溶きパテではなく、瞬間接着剤を楊枝で塗り伸ばしながら細かな凹凸を再現。サフェーサーを軽く吹いて形状のチェック。ちょっとカサカサな感じになってるので、もう少し表面を穏やかに調整したほうがよさそう。

とりあえず今日はここまで。

# by hn-nh3 | 2019-08-24 22:47 | HETZER | Comments(8)

京都。8月。七条風景

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毎年この季節は京都に里帰り。

実家の古ぼけた天井を見ると、この家に住んでいた祖母が「戦時中は焼夷弾の火の粉が屋根裏に入らないように、天井板を外してたんだよ」と言っていたのを思い出す。外した天井板を軒下に置いておいたら雨に打たれたもんだからこんなに汚くなってしまったということもよく聞かされた。縁側の下には防空壕が掘ってあったらしい。


京都は原爆の投下目標の候補になっていたため、空襲被害に遭わなかったいうのはよく聞く話ではあるが、全くなかった訳ではなく、馬町空襲、西陣空襲など5回ほど小規模な空襲で100人近い死者は出ていた模様。京都市内の防空体制がどのようなものだったのかは知らないのだが、戦後米軍が撮影した空中写真を見ていて、市中に高射砲陣地らしきものが写っているのを発見。自転車を走らせてその跡地に行ってみた。



場所は、京都駅の西側、七条通りを3キロほど行ったあたり。赤い丸で1の番号をつけたところ。地名でいうと御所ノ内西。

京都にも高射砲台は記録ではいくつかあったようだがその場所ははっきりせず、2の番号をつけた花山天文台の南山麓に砲台があったことがわかっているぐらい。ちなみに「0」をつけた場所が原爆投下予定地であった梅小路の機関車庫(現:京都鉄道博物館


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国土地理院:no.USA-R275-A-7-161

1の場所を戦後米軍が撮影した空中写真。撮影日は昭和21年10月2日。画面中央を横切るのが七条通。七条佐井を西に進んで西高瀬川を超えた辺りの畑地の中に周囲に土塁を持つ円形陣地らしきものがいくつも並ぶのが見える。

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高射砲の砲座と思われる地形を黄色でプロットしてみた。4基の方座が北東方向に向けた扇型のラインに並んでいる。扇の要の部分の点線の丸で囲ったところは指揮所の一部か。

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中部軍高射第三師団関係地・現状等一覧より抜粋
(出典:西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書)

京都に配備されていた高射砲部隊がわかる資料を見ると、独立高射砲第13大隊第1中隊の一小隊が御所之内北に八八式七糎野戦高射砲4門の装備で配置されていた記載があり、この場所の現在の住所は御所ノ内西ではあるが、砲座の数から見てこれと考えて間違いはなさそうだ。

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標準的な陣地の構築パターンを示した図。原典は「高射砲陣地築設要領」
御所内北の陣地に配備された高射砲は4門と数は少ないが、概ねこんな構造だったと想像できる。

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現在の地図(Google Map)に重ねて見る。敷地はケイヨーデイツーというホームセンターになっていて、ちょうど陣地があったあたりに大型の建物が建てられているのがわかる。

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ケイヨーデイツー七条店に到着。かつて、この場所に高射砲陣地があったのか。8月14日、台風が近づいてることもあり雲だけが不穏な気配。地上は至って平常。

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屋上から眺める。ホームセンターの園芸売り場と駐車場。当時の痕跡は結局見つけられなかった。向かい側の巨大な建物はパチンコ屋。どこにでもある郊外の風景。

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側面に回り込んで見るも、当時につながる手がかりはどこにもなかった。ホームセンターで父に頼まれていた買い物をして帰る。この場所は実家から歩いても15分くらいで行けるところなので、終戦時に小学生であった父に、この場所に何かがあったか聞いてみたところ、そのあたりは畑が広がってる場所だったということしか覚えてないそうだ。当時、小学校の低学年であるし、日常の行動範囲の外側だったら、そこに何があるかなんて知らないのが普通だ。ましてや軍事施設である。

空襲が頻繁にあれば、そこに高射砲があるということが子供にもわかってくるのだろうが、京都にはほとんど空襲がなく、配備された高射砲も結局、一度も使われすに終わったのだろう。結局、原爆の投下目標から京都が外され、疎開先で骨折して家に帰ってきていた父は、幸いにも戦火にあわずに終戦を迎える。それから74年。

# by hn-nh3 | 2019-08-17 01:31 | 構造物 | Comments(6)

Berlin,Tokyo

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ラジオから聞こえる玉音放送の一節はテレビドラマや映画の中で何度も繰り返し流されて、誰もが知ってる終戦時の風景として共有されているが、どこか遠くで起きた出来事を受け入れた話のようにも見える。

首都が陥落、全土を武力制圧されるなどの敗北を喫したドイツの場合と違って、地上戦に巻き込まれることなく戦争が終結したことが、戦争の記憶というものに決定的な違いをもたらしているのか。

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米軍による空襲で全国津々浦々が焼け野原になり、広島や長崎で起きた悲劇は語りようもない戦禍であるには違いないが、ベルリンがソ連軍に侵攻されたときの凄まじい「崩壊」のことを知ると、そこに至る前に終わっていてよかったと思うしかない。沖縄の地上戦と同じことが全国いたるところで起きた可能性もあったのだから。

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しかし地上戦の記憶を共有していないから、沖縄の悲劇はベルリンと同じくらい、いつもどこか遠い。
..北京 ベルリン ダブリン リベリア 束になって 輪になって

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1945年5月、ベルリン市街に侵攻するソ連軍の行動を示した地図を現代のベルリンの空間(Google Map)に重ねて、そこで起きていただろう状況をリアルなスケールで想像してみる。

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試みに、同じものを同じ縮尺の東京の地図の上にも重ねてみた。

歴史に「もし」はないけど、1946年3月に計画されていた米軍の本土上陸、首都侵攻は千葉の九十九里と神奈川の湘南の2方面から上陸して挟撃する作戦だったらしいから、東京は概ねこのような状況で兵士やで市民が地上戦に巻き込まれていたのかもしれない。

その時、そこがどんな世界になるのか想像したくもないけど、起こらなかった過去として記憶しておく。

# by hn-nh3 | 2019-08-12 13:11 | 日々 | Comments(11)