断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

<   2017年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

d0360340_19464002.jpg
グリレ改造3cmFLAK製作編 その6。
前回製作した無線機のラックを取り付け。無線機ラックはコの字型のショックアブソーバーを介してフレームにボルトで固定してあるので、Masterclubのレジン製ボルトをフレームに植えてみました。無線機ラックは背板部分に三角の補強板をプラ板で追加工作。フレームの下段には変圧器が2つ納まるようになっていますが、変圧器自体は紛失した設定にしているので、キットの取り付け台座のみ取り付け。残っている配線を銅線で再現。

操縦手席からの無線機用配線は電線管に通線されて通話装置に接続されますが、通話装置がなくなって断線した配線が垂れた状態を再現。最初、銅線がただ垂れ下がった状態にしてみたものの、配線が切れた感じがしなかったので、細い銅線を2本撚り合わせて、先端がほつれた感じにしてみました。縒り合わせた部分には瞬間接着剤を塗って電線の被覆っぽく。
d0360340_20453041.jpg

車内には、無線機の他に砲弾ラックや弾薬ケース、射撃用品など納めるボックスなどさまざまな装備品が装甲板に取り付けられています。

キットでは装備品を接着剤でぺったりと取り付けるように指示してありますが、実際は、ネジ穴を切った正方形の座金を装甲板に溶接して、その座金に装備品をボルト留めする構造。

プラストラクトの細切りプラ板(0.3×0.8mm)を短く切って座金に再現。座金の真ん中にはケガキ針でネジ穴を表現。装備品が失われてしまった部分には座金が露出して見える状態を再現する趣向です。

装備品もチマチマと加工を開始。座金に取り付けるためのステイをプラ板で再現。先端には0.6mmの六角ボルトを取り付け。こんな作業がしばらく続きます。

d0360340_20542233.jpg


by hn-nh3 | 2017-06-28 21:05 | 38(t)系列 | Comments(0)
d0360340_13151881.jpg
グリレ改造3cmFLAK その5
プラハ蜂起の混乱の中で鹵獲されたこの車両。オープントップの戦闘室内部を写した写真は残ってないので、戦闘室内がどうなっていたかは、多分に想像するしかありません。無線機などの貴重品はドサクサで失われて、ラックだけになった状態を再現してみます。

d0360340_15333599.jpg
しかし無線機のラック、意外に複雑な形状をしています。写真はヘッツァーの無線機ラックですが、このパターンはどの車両もほぼ共通。
スケルトンのフレームのサイドにコの字型のショックアブソーバー。サイドのフレームにはサスペンダーみたいなY字型の部品。
キットのパーツは無線機本体と一体モールドなので、くりぬいて使うか、あるいは頑張って自作するか....

モデラー沼に住む女神に相談すると、いらない東欧キットを押し付けられるとの噂もあるし... どうしたものかと思いあぐねてフラフラと秋葉原YSに行ってみれば... あるじゃないですか。
パーツばら売りコーナーに「あの夏のⅡ号戦車F型です ー みほとまほ」の無線機ランナー。しかも200円、まさに天佑。ガルパン特需の恩恵ですね。



d0360340_06234051.jpg

Y字型の先端のフックはさすがに抜けてなかったので、ドリルで穴開け。サイドのアブソーバーも型抜きの都合、コの字になってないので、ドリルで小穴を開けてカッターで穴を広げて形を修正しました。無線機は上下2個、それぞれ4個づつついてるので合計8箇所同じことの繰り返し。あー疲れる。

d0360340_05245788.jpg

さて、そろそろ今日の本題。前回ではグリレの通常型(重歩兵砲搭載型)と弾薬運搬車では戦闘室の前面装甲板のスリット周りの仕様の違いを検証して見ましたが、今回は「弾薬運搬車型には無線機を搭載していたか?」と言う問題です。

写真の上左の車両は弾薬運搬車の試作型、もしくは初期ロット。車内の無線機ラックは判別できないものの、側面装甲板外側にアンテナホルダーが確認できます。そして、上右の写真は、唯一現存する弾薬運搬車。肝心の前面装甲板が失われてしまっているものの、それ意外は非常に保存状態がよく、ほぼ完品と言ってもいいぐらい。

しかし、この車両には無線機ラック、アンテナホルダーがありません。上記のリンクの写真をみると、内部の弾薬ラックには全く欠損はなく、ライフルラックすら残っています。しかしなぜか無線機の関連の部品だけが一式、欠落しています。外れる可能性の少ない配線用の電線管も見当たらず、無線機が壊れて取り外したと言うより、そもそも最初からついていなかった可能性が大。
想像するに、試作車では通常型との互換性を考えて無線機を積んだ仕様にしてあったものの、生産途中で「弾薬運ぶだけなのに無線機いる?」って声が出て弾薬運搬車に無線機は積まないことになったんじゃないかと。

もちろん、これは推測の域を出ない話ですが、そう思わせる手がかりがあります。この現存車両。同じように欠落している部品として、予備照準器を収納する箱など射撃関連の備品を入れる箱もないのです。取り付け位置にネジの受座だけついています。つまり、弾薬運搬車に不要な射撃備品、無線機は装備されていなかった、と。
歩兵砲を積んだ通常型とペアで行動している時は、無線で交信する必要もないだろうし、仮に通常型の車両が壊れて、弾薬運搬車に歩兵砲を積み替えて運用する必要が出たら、その時に無線機も射撃備品も一式積み替えれば事足りる話です。

まあ、こんな瑣末な考証、どうでもいい話なのですが。件のプラハ放棄のグリレ改造FLAK(写真下)は弾薬運搬車を改造したものと言われていますが、写真を見ると無線アンテナのホルダーが確認できます。そして前回検証した戦闘室前面装甲のスリット周りのボルトの存在。それらを合わせて考えると、歩兵砲を積んだ通常型を改造したもののようにも見えます。

とはいえ、弾薬運搬車型でもそうした特徴を備えた初期生産型があったかもしれないし、むしろ、その可能性が大という気もしますが、模型での再現は通常型を改造した車両ということにしてみようかと思っています。つまり模型としての表現は、通常型であればついているスリット周りの防護板を、改造時に外した痕跡としてレッドプライマーの露出、ボルトの取付穴だけになった装甲板、などなど。

無線機ラックの工作。上下のフレームも肉抜きがされてなかったのでカッターで抜いて、中央に補強フレームをプラストラクトの0.3mm×0.8mmで再現。三角の補強板もつけてみました。プラの成型色が黄色いのでなんだかレジンパーツみたい。

しかし手間がかかりましたよ。こんなことになるなら、無線機そのまま残ってる状態の設定にすればよかった。
d0360340_06241001.jpg


by hn-nh3 | 2017-06-24 17:08 | 38(t)系列 | Comments(5)
d0360340_10014439.jpg
Grille改造3cmFLAK製作記その4。
戦闘室前面装甲板の変形を直そうと試みたものの、見事失敗して結局プラ板で新規に作り直すハメになった話はSUMICON BBSではお知らせしていましたが、失敗の備忘録として書き留めておきます。
キットのパーツ。装甲板の薄さを見事に表現してるものの成型時の収縮で少し角度が歪んでました。最初は手で曲げて直そうと思ったものの固くて矯正できず、熱を加えたらなんとかなるかしらと、ヤカンにお湯を沸かして蒸気で蒸してみたら、あらら...歪みが直るどころかさらにひどくなる始末。リカバーしようとさらに加熱したら変な形に縮みはじめました。スチロールは熱を加えると伸びるよりも縮みます。気づいた時には後の祭り。

右にあるのが変形してしまったキットのパーツ。左が新規に製作している途中の部品。0.5mmプラ板にドリルで穴を開けてMasterClubのレジン製リベット0.9ミリを挿しています。このリベット。実写では本当は丸頭の六角ボルトなのだけど、実車のディテール写真を拡大してやっとわかる程度だし、そこまでは..ということで丸頭リベットで代用。
この穴あけ作業の時に気がついたのですが、キットのパーツは中央のスリット部分にはリベット(丸頭ボルト)が表現されていない... これはどういうことかと、少し調べてみました。

d0360340_10230617.jpg
左が15cm重歩兵砲を積んだ標準的なGrilleM型。右が弾薬運搬車。砲架を外して弾薬ラックを増設しています。
重歩兵砲搭載のGrilleMでは砲身が突き出す前面装甲板のスリット部分の側面に防護板がついています。それに対して弾薬運搬車(GrilleM-Mun)では、ラックと干渉しないように防護板を付けない仕様。

d0360340_10344107.jpg
現存車両などで確認すると、この防護板はL型に曲げた部材で前面装甲板とボルト/ナットで繋いでいます。防護板とL型材はリベットで接合されています。メンテナンスなど必要な時に外せるようにしてあるのかと思われます。

ここで不可解に思えるのが弾薬運搬車のこの部分。増設弾薬ラックと干渉するので防護板は不要。しかし、15cm重歩兵砲に積み替えて通常のGrilleMとしても運用できるように計画されたことからすると、防護板が設置できるようにボルト穴が用意されているはず。しかし、写真を見ると内部からはナットの存在が確認できるものの外側にはボルトがあるのかないのかよくわからない感じ。

d0360340_10480617.jpg
弾薬運搬車、中央のスリット下の装甲板どうしをつなぐ部分にはボルトナットが外からも確認可能。しかし、スリット部分は内側にはナットがあるものの外側からはボルト頭はどうみても存在しません。沈頭型のボルトを使用したのか、ボルトそのものがないのか。これらの写真からは判別しかねるところ。

ドラゴンのパーツは弾薬運搬車型として、この部分、外からはボルト無し/内側にはナットあり、というこのよくわからない状態が表現されてます。白箱のキットだし、GrilleMのパーツをそのまま流用して知らんぷりすることもできたのに、わざわざ専用パーツを起こしたところは(完璧ではないけど)グッドジョブ。

文献資料としては非常によくまとまってる”NUTS&BOLTS”のシリーズ vol22.15cm SLG33/2(sf)auf GW 38(t)”Grill"(sdkfz138/1)part1:ausf.m には、詳細なアクソメ図面が掲載されていますが、弾薬運搬車型のこの部分。普通の丸頭ボルトでL型部材を止めて、防護板はつけてない(つまり前面装甲板スリットにL部材だけが留められた)仕様で表現されています。
これはL型部材と防護板がリベット接合であったことを考えると、ちょっと考証に難あり。そのソースも示されていないので、これも結論は出ず。

d0360340_11161372.jpg
さてさて、本題のプラハのGrille改造3cmFLAK。
例のスリット部分のボルトがどうなっているかというと、この写真でもぼんやりとボルト頭らしきものが判別できます。
防護板はついていないので弾薬運搬車タイプの車両なのか、あるいは通常の重歩兵砲搭載タイプの砲架と防護板を取り外したものかは判断に迷うところ。

改造が簡単なのは弾薬運搬車タイプですが、例の防護板用ボルトが先の写真の車両とは仕様が違います。試作車ではボルト無しor沈頭ボルトだったものが、生産型で普通の丸頭ボルトに変更になったのか。単純に考えれば、部品を共通化して互換性を持たせるために、量産型の弾薬運搬車は外側にもボルトが見える仕様になっていたと考えるのが自然な流れに思えます。運用上も貴重な重歩兵砲をわざわざ取り外して改造するより、持て余し気味の弾薬運搬車を活用したと考えるのが自然。

しかし、別な写真を見ると、この車両には量産型の弾薬運搬車タイプとも言い切れない特徴があったりして、標準的な重歩兵砲搭載タイプを改造した可能性も依然として否定できないのです。

(後編に続く)

by hn-nh3 | 2017-06-21 12:49 | 38(t)系列 | Comments(0)

最近のニュースから

d0360340_18483648.png
ちょっと仕事の締め切りに追われてバタバタしているうちに、世の中いろいろと動いてますね。
といっても模型の話題。The Modeling Newsを見ていたら、Canfora PublishingからT-60の資料本が出るとのこと。


MiniArtのT-60の発売を控えてこのタイミング。自分はキリル文字読めないので、頑張れば読める言語でT-60の資料本がでるのは何とも嬉しいニュース。チラ見せの写真のセレクトを見ても、期待度MAX。ああ待ち遠しい。

しかも、シリーズの名前が Red Machines vol.1 とは。これも何だかワクワクします。vol.2とか3は何だろう?
..T-60の工場別バリエーションとかだったら、ちょっと笑う。
d0360340_19230049.jpg

ホビーサーチを見れば、いよいよT-60が掲載。リリースは秋頃かと思っていたら7月中旬には発売されるみたい。それまでに在庫の山を低くしておかないと...


d0360340_19012530.jpg
そこに山が有る限りまた積んでしまうんでしょうけど、MIniArtのソ連戦車兵セットが再リリースされるのも嬉しいニュース。

初期のフィギュア [MA35009]にオマケがついた新パッケージ。このフィギュアは定評あるミニアートのフィギュアのシリーズの中でも屈指の名作。

ボックスアートで損してるけど、箱の中に入ってるのは、こんなナイーブな青年たちではなく、5人の悪い奴ら。とってもいい面構え。プロポーションも秀逸で、これはまた別な機会に取り上げてみたいと思ってます。

ジオラマは作らないから、フィギュアは基本的には必要ないのですが、造形的に面白いのはついつい買ってしまいますね。これもインジェクションの射出圧力が上がったりして、旧キットよりモールドがシャープになってたらもう一度買ってしまうカモ。

d0360340_19013792.jpg
(ボックスアート、作例写真出典 ともにminiart-models.com)


by hn-nh3 | 2017-06-19 19:28 | 日々 | Comments(0)

下仙川 高射砲陣地

d0360340_19380226.jpg
最近は便利ですね。Google Mapが目的地まで何処をどう歩けばいいか教えてくれます。この間、調布の実篤公園の近くに所用で行った時、地図検索のiPhoneの画面に「旧陸軍下仙川高射砲陣地」という違和感のある表示。....ナニコレ?
d0360340_19454312.jpg
そして、その場所。なんてことない風景です。Y字道の辻にはベニカナメモチの生垣と町内会の看板。高射砲陣地は何処?

すかさずGoogle先生に聞くと、その町内会の看板の土台のコンクリートの塊が高射砲の土台の残骸とのこと。
風化してかなり年季の入ったコンクリートの土台。確かに町内会看板の為につくられた形ではなく、元は大きな円形の構造物の一部のようにも見えます。看板の足元はモルタルで補修してあるので、看板の土台として作られたものではなく、先にあった「コンクリートの塊」に穴を開けて看板を立てて、モルタルを充填したものだと推測されます。

しかし、これが元々は高射砲を据えた土台だったなんて、言われないと気づかない。
d0360340_19531591.jpg
高射砲陣地はこの近辺、調布飛行場の防衛用にあちこちにあったらしく、ここの他にもいくつか高射砲の台座のコンクリートが残ってるようです。 

→廃墟探索地図>調布高射砲陣地
→みたか遺跡展示室>大沢の遺跡10
そして、この下仙川高射砲陣地には町内会の看板の土台になってる高射砲台座の残骸と、付近の住宅の庭に弾薬保管庫?のような構造物が残存している模様。→仙川ポータル>下仙川 高射砲陣地跡

このロケーション。かつてここに高射砲が据えられていて、その台座を避けるように戦後、道ができて家が立ち並んだようにも見えますが、調べてみるとどうもそうでもなさそう。Gooの地図で昭和22年、38年の航空写真と重ねられるので変遷をちょっと作ってみました。
d0360340_20151350.jpg
d0360340_20152252.jpg
d0360340_20154244.jpg
d0360340_20155041.jpg
上から昭和22年、昭和38年、そして現在の航空写真と地図。
昭和22年の地図を見ると、6基の陣地が扇型に並んでいるのがわかります。まだ、撤去された高射砲以外はほぼ残存していたらしく、この写真では判別が難しいものの、国土地理院の航空写真サービスでこの場所の他の航空写真(戦後米軍が撮影したもの)を探すと、それぞれの陣地の中心にコンクリート台座らしきものと、残存する弾薬庫らしき構造物も確認できます。図で星をつけたところが町内会の看板位置、小さな四角が弾薬庫と思われる遺構の位置。

d0360340_20262696.png
これは昭和23年の写真。国土地理院の航空写真サービスから。
当時の地形がよく確認できます。台座の周囲に土塁か弾薬庫など構造物で囲まれた6基の高射砲陣地。中央の台形の区画は観測機器を据えた場所、右側の直線上の部分には指揮所があったと思われます。戦後しばらくはこの状態ですが、その後、宅地開発が進んで、昭和31年の写真では上の2基を残して消失、そして前掲の昭和38年には残りもほぼ消失します。

地図を重ねて見ると、町内会の看板は一番上の陣地とも少し位置がずれていて、かつての高射砲のコンクリート台座がそのまま残っている訳ではなく、台座の残骸をそこに移動させたもののようです。おそらくは宅地開発の際に破壊されて小さくなったコンクリートの残骸を、Y字道の角に置いて、車止めに利用したんじゃないかと思います。そして町内会の看板の土台に転用されて..

こことは別な事例ですが、高射砲台座の残存例と構造がよくわかる記事。
これも開発で当初の場所から移設保存されてます。


個人的には、高射砲陣地がどのようなものであったかというよりも、遺構としてその後どのようになったかに興味があって、動かしがたい障害物として、避けるように道が敷かるなど都市計画に影響を与えたとか、簡単に撤去もできず、他の用途に変えて現在も使われているとか、そんなことを想像していたのですが、ブルドーザーなど重機のなかった中世の頃ならいざ知らず、戦後の高度成長にとっては何の障害物でもなかったようです。

高射砲の台座が転用された事例として面白いのは、逗子の披露山公園でしょうか。
巨大なコンクリートの台座がそのままに、花壇や展望台の基礎、猿の檻の中で猿山の裾野に化けています。

→魅了されたもの>披露山公園(小坪高角砲台

そんな訳で下仙川の高射砲陣地は、宅地開発の波にのまれて遺構としては殆どその姿を留めていません。
しかし、台座の一部が町内会の看板の土台に転用されて「地域の役に立っている」と考えれば、僅かに残るコンクリートの残骸が今もその役目を果たしていると言えるかもしれません。
d0360340_04424579.jpg

<追記>
国土地理院:地図・航空写真閲覧サービス

このページで各地の航空写真:戦前に陸軍が撮影したもの、戦後米軍が撮影したもの、地図作成用に撮影された最近のものまで、いろいろと見ることができます。
戦後の開発で見えなくなってしまった元地形を確認したりするのにも便利。


by hn-nh3 | 2017-06-08 05:00 | 構造物 | Comments(5)

THONET no.18 / 14

d0360340_19090349.jpg

d0360340_19094295.jpgちょっと前に発売されたMiniArtのカフェセット[MA35569]を作ってみます。カフェテーブル2台と椅子4脚、コーヒーカップにワインボトルにグラスにビアジョッキ。

お目当はこの椅子。誰しもが一度はカフェで見かけたあの有名な椅子。
THONET(トーネット)社のNo.18。

19世紀末にウィーンの家具職人、ミヒャエル・トーネットが曲木(木を蒸して曲げる)技術で大量生産に成功した椅子のシリーズ。No.18の原型になったNo.14は1859年に発表されて、1930年までに5000万台売れたと言われています。現在も生産されていて、累計で2億脚に達するそうです。さまざまなバリエーションや模造品など、世界中のカフェやレストランなどで現在も使い続けられています。

d0360340_19350138.jpg
d0360340_19252367.jpgウィーンで創業したTHONET社は、ヨーロッパ各地に直営店を作ってます。1860年にブダペスト、1862年にはパリとロンドン、1866年にはベルリン、ハンブルグ、ロッテルダム、ブルノなど。販路と販売台数を考えると、大戦期のヨーロッパでも当たり前のようにあったと思われます。5000万台ですから、ティーガーよりはありふれた存在だったんじゃないかしら。

ミニアートがキット化したのはNo.18と言われるタイプ。No.14の背の部分が変わっった輸出用モデル。ヨーロッパ各地、イギリス、アメリカではむしろこちらのほうが目にするのかもしれません。
No.14の流通がオーストリアとその近郊とすると、ノルマンディのジオラマに登場してもおかしくないのはNo.18。その意味では正しいチョイスと言えます。

No.14は背板が2重のフレームになっているのに対して、No.18は上部でフレームが繋がった形状になっているのが特徴。図版のNo18にある背板と座面をつなぐ補強材のようなもの、サイドプレスはあるものとないものが選べたそうです。
座面もバリエーションがあります。同様に座面の下の円盤のような補強材(ストレッチャー)もリング型、アーチ型、クロス型のバリエーション。

生産工場は、当初はウィーン、1856年にコリッチャヌイ(チェコ)、1860年にビストリッツェ(チェコ)、その他ドイツ、ポーランドと良質な木材を求めて拡大していきます。生産年代、生産工場で、同じシリーズでも形状が変化して、初期は背板上部の丸みが強い感じ。キットのものは上部が直線的で、ビストリッツェ工場生産型をモデル化した可能性があります。このあたりはアンティーク家具のサイトにいろいろ書いてあります。生産工場の違いにこだわったり、どこの世界も一緒ですね..(笑)

いずれにせよ、THONETのNo.18、特にNo.14は、ウィーンやプラハ、ベルリン、ポーランドあたりではポピュラーな椅子だったと思われます。

d0360340_19524373.jpg
キットのNo.18を改造してNo.14も作ってみます。左からNo.18、No.14サイドプレス付き、No.18、No.14サイドプレス無し。
No.14の背板の内側のフレームは0.5mmのプラ丸棒を曲げてつくりました。サイドプレスはNo.18から切り離したフレームの再利用。
しかし、ミニアートのキットは接着面が小さくて作るの大変です。4脚作っただけなのに疲労困憊。

d0360340_20052188.jpg
トーネットのこのシリーズは、クラシックなカフェにもモダンな空間にも合うので使いやすい椅子です。写真は1925年のパリ、アール・デコ展にてフランスの建築家 ル・コルビュジェがエスプリ・ヌーボー館の展示でNo.18を使ったときの写真。

d0360340_20075663.jpg
グリレも工作も進行中。戦闘室の仮組を始めました。

(そんなの最初にやっとけって..)


追記:参考にしたサイト
TONETの椅子の概要 →無銘の椅子.com >THONET資料室 
AIDEC:日本の正規代理店→AIDEC > 名作椅子とAIDEC (生産史とか詳しい)
No.18の詳しい解説とディテール写真 > Denim-furniture.com>THONET no.18
ドイツ・トーネット社の現行生産品のカタログ > THONET wooden chairs

by hn-nh3 | 2017-06-02 20:16 | 資料 | Comments(3)
d0360340_18040151.jpg
製作中のGrille改造FLAK。1945年5月のプラハ蜂起の前後に登場する車両の迷彩が、1944年8月に起きたワルシャワ蜂起でバリケードに使われたChwat号の迷彩と似ているのではないか、とかば◎さんがSUMICONのBBSで指摘していた件。ここでも少し書き留めておきたいと思います。

d0360340_20172120.jpg
Chwat号。ワルシャワ蜂起の際に捕獲され、バリケードに利用されたヘッツァーですが、砲身防盾や耳付きの装甲カバー、マフラーの有孔放熱板などの車体的特徴から1944年5〜6月頃の生産車と推定されます。迷彩は丸い斑点状のユニークなパターンでグリーンの輪郭が細吹きのブラウンで縁取られた構成。

d0360340_18111657.jpgこちらの写真はプラハのグリレ改造FLAK。迷彩パターンはワルシャワのChwat 号のような斑点状ではなく、連続した雲のような形状ですが、グリーンをブラウンで縁取る構成は共通しています。似たパターンは38(t) 戦車系列の車両に見つけることができます。

d0360340_18471337.jpg1945年5月にオランダのユトレヒトで撮影されたMarderlll(M)の後期型の写真です。
溶接構造の車体、軽め穴付きの駆動輪等、プラハのグリレと同じ車体の特徴が見られます。迷彩はイエローベースにグリーンの斑点、ブラウンで囲い込み。と上の2両と共通点が見出せます。

d0360340_20183127.jpg
Marderlll(M)、グリレ、ヘッツァーの生産時期と工場の関係を表にしてみました。
1944年3月から5月。38t戦車系列のこれらの車両がチェコのBMM工場で並行して生産されている時期があるのがわかります。

d0360340_19575690.jpg
1944年8月、それまで現地にて個別に塗装されていた迷彩を、工場で予め行うよう改められ、ヘッツァーにおいてはいわゆるアンブッシュ(光と影)迷彩が施されるようになります。その後もパターンの変遷を経て、最終的にはハードエッジの雲形の3色迷彩が工場塗装にて行われいます。

ヘッツァーCwhat号が生産された時期と推定される44年5〜6月頃は、工場で迷彩塗装を行う通達が出される前の時期にあたります。
しかし、ヘッツァー、マーダーlll、グリレと同じBMMの工場で並行生産された車両に共通項のある迷彩塗装が施されていることを考えると、これは前線で個別に迷彩が施されたものではなく、工場で共通のルールに従って塗装されたものと考えるのが自然です。恐らくは、通達がだされる以前から試験的に工場での迷彩が試みられていたと推測されます。

Chwat号については、必ずしも工場での迷彩とも言い切れない部分が残りますが、グリレやヘッツァーで類似性の高い迷彩を施している事例は他にも確認できます。こうした視点に立つと、それぞれの図柄の違いは、むしろその後の制式パターンに収斂していく際の振れ幅のようにも見えてきます。45年5月にプラハで現れるグリレ改造FLAKの迷彩も44年8月以前の工場迷彩のバリエーションの一つだったのでしょう。

この8月以前の38(t)系迷彩については、どこかの本にさらっと書いてある気もしないではないですが、引き続き追跡してみたいと思います。


1945年の雲形迷彩も少し調べてみたいパターンです。4色迷彩という説もあるみたいだし、それ以上にこの最終パターン、どことなくチェコ併合以前の迷彩パターンを思い出させたりもします。戦争末期に統制が緩んだところで、以外にも文化的な基底面が現れたようにも思えるからです。

同様の事例で、魔改造先生ことアルフレート・ベッカー少佐がフランス中古兵器を改造した車両が配備されたノルマンディの第21戦車師団の迷彩にも同じ匂いを感じたりします。(それもまた機会があれば..)



by hn-nh3 | 2017-06-01 22:02 | 資料 | Comments(7)