断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

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バーミックス救出

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バーミックスのアタッチメントが取れなくなった。原因はモルタルをコネたりパテを練ったりした訳ではない。妻が言うには、かぼちゃのポタージュとか作った後、(マニュアルにはアタッチメントを外して洗うと書いてあったけど大した汚れではなかったので..)アタッチメントをつけたまま洗ってまた使って、ある日マッシュポテトを作ろうとアタッチメントを交換しようとしたら外れなくなってしまっていた...と。

固まったアタッチメントを引っ張っても、電動ドリルのように軸の回転をロックする機構はないから、アタッチメントは軸といっしょにクルクル回るばかり。マニュアル読んでも、こういう場合はセンターに連絡してくださいとしか書いてない。修理に出せばお金もかかるし、もうずいぶん使ったから..そろそろ新しいのに買い換える? と、妻はいつも何か間違ったことを言います。

外れなくなった原因はなんとなく分かります。アタッチメントと軸の隙間に入り込んだ固形物の油分が酸化して固まったんでしょう、たぶん。理由が分かれば解決の方法はあるというもの。サービスセンター送りにしなくても、なんとかなるさ、たぶん。

先ずはお湯を沸かして台所掃除用の強力洗剤を混ぜたら、そこにバーミックスの先端を浸してしばし待機。頃合いを見て、アタッチメントを強く回せば取れるはず。

その時にモーターの軸が空回りしないように何か工具で挟んでおきたいところ。ラジオペンチだと刃先の滑り止めのギザギザが軸を傷つける恐れあり。何かないかしらと工具箱をひっくり返して思いついたのは、エッチングベンダー。真鍮のパーツを曲げたりするのに使う道具ですが、これなら刃先が平らなので軸に傷がつくことはないはず。本来の使い方ではないけど、我ながらいいアイディア。

案の定、アタッチメントは難なく外れました。バーミックス救出作戦大成功。マッシュポテトも作れるようになりました。こういうのは昔から得意だったんだよね。

気分よく後片付けをしていたのも束の間。何だかちょっといやな予感がしてエッチングベンダーを見れば、力をかけて軸を掴んだ時にどうやら刃先が少し開いてしまったみたい。握り締めても刃先が完全に閉じなくなってしまいました。これでは細かいエッチングパーツのホールドが微妙..

( ..そして僕は途方にくれる )




by hn-nh3 | 2017-07-26 19:12 | 日々 | Comments(0)

Nuts!

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こんなの作りました。
旧ソ連の装甲トラクターKPP-40の駆動輪をプラ板でスクラッチ....
ウソです。そんな車両はありません。

で、何を作ったかというと、わかる人はもう分かってると思いますが、模型の台座固定用のナットホルダー。
そういう名前があるのかはわかりませんが、模型の下面内部にナットを仕込んで、台座にネジで固定するためのものです。積層したプラ板ディスクの中にナットが入っていて、これを模型底面に接着します。
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いろいろな方の製作記を見てると、それぞれに工夫してナットを仕込んでますが、この作り方はme20さん(web: me20の戦車工場 )がSUMICONのBBSで紹介されてました。ディスク状に切ったプラ板の中央にナットを置いて周りをプラ角棒で放射状囲んでナットが空回りしないようにする構造。
これは強度も保てそうだし、何より合理的な形状が美しかったので、この方法で作ってみることにしました。

ナットの周りに配置するプラ棒は手持ちのストックにちょうどいいサイズがなかったのでWEVEの0.5mmプラ板を積層して製作。4枚重ねの6個を2セット、なんだかんだ時間かかってしまいました。中心がずれないようにネジをはめたまま接着剤をつけたら、ネジ穴のまわりに接着剤がはみ出してしまいました。中までしっかり接着できてる証拠ということでこれで良しとします。

模型に取り付ける準備として、底面にネジを通すための穴を開ける必要があります。
穴はなるべく小さくなるように3ミリのネジにしてますが、実物と無関係な穴があるとタミヤの昔のモーターライズのキットを思い出してしまったりして、穴を開けるのには少しためらいは残るところ。

しかし、ジオラマ作ったり台座に乗せて品評会に出したりしなくても、塗装後のウェザリングの際に作業用の台に固定しておくと模型をべたべた触らないくていいので、やっぱりこれは必要ですね。

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SUMICONで製作中のグリレ改造FLAKにもつけてみました。裏面のディテールを逃げて前後2箇所。1箇所だと模型がクルクルと空回りして落ち着かないし、回らないように強く閉めるとサスペンション壊れます。
ナットホルダーの固定は見えないところを選んで、接着剤はベタベタと。


by hn-nh3 | 2017-07-21 05:38 | 模型 | Comments(0)

ジグ


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また、つまらないものを買ってしましました.....
グムカの新作レジンキット。ロシアンフィールドキッチン:「ソ連野戦炊事車 PK」です。

ロシアンフィールドキッチンはMiniArtからKP-42がリリースされてますが、それよりもクラシックなスタイルに惹かれて思わずゲット。ちょっと写真日記よろしくインスタグラム風の構図で撮ってみましたよ。

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箱を開けるとこんな感じ。レジンパーツの入った袋とエッチングパーツ。そしてインスト。カラーでわかりやすくて良いです。裏表両面刷りで組み立ての手順毎にカラー写真がついていてとても親切。

ガレージキットの中には、何が入ってるのか何がどうなってるんだか分からないインストもよくありますからね。

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レジンのパーツです。非常にシンプルであっという間に組みあがりそうな構成です。
清潔感のあるディテール。考証云々とかあれこれ追加工作とか言うのは野暮。

鍋の中にはボルシチ?らしきモールド。ここは空の鍋を再現するか情景的に表現するかで賛否は別れるところ。
しかしジオラマ派でなくても、フタ開けて空っぽの鍋が見えるのは少し寂しいから、何か暖かい料理を用意したくなるのも人情です。それなら、今日の献立を考えなくてもいいのはとっても楽ちん。

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キットを完成させるには、MiniArtのFARM CART [MA35542]が必要。
こんなマイナーなアイテム、どこに在庫あるかしらと思いつつ、WAVEのプラ板でも買おうと立ち寄った新宿西口のヨドバシカメラで期せずして発見。
プラモ購入は基本的にお気に入りの模型屋さんでと決めて、量販店では買わないのですが、マイナーアイテムとの出会いは一期一会。レジに直行、即お持ち帰りとなった次第。
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で、早速に検品... モールドは同社のフィギュアと同様のタッチでなかなか繊細。木目表現も雰囲気あります。ただ、車輪のスポーク部分にがっつりパーティングライン入っていて整形には難儀しました。
木製車軸はヒケ防止で成形上の肉抜穴が設けられてます。キット通りに荷台をつけるなら隠れてしまうのですが、フィールドキッチンの台車に使うとその穴は見えるので、WAVEのグレーのプラ板で塞ぎました。同色のプラで塞ぐと、もうどこに穴があったか分からなくなります。

車軸の長さがフレームより少し長くてジョイントの部分の金具がずれた感じに見えたので、金具の付け根で切り離して長さを詰めました。フィールドキッチンを載せるには、フレーム材をいくつか追加自作する必要がありますが、それを始めると本体も作り始めたくなるので、今回はここまで。
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グムカのフィールドキッチンのキットにはこんなパーツが入ってました。
真鍮線を所定の形状に加工するためのジグです。同じ長さで曲げたりするのって意外に難しいから、こういう配慮は嬉しいですね。モデラーの心をよく分ってる。

加工した真鍮線。キットで使うのは2個だけですが、ジグを使うのが楽しくて何個も作ってしまいました。注文あれば、いつでも量産できます。
                     





by hn-nh3 | 2017-07-18 19:16 | 模型 | Comments(0)
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グリレ改造3cmFLAK 製作編その7。
久しぶりの更新ですが、そんなに進んでません。ビールの美味しい季節になったり、高射砲陣地の図面描いたり...

ひとまずチョコチョコと作りためてた部品を配置してみます。
無線機ラック、15cm砲弾ラック、弾薬箱、ライフルラックなどなど。
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砲弾ラックはGriffonModelのアフターパーツを使いました。真鍮のパイプをラックの形にカットしたものが最初から入っているので、とても助かります。砲弾ラックを車体に取り付けるステーはエッチングを丸めたり折ったりの細かい作業。両手にピンセットを持っての加工。車体にセットしてしまうとあまり見えない部分ですが...

ドラゴンのキットには対空自走砲に改装したときに外したという解釈なのか、砲弾ラックのパーツが省かれてます。しかし、実際にはある程度は残っていたようです。

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d0360340_05365261.jpg上の写真の左2つはプラハで撮影されたグリレ改造FLAK。戦闘室の内側の様子がわかるのはこの程度。左上の側面後方から撮ったものは、写真もぼけていて残念ながら、何がどうなってるのかよくわかりません。左下の写真で前面装甲板スリットから砲弾ラックらしき影と弾薬箱の取付用ステーのようなものがあるのがわずかに見えます。

上右の写真は別の車両。これはチェコのピルゼン近郊で撮影された写真。この飛行場に集められた車両群は、Ⅳ号戦車の車体上部を取っ払って8.8cm高射砲をそのまま積んだ変態車両があったりとなかなか賑やかですが、その中にグリレを改造して7.5cm対戦車砲に換装した車両があります。言わばグリレ改造マーダーlll。(放棄車両の写真ばかり掲載している写真集シリーズ:Panzerwrecks15でこの車両を前から見た写真が発掘されています)

この車両を観察すると、戦闘室側壁の上部についてた弾薬箱が取り外されているのが確認できます。弾薬箱のステーは2列のフラットバーに留める構造なのがわかります。これと同じ影が例のグリレ改造FLAKにも見えるので、弾薬箱はステーのみの状態になっていることで間違いはないでしょう。下段の写真は、例のグリレ改造FLAKの別アングルの写真ですが、ここでも弾薬箱ステーと砲弾ラックらしき影。

砲弾ラックはそのままにして弾薬箱は取り外し... この事実が語るのは、やはり対空車両として本格的に改造されたものではなく、急場凌ぎに邪魔になる部分の装備だけ取り外して機関砲を積んだだけの簡易改造。場合によっては元の重歩兵砲に再換装できるように考慮していたかもしれません。
そんな見立てを元に各部の再現を進めていきます。
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戦闘室左側内部は、現存する写真には内部の情報はなく、全くの想像です。見えないということは、わからないということでもあるけど、想像する自由のある領域でもあったりします。無線機本体が抜き取られた空のラックやその横に座金のみ再現した車内通話用のコネクターの痕跡など、この車両が置かれた状況を踏まえたフィクションを部品で表現していきます。

無線機の隣は砲弾ラック。護身用のライフルラックはキットに入っていたエッチングパーツを使用。必要のない射撃用品の箱は、取り去られてラックだけになった状態を表現します。このパーツは真鍮板で自作。紙に描いた展開図をスプレー糊で真鍮板に貼ってハサミでカット。エッチングベンダーで折り曲げます。プラストラクトのプラ板とMasterClubのリベットで取り付けペグを再現。
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無線機横の砲弾ラックの隣の砲手用シート。プラのパーツだと塗装中に破損しそうだったので真鍮で置き換え。
真鍮パイプを立てて、真鍮線のシート支柱を差し込むようにしました。実際もそんな構造になってますが、模型でも外せるようにしておくと奥を塗装するのも楽です。
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戦闘室反対側の砲弾ラックの上に弾薬箱の外れたステーをプラ材で再現。プラ材を小さく切った座金に同じプラ材を薄く削ったフラットバーを渡して、弾薬箱の固定用のビス穴も開けてみました。
戦闘室上部の真鍮パイプは、雨よけシートのポールを立てるためのソケット。これもプラだと破損が目に見えてるので真鍮で置き換え。

真鍮部品の取り付けは、部品の裏に瞬間接着剤で細く切ったプラペーパーを先に貼り付けておいて、プラスチッック用の流し込み接着剤で本体と固定するようにしてます。この方法を前にどなたかのホームページで知ったのですが、プラ用の接着剤で本体に固定できると位置決めも簡単だし、接着後の修正も楽です。瞬間接着剤での一発勝負の作業は心臓にも悪いですし。

by hn-nh3 | 2017-07-14 05:06 | 38(t)系列 | Comments(0)
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昭和33年(1958)年にオープンした逗子の披露山公園の風景。
(写真出典:「写真アルバム 鎌倉・逗子・葉山の昭和」いき出版)

逗子の披露山公園の話の続編。戦前の高射砲陣地の遺構が現在も残っているというのも驚きでしたが、戦争の記憶からいちばん遠くてもよさそうな公園の施設に軍用施設の構造物を利用しているのがとても不思議でした。3つの台座は花壇、猿の檻、展望台にと姿を変えてはいるものの、確かにそこに何かが存在した、という形をしています。猿の檻に至っては、痕跡どころか、ほぼ完全な状態。

一体どういう経緯で公園が作られたのかとか、公園施設であるなら何らかの記録があるのではと、逗子の市立図書館にも寄ってみました。郷土資料コーナーにはめぼしいものがなく、見つかったのは公園オープン時の写真。
未来的な展望台の形から70年台頃かと想像していたら、もっと古くて50年代の終わり、昭和33年でした。

戦前にコンクリートの台座が作られたのはその15年ほど前。「もはや戦後ではない」という言葉が語られたのは2年前の1956年。建設資材も重機もまだ貴重だった時代にそれほど古くなってない台座をわざわざ壊して全く新しいものを造るよりは、使えるものは使って市民の憩いの場を作った、ということなのかもしれません。
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配置図。右は公園の案内板、左は公園のレストハウスに貼ってあった都市計画地図。
こうやって地形を見ると、張り出した細長い尾根の上に作られたことがわかります。地形に沿って丸い砲座を並べ、尾根への入り口には(現在はレストハウスになっている)指揮所を置いて... 守備には向いた地形、なんだか山城のような配置。
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花壇、展望台、猿の檻、と丸い公園施設が等間隔で並んでいます。写真のいちばん手前に写っている花壇は、オープン当時は植栽もまばらだったようですが、現在はこんもりと常緑の低木を中心とした茂みに成長しています。その周囲を堀のように水草が浮く池で縁取っています。この池、話によると子供たちのザリガニ釣りの場になっている(かばぶのかば◎さん談)とのこと。
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高射砲座と花壇の関係を見るために、図面に起こしてみました。地中に埋まっているだろう台座の形は現在も確認できる猿の檻から推定。直径12mの円錐型のコンクリート土留めの外周に沿って池の縁石が並んでいます。池に恐る恐る手を突っ込んでみたら..ビンゴ。池の縁は垂直ではなく斜めになっているのが確かめられました。ちょっとぬるぬるするけど水の中に当時の遺構が沈んでます。そのままどこまで続いているのか手を伸ばしたかったのですが、カミツキガメとかいたら怖いのでやめました。だから池の深さは推測です。

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円錐型の砲座の底の丸いラインが花壇の縁になっていると思われます。そこからコンクリートを立ち上げ、池の水が漏れないようにして、巨大な植木鉢よろしく大きな丸い花壇を作ったのでしょう。台座の底面は中央の高射砲を据えるベース以外は土だったと思われるので、ちょうど植木鉢の水抜き穴のように、そのまま使ったのではと推測します。

周囲が池になっているのは、砲座のコンクリートの斜面で水が遮られるので、草花を植えるより池にするほうが都合がよかったのでしょう。公園の花壇にこういった類型は少なく、確実に砲座の構造が庭園デザインに影響を与えてます。

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猿の檻は、それこそ台座そのものに鉄のカゴをかぶせただけの構成。中央には水のたまった浅い池。ときどき猿が水を飲んでます。そのとなりに溶岩を積んだ猿山。円錐型のコンクリートの壁は猿を観察しやすく猿も駆けあがれるくらいの傾斜。
斜面の8つの横穴は猿の隠れ家みたいだけど、元は弾薬保管庫だった穴。猿を飼うための施設としてもよくできています。まさか敗戦後の使い道を想像していたとは思わないけど、他の使い方が考えられないくらい自然。

d0360340_15525936.jpg底の部分にコンクリートが全面に敷かれてるのは、戦前にはなかった仕様。周囲に排水の側溝が設けられています。中央には檻の構造柱のための基礎をとりまくように池がありますが、よく考えたら変な配置。中央に池がある必要もないと思うし、錆びやすい鉄の柱をわざわざ池の上に立てるのも、どこか不自然。

そういえば、隣町の鎌倉にある神奈川県立美術美術館に鉄の柱を池に浮かぶ柱の上に立てているデザインがあったけど、あれは 昭和26年(1951)だから、ひょっとしたら影響を受けたのかもしれないけど、ともかく池を中央に配置するのが都合がいい理由がそこにあったようにも思います。

たぶん、高射砲を据える台座コンクリートがそこにあったのが理由でしょう。それが元々どんな形状で、猿の池にどう利用されたのか、檻の外からは遠くて確かめようもないのですが。わからないことは猿に聞け... か。

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この公園の白眉はやはり、空に浮いたようなデザインの展望台でしょう。現在では不可能な薄さ(14cm)の円板状の床が空中に浮いたようになってます。中央のコンクリート円柱から跳ね出した軽快な構造体。屋根も同じように中央から円板状に張り出して、周囲には構造的な柱がでないように作られてます。GoogleMapで空から見ると、屋根は中央部に向かってくぼんでいるようです。通常の屋根のように周囲に向かって低くなって軒樋で水を受けるのではなく、その逆で中央部で雨を集めて、外周部には風景を遮る雨樋がでてこないように設計されているのがわかります。

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展望台には風景を遮る壁や柱は無く、周囲には細い手摺の支柱だけ。この日は靄がかかって富士山は見えなかったけど、江ノ島ぐらいまでは見えました。
建設当時の写真を見ると、現在とは少し違って透明なガラスかアクリル板でがあったようにも見えます。地上部も何かの施設があったのか...展望喫茶とかそんなのだったのかしら。

展望デッキの薄い床の構造はどうなっているのか、下から見上げたら、中央の円柱から腕のように梁を突き出して、階段を囲むように曲線梁を設けて床を支えてました。薄く軽くみせるための工夫で気の利いたデザイン。

1950年代って、戦後の復興で大した建物とかなかったように思うけど、神奈川県立美術美術館の他にも横浜の神奈川県立音楽堂ができたのは昭和29年(1954)とか、戦後モダンデザインの傑作がいくつも作られてた時代。この展望台もそんなムーブメントの中で誕生したと想像しますが、詳細は不明。これはもう少し調べてみたいところ。

話を戻して、展望台と高射砲座遺構との関係。展望台の地上部を横の方に回り込んでいくと、展望台周囲の空間が円形に周囲の地面から45cmほど下がって、その段差部分が斜めになっています。円錐型の斜面の勾配は2:3。 そこにかつての砲座のコンクリート擁壁が埋まってます。この窪んだ部分は現在のウッドデッキの下まで続いてたことも、ちょっと前の写真を検索して確かめることができました。

戦前の陣地のコンクリートは鉄筋は使わず、土圧を避けて斜めの構造にしたと思われます。しかし新たに展望台、それもこんなアクロバティックな構造物を作るのに際しては、さすがに鉄筋なしの基礎という訳にもいかず砲座を基礎として転用するのは諦めて、砲座の窪みをゼリーの型のように利用して新しいコンクリートを流し込み、展望台の基礎を作ったと想像します。

しかし、新しいコンクリートをなんで周囲より低い位置で止めたのかは謎。むしろ周りより高くしてより眺めが良くなるようにとか考えそうなものだけど、何かこれには理由があったのでしょうね。今となってはわからないけど。

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図面をPDFにてダウンロードできるようにDropBoxリンク貼っておきます。
展望台とか猿の檻のジオラマとか作ってみたい人は、DLしてご利用あれ。
小坪 高角砲台その後(花壇)_170707.pdf
小坪 高角砲台その後(猿の檻)_170707.pdf
小坪 高角砲台その後(展望台)_170707.pdf




by hn-nh3 | 2017-07-07 17:30 | 構造物 | Comments(9)
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先週、久しぶりに逗子。用事もそこそこに、ちょこっと大きく寄り道して山の上の披露山公園へ。今まで何度も近くを通っていたというのに、ちょっと小高い尾根の上にあるため素通りしてたのは不覚。

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SF的なフォルムの展望台があったり、孔雀や家禽類の小屋とか猿の檻とか、公園としても古きよき時代の名残を残していい感じなのですが、湘南の海を望む高台にあるこの公園、戦前の高射砲陣地の遺構を利用したものらしい。聞けば、園内にある直径12mの円形の花壇、猿の檻、展望台は12.7cm高角砲の砲座を利用してつくられたものなのだとか。

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国土地理院の航空写真、戦後すぐに米軍によって撮られたものと、現在の比較。この前の記事で使った写真よりもう少し形がよくわかるものがあったので、差し替えてみました。花壇、展望台、猿の檻が、3基の円形砲座の上に作られていることがはっきりとわかります。影の形から地面が丸く掘り込まれたトレンチ状の構造物であったこと、現在、展望台となっている部分には丸い砲座の穴に隣接して小さな丸い構造物が2つ確認できます。機銃座でもあったのでしょうか。

この陣地がいつ作られて、どのような装備があったのか、
このサイトに詳しく書かれています。→ 高射砲陣地と防空砲台>小坪防空高角砲台

昭和17年に3基の12.7cm連装高角砲を予定して陣地が作られたものの、配備予定の砲が巡洋艦高雄に回されてしまって、しばらくは探照灯と測距儀のみの状態だったようです。結局配備された砲は2基、残るもう一つの砲座には測距儀や高射機(軌道計算をするもの)などが据えられて観測所として使われていたようです。
上記サイトによると昭和20年8月の終戦時の装備は以下の模様。
*12.7cm連装高角砲2基、弾596発、95式陸用高射器1、ステレオ式4.5m高角測距儀1、96式150cm探照灯2基、25mm連装機銃2基、弾5395発。

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公園の猿の檻を覗き込むと基壇部は円錐型をした半地下状のコンクリート構造物。砲座がほぼそのまま残ってるのを見ることができます。檻の寸法から推測して深さは1.8m前後。現在はサルの隠れ家になっている8つの窪みはおそらく弾薬の仮置所。下に降りる階段も当時からのものか。

d0360340_12174443.jpgネットで見つけた写真(出典:大津島高角砲台遺構)。館山の高角砲陣地の写真と思われますが、まさに同様の構造物。半地下の砲座に連装高角砲。側面に四角い小さな横穴があるのも同じ。砲座の周りには掘った土を利用したのか、低い土塁も写ってます。小坪の砲台陣地にも土塁らしきものがあったことは、前掲の航空写真で判読できますが、現在は公園として整地されたので土塁の痕跡は消失。

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ちょっと図面を起こしてみました。直径12mという寸法は公園にあった看板の解説から。ざっくり計測した寸法とも一致します。深さや細部寸法は猿の檻の外からの目視推定。砲座の中央には高角砲を据えるためのコンクリート台座があったはずですが、現状確認できず。89式12.7cm連装高角砲をアバウトに配置してみました。この型式の高角砲が配備されていたのかは資料不足で推定です。

画像ではサイズ感がわからないと思うのでPDFでダウンロードできるようにDropBoxのリンク貼っておきます。

小坪高角砲台_170701.pdf

A3サイズ、100%でプリントすると1/72の縮尺、飛行機のプラモなどで大きさの比較ができます。
50%縮小でプリントすると1/144になるので、ガンプラと並べるならこのサイズ。
A4(72%)で出力するとほぼ1/100。


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展望台の足元にも砲座の痕跡らしき構造物。円錐型のコンクリート擁壁の上部が展望台の基礎の周囲に露出しています。高角砲の台座と気がつかなければちょっと変わった展望台の基礎の段差という感じで風景に溶け込んでいるものの、表面が荒れたコンクリートは周囲とは明らかに違う表情。

台座を埋めて作ったと思われる花壇は植え込みの周りをぐるりと細い池で囲まれた、砲台の形が由来のユニークなデザイン。
戦後に公園施設として作られた猿の檻、展望台、花壇に、3基の高角砲台座がどのように化けたかは、次回でまた詳しく。
(つづく)
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by hn-nh3 | 2017-07-01 14:59 | 構造物 | Comments(2)