断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

<   2017年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

プラハ 1945.5

d0360340_11454852.jpg
買ってしまいました。プラハ蜂起軍が使用した車両の写真集。
"Prahou pod pancirem povstalcu Ceske kvetnove povstani ve fotografii "

d0360340_11492470.jpg1945年5月、連合軍を相手に崩壊していくドイツ軍に対して、プラハ市民が反旗をあげた5月5日〜9日までの抵抗戦。蜂起軍が使用したドイツ軍からの鹵獲車両や呼応して寝返ったROA(自由ロシア軍)の車両、はたまた工場から引っ張り出してきた未完成の戦車(HETZER)など、こんなものまでという雑多な車両の写真を集めた本です。2010年 既刊本。

製作中のグリレ改造3cmFLAKも、ネットの写真の多くはこの本がソースと思われます。3cm MK103をベルゲヘッツァーに搭載した車両もこの本が原典。さすがにネットで未だ見たことのない驚愕のカットがわんさか載ってるとは思わないものの、何か別の車両を写した写真の片隅に探しているものが写ってたりする可能性はあるかなと、気になってました。

蜂起軍が使用した未完成ヘッツァーのことを以前に調べていてこの本があることを知ったものの、国内では既に売り切れ。

しかしやっぱり気になって、チェコの通販サイトから取り寄せられるのかしらどうかしらと思案したりしてる時にPanzerbookさんに何気に問い合わせてみたら、1冊残ってるとのこと。聞いてみるものですね。

24cm×17cm B5版を一回り小さくしたくらいのサイズ。215ページ、厚みでいうと1.5cm 。撮影のため、インスタグラム風に片手で持ってみたらずっしり重くて親指の爪が白んでますね。
d0360340_12452289.jpg
目次です。見事にチェコ語です。英語対訳は本文、キャプション共にありません。私、チェコ語はさっぱりなので何が書いてあるのかわかりません。蜂起軍の編成表とかあったりする ..らしいのですが、眼に映る全てのものはフルヘッヘンド。

掲載車両とかこの本のデーターはPanzerBook.comの紹介ページに詳しいのでそちらを参照のこと> 1945年5月 プラハ蜂起

d0360340_13125641.jpg
写真集のパートは見開きに大きく1枚から2枚の構成。ネットではトリミングされてた写真も周囲の背景まで写っていて当時の状況がよくわかります。ヘッツァーに関してはドイツ軍からの鹵獲、寝返りROA、「未完成ヘッツァー」など含めて写真100枚も掲載されてて圧巻です。

d0360340_13301261.jpg
今回のお目当、グリレ改造3cm FLAK。ばっちり写ってます。予想どうり「ネット未掲載」の目ぼしいカットは残ってなかったものの、ヘッツァーの隣にちょこんといるのが写ってたりとか、いくつか新しいアングルの写真を発見。

d0360340_13384409.jpg
変態車両の写真もあります。有名なパンツァーベルファー改造MG151/20 ドリリンク搭載車。全ての写真には出典が明示されているので、気になる人はプラハの公文書館とかで記載の写真番号を手がかりに他のカットを探したりとかもできそうです。

d0360340_13440496.jpg
フランス軍からドイツ軍が鹵獲して使ってたAMR35をさらに蜂起軍が鹵獲したもの。砲身がないオチキスH39なんてのも登場。戦線後方ではこんな中古品戦車も結構残ってたんですかね。当時のフィルムにもAMR35が走り回ってる映像が残ってて見てると結構かわいいです。1/35のキットは出てないものかしら。

d0360340_15401357.jpg
本の紙質はマットな半光沢で上品な仕上がり。だけど写真の印刷には少し不向きなのか、別の本にも載ってるものと見比べても元の写真のポテンシャルを十分には引き出せてない感じはあります。
比べるには酷ですが、Panzerwrecksを並べてみると、デジタルエンハンスをかけて光沢紙にプリントした高精細の写真画質には遠く及ばないところで、写真の再現度という点では少し残念かな。

ヘッツァー・シュタールがさりげなく写ってますね。左上の写真。

とは言え、この本をスキャンしてネットで流通している写真では潰れて見えなかったディテールもここでは十分に解像度があがって読み取れるし、この本の価値は実際、そこではないのだとも思う。

d0360340_14333678.jpg
ネットなどで断片的にバラバラで見かけていた写真が一つの本にまとまっていて、撮影日が特定され、前後の文脈が(チェコ語わからなくても)読み取れる写真は、画質云々以上に語りかけてくるものがあります。

by hn-nh3 | 2017-08-27 18:03 | 資料 | Comments(4)

Baumaffe ( 3cm-MK103 ) part2

d0360340_14512827.jpg
前回の記事の続き。と言うか補足。
3cm MK103 Baumaffe の図面を1/35で作ったので、参考までにアップしておきます。記事下に図面のJPG画像とPDFのダウンロードリンクをつけておきます。

図面をダウンロードしておくと上の写真のベルゲヘッツァーに搭載したタイプを作る時に役に立つかもしれません。サンダーモデルからベルゲヘッツァーがリリースされてますから、時期的には旬です。MK103本体はドラゴンのクーゲルブリッツから流用できます。ただし、砲尾をちょこっと改造する必要あるけどね。

d0360340_15033118.jpgBaumaffeの砲架は2タイプ。Bの切り欠き角度が大きいタイプは、グリレ自走砲とベルゲヘッツアー戦車回収車に搭載されるなど、1945年5月のプラハ蜂起の際の写真でも確認できます。

Aのタイプのものが写真に撮られた時期は不明ですが、いかにも記録写真風でプロトタイプを撮影したようにも思えます。A→Bという時系列で考えるのが良さそうで、何となくBの方がスタイルとしても完成形に近い気がします。

左側面につく弾薬箱は箱の側面に7個の丸い点(穴)が写真では確認できます。しかしこれが何かは不明。何か類例はないかと探したFLAK38の砲架にMK103を積んだタイプの弾薬箱ではこの丸い点々は確認できず。砲架への取付方法など、ディテールも含めてもう少し調べてみたいところ。

d0360340_17161938.jpg
Baumaffeの制作は一進一退。解像度の高い写真が見つかって判明したディテールを少し反映。スクラッチのディテールアップ..
砲耳の軸は、砲架のプレートに穴を開けて通しているのではなく、端部に乗っかったような納まりになっているので、一度開けた穴を塞いで修正。砲耳の軸はピンバイスで穴を開けた1mmプラ棒をセット。
揺架は完全に作り直し。プラ板で箱を組んで、ヤスリで削って下部のテーパーを表現。先端に銃身固定用の小さなレバーハンドルを0.4mmプラ棒で再現。

MK103の銃身パーツはドラゴンのキットからの流用ですが、細部に追加工作。航空機への固定用ペグが再現されてなかったのでプラ板に穴を開けて加工したものを取付。ガスシリンダーのロッドが一体成形になっていたのを削り取って真鍮棒に置き換え。その他、金型の抜きの関係で省略された側面のディテールを少し追加。

d0360340_17245561.jpg
図面 クリックで拡大
PDF図面のDLはこちらから > 3cmMK103 baumaffe 170823.pdf




by hn-nh3 | 2017-08-25 17:41 | 資料 | Comments(0)

Baumaffe ( 3cm-MK103 )

d0360340_05583778.jpg
Grille改造 3cmFLAK 制作記スピンオフ。
切株砲こと、3cm-MK103 auf Baumstumpf "Baumaffe"の考証メモ。

航空機搭載用に開発されたMK103。口径30mm 銃身長1200mm 重量145kg、発射速度はHE弾-380/分 AP弾-420/分。ベルト式給弾、電気発火式。ラインメタルーボルジッヒ社製。(概要はWikipedia: MK103機関砲 より)

d0360340_06244621.jpg
大戦後半、威力不足になった20mm 対空砲FLAK38に替わるものして、航空機用機銃を転用した対空機関砲がいくつか作られてます。有名どころではMG151を3連装にした「MG151ドリリンク」
MK103をFLAK38の砲架に搭載して単装3cm対空機関砲としたのが「3cmFLAK38/103 Jaboschreck」
以前にドラゴンでキット化(DR6353)

大戦末期にMK103を連装の密閉型砲塔に搭載してⅣ号戦車車体に載せた「クーゲルブリッツ」がドラゴンからリニューアルキットとしてリリース、と聞いてMK103も新金型になるかと密かに期待してたのですが、公開されたインストを見る限り、どうもMK103のパーツはDR6353からの流用。
事前に公開された新金型の砲塔内部CGでは高解像度の新パーツらしいMK103の砲尾がチラリと見えていたのですが。.....設計はしたものの金型発注の段階で、「DR6353のもそんなに変じゃないから使っチャイナヨ!」なんて上司の声があったのかしら.... ちょっとがっかり。(て、まあ本体じゃなくてそのパーツが欲しかっただけなんですけど)

20mmFLAK38より大威力、3.7cm FLAK36/37(80発/分)より連射速度の大きいMK103に簡易な砲架を用意したのが、上の写真の 3cm-MK103 auf Baumstumpf "Baumaffe" (写真出典は”Waffen Revue 093”:ネットであちこちに転がってる写真の元ソースと思われる)

陣地に木杭を打って簡単に設置可能で、このパターンは小口径の機銃でも採用されてます。MK103の簡易砲架タイプの写真は少なく、この他に(グリレやベルゲヘッツアーに積んでる不鮮明なものを除いて)確認できるのは3枚。

d0360340_10491056.jpg
写真出典は不明。ミシリンのディスカッションボードか何かで前に見たと記憶。写真の部分拡大と注釈を加えました。


d0360340_09420192.jpgディテールの検証がてら、Illustratorでトレースしてみました。(画像 クリックで拡大)
写真を眺めるだけでなく、線を自分で引いてみると解ってきますね。影に潰れて見えない細部など、想像で補った部分もあります。特に肩あてリングの基部がどうなっているのかは写真で判読できず、後記する考察をベースに推定復元。

揺架下、シールドの前方にある細いパイプ(1)は方向操作用のハンドルと思われます。MG151ドリリンクにも同様の握手があるので、位置的にもそれで間違いはなさそう。

パイプの途中についてる小さな金具。ここに何かあるとすれば引き金ですが、機関砲本体とのメカニカルなリンクもないので、おそらく電気発火式のコード付き引き金スイッチを取付るためのペグと推測。

シールドの照準穴前方の三角の突起物(2)は照準器の取付用台座か。ただしこのバルジがないタイプもあったようで、詳細は不明。ひょっとすると取り外し可能だったのかもしれない。基部にライン(2)はバルジの取付基部の可能性もあり。

シールドの照準穴は丸いタイプと下にスリットが入った鍵穴のようなタイプ(3)があった模様。グリレ自走砲改造車に搭載のものは鍵穴タイプの可能性あり。

シールドの左側(給弾ケース側)には切り欠き(4)あり。機関砲のメンテナンスのためと推測。シールドと本体(揺架)の固定方法は不明。右側に2箇所のボルトらしき影(5)を確認できる。

プレートを曲げ加工した砲架には、片側のみ俯仰操作用のスプリングアーム。砲架の形状に複数のパターンがあったらしく、Waffen Revue 093掲載の写真では砲架前部の切り欠きが約45度であるのに対して、別の3枚組写真のものではもっと浅い(6)形状。グリレやベルゲヘッツアーに搭載されたのは、切り欠き角度が浅いタイプ。
d0360340_11295147.jpg
という訳で、誰も注目していないMK103 Baumaffe に詳しくなってきたのですが、どうにも解けなかった問題があります。この3cm MK103 機関砲。給弾部分の上面が開くようになっているのは通常の機関銃と同様。これに加えて銃尾部分もパカンと開くようになっている、みたいです。

d0360340_11421132.jpg図面画像の出典はココ。機関部後面が開くようになっています。

で、これが何か問題かと言うと、Baumaffeの簡易砲架に搭載する場合、この蓋がシールドに干渉しないようにシールドに穴を開ける必要が出てきます。

写真にも切り欠き(4)が写っていて、おそらくは点検蓋の干渉を避けるための工夫。しかし問題はそれで解決ではなく、肩当てリングとの干渉も解消する必要あり。これを図にしてみたのが以下。

d0360340_12005364.jpg機関砲を淡いブルー。蓋を水色、シールドを濃いピンク、肩当てリングを淡いピンクに色分けしてみました。横から見た図(上)と上から見た図(下)。

蓋が干渉しないようにシールドを切り欠く必要があるのは一目瞭然。しかし肩当てリングがどうやって干渉を回避しているのかは、トレースの下敷きにした写真では影になっていて判読不能。

見る限りは、シールドの切り欠きから直接機関砲後面の蓋が見えてる訳でもなさそうで、なんらかの塞ぎ板があるようにも思えます。仮に塞ぎ板があるとして、それがどう開くのか。切り欠きの上部にある横長の棒状ものがヒンジにも思えますが、当時、こういう箇所にロングヒンジを使っている類例は無し。

それで着目したのがシールドの右端、肩当てリングの基部の横にあるヒンジ。ここに可動する水平のバーがあって、二つの肩当てリングは水平バーで連結されてるのでは?と推測。塞ぎ板もそのバーと連動して開く仕組みになっているのではないかと。

d0360340_13082595.jpgこんな感じ。右サイドのヒンジが回転して、肩当てリングと塞ぎ板が一緒にパカーンと開いて、機関砲後部にアクセスできるようになっている。という解釈。

そう思って改めて写真を観察。下の写真のシールドの切り欠き部の向こうに、肩当てリングと一緒に開きかけた塞ぎ板があるようにも見えます。

d0360340_13390930.jpg
と、まあこんな感じで、盆休みに考えてたことを書き留めておきます。
結論を出すには未だ情報が不足していて、せめてあと一枚、別アングルからの鮮明な写真が出てくれば解決。とは思うものの、新たな写真が見つかったら見つかったで、また別の謎に直面するんでしょうね。

たかがBaumaffe、そこに切り株がある限り。

by hn-nh3 | 2017-08-23 14:30 | 資料 | Comments(0)

船岡山に登る

d0360340_17364564.jpg

d0360340_07254325.jpg
盆の京都。朝の大徳寺界隈の散歩ついでに、船岡山に登ってみる。山といっても標高112m、外周1.3kmの小高い丘で、周辺との標高差は45m、「登山口」のある北側からだと30mくらいか。右の写真は北大路通りを挟んで大徳寺側から見た船岡山遠景。山全体は公園として整備されていて、中腹の広場では近所の人が朝のラジオ体操してました。

d0360340_07355290.jpg
観光的に何がある訳ではないけど、一度は登ってみたいと思っていた理由がこれ。地図は現在の京都の地図に平安京の条坊のグリットを重ねたものですが、南北5.2km、東西4.5kmの平安京の中心を南北に貫いて大内裏に至る道が朱雀大路。その軸を北に伸ばした位置にあるのが船岡山。都の中心軸の真北にあるこの山はその昔、平安京造営の際のベンチマーク(測量基準点)になったと言われています。

d0360340_11312250.jpgd0360340_11312941.jpg船岡山の山頂。樹木を植えるにしては大き過ぎる奇妙な円形構造物。
むむ... これは⁉︎ と、最近調べていた戦時中の高射砲陣地のことが頭をよぎります。丸い台座を見つけると、つい反応してしまいますが、船岡山に高射砲陣地があったという話は聞かないので、その可能性はなさそう。
 
山の麓の建勲神社にある船岡山の地図を見ると、この辺りに猿の檻があったと書いてあります。公園で猿を飼うのが流行ったことがあったのかしら?

山頂広場の隣の平地に別の丸い構造物。中央の石杭と周囲に自然石を埋め込んだ物体は明治26年設置の地図測量用の三角点。山や公園で時々目にしますが、その性格上、安定した地盤で見通しがよい所に据えられてます。平安京の造営基準点だったこの山に、近代になって再び基準点が設置されたのも、むべなるかな。

d0360340_11352297.jpg
そして本題。この三角点の後ろに何やら奇妙な構造物。庇のついた円柱に人がかろうじて一人入れるくらいの四角い下屋が付属しています。中は側面両側に小さな高窓、中央正面の壁の下部に小さな開口。円柱側の室内壁面には錆びた金属製の函体。
d0360340_11355023.jpg
これは何?と再び、船岡山の地図を調べて見ると「サイレン塔」と書いてあります。
現地には何の説明書きもなく、ネットを検索すると、戦時中には空襲警報、戦後は時報を鳴らしていたと言う記述が見つかります。このサイレン塔に関するそれ以上の情報は出てこないので詳しい来歴は不明。

塔のデザインから想像すると、おそらく戦前に建てられたもの。シンプルで機能的なフォルム。曲線を取り入れた水平のラインを強調した建築デザインは、旧逓信(郵便・電話)建築などでもよく見ることができます。このサイレン塔も、おそらく昭和初期。1930~40年代に作られたものではないかと想像します。


d0360340_11362091.jpg
d0360340_11365047.jpg三角点の広場の端の斜面には、岩盤の露頭があります。石の種類はおそらくチャート。京都盆地が地殻変動で形成された時の痕跡か。

この巨大な岩。古代の磐座だったのでは... こういう場所は、石を御神体に見立てて神社があったりするのですが、しかし船岡山にはそういったものが見当たりません。山麓の織田信長を祀った建勲神社は、明治期に建てられたもの。それ以前に何故、神社が建てられなかったのか理由がありそうですが、話が脱線するのでこれは宿題。

この霊力を感じさせる巨石の露頭。位置と大きさから想像するに、平安京造営時に都の中心軸を決めたベンチマークそのものだったのではないかと想像します。

山腹には幾筋もの人工的な溝。道でも排水溝でもなく、等高線に沿った切り通しのような地形。これはアレですね。中世の山城とかにある空堀建勲神社(横堀)でしょう。建勲神社の境内に堀切の跡も残っているようです。この山、砦を作るにはうってつけのサイズ。室町時代、応仁の乱の時に西軍の陣が付近に敷かれ、この山も砦が築かれたとのこと。
ちなみに、西陣織で有名な西陣という町の名前は、応仁の乱の時に山名宗全率いる西軍の陣が置かれたことが地名の由来だとか。

d0360340_11372040.jpg
そして現在。船岡山からの眺め。8月14日早朝。

MEMO:平安京の地図を現代に重ねられるサイト。
 ※記事で使用した地図はこのサイトのものに加筆

by hn-nh3 | 2017-08-16 17:25 | 構造物 | Comments(4)

東京 1945

d0360340_18215475.jpg

東京。江戸川区小岩にあった高射砲陣地を戦後、米軍が撮影。1945年10月11日。
砲座は前の記事で取り上げた逗子の小坪砲台(現 披露山公園)のような半地下タイプのものとは違って、コンクリート擁壁を地上に作って、周囲に盛り土をして土塁を構築する方式。

d0360340_18222267.jpg都市部の高射砲陣地は、この土塁タイプが多い。山の上に作る陣地と違って、水はけの問題など半地下にするよりは有利だったからか。

配備されたのは、シールド付きの12cm単装高角砲だろうか。測距儀、高射算定機、サーチライトなどの装備が克明に記録されていて、場所が特定できる資料としては貴重な写真。

写真出典は共に、「米軍が見た 東京1945 秋」 佐藤洋一 洋泉社 2015

この写真の他にも陣地の遠景や、低空からの空撮写真も掲載されています。あえてこの写真を前回とは別の記事として取り上げたのは、この写真だけ引用するに留めるのは、あまりにも勿体ない本というのが理由。

戦後米軍が撮影した写真で、戦災状況を記録した航空写真は国土地理院のアーカイブにもなっていて有名ですが、東京の街を低空、地上から克明に記録していたことはあまり知られてないようです。200点あまりの写真集といった体裁のこの本。たぶん、名著だと思う。

d0360340_09082273.jpg

A5版 223ページ 2400円(税別)。1ページに1枚の写真の彼方に見えるのは、1945年 秋の東京。間違いなく「買い」です。
驚くことにほぼ全ての写真。どこを撮ったものかを特定してます。以下、写真は全てこの本から。
d0360340_19150542.jpg
浅草橋付近。厩橋上空から東を見たもの。見渡す限りの焼け野原の中に幸運にも焼け残った場所がくっきりと違う色。地図との併記で現在の場所がイメージできます。
d0360340_19225045.jpg
d0360340_19233517.jpg
d0360340_19252260.jpg
地上の風景。山手線のガードが見えるのは終戦直後の新橋。建物跡の瓦礫の隙間に畑が作られてます。
丸の内には防空用のカモフラージュ塗装が施されたビル(写真は国鉄本社ビル)。実際にどのくらいの迷彩効果があったのかは疑問ですが、重要施設には偽装が施されていたらしく、国会議事堂も偽装してます。隠そうとしても、バレバレという気もするけど。

話を本の内容に戻して、全ての写真は撮影日時を明記、特定された撮影場所を地図にプロット。巻末のインデックスには米軍が撮影した写真のレコードナンバーも記載。収められた写真を見ると、空襲の効果を確かめるために撮った街の風景だけでなく、軍需工場や捕虜収容所、さらには防空壕のバリエーション、防火用水に至るまで、詳細に米軍が記録していたことがわかります。

d0360340_19582012.jpg

d0360340_20004398.jpg
中島飛行機武蔵製作所、東工場の焼け落ちた屋根。右の写真は、立川飛行場、エンジン試験棟と思われる構造物。

立川飛行場の工場施設はフェンスの内側のゾーンに隔離されて近年まで残ってましたね。
...もう時効だから言うけど、夜中にフェンスを壊して侵入して遊んでました。暗闇に散乱するのは粉々に割れたガラス。骨組みだけになって星空が見える屋根。米軍の管理下になって壁にオーバーペイントされたステンシルのナンバー...
昨日、前の道を通ったら、すっかり何もかもなくなってました。真夜中にくぐり抜けた錆びたフェンスも。






by hn-nh3 | 2017-08-12 09:35 | 構造物 | Comments(0)
d0360340_07572439.jpg

逗子の海を望む高台にある披露山公園が戦前は高射砲陣地だったこと、戦後に公園と整備したときに残っていたコンクリートの砲座を公園施設(花壇、展望台、猿舎)に活用したこと、その現地リポートと考察を前に書いたが、その後いろいろと情報が寄せられ、前の記事内容も少し修正が必要になってきたので、改めて気になってたことも含めて書き留めておきたい。

いつもコメントをいただいているかば◎さんが、披露山公園(小坪砲台)と横須賀の砲台山の遺構をリサーチしているので、詳しくはそちらを確認されたし。

d0360340_08171051.jpg
そこから解ってきたことは、披露山(小坪砲台)の公園猿舎のコンクリートサークルと床は砲座の構造物がほぼそのまま転用されたと考えて間違いないこと、三浦半島にある砲台山の遺構とは基本構造が同じ、ということ。

かば◎さんが飼育員に聞いた話として、猿舎の側壁に設置された小檻の奥には大きな穴があって、隣接するニッチの倍ぐらいの奥行きがある、ということを指摘。これは、砲台山などの類例から待避所の跡だったと推測。ニッチは即応弾用の弾薬保管場所だったと考えられ、合計8箇所あったらしい。階段脇の1つは埋められたらしく、現在確認できるのは7箇所。

床面の待避スペースに相対する位置に、円環状の金具が3〜4箇所。砲台山の遺構にも同様の痕跡が残っていることから、おそらくこれも当初からのものと考えて間違いなさそう。このことから猿舎の床も戦前の砲台の遺構を活用したものと推測。床面の構造は砲台山のものとは少し異なるものの、床の全面にコンクリートを敷設した様子は館山の砲台に類似。ニッチの天井の入隅や開口出隅のディテールにも違いがあって、砲台ごとのバリエーションがあったと考えられます。

d0360340_09074170.jpg
猿舎の小檻の奥に残存する待避スペースについての考察と妄想。

参考資料として類例の写真を引用(館山の砲台写真:原典不詳、佐世保・弓張岳の砲台遺構:洗鱗荘ブログ>弓張岳高射砲陣地、横須賀・砲台山の遺構:鯛の尻尾をうばいとれ>砲台山、小坪の空中写真は国土地理院のアーカイブより)

類似の遺構(館山、佐世保弓張岳、横須賀砲台山)を見ると、兵員の待避スペースは天井のない塹壕状の半地下空間で砲座の円形のコンクリート側壁よりも周囲に張り出した構造。奥行きは弾薬保管庫の2倍程とのことなので、規模的には一致。披露山公園の小坪砲台の待避スペースも露天の窪みであった可能性もあるが、現状は上部もコンクリートで覆われた横穴になってます。戦後米軍が撮影した空中写真に目を凝らすと、露天の階段が現在の猿舎と花壇の砲座でそれとなく確認できます。しかし待避スペースらしき窪みの影は確認できず、これはやはり他の砲台とは違って、小坪砲台は地下に隠された横穴状の空間だったのではないかと。

右の写真。小坪砲台の航空写真に砲座の階段と待避スペース位置を復元してみます。
一番下の現在は猿舎の砲座。階段、待避スペース位置は現在も確認可能。現展望台の真ん中の砲座(実際は射撃観測所として使用)の階段と待避スペースは全くの推定。展望台階段の前のステージが何らかの地下構造物を埋めた痕跡ではないかと想像。一番上の現在は花壇となっている砲座は、空中写真の影から階段位置を推定。待避スペース入り口を写真の影からなんとなく想定。もっともこの推理は、不鮮明な写真の影から幽霊を探す作業以上のものではないことを断っておきます。

配置復元図の中に、ちょっと試しに待避スペース(黄色部分)を結ぶ点線(青)を描いてみました。ここからは全く憶測の域を出ない話ですが、「3箇所の砲座待避所を結ぶように連絡用の地下トンネルが存在した」..かも、かも、というイメージが3箇所の待避所の位置関係から浮かび上がってきます。

トンネルがあったという推理は想像の域を出るものではないものの、全く根拠のない話ではありません。それを示唆するのが、佐世保と横須賀砲台山の待避スペースの写真。奥の壁にトンネルの出入口があったような痕跡がそれぞれあります。ひとつは穴を埋めた痕跡、もうひとつはトンネルが崩れた土の穴。実際、他の事例ではトンネルや塹壕など砲座を結ぶ連絡通路が設けられてたという記述もあったりします。

小坪砲台の場合、高射砲を据えたのは花壇部分と現猿舎の砲座2基。中央の現展望台の砲座には測距儀(おそらく高射機も)を据えて観測所として利用していたと言われています。観測所の測距儀と高射機は各砲座と電気的に接続して、敵機の予測進路を電気信号で送り砲弾にセットする時限信管を調整していたようです。電線を地面に転がしただけだと誰かが足をひっかけて転んだり、切れたりするかもしれないから、当然のことながら埋設していたはずで、その埋設溝をかねて砲座をつなぐ地下連絡通路を作った可能性もあります。...実際、小檻の奥の穴の底に何があるかは、猿に聞いてみるのが早いかも。

床の円環金具が何のためのものかは、あれこれ想像するものの、これもまた推測の域を出ない話。例えば、射撃時に自動排出され薬莢がすこーんと飛んで転がって待避スペースの兵員に当たったりしないように防護ネットを張るためのもの。あるいは夜間の天幕用テント支柱。可能性がいちばん高いのは、時限信管の調整器と観測所からの電線を据え付けるためのもの。

d0360340_11272495.jpg
アップデートした図面です。待避所推定位置、謎の床の金具など追記してあります。
PDF図面をダウンロードできるDropBoxのリンク:→小坪 高角砲台_170811.pdf

各地にあった対空防衛用の高角砲台が実際どんな姿だったのかはその頃の機密情報だったりして当時の写真を目にすることは殆どなく、戦後に米軍が記録した写真の中にいくつかは確認できます。東京の小岩にあった防空陣地の写真を見つけたので、それを紹介しようと思ったのですが、記事が少し長くなってきたので、それは次回に譲り、ひとまず逗子の小坪砲台で話をまとめます。

d0360340_13302756.jpg
逗子の披露山公園:昭和33年開園当初の展望台遠景
(写真出典:「写真アルバム 鎌倉・逗子・葉山の昭和」いき出版)

d0360340_13354666.jpg
上は市立図書館で見つけた写真集の中から、開園当初の写真。周囲に樹木もまだ少なく、かなり開けた場所になっていたようです。円形の展望台のデザインも、基礎周りの砲座構造の影響を受けたことは想像に難くないものの、ぐるりと周囲を見渡せる場所であったことが決定的な理由だったかも知れません。戦前、防空陣地を構築した時に射撃の障害にならないよう伐採した可能性もあります。いずれにせよ、鬱蒼とした森に囲まれた現在の姿とはずいぶん違ったものだったのでしょう。

展望台既存部に露出する砲座の円形側壁。周囲から少し窪んだ形で残されていることの意味が読み取れないと前の記事で描いたら、近郊にお住まいの mitch さんから貴重なコメントをいただきました。
--
開園当初の外周リング状半分近い海側部分は現在のようにコンクリートで埋められておらず、
半地下状の ’ 小動物舎 ’ でした。
その後現在の動物舎が作られ、コンクリートで埋めらた。
更に数年前に、ウッドデッキも設置されました。
--
なるほど、今の猿舎と同じように半地下の砲座の構造が家禽類を飼育する囲いとして活用されていた、という話。展望機能と関係のない砲座の形が残された理由がわかりました。その後、新しい動物舎が花壇の脇に作られたとき、不要となった砲座の窪みはコンクリートで埋められるものの、手すりの支柱の足元の高さの関係で期せずして現状45cmほど窪んだ状態になってしまったのでしょうか。

前の記事に掲載した猿舎などの図面で少し修正が必要なものはあらためて、またアップします。

by hn-nh3 | 2017-08-11 14:10 | 構造物 | Comments(4)
d0360340_09113455.jpg
グリレ改造FLAK制作記、その9。
車体の工作に目処がついたところで、いよいよ搭載する3cm機関砲の工作を開始。
1945年5月のプラハ蜂起の頃に市街戦の拠点防衛用に改造されたものと思われ、通常装備の15cm重歩兵砲を外して3cm機関砲を搭載したこの車両、確認できる写真では1両のみ。

応急改造は他にも行われていたようで、同様の機関砲をベルゲヘッツァーに搭載したり、2cm高射砲FLAK38をベルゲヘッツアーに搭載した車両も近郊で発見されています。プラハには、グリレやヘッツァーを生産していたBMMの工場があるので、修理などで回送されてきた車両を利用して、簡易改造の車両をあれこれ作ったんじゃないかと推測してます。

d0360340_23123909.jpg右の写真。航空機搭載用に開発されたMK-103・3cm機関砲に簡易な砲架をつけて対空砲として利用したものでしょうか。しかし資料が乏しく確認できる写真も他に数枚。地面に木の杭を立てて装着使用するのか。3cm-MK103 auf Baumstumpf " baumaffe” と言うキャプションがついてますが正式名称かは不明。言わば自走砲ならぬ「切り株砲」とも言う代物。

ドラゴンの白箱キットは3cm MK103を2cm FLAK38用の砲架に積んだものを搭載する解釈ですが、写真を見る限りは間違い。この簡易砲架の「切り株砲」を搭載していると思われます。
d0360340_23301975.jpg
わかりやすいように、切り株砲のパーツを色分けしてみました。砲架は黄色、シールドは青、肩当てのリングは赤。こうして見ると、グリレ改造FLAKはこの簡易砲架のMK103を搭載していたと考えて間違いはないでしょう。もっとも砲架周りが戦闘室装甲板の隙間からかろうじて見えるだけなので、砲架の脚部がどうなっているかは不明。さすがに木杭を立てて装着していることはないと思いますが。

ドラゴンの白箱の考証違いの件は、これまでにも海外のサイトでも指摘されていて、何方のサイトだったかは失念しましたが、このような色分け分析を行ってましたが、今はそのサイトもなくなっているようです。何れにしても、グリレ改造FLAKと切り株砲共に資料が乏しく詳細は不明、と言うのが今のところの結論。求む情報!
d0360340_09122202.jpg
この「切り株砲」を自作します。キットの考証違いもあって、使える部品はMK103の銃身機関部と弾薬マガジンのみ。砲架とシールドはプラ板から自作。肩当ては別キットのパーツを流用します。

作業に先立ち簡単な図面を作成。Photoshopで写真の遠近や歪みを補正したものを下敷きにCADで作図。これを元にグレーのプラ板を加工。白いプラ板を使ったほうが自作パーツっぽいのですが、グレーの方が形状の把握がしやすいので、やっぱりグレーのプラ板を選んでしまいます。丁寧に手の痕跡を残さないように作るほど、こんなパーツが用意されていたみたいに見えてしまうのが難点。

このMK103 簡易砲架バージョンは、レジンキットもあるみたいで、制作にはそちらも参照。ただし、そのキットも上掲の写真からの推測に依っているのか、解釈には疑問の残るところもあるのであくまで参考程度。

d0360340_08092049.jpg
砲架のパーツの加工をしていて気がつきました。グリレに搭載していたもの(写真左上)と参考にしている「切り株砲」の写真(写真左下)では、砲架側板の前部の斜めの切欠き角度に違いが。
はたと気になって他の事例を確かめてみると、ベルゲヘッツァーに搭載しているもの(写真右上)は側板切り欠きの斜めの角度が大きくて、グリレに搭載している砲架も、むしろこれに近いように思われます。別の切り株砲(写真右下)も切り欠き角度が大きいタイプ。どうやら簡易砲架にもいくつかのバージョンがある模様。

グリレに搭載されていたのはベルゲヘッツァー改造車に搭載していた傾斜角度の大きいタイプと推測します。
このサイトによると、チェコ共和国軍(蜂起軍)には2両の3cm機関砲搭載車の登録があったようで、グリレ改造車はその一両。もう一両は、確証はないものの、このベルゲヘッツァー改造車ではないかと。

そんなこんなで加工中のパーツの切り欠き角度修正。同じく自作した揺架と真鍮線の軸でつないで可動するようにしてみました。砲架下の水平回転軸は写真の影になんとなく見えるシルエットと上記のレジンキットからの推測。肩当ては他キットから流用しました。AFVクラブのBussingNag 4.5tトラックに1.5cm3連装機関砲(ドリリンク)を搭載したキットに入っていたレジンパーツを複製。

d0360340_10340591.jpg
複製は、100円ショップでも売ってる「おゆまる」で型取り。UVレジンで複製しました。本当はシリコン型とレジンで複製した方が精度はいいのでしょうが、この程度の形状ならこれで十分。

ちなみに「おゆまる」と、UVレジン、紫外線ランプは娘がデコレーション遊びに使いたいと言うので前に買ってあげたものを借用しました。
紫外線ランプは、清原 スーパーレジンUVクリスタルランプ9W こういうものは二つ返事で買ってあげる良き父親です。(ただし模型製作に利用可能な物に限る)

「切り株砲」の部品が揃ってきました。しかし、シールドや肩当ての取り付き部のディテールがいまひとつ不明で、写真に目を凝らしたり、ネットで資料探し回ったり。どこかで見切をつけて、えいやで作るしかないのですが.. (続く)

by hn-nh3 | 2017-08-08 08:57 | 38(t)系列 | Comments(0)
d0360340_17443477.jpg
8月始まる。グリレ改造FLAKの制作もいよいよ佳境。って、ここまでくるのに何ヶ月かかってるんだって感じですが、仕方ありません。お尻に火がつかないとエンジンかからないタイプなもんで。外では蝉の声。

とはいえ、盆前にはある程度の形にはしておきたいので、細部の工作もそこそこに、これまで作った部品、戦闘室の側壁を組んでいきます。オープントップの車両は、この辺りの作業が一番楽しいですね。
華奢なシルエットに細々とした部品類。重戦車にはない魅力があって、こんなのばっかり作ってる気が..

こういう車両の場合、工作と並行して塗装しながら組んでいくのが定石ですが、戦闘室側壁に成型時の歪みなのか嵌合の設計がうまくいってないのかで、ピタっとは決まらないところが多くて、無理やり接着しながら組む必要がありました。接着剤ベタベタ、隙間埋めのためには塗装は後に回した方がいいと判断しました。
塗装はちょっと面倒くさいことになりそう。

d0360340_17561467.jpg
細部の工作あれこれ。スキーのストックのようなパーツは雨天時のシートを張るためのマスト。キットにはプラで用意はされてましたが、こういうのは作業中に絶対に折る自信があるので、真鍮棒で置き換えました。先端は少し直径が小さくなってるので、真鍮線をピンバイスに挟んで、簡易なドリルレースの要領で先端をヤスリで細く加工。ポンチで撃ち抜いたプラ板に穴を開けて先端に装着。

d0360340_18042869.jpg
戦闘室内には護身用のMP40短機関銃のラック。再現車両の設定が放棄鹵獲車両なので、当然にMP40は紛失して空のラックのみ再現。プラストラクトのプラ材を2列のL型に組んで、ホルダーの部品をキットのパーツから削ぎとって移植。

プラストラクトのプラ材は秋葉原のラジオ会館のボークスで購入。よくみんな使ってるけど、どこで売ってるのかしらと思ってたら、なんだこんなところにあったのですね。そしてまた大散財..

d0360340_18170720.jpg
せっかく買ったプラストラクトのプラ材でいろいろと細かい細工。そこにディテールがあるから作るのか、材料があるから作るのか。

ミッドシップのエンジングリルから車体後部に伸びる排気管は実車では途中に継ぎ手があって、バンドで差し込み口を固定しているようなので、これを再現。

d0360340_18245925.jpg
運転席周りのインパネも作ってみました。操縦主クラッペの直下にあってから出入りのハッチからもよく見えるのでそれらしく再現。メーター類はポンチで抜いたプラペーパーをパネルに貼って、ピンバイスで中央に穴を開けて、丸ヤスリでグリグリ穴を大きくしてメーター周りのリムを表現してみました。

d0360340_18350478.jpg
ようやくここまできました。この次は最大の山場。MK103 3cm機関砲の簡易砲架のスクラッチが待ってます。




by hn-nh3 | 2017-08-02 18:41 | 38(t)系列 | Comments(4)