断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

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一円陣地

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カンヌでグランプリ(パルムドール)を受賞して話題になってる是枝裕和監督の映画「万引家族」はまだ見に行ってないのですが、その映画に出演していて、前から気になっていた安藤サクラ主演の映画「百円の恋」をツタヤで借りてきて遅ればせながら見る。
... 32歳のニートの主人公(安藤サクラ)と彼氏(新井浩文)のダメ女、ダメ男っぷり、そしてボクシングに目覚めて変わっていく主人公のかっこよさといったら。しびれましたね。

そんなDVDを観たり散歩したりで模型制作はなんとなく停滞気味。KV−1も手を動かしてはいるけど....その話は次回ぐらいかな。

100円ショップのレジ脇にはついで買いを誘うスナック菓子があったりするけど、秋葉原YSのレジで振り返ると、艦船用のカスタムパーツが壁から下がっていて手持ち無沙汰にこっちを眺めていたりするんですよね。

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自分、艦船ものには手をださないようにしてるので、その誘いには乗らない。...はずだったのですが、レジ待ちでふと見たら、なんだか聞き覚えのある高射砲の名前。八九式12.7cm高角砲。

大戦中の戦艦や駆逐艦などに搭載されていたものですが、地上の高射砲陣地にも配備された高射砲だったりします。

もっとも、都内の陣地ではスペックの低い八八式7.5cm高射砲がメインで小岩の陣地には12.7cm砲があったけど単装タイプ。この連装の八九式12.7cm高角砲は、近郊では前に記事にした小坪(逗子披露山)砲台など、横須賀軍港のような重要拠点の周囲に限定的に配備されたと想像します。

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守備範囲外の艦船模型でしたが、このファインモールドの1/700の高射砲のキットだけは、そんなことを理由にわが家に配備されてしまったのです。しかしパーツの細かいこと。ナノ・ドレッドと銘打ったこのシリーズはスチロール樹脂にABSを配合して強度を高めたとかで驚異的な細かいモールドを実現していて、1/35 AFVモデラーには眩暈を覚えるばかり。一箱に4セット入り。

組み立ては両手にピンセットを持って外科医になった気分で悪戦苦闘、パーツを飛ばすなどのアクシデントを乗り越えてなんとかひとつ完成。こんなことを軽々と100回繰り返せる艦船モデラーを尊敬しますね。
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とても小さな高射砲モデル。写真に撮っても小さい。

前に描いた小坪砲台の図面を1/700に縮小してプリントした紙の上に試しに配備してみました。1/700スケールの八九式12.7cm高角砲の陣地の完成。
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直径12mの円形の砲座も1/700スケールに変換すると直径1.7cm。プラ板をサークルカッターで切り出して積層するなどして、コンクリートのすり鉢状の半地下構造を再現したいところでしたが、その小ささにちょっと心が折れました。
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比較のために隣に一円玉。硬貨の直径は2cmだからそれより小さい。

吹けば飛ぶ紙の上に構築された一円陣地はつかの間。身捨つるほどの祖国はありや。
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by hn-nh3 | 2018-06-17 06:18 | 構造物 | Comments(4)

青戸(白鳥)高射砲陣地

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昨年から追跡中の高射砲陣地の跡地サーベイ続編。今回は都内、葛飾区 白鳥三丁目にあった青戸(白鳥)高射砲陣地。

自分の把握している範囲では都下(多摩地区、島嶼部除く)の高射砲陣地は二十数箇所。しかしその殆どは遺構を留めることなく、北の丸公園、白鳥、調布、下仙川に高射砲台座の一部が残るのみ。その中でも白鳥の遺構は街と一体化しているものとしてユニーク。図の赤く色をつけたところがそれ。

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月極駐車場の中に残る高射砲の台座。ターンテーブルのようにも見えるけど、戦前と終戦後に撮られた空中写真でこの位置に高射砲陣地があったことが確認できるので、それと考えて間違いはないと思われます。

d0360340_18514754.jpg測ってみると、円の直径は4.5m。中央にアスファルトが充填されている8角形の穴。穴の周りには9cm幅の縁取りがあることを見ると先に縁取りをつくってコンクリートを流し込んで8角形の穴をつくったと推測。他の事例から、そこに高射砲を固定するボルトが埋め込まれた構造物があったと想像できます。

周囲のコンクリートの一部に9×18cmの長方形の穴があるのが確認できるものの、これが何かは不明。当時からのものだとすれば高射算定器(軌跡計測用の計算機)からの信号ケーブルの取出し管があった可能性あり。

遺構から得られる情報は限られることからディテールの考察はこのくらいに留め、陣地全景を見てみます。

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1944年(昭和19年)11月3日 陸軍撮影の空中写真。不鮮明ではあるものの、扇型に配置された6基の陣地が3組。写真右上の円形に整地された場所は電波標定機(レーダー)サイトと思われます。

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1949年(昭和24年)9月7日 米軍撮影。高射砲陣地の形状がはっきりと確認できます。それぞれの陣地には円形の台座の周囲に3個のボックス状の構造物が配置されてます。即応弾の保管庫と推測。扇型に配置された円陣の扇の要の部分には高射算定具を置く観測所があるのが基本的なパターンで、昭和19年の写真ではおぼろげながら確認できるものの、戦後の写真では既に消失。右上の円形のスペースも消えてしまってます。

しかし、さすがに高射砲本体は撤去されているものの、台座と弾薬庫がほぼそのままの風景が戦後4年経っても残っていたということには少し驚かされます。空中写真はともに国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより。

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陣地を青で表記、現代の地図(黄色)を重ねてみます。道路など街の構造が変わってないので、位置の同定は難しくない作業。

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現在の地図(ゼンリン住宅地図)と戦前の高射砲陣地の関係。

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図の上が北。6基×3組。合計18基の高射砲座は北東方向に向かって展開しているのは、東京全体とこの陣地(赤いフラッグの位置)との関係を見ると明らか。房総半島を大きく迂回して東京都心部に北東方向から侵入しようとする敵機に備えた陣形。

Wikipediaの青戸の項によると昭和20年2月の応戦時にB29の1機に損害を与えたとの記述。もっともその命中弾は、この南側の地区を受け持つ小岩篠崎の陣地からとの説もあるとのこと。このときの空戦で葛飾区役所が全焼したそうで、3月の東京大空襲の少し前の出来事ですね。

近年の映画「この世界の片隅に」を見た人も多いと思います。あれは広島の呉での話でしたが、来襲する敵機に応戦する高射砲の弾幕がどこの陣地から発射されたのかを識別できるように着色弾になっていて空に絵の具を散らしたような雲ができる、というシーンがありました。そうした弾を使わない限り、また夜間の応戦などではどこの陣地の戦果かという識別はなかなか難しかったようですね。

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撮影場所は不詳とのことですが、戦後米軍が撮影した高射砲陣地の鳥瞰。前に記事で紹介した「米軍が見た 東京1945秋」からの引用。扇型に配置された砲座はそれぞれ周囲に配置した即応弾庫を覆うように土塁を築いて防御力を高めています。

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青戸の陣地も戦前の空中写真を見ると、砲座のまわりに土塁が築いてあるようにも見えます。しかし、戦後撮影の写真では北側の列は土塁が残っているように見えるものの、中列、南側の列では、砲座のまわりの3つの即応弾庫が露出していて、これが戦後に土を取り除いたものなのか、元々土塁はなく露座であったのかは不明。

前に記事でも取り上げた下仙川の高射砲陣地でも、周囲に土塁があったか、露座であったのかがはっきりしなかったのですが、その後、他の場所の陣地の空中写真を見るとどう見ても土を取り除いた痕跡のないものもあることから、土塁のあるものと露座のタイプの両方が存在していたのではと想像している。

考えてみれば、戦艦などでもシールド付きの高射砲の横にシールドがない砲座があったりすることから、同様に高射砲陣地でも同じ陣地でも並存していた可能性は大。

駐車場に残る砲座跡を実測、図面化しておきます。(クリックで拡大)
周囲の断薬庫の位置、サイズなどは空中写真から割り出した概略寸法にて作図。中央部の高射砲固定用ボルトの本数などは類似の事例からの推定復元。

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青戸の陣地で確実に現存している砲座は3基。冒頭の写真で紹介した駐車場の砲座は図の6に該当。残る2と3を見てみます。

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d0360340_06044575.jpg図の2。町工場の基礎に化けている台座。「東京の痕跡」(遠藤ユウキ 著:同分館出版 2008)という本でも紹介されている遺構です。実際に見ると果たしてこれがそうなの?という感じがしないでもないけど、位置は確実に空中写真に写る砲座と一致。台座の半分は道路工事で削られ、残りの半分が工場の建物基礎と一体化している模様。

自転車が停められていて全体が見えないのが残念ですが、そこだけ一段高くなっていて、内部の床もそれに合わせて高くなっているようです。

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写真左は、自転車越しに撮った基礎の段差になっている部分。コンクリートの構造体が建物に食い込んでいる様子がわかります。写真右は、切り取られた台座中央部付近に露出する何かの配管。台座の中央部分に該当することから、高射砲に電源を供給するケーブル用の配管であったのかもしれない。

コンクリートの上面は後年の補修が入っているものの、側面は切り取られた台座コンクリートの断面が露出していると思われます。長年の風雨にさらされてコンクリートに混ぜられた砂利が露出。丸みを帯びた川砂利を使っているのは戦前の構造物の特徴。そうでなくても、資源枯渇で河川から砂利の採取が禁止された1960年代以前のものであるのは確か。ちなみにそれ以後のコンクリートは山から採取した砕石を使用しているのでそこで年代の判別が可能。

ちなみに、配備されていた高射砲は99式8cm単装高射砲。(出典:「東京の痕跡」)ドイツ クルップ社の8.8 cm SK C/30をコピーした対空砲で、有名な8.8cm FLAK36/37とは別物のようではあるが、それでも射程は1万mまであったというから、B29に応戦することも可能。

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図の3の台座が残されているのはこのアパートの敷地の奥。通りからはよく見えないのでアパートの階段をすこし登ってみます。

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露出した円形のコンクリートの台座の一部が給水タンクの基礎に転用され、残りの部分は隣の建物の下まで伸びていると想像。
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建物の隙間越しに横から見たところ。台座が3つの建物の敷地にまたがるように存在していて、敷地境界のブロックもその後に怒れたためか、台座を跨ぐような状態になっています。戦後の空中写真を見ると、畑だった民有地に建設されたようで、畑の畝をまたいで配置されているのが確認できます。台座は撤去せずにその畑の持ち主ごとに建物を建てたからこんなことになってしまったのか。左側の建物の中に入って畳を剥がして床下がどんなことになっているのが見てみたい気もします。

不思議なことですが、こういった軍用遺物は戦後に行政の責任で撤去したりしなかったんでしょうかね。あるいは戦後すぐに宅地化して建物が建てられてしまい、その後撤去しようにも敷地境界を跨いでそれぞれの建物基礎に利用してしまっていたので取り除くこともできずに現在に至っているのか。

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図の5の台座の場所には現在は消防団の倉庫といった風情の青い小屋が建ってます。これも何らか関係がありそうですが、地図と照合すると、台座の一部が小屋にラップする関係。小屋を外側から観察する限りは基礎に利用されている形跡はなく、おそらく撤去整地された後に建てられたものと想像。ただ、台座が残っていて使い方を持て余していた土地の利用法として、台座を基礎にこのような小屋を建てて使ったその「用途」が引き継がれて、台座も当初の建物が無くなっても機能し続けているのかもしれない。想像ではあるけど。

これらの青戸(白鳥)高射砲陣地の跡地観察は、このサイトの記事に多くを得ているのでそちらも参照。

そのサイトでは他にも台座残存の可能性を指摘しているので、それも見てきました。

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中列の砲座の多くは現在、8階建てのマンションの敷地になってますが、その一部が残っている可能性について。

d0360340_08320762.jpgマンションの床下に台座が残っている可能性が指摘されてましたが、可能性があるとすれば図の8、9、10の台座が該当。しかし、このような大型の建物で重機があれば撤去できるような障害物をわざわざ残す可能性は少なく、床下に見えたのはおそらく写真のようなマンションの柱の下にある基礎杭の頂部。これは参考までに、撮りやすい場所にあった建物南端の基礎の写真。

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むしろ残存の可能性があるとすれば図の11の台座。マンションの敷地の一角につくられた公園。そこであればマンション建設でも撤去する必要はなく、なんらかの痕跡が残ってるのではと期待して行ったものの、見事にリセット済み.. 兵どもが夢の後。

これを見れば、マンションの床下に台座を残したまま工事を行う可能性はなかったと判断するのが妥当か。

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南側の列の砲座の15、17が残存する可能性ありとのこと。

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図の15。砂利敷きの駐車場の奥にアスファルトで覆われた部分が台座の跡ではと指摘している記事は多いものの、地図と比べると位置が少し違うようだ。地図と航空写真の重ね合わせの精度のこともあるので断言することはできませんが、戦後の空中写真を見る限り台座はもっと道路側、手前の2台の白い車の辺りにあったはず。

このサイトの写真を見ると、その道路に近い位置に何かの構造物の痕跡が露出していた形跡があるのは、おそらくそれが台座の残骸であり、近年にそれは撤去されてしまったと考えます。したがって現在この砂利駐車場の真ん中に残るアスファルトは台座とは関係のないもの。

図の17の台座のあった場所には現在木造平屋の物置が建っていて、通りから覗ける範囲では物置の床がコンクリートになっていることまではわかります。ただそれが台座を利用したものなのかまでは外から眺める限りは判断不能。民有地の建物の中の話なので調べるには所有者の承諾が必要となることもあるため、リサーチはここまで。
この他の場所にも台座が残存する可能性はあるものの、アポなしで観察できる範囲でわかるのはこのぐらい。

今回の追跡で台座が確実に残存すると確認できたのは図の2(町工場基礎).3(タンク/住宅基礎).6(駐車場)の3基となりますが、少し気になっていたのは地上への露出のレベル差。6の駐車場では敷地地面とフラット、道路面からは10cm程度のレベル差。3のタンク/住宅基礎は敷地内地表から15cmほど露出、道路との高低差で考えると25cm程度。2の町工場基礎は、道路面から30cmほどの高低差。
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下仙川の陣地の台座の残骸のように宅地造成の時に撤去移動、町内会看板の土台として再利用したという話であれば地表面から大きく露出していても不思議ではないけど、この青戸の高射砲陣地で当初からの位置が変わらず残っているとすれば、台座間の地形とのレベルのずれは当初からのものだったと想像します。

となると、ここでひとつ推理をすることになりますが、おそらくは6基の砲座を高射算定具と接続して連動制御する都合、射撃精度の確保のため、連動する台座の設置レベルは水平に揃える必要があったのではないか、と。
射撃用の水平なプラットフォームという「仮想地形」と畑の中の建設地というゆるやかに傾斜した原地形との場所によるレベル差が、台座の露出の仕方の差になって、その後の「用途」の違いが生まれたと考えると、ちょっと面白い。
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都下の高射砲陣地については、他にも少し気になったことがあるので、いずれ機会を見つけてまた書いてみる予定。
これまでの高射砲陣地関連の記事を下にINDEXとして整理しておきます。


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by hn-nh3 | 2018-06-11 12:40 | 構造物 | Comments(0)

7年目(Semovente da47/32)


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何を隠そう、デモデリ1号:Semovente da47/32。2011.12-
ずっと離れていた模型趣味が復活するきっかけとなったイタリアの小型自走砲。AMAZONでたまたま見つけて、とっくに模型作りをやめていたのにどうにも抑えきれなくなって買ってしまったのが7年前。

カッターだけは他にも使うことあったから残してあったけど、ニッパーも接着剤も塗料も資料も全て処分。模型を作る環境がきれいになくなっていたから、届いてしまったAMAZONの箱の中のキットを前に呆然としましたね。100円ショップでニッパー買って、パテ替わりにする瞬間接着剤をコンビニで買って、ヨドバシカメラでリモネンセメントという「身体にいい」接着剤買って、これを作ったら.. ふたたびこの気持ちに蓋をしようと思いつつ。

d0360340_13024370.jpgキットはイタレリ。 イタリア軍の軽戦車L6をベースに47mm対戦車砲を搭載したオープントップの車両。300台が作られて、チュニジア、シチリア、そしてイタリア降伏後のドイツ軍でも使用。
 
小型車両が好きで自走砲好み、イタリア車両が好きだったので、これ見たら、やっぱり作るしかないという気持ちになってしまいました。2011年の暮れの頃。

しかし、制作は大変でしたね。長いブランクあったし、モールドは繊細でも嵌合はいまひとつで歪みがでないように隙間を埋めたりしながらの作業。おまけにリモネンセメントが初期強度が低いなんて知らなかったから、パーツがくっつくまで手で押さて息を止めて、履帯なんか1コマ1コマ接着しながら組み立てましたよ。

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塗料は水性アクリル系のライフカラーを四谷仙波堂で購入。内部の塗装、タイヤのゴム、履帯や車載工具など鉄部を塗り分けて、さて.. マーキングとウェザリングはどうしよう? と手が止まったところで長考に入ってそのまま現在に至る。

とりあえずの基本塗装が終わった段階です。これをブログに載せるかどうかはちょっと迷ってましたね。組み立て途中だったらどう見ても未完成の姿で「経過報告」というスタイルをとることもできるけど、基本塗装完了という状態は一番始末が悪い。作品としての完成には程遠いけどプラモ的には完成ということもできる訳で..
だけど、恥を忍んで見せてしまいましょう。箱の奥にしまい込んでいても仕方がないし。Let It Be.. ありのままに、なすがままに。

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イタリア戦車の後ろ姿、いいですね。CV33 ..L6/40軽戦車系、..M13/40中戦車系..と基本的なパターンは不変。

戦闘室内にコードを加したり、車体後部のワイヤーを電線ほぐした銅線を捻って自作、ワイヤーを引っ掛けるフックをエッチングパーツの余りの真鍮板で自作したぐらいで後はほぼ素組み。また時期を見てウェザリングとか手を入れてみたいですね。

これ完成させたらもう一度やめようと思ってたけど、まだ未完成。結局7年もまたこの趣味続けてます。


追伸)
Let It Be.. 何気なく文中でこの言葉を使って、久しく聞いてないことを思い出した。
あらためて聞いてみるとやっぱりいいね。泣けてきた。
The Beatles:Let It Be (album ver.)



by hn-nh3 | 2018-06-06 14:09 | Semovente | Comments(8)

四谷の穴(後編)

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地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅前にある大きな穴の話の後編。(前編はこちら
駅の改札口と四谷見附の交差点の間に縦横30mほどの未利用の窪地。ここが江戸城の外堀の一部であったことは地図で確かめられたものの、どうして何も使われない穴として残されているのか。

d0360340_16234565.jpg何か手がかりはないかと穴の周囲を観察してみると、厳密には「穴」ではないことに気がつきます。一見すると、周囲から陥没した窪地のように見えるものの、東側のJR中央線の線路敷とを仕切っている通路はコンクリート製のブリッジ。

切り通しのようになっている外堀を埋めてJR中央線の線路を通した堀跡の地形が、ブリッジを超えてそのまま伸びてきて「穴」の底と繋がっているのが確認できます。前回の記事に載せた終戦直後の写真に写っている畑になっていた地形がそのまま残っていると思われます。

d0360340_16495737.jpg低くなっている地形を地図に落とし込んでみます。薄いグレーグリーンで塗ったところが外堀跡の低地と堀の縁の斜面。青い点線は外堀の水面あったところの推定ライン。そして黄緑色の変形5角形の「穴」のエリア。

中央線に沿って連続した堀跡の低地を横断する四谷見附橋と丸ノ内線改札から橋に向かって伸びるブリッジ。丸ノ内線の線路の上に蓋をしてつくらた改札前の小広場で囲まれた部分が結果として穴のように見えていることが、地図に描いてみると理解できます。

穴の底は、かつての水面だったところですが、建物を作ることができない底なし沼のような軟弱地盤ではないことを知るために、大きな地図を作ってみました。

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江戸城があった範囲の地形がわかる地図です。国土地理院の治水地形分類図に江戸城の堀割りを何かの図から抽出してオーバーレイ。濃い青で着色した部分が江戸城の堀やそれにつながる小河川と運河。それにWikipediaにあった地下鉄路線図から銀座線と丸ノ内線を重ねてみました。数ある地下鉄路線からこの2つの路線を選んだのは戦前戦後の早い時期に作られた地下鉄で深度の浅い部分を通しているため、地形との関係がわかりやすいと思ったからです。

オレンジ色のエリアが台地の部分。江戸城は東側の低湿地に向かって伸びる舌状台地の地形を利用しつつ、台地の尾根の部分を土木工事で切断して堀を通して防御力を高めています。尾根部分を切るのは城郭用語で「堀切」という手法で尾根伝いに敵が侵入するのをふせぐ陣地構築法です。江戸城の内堀と外堀の西側のラインはともに「堀切」によって作られているのが見てわかります。図の左側のエリア、件の「穴」のある地下鉄丸ノ内線の四谷駅の辺りは、緑の点線で示すように、尾根の頂部を切断するように切削して堀を通しています。

地下鉄丸ノ内線の線路は、戦後の資金難で地表の浅いところにトンネルを通したため、四ツ谷駅付近の切り通し状になっている堀跡の低地部分では線路が「空中」に露出、再び迎賓館下のトンネルへと吸い込まれる構造になってます。
同じように御茶ノ水駅付近でも、江戸期の治水と防御のため台地の尾根を切って通した神田川を跨ぐように、地下鉄の線路が空中を横断しています。

戦前につくられた銀座線では終点の渋谷駅で空中に線路が飛び出す以外は地下トンネルですが、なるべくトンネルが堀やすいように地盤のいい場所を選んで通しているようにも見えます。東側の新橋から銀座、日本橋、神田そして浅草に至るラインは地形図をみると、江戸時代以前から陸地であった場所で、それをトレースするようにトンネルを掘っているのがわかります。そうした場所に江戸の町が発展していた、ということもできますが。

話を四谷の穴に戻すと、台地の尾根が走っていた地形を切削してつくった堀なので、堀の底は岩盤とは言わないまでも地山のかなり硬い地盤であると考えて間違いはないでしょう。明治期に堀を埋めた埋戻土はさすがに使えないにしても、その下の原地形まで基礎の杭を届かせれば問題なく建物は建つ、はず。
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それでも穴は何十年も穴のまま。という状況には何か別の理由がありそう。

ピンときたのが、法律や権利の関係で建物が作れない場所。というようなこと。
たとえば、河川や池、運河など国が管理する水面は、不動産用語的には「青道」もしくは「青地」と言われていて、土地の用途(地目)が宅地や畑ではなく「青道」となっている場所には原則建物を建てることはできないのです。
たとえば、その昔に水路があった場所で、現在は埋め立てられて周りの土地と平らになっている場所でも法務局にある図面で「青道」となっていると、それが私有地内を通っていたとしてもそこに建物を建てることは法的に許可されません。水路を廃止して国から払い下げを受けて地目を「宅地」に変更して、初めて建物が建てられます。

この穴も昔の堀跡だったことから、未だに「青道」として登録されて国が管理している場所なのでは?と思った訳です。

d0360340_17571484.jpg調べてみました。法務局に登録されている、この穴のある土地の「公図」と「登記簿」。公図は土地の権利の境界を示した図面、登記簿はその土地の用途(地目)や面積、所有権者、変更履歴などが記載された公的書類で、法務局にいけば誰もが閲覧、取得することができます。もちろん有料ですが。
最近はインターネットでもとれるから便利な時代になりましたね。

そして分かったこと。この土地は水路ではなく、「鉄道用地」として登録されていました。穴と丸ノ内線の駅舎とホーム、地上に露出した線路の部分を含めて登記されてました。元々は旧国鉄の用地として国有地だったものが昭和60年に国鉄精算事業団、昭和62年の分割民営化の時にJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)へと所有権が移転、「民有地」となっていました。

鉄道用地とされていたのは予想の範囲内でしたが、所有が東京メトロ(東京地下鉄株式会社:旧交通営団)ではなくJRのものだったのは意外。地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅駅舎とホーム、付近の線路はJR東日本から土地を借りているという扱いになっているようです。したがって、「穴」も敷地はJR東日本の所有。穴に蓋をして駅前広場にしたりビルを立てたりするにはJRの同意としかるべき賃借料が必要だから、簡単には話が進まないということなのでしょうか。以前に穴の底にあった簡易な建物が撤去されたのも、そのあたりの事情が絡んでいるのかもしれません。

元々はなんとなく国有地というぐらいの扱いだったのでしょうが、国鉄民営化の際に民有地としてJRに払い下げられたことであらためて権利関係が発生したようにも見えます。でもなんでその時に地下鉄:東京メトロの所有地にならなかったのか。

おそらく東京メトロは基本的には地下に線路を敷設、さらに原則として道路や水路、公有地の下を通すことで土地の買収や賃借が発生しないようにしていることが理由かもしれません。駅も基本的に地下ですし。
地下鉄のカーブ部分など民有地の地下を通る場合や、四ッ谷駅付近のように地上に現れる部分に限り、賃借料を払うなどの措置をしていると思われます。なので所有しないまでも、事業的にペイするものであれば土地所有者に費用を払って何かを作ることはできます。

それでも四ッ谷駅前の穴が、雑草の生える穴のまま残っているのは何故?

d0360340_19114489.jpgそれは地下鉄だから。地図に色をつけてわかりました。

たとえば、地上に線路を敷設して地上に駅舎をつくるJRなどであれば、駅舎の前にはバスやタクシーなどのロータリー。駅前広場などをセットで整備するのが、基本的な「駅前整備パターン」になっています。収益アップのため、駅舎の上にテナントビルを建てて大家さん業に勤しむのもその延長。

それに対して、地下鉄は基本は地下に線路も駅もつくるので、土地を所有することもなく、だから駅ビルも必要なく、駅前広場もバス乗り場も整備することなく、ただ、地上との連絡階段を作るだけ。ホームから昆虫の脚のような連絡通路と出入口を伸ばして地上とつながるだけ。

丸ノ内線の四ッ谷駅もその例に漏れず、地形の関係でたまたま地上に露出してしまったけど、メンタル的には「地下」にある駅のパターンのまま、なんですね。

改札口から伸びるのは「地上」の四谷見附橋につながるコンクリートブリッジと四谷見附の交差点につながる通路を整備するのがその仕事の範疇であって、「穴」は「連絡通路の外側の土」と同じ、だったのだと想像します。おそらく。

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ちなみに文中で「四ッ谷」と「四谷」とツをつけるかつけないかを使い分けているのは、その使い方にしたがってます。地名は「四谷」、駅名は「四ッ谷」ということになるようです。 読みやすいようにツをつけてるという話ですが、江戸時代の文献にも「ツ」がつく表記はあるようです。その昔、四つの谷ではなく4軒の家(四ツ家)があったから、だとか。

穴の話は本当はちょっとした話の枕でスナップと都市伝説ぐらいで済ませて本題に入ろうと思ってたのですが、いつものくせでつい深入りしてしまいました。穴の写真を撮ったときは2回もひっぱるとは想像もしなかったですが。

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ツ のつかない四谷の話。「よつや」と聞いてピンとこないモデラーはAFVモデラーではないと言っていいくらいの有名模型店。その名は「四谷仙波堂」。駅から5分ほどの小さなビルの3階にある、店内で人が一人すれ違うのが困難なほど商品の積まれた魔窟のような実店舗よりも、ネット上の存在するグリーンバックのホームページ。
その言説空間はひとつの神話だと思います。
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個人的な話になりますが、インターネットが普及した1990年代後半に模型よりもそっちのほうに興味が移って、積んであったキットも机の中の塗料も接着剤もことごとく処分してもう戻ることはないと思っていたのだけど、2011年にふとしたことでAMAZONでイタレリの「SEMOVENTE da47/32」を見つけて、思わず買ってしまったのが再び模型を作るようになったことのきっかけ。

最初はひとつ作ってやめようと思ってました。この趣味が底なしなのは過去に知っていたから。
資料は買わなくてもネットで写真を集められようになってたし、カッターと接着剤と最低限の塗料だけ買って..

その時に見てしまったのが四谷仙波堂のページ。模型店の販促用ページであるからには、基本セールストークであることは承知するにしても、店主の言葉の世界は魅力的でしたね。新商品につけられたメーカーの売り文句のコピペでもなく、3ミリ広いとか狭いとか、毒にも薬にもならない批評でもなく、キットの再現度についてのクールなコメント、モチーフについての熱を帯びた説明。これは面白かったですね。というよりこのページがなかったらAFV模型はもっと寂しい世界だったかもしれません。
だから90年代にやめたんだし、また続けてもいいかなと思ったんだし。
..そしてまた穴に落ちる。

金額的には量販店にはどうしてもかなわないけど、ホームページのキット紹介を見て購買意欲が高まったキットはここで買うことにしてますよ。情報の対価、表現にたいする対価に疎くなってはいけないと思う。

d0360340_20150247.jpgこの間、四谷仙波堂で買ったキット。MIniartの新製品「東欧の家財道具」(no.35584)。

素朴な形のテーブルと椅子。前にカフェテーブルのセットで椅子があったけどあれはトーネット社の有名な椅子をモチーフにしたから、使えるシーンはどうしても限定されていまったけど、これは考証の縛りも少なく使えそう。
ストーブはスライド金型を使ってディテールを再現。たかがストーブなのに。

食器にスプーン、ソーセージなどの食材、そしてちょっと欲しかったサモワール。
前にICMでも女性下着とともにサモワールを再現したキットがあったけど、ディテールはエッチング部品も組み込んだこっちのほうが高精度か。

しかし、最近のMiniArt。アイテムのチョイスも再現技術も素晴らしいですね。ロシアのクリミア併合で本社の移転を余儀なくされたときはどうなるかと思ってましたが、見事に持ち直した、というか次のステージに進んだ感じですね。最近のキットを見ていると。

「東欧」という言葉を聞くと、つい旧共産圏のポーランド、チェコ、ハンガリーあたりを想像してしまうのですが、サモワールとかがテーブルに乗っているのを見ると、ウクライナやベラルーシなど旧ソ連諸国、ウラル山脈以西のロシア、などロシア文化圏のことを「東欧」と扱ってる気がします。そのカテゴリーからするとポーランドとかは中欧という扱いになるのか。といってだからポーラーンドの設定で使えないかというと、そうではなくお皿に乗っているのはソーセージだし。
四谷仙波堂のページでは、戦争末期の東プロイセン辺りの設定でも..と紹介するあたりは、いや流石ですね。

当事者でなければサモワールも乗ってるから、これはロシアの家財道具(ソーセージが乗っているは侵攻したドイツ軍が使っている設定)と言ってくれたほうがわかりやすいのかもしれないけど、ウクライナのキエフに本拠を置くMiniArtとすれば、そこはロシアではなく東欧、なんでしょうね。やっぱり。
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by hn-nh3 | 2018-06-01 21:43 | 構造物 | Comments(7)