断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

秋のヘルシンキ

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なぜかヘルシンキ。出張でフィンランドに来ています。気温は13度。
美しい街は、どこに行っても写真を撮りたくなるような風景ばかり。しかし、このブログの趣旨からすれば当然のごとくパロラ戦車博物館のレポートをするべきなのでしょうが、今回は残念ながら行きません。ヘルシンキから300kmと、仕事の合間にちょっと寄り道する距離ではないことに気がつきました。フィンランドにいながらパロラに行かないなんて、ミリオタ失格ですが仕方ありません。

そんな訳で、ブログ巡回とかコメントとかコメント返しとか暫くおろそかになるので、その旨ご理解を。当然の如くプラモ作りもお休み。空港の保安検査場でポケットに隠したフリウルの履帯が金属探知機に反応して呼び止められるのもいやですしね。

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ヘルシンキ市内の早朝散歩。この季節、朝は遅く日の出は6時54分。まだくらい街にでてどこに向かうのかというと、ここ。

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街の中心部から徒歩で20分ほどの軍事博物館の中庭に停まっているのは、なんと3号突撃砲。

Sturmiと呼ばれるフィンランドの3号突撃砲は、車体側面に丸太を積んで「増加装甲」としたり戦闘室にコンクリートを持ったり、機銃シールドをDT搭載用に改造したりと、フィンランド軍独自の改造を施した仕様がなんとも模型映えします。

Googleマップの空中写真(キャプチャ画像の黄色く丸で囲んだ部分)。ここにいるのは車両番号 PS.530-30 この車両です。

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入口にゲートはないので、早朝でも自由に入れそうなことはストリートビューで確認済み。いざ中庭へ。リアル3号突撃砲はもう目の前。

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あれ? ...2台の黒い車がある辺りに停まっているはずの戦車がいません。


おかしいなと思って中庭をうろうろしたけど発見できず。乗用車に偽装している訳でもなさそうです。

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他にも、中庭にあったはずのT-26軽戦車や火砲類もきれいさっぱりいなくなってました。残念、みんなどこに行ってしまったのかしら。
がっかりです。誰もいない中庭のひんやりとした秋の空気の中で身体だけが冷えていきます。

もう、ここにはSturmiはいないようなのでこれからヘルシンキにいく人は気をつけてね。
何の役にも立たないとは思うけど、報告ついでにヘルシンキの街灯の写真をアップしておきます。

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# by hn-nh3 | 2018-09-20 05:40 | 日々 | Comments(10)

戦争のかたち

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既刊本の紹介。「戦争のかたち」(下道基行 著  2005/7 発行 リトルモア 20.8×14.6×1.6cm 120P )
かれこれ10年以上前になるが、北海道の十勝平野の海岸線に戦時中に作られたトーチカ群が今も残っていることを知った。軍事構造物としてはナチスドイツが大西洋岸に築いたアトランティックウォールの要塞群が有名であるが、旧日本軍が米軍の上陸に備えて北海道の太平洋岸に構築したトーチカはなんとも貧弱で、侘しく取り残された風景が気になってしまった。

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そのころに見つけて買った本です。紹介する画像はすべてこの本から。

2005年というと、Googleの画像検検索、気になる本はAmazonで購入というのが情報との出会い方として一般的になっていただろうか。発信の仕方も大きく変わっていった頃か。カメラではなく、携帯で写真を撮って、HTMLを知らなくても使えるブログにアップしたり。

著者は1978年生まれ、2001年に武蔵野美大油絵科を卒業。卒業後にピザ屋で宅配をしている時に偶然出会った戦争遺跡に衝撃を受けてカメラを買って旅に出た、ということだ。決して軍事研究者だった訳でもなく、写真家だった訳でもなく。

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d0360340_19495288.jpgだから最初に言っておくと、廃墟マニアやミリオタのための写真集とか、歴史遺産の記録資料といったことを期待すると、少し拍子抜けするかもしれない。カメラを生業とした作家の写真集、といった風情でもない。..もっともっと軽い、のである。

だから面白い。戦争を知ってるとか知らないとか、そういう話ではなく、日常に紛れ込んでしまった「日常のかたちではないもの」を拾い集めた記録。

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前回の記事で少し紹介した大阪の東淀川区、西淡路高射砲台はこの本に載っている写真で知った。住居として改造されたこの砲台跡に住んでいた人もその頃は健在で、著者が2004年にインタビューした記事も掲載されている。

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同じく前に記事で紹介した東京の葛飾区 白鳥の高射砲陣地跡逗子の披露山公園の花壇に改造された高射砲陣地も写真が載っている。キャプションは地名のみで詳細な解説がある訳ではないので、ひとつひとつの写真の印象は薄く、昨日ふたたび本を開くまですっかり忘れていたくらい。もちろんそれは写真としての強度云々の話ではなく、通り過ぎる風景のように、気になった時にまた出会えばいいのだ。それだけの話。戦争ネタだからと言って別に懐古趣味的に語る必要もないし反戦的なフリをする必要もないし。

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「戦争のかたち」の歩き方 という見出しで、遺構のある場所の地図も載ってる。トーチカ、砲台、掩体壕などなど、実際に見に行く人は少ないと思うけど、これは便利かもしれない。というかこのフラットなビジュアルが、この本に通底するトーン。

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遺構が転用されて住居や公園施設になっている事例をポップなグラフィックに起こして説明している。物件毎の固有のディテールを捨象してタイポロジカルに表現したビジュアルは、楽しいけど写真に対して必ずしも成功していないように思う。気分はわからない訳ではないけど。


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その黄色いページに載っている「砲台パーク」こと、大分県の丹賀砲台園地の現存する砲台内部。トップライト屋根と螺旋階段を作って見学施設とした空間は圧巻。これはちょっと見に行きたい気もするけど、GoogleMapで調べたら地の果てのような場所

これに限らず、よくもまあこんなところまで行ったな、というのが多いです。自分もいくつかは実際に訪れたことがあるからわかるのですが、写真というのは1方向的なものだから必ずしも風景をリアルに捉えたものではない、という気がするのも事実。しかし、この本、間違いなく「買い」ですね。

本に載っている写真やビジュアルの一部、砲台住戸の住人インタビューなど、著者のホームページで見ることができます。

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(写真は全て「戦争のかたち」下道基行 著 より)

# by hn-nh3 | 2018-09-12 22:04 | 資料 | Comments(4)

新しいiPhone

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久々の更新。仕事の締め切りと出張続きでこのところ全く模型を作る時間なし。自分が何を制作してたのかすっかり忘れてしまいましたよ。 (リハビリできるかちょっぴり不安)
先日の関西地方を襲った台風で、実家もあちこち傷んだとの知らせ。来週あたりに時間を作ってちょこっと見に行く必要ありそう。忙しいのに...

新しいiPhoneの発表もいよいよ来週。今年のはどんなのになるか楽しみですねー。
でもって先週、この後に及んでiPhoneを新調しましたよ。なぜにこの時期に...というタイミングですが。

これまで使ってきた6s、本当はあと一月持ちこたえて新型iPhoneに乗り換える予定だったのですが、最近どうにも挙動不審で突然通話が終了したりと仕事にも差し障りがでる始末。近々海外出張も控えていることもあって、あっという間の型落ちは承知でやむなくiPhone8に変えました。
それならばと、赤いiPhone、(Product) RED にしてみました。裏面の赤いガラスが綺麗です。
カバーつけたら見えなくなっちゃうので意味ないんですけどね。カバーつけるか素で使うか迷うところ。

裏面にガラスを使うアイディアは、 iPhone4に続くものだけど、やっぱりデザイン的には iPhone4の完成度は未だ超えられないんだなと改めて思う。透明感と光沢、傷に強く腐食や変色もなく(割れるという欠点を除けば)ガラスはマテリアルとしては完璧な素材。それをディスプレイ側だけでなく裏面にも使って、側面のアンテナ代わりのステンレスのバンドでパッケージ。iPhone4はミニマルで素敵でしたね。ブラック( iPhone4)とホワイト( iPhone4s)両方持ってました。


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データーの引っ越しはICloudバックアップからの復元。これは本当に便利ですね。メールや使ってたアプリとかはあっという間に元どおりになったけど、写真のアーカイブはデーターが新しいiPhoneに落ちてくるまで少し時間がかかりましたよ。

写真はその途中のスクリーンショット。クラウドの彼方から写真が少しづつ落ちてきて、なんだかテトリスみたい。
横一列がきれいに揃ったら写真がぱっと消滅、それとともに過去の記憶もリセット。妻と娘の顔を見てももう誰だかわからない。なんてゲームみたいなことになったらやだなー。




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最近のついで買い。新宿の紀伊国屋書店の旅行ガイドブックコーナーのレジに並んでいたら、目に入ったクリアファイル。
美術展なんかでもよくいろんな図柄のクリアファイルを売ってて気にはなるのだけど、買ったところで結局使わないよなーとだいたい棚に戻すのですが、これはやっぱり気になって購入。

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地図って今でも好きですが、子供の頃、自分だけの街を想像して地図を作ってましたね。白い紙に道の線を引いて地図記号を配置して。時間があれば飽きもせずえんえんと作ってました。その後もずっと書き続けてたらその街はどうなったんだろうと今でも少し思い出します。だから、GoogleMapが出てきたときはあっと思いましたね、世界がシームレスに一枚に繋がってるし。
もうGoogleMapがない世界は考えられない。というか地図がなければ世界は存在しないのだし。



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そんなこんなで手持ちのブログネタも宙ぶらりん。高射砲陣地跡シリーズでは、有名な現存遺構:大阪は東淀川の西淡路高射砲陣地を出張ついでに見てきました。高射砲陣地で一般的な半埋込み型ではなく、市街地用の高架タイプのコンクリート製台座で、戦後そこに人が住みついて奇妙な住宅になっているという代物。

新大阪から遠くない場所であることがわかって、6月の出張の時に写真を撮影。例によって配置図とか作っていたらディテールが気になって先月末の出張のときにまたまた追加調査。上の写真はその時のもの。砲台住居は計画道路の敷地内にあるため現在はフェンスで囲まれていて立入禁止区域。

調べてみると、大阪市の教育委員会が調査した報告書があることがわかって、ついでに大阪市の図書館にいったらありましたよ。『西淡路<国次>高射砲陣地調査報告書(大阪市文化財総合調査報告書65)』

なんとそこには詳細な実測図も。うーん、どっからどう紹介したらいいものやら。

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# by hn-nh3 | 2018-09-08 19:13 | 日々 | Comments(6)
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1945年7月のベルリン。木製カートに乗った少年の画像は「Berlin and Potsdam 1945 - aftermath (HD 1080p color footage):Youtube から。

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終戦直後のベルリンを映したカラーフィルムですが、前に記事(難民カート)を書いた時に紹介したものよりも長いバージョン(30分)がYoutubeにありました。
廃墟となったベルリンの街。進駐するソ連軍や米軍、瓦礫を整理する市民。各地から引き上げてきた人々、交通整理にあたるドイツの警官。などなど見所は多く見ていて飽きないフィルムです。

戦後2ヶ月経った映像なので戦車など放棄車両の類はさすがに片付けられてしまっているようで、その方面を期待すると肩透かしをくらいます。

それでも映像の中にはこんな車両も。これは何?


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しかし、がっかりすることなかれ、今回の本題は映像に登場する荷車の類。前に書いた記事の続編です。 戦車ネタでなくてすみません(笑)

d0360340_05344197.jpgMiniArtの「ラゲージセット 1930~40年代」(no.35582) はボックスアートに描かれた廃墟の風景から、これは平和な時代の旅行道具ではなく、戦争中に避難する市民や住む場所を追われて難民となった人びとの荷物であることを暗示していると、前に記事(難民カート)に書いこともありましたが、そのキットが先日発売されたので早速に組立てレビュー。





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部品分割は細かすぎずアバウト過ぎず、といったところか。ベビーカーの車輪を支えるアームが装飾を兼ねたサスペンションになっている構造もしっかり再現されてます。エッチングにたよらず全てプラスチックで出来るのもいいですね。最近のミニアートらしく成形はきれい、一時期見られたプラスチックがポキポキ折れる現象も解消されてますね。思うにあれはプラ質の問題以上に射出成形時の温度管理が悪かったんじゃないかしら。

パーツの勘合もよく組立てもサクサク進んで、あとは車輪をつけて完成、ということろで問題発覚。車輪を車軸に取り付けるための穴が空いてないのです。組立説明図にはダボ穴らしきものが表現されていて、車軸には小さいながらも先端にダボがつくられているのに車輪側はのっぺらぼう。金型製作時のモデリングデーターに穴の入力を忘れたのかしら。セカンドロットでは改善されるといいですね。

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d0360340_08003590.jpg車輪に0.5mmの取り付け穴を開けて接着。サスペンションのアームつく車軸はカート本体から浮いた構造になっているので、実物はそれで衝撃を吸収できるようになっているのですが、模型としては華奢なので見えないところで補強したほうがよさそう。
ベルリンの映像に映るベビーカーは4台(1台は遠景だったので割愛)ですが、どれも車輪がスポークタイプ。キットはプレスタイプとなっているのが違うところですが、シルエットは同じで当時の標準的なタイプなのでしょうか。当時の写真でベビーカーの写真をいくつか確認してますが、ほとんどスポークタイプでした。まあそれをエッチングで再現するのは大変なので、プレスタイプでいいとは思います。

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カートの組み立て。これは少し前に発売された「小型カートとミルク缶」(no.35580)に入ってたものと同じ。裏面にはちゃんとシャーシが再現されてますね。小さな脇役アクセサリーながらもしっかりとリサーチして再現してあるのは嬉しいですね。こんなの自分でディテール調べて工作するの大変ですから。
前輪のステアリングの機構、引手が上下動するディテールもしっかり表現してあります。真鍮線で軸打ちすればそれぞれ可動するようにもできそう。こんなもの可動させて楽しいかという話はありますが。



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フィルムに登場するカートをいくつか。前輪と後輪の直径の違いのバランスなどいくつかのバリエーションがある様子。スポークは10本が一般的なのか。キットの車輪も10本スポークですね。
ちなみに前に記事(荷車メモ)で取り上げたMasterboxのフィギュアセットに付属のカートの車輪は8本スポーク。

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比較してみます。左がMasterboxのもの。右がMiniArtのカート。スポーク本数の違いの他にもサイズがずいぶん違います。まあこれはどちらが正しいという訳ではなく、タイプの違いと考えるべきものかと思います。8本スポークのカートも当時の写真で確認できます。ディテールは新しいMiniArtのキットのほうが繊細。

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小形カートとベビーカーの2ショット。とりあえず組立ては完成。軽くサフ吹いて記念撮影。

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そしてラゲージセット・オールスターズ。カートのほかにはトランク類とジャガイモ袋、などなど。エッチングパーツは無し、トランクに貼るステッカーがデカールで用意されてます。

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トランクも大きいのから小さいのまで。メーカーなど調べればモデルとなったタイプも分かるのでしょうが、そこまでは調べてません。ごめんなさい。
ルイヴィトンのモノグラム柄とか塗装でがんばって再現できたら楽しそう。このサイズでそれは無理だと思いますが。
寸胴のドクターバッグは側面が別パーツのはめ込み式になっていた少し潰れた感じがうまく再現されてますね。お医者さんが往診の時に診療道具を詰め込むのに便利な形なのでこのタイプはドクターバッグと呼ぶようですね。レッドクロスをつけた車両に積むなどちょっとしたアクセントになりそうなアイテム。
円筒形のバックが帽子ケースかしら。それぞれディテールもしっかり表現されてますが、取手の付け根など少し手をいれてやるとぐっとよくなりそう。


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ベルリンのフィルムにはこの他にもいろいろなタイプのカート、荷車類が登場。民間人の服装や荷物類がカラーで分かるのがいいですね。モデリングの参考になります。この他にもMiniArtのフィギュアのモデルになっていると思しき人物など登場して、その話もしたかったのですが、長くなるのでこれはまた別の機会に。

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前に書いた関連記事INDEX:
・難民カート
・荷車メモ

# by hn-nh3 | 2018-08-22 09:11 | 資料 | Comments(17)

ふたたび船岡山

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8月16日早朝。毎年の盆の京都、今年もまた船岡山に登る。目的は山頂にあるサイレン塔の「追加調査」。昨年の夏に書いた記事(船岡山に登る)の続編。

船岡山の山頂にある謎の構造物は、戦前に作られたサイレン塔というもので、戦時中は空襲警報を鳴らし戦後しばらくは時報を流していた、ということらしい。しかしそれ以上の情報はネットでは得られず、その詳細は不明。

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全景はこんな感じ。高さ6m程度の小さな構造物。船岡山はかつての平安京の中心軸北方に位置する標高差45m程度の小山で平安京の造営基準になったと言われていて、中世の応仁の乱の時には西軍の陣地が築かれたこともあるような周囲から独立した山。周囲からの視認性もよいので、サイレン塔の手前には地図測量用の三角点が据えられている。

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サイレン塔の構造はコンクリート。外壁表面には化粧モルタルが塗られ、現在はペンキ塗り。側面には横長の66cm幅の小窓。木枠が残っているものので、当初は何らかの窓部材があった可能性あり。

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建物裏側には地面に近いところに小さな小窓。何のための開口なのだろう。窓の横には配線を通すための鉄管が残存。


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巻尺とレーザー距離計で簡易計測して図面化してみました。外面寸法で1.7m弱の矩形に内寸50cmの半円形の煙突状の塔が付属する平面構成。

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塔は中空。中から見上げると上に抜けているのがわかる。塔というよりも煙突というべきか。上に抜けているだけなのでサイレンの音を遠くに飛ばす構造には思えず、何のためにこうした形状になっているのかが分からない。まさか煙を焚いて狼煙(のろし)をあげていた訳ではないだろうに。

「煙突」の内側頂部をよく見ると何かの金具が残っているのが確認でき、おそらくは頂部に4方に向けたスピーカーなどが取り付けられていて警報などを発していたのか。この塔は煙突の機能というよりスピーカーを高所に設置するための「台座」として便宜的に形作られたものと想像します。むろん全て憶測の域をでるものではないのですが。


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塔を裏側から見たところ。裏面はフラット。水平に回された2段の庇は正面からの見え方だけのために設置、というデザインの割り切りがすごい。裏側をよく見ると所々に金具の痕跡が見られ、おそらくは梯子がついていたものと推測。庇が裏側にないのはそのため、ということもできる。

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断面図、立面図も作成。塔の高さは2段目の庇までをレーザー距離計で測って頂部までの距離は写真からの推測。平面寸法は作業に必要なスペースなどの機能寸法から導かれたものと思われるが、塔の高さは何を基準に設定されたんでしょうね。2段目の庇の上端までの高さは約4m85cm。尺貫法でいうと、一丈六尺。釈迦の身長といわれる丈六仏の高さと符号しますが、塔の頂部までの高さではないから、特に関連はなさそうです。

塔の曲線を生かした水平の庇を上部に回すデザインは戦前の1930年代に流行したモダン建築に見られるもの。昭和12年(1937)に完成した関西電力京都支店のビルも同様のデザイン。

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内部の壁はコンクリートの素地。西面に奥行30cm程の錆びた鉄箱。上面にはスリット、下部は底がないのか腐食して抜けてしまったのか。箱内部は上下に合計8本の機器(or配線)固定用のペグ。北側の外壁から飛び込む配線用配管が下部に、上部には西側外壁上部に抜ける配管が残存。

今回のサイレン塔調査はここまで。30分ほどの簡易計測なので、図面精度もそのぐらいのものですが、例によってDropBoxリンクでPDF図面をダウンロードできるようにしておきます。


文献資料に関してはやはりネットでは限界あるので、どこかで京都市の図書館にでも行って手がかりを探してみたいところ。

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船岡山は現在、東の山麓に建勲神社、西側は船岡山公園。写真は公園の入口付近にあった案内版を撮ったものなのでガラスの映り込みがあって見づらいところもあるものの、サイレン塔などの位置関係はだいたいこれでわかると思う。
写真で見切れてしまってる部分には昭和10年の開園当初からの広場に「ラジオ塔」が残っています。

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d0360340_09533276.jpg高さ2.5mほど、花崗岩が貼られた四角い塔の上部には四方に四角い開口があり、内部にスピーカーがあるのが網越しに確認できます。胴部にはラジオ塔の由来を書いた銘版があり、それによると昭和10年(1935年)の開園にともなって建設されたものだとか。ニュースやラジオ体操を流していた様子。

現在はラジオ塔は使われていないものの、公園の広場ではラジカセ持参で近所の人たちがラジオ体操してました。


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d0360340_10372286.jpg船岡山の南側の山麓は急峻で斜面にはあちこちにチャート石の露頭が姿を見せていて、山全体が大きな岩盤でできているように思われます。西賀茂断層の一部なのでしょうか。

山の頂にも古代の磐座と思しきチャート石の露頭。隣にある丸い花壇のようなものは正体不明。


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案内図に記載のあった旧猿舎を探すものの特に目立つ痕跡はなし。周囲に低い土留めを築いた丸い土壇が猿の檻があったところなのだろうか。ただの空地。兵どもが夢の跡ではなく猿が夢の跡。

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d0360340_11231391.jpg例によって年代別の空中写真の比較。写真は国土地理院の空中写真閲覧サービスのページから。空中写真は上が北。
上掲の案内板の地図は南が上に描かれているので位置関係が左右逆に見えるのは要注意

2008年(平成20年)、1975(昭和50年)、1946年(昭和21年)の写真で共通に確認できるのは明治期に設置された測量用三角点。サイレン塔もあるはずなのだが解像度の限界で判別はできず。現在、東西2箇所の広場にある円形の花壇のようなものは、1975年の写真では確認できないことから比較的新しい時代のものか。猿舎は2008年、1975年の写真で確認できるように思われるものの像がぼやけていて定かではない。


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猿舎の跡地からの南側の眺め。猿の見た京都もたぶんこんな風景。

# by hn-nh3 | 2018-08-18 11:46 | 構造物 | Comments(0)
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このところ模型作る暇なし。製作中のもろもろも絶賛放置中。
だから新しいプラモの購入も控えてたのですが、こいつだけは買ってしまいましたよ。最近発売のMiniartのケーブルドラムセット(no.35583)。
自分では勝手に難民セットと呼んでるMiniartのラゲージセット(no.35582)も一緒に買ったのですが、これはまた改めて紹介するつもり。



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今回はケーブルドラムの話。こんなキット、誰が買うんだろうと思わないでもないですが、買いましたよ、買ってしまいましたよ私。前に記事でネタにした手前、多分に責任払いで買った感は否めないのですが.....
で中身はこんな感じ。組み立て説明書とデカール。そして大小のケーブルドラムのパーツ半分が収められた小さなランナーが6枚だけ。とてもシンプルな構成で、これだけかよーというくらいの潔さ。
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ランナーはこんな感じ。裏と表のディテール。ケーブルドラムは左右対象だから2枚一組で形が出来上がります。大きなドラムが3つ、小さなドラムが3つ。木目も表現も雰囲気は悪くないです。
構成はシンプル。左右のディスクと中央のドラム部分。ドラムは4つのパーツをあわせて樽型をつくるのですが、小口のところに有るか無きかのごとく小さなポッチがあって、これが左右のディスクと合わせる時の組み立てのガイドになる仕組み。しかし整形時にできたバリと間違えて思わず削り取ってしまいそうな小ささなので要注意。はい、私も一つ削ったところで気がつきました。

ディスクの部分をちょっと注意してみてください。ディスクの裏と表(写真のランナーの上と下)は板の方向が90度ずれてるんですね。ディスクの裏と表で木目方向が90度回転しています。これはMiniArtが金型の制作を間違えた、ではなく、裏と表で方向を変えた板を貼り合わせて一枚のディスクを作った構造を再現しているようです。合板などで繊維方向を90度違えた薄板を貼り合わせて強度を出しているように、ケーブルドラムのディスクも板を貼り合わせて作っているようです。

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ディスクの小口にはラインが走って、板の貼り合わせでできていることがわかります。こういうのは作ってみて初めて気がつくことですね。貼り合わせ部分のモールドですが、さすがにこんなものにスライド金型を使う訳にもいかなかったのか、裏と表でサイズを微妙に変えて段差で表現しています。パーティングラインだと思って削り取ってしまわないように注意するところ。
小口にはちょこっとだけ筋彫りして板の合わせ目を追加工作。加工が雑なのは息抜きモデリングなので勘弁してください。30分で作りました。

そして完成。ごろんとしたこの物体。いいですねー。なんとも言えない抽象感漂ってます。以外と好きかも。ティーガーよりもこういうのに血が騒いでしまうのは何故でしょうか。

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大きさを比べるために作りかけのHetzerと並べてみました。はい、これを見て意味がわかったらポーランド人から握手を求められます。たぶん。

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このシーンの再現です。1944年のワルシャワ蜂起の時にポーランド国内軍が鹵獲したHetzer、 Chwat号とケーブルドラムでできたバリケード。前に記事:8月のワルシャワ8月のワルシャワ(vol.2)でも書いているので、そちらも参照。

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Hetzerのキットはプラハ蜂起軍用に作っていたものに、今回急遽出演してもらいました。だから砲身もついていなくてとりあえずのサイズ比較用。履帯がない分だけ若干高さが低めになってしまっていますが、ドラムとの高さはだいたい同じで、このシーンを再現しようと思えば、このケーブルドラムのキットは流用できそう。小型のケーブルドラムはこのシーンには登場しないのですが、今回はキットレビューでもあるので友情出演。

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ディテールの検証。左右のディスクは6本のボルトが中央のディスクをはさみ込む構造となっています。バリケードでつかわれているもの(図の左の写真)は、、MIniArtのキットのもの(図の右)のボルト位置よりも円の中心に近い。ドラムの内側にボルトが配置されるので、ドラムの構造と関係があるのであれば位置の違いがドラムの直径の違い、というようにも読み取れるのだが、ドラム径の違いがあるのかは他のアングルの写真でも確認はできず。

このケーブルドラムにプリントされている文字が「KABELWERK OZAROW」というワルシャワ南郊の街にあるケーブル工場であることは前回の記事で判明。そして今回は文字の再現。
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KABELWERK OZAROW.pdf (クリックでダウンロードできます)

Miniartのキットのデカールには「KABELWERK 」はあったのですが、せっかくならやってみよう、ということで「KABELWERK OZAROW」という文字をイラストレーターで1/35サイズで制作。


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似たようなフォントをパスにそって配置するだけで簡単に作れるような気がして作業を始めたものの、Oの文字が円に近かったり、EやWなど癖のある形をしていて類似フォントが見つからず、結局、EはCを加工。AはUを逆さにして、WはUを並べて制作。AやWなどはもう少し微妙な曲線でできているような気もするのですが、それを始めるとエンドレスになるので、とりあえずは当たらずとも遠からず程度で妥協。

ステンシルの繋ぎの脚も写真を見ながらなんとなくの再現。型板が浮かないようにするためか、よくあるステンシル文字よりも脚が多めですね。上の図面はPDFの1/35スケール原寸ファイルでDropBoxよりダウンロードできるようにしておくので、興味のある人はエッチングで型板つくるなりしてみてください(笑)

ちなみにバリケードで使われている3つのケーブルドラムですが、左側のものはMiniartのキットと同じディスク中央部の座金が角形タイプ。しかし、右の二つは丸い座金。このシーンを本気で再現するときは忘れてはいけない大事な改造ポイント。

# by hn-nh3 | 2018-08-11 17:18 | 構造物 | Comments(10)
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いつのまにか蝉の声を聴く季節。新刊の模型の手帖はKV戦車特集ですね。

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TAKOMからはKV戦車の親玉、SKMも発売になるし、タミヤさんからはレンドリースM3スチュアートもリリースされたし、今年の夏はロシアが熱い!

サッカーのワールドカップ、ロシア大会もなんだかんだ盛り上がりましたね。会場が置かれたロシア各地の都市にはヴォルゴグラード(旧スターリングラード)とかロストフ、サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)など、どこかで聞いたような名前がいくつもあったりして。こんなところで歴史と現在が繋がってリアルを感じます。会場の一つ、バルト海に面する都市のカリーニングラードは、その昔はケーニヒスベルグと呼ばれた旧ドイツ領、東プロイセンだったんですね。歴史は複雑。

模型に話題を戻します。M3スチュアートは買ったけど、SMKは様子見。その前にケーブルドラムのキットとか難民セット買わないとだし、それ以上にその前に作りかけのKV−1戦車を何とかしないといけないし。という訳で久しぶりにKV−1。前回の記事は5月でしたね...

KV−1の制作再始動。冒頭の雑誌はフェイクです。モチベーションアップのために作ってみました。
パーツの検証記事のカバーヴィジュアルとして、「暮らしの手帖」を何となくイメージしたものの、どこか「美術手帖」っぽい感じにもなってしまって、グラフィックデザインなかなか難し。もう少しこだわってみたかったところではあるけど、そんなことしてないで早く模型作れよって声も聞こえるし。

KV-1の製作が中断したにはちょっと理由があって、それはエンジングリル。
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トランペッターのキットはエッチングパーツを使わずに全てプラで表現するという潔さ。グリルは両端がカマボコ型になった初期のタイプと片側がフラットに潰れた後期のものの2タイプの選択式。ディテールはしっかりしていて、中間部の枠がメッシュの外側にくるのと、枠をメッシュがまたぐ違いも丁寧に再現。欠点はメッシュがプラスチックのモールドである、ということぐらい。

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メッシュを表現するならやっぱりエッチング。試しにボイジャーモデルのものを購入。値段も手頃で「フェザータッチ」と銘打った繊細さをうたったシリーズに期待。透けぐあいとかが気になります。
しかし、問題はそれ以前の話。寸法が少し幅広でトランペッターのキットにはうまく納まらない。。

d0360340_23253331.jpgそれで結局アベール。繊細さと精密さは定評あるメーカー。問題はお値段か。。と思いきや、エンジングリルだけならそれほどでもなかったので買ってみました。

ついでにフェンダー上の増設タンクのパーツも買ってみました。タンクはドラゴンのT-34についてるパーツを流用できるかなと思ってましたが、固定用の金具を必要な数だけプラ板でスクラッチするのはちょっとしんどいかなと、ここはエッチングのキットに頼ってしまおう。

しかしこれが海外からの取り寄せになるとのことで、2〜3週間待ち。パーツが届くまで暫しクールダウン。そして..そのままいつものごとく月日が過ぎて3ヶ月。

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エンジンのグリルメッシュ。アベールのエッチングパーツの構成はこんな感じ。ボイジャーモデルでは省略されていた中間リブの内部構造もパーツ化。メッシュも両端カマボコ型(右上)と片側フラット型(左下)をきちんと再現。フラットになる部分の幅が平面の展開状態では少しすぼめられてるところとか重要。立体にしたときに幅がちゃんと平行になるようになってるんですね。ちなみにボイジャーモデルのものは未対応。

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アベール(左)とボイジャーモデル(右)の比較。片側をフラットにしようとするとボイジャーモデルのものは幅が平行にはならないのがわかりますね。ボイジャーモデルでは枠は外周しかなかったので内部をプラ板で追加工作。アベールのパーツは枠部分もすべてエッチング。縁を折り返してつくるような仕組みになっていてエッチングでは再現が苦手な「厚み」を再現できるようになってます。しかし折り返しの幅とか工作の限界を超えているのではと思わせる細さ。無理やり作ったらちょっと歪んでしまった。これを作るにはいい道具が欲しい。

しかし、枠の仕上がりの幅が全然違う。ボイジャーモデルのものが製作誤差で幅広になってしまった、ということではないのがわかります。

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アベールのエッチングパーツとトランペッターのプラパーツの比較。左が片側フラットのタイプ。右が両端かまぼこ型。仕上がり幅がトランペッターのキットと揃ってくるのが分かります。メッシュは2タイプ用意されてますが、枠は端部のリブの片側を切り飛ばしてフラットタイプに対応させる選択式なので、そのまま作るとどちらか1セットしか作れないことになります。

それで片側フラットの枠はプラ板で自作してみました。これを制作中のKV-1に使って、両端かまぼこ型のエッチング枠は「組立待機中」のKV-2に使うつもり。

しかしアベールのは、メッシュの周囲のリベットも作らないといけないんだね。気が遠くなる。
こうして考えると、トランペッターのオリジナルパーツは透過度以外は遜色のないディテールであったことを認識。塗装でそれらしく表現してやれば全然問題なし。

というのが3ヶ月かかって知りえた事実。

( 7/30訂正:文中のエッチングメーカーの名前が間違ってました。エデュアルドではなくアベールが正解...)

# by hn-nh3 | 2018-07-30 06:14 | KV-1戦車 | Comments(12)

3年後

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1944年8月のワルシャワ蜂起の話の3回目。ひとまず今回でいったん区切ります。
前回、前々回とポーランド側からの視点で書いたこともあり、以前に書いたプラハ蜂起関連の記事など話題の傾向が、なんだか反乱軍モデラーの様相を呈してきたので、ちょっとバランスをとってドイツ側から撮った写真も載せておきます。

(写真はBundesarchiv、Wikimedia commonsより)
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蜂起部隊を攻撃するのはパンターのような対戦車攻撃能力の高い戦車ではなく、ブルムベアや60cmカール自走臼砲などの重砲兵器、28/32cmロケット弾、ゴリアテやボルグバルトⅣといった遠隔操縦の爆薬搭載車.. なにか圧倒的に非対称な戦争。
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そして、三年後。1947年8月のワルシャワ。徹底的に破壊された傷跡が戦後2年経ってもそのまま残る風景が痛々しい。
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カラー写真を撮影したのは、アメリカ人のHenry N. Cobb。ニューヨークの建築家。
戦後の復興の研究でイングランド、チェコスロバキア、ポーランドを回った時の写真のようです。

蜂起軍部隊の自作装甲車クブシュの塗装色の手がかりはないかと、終戦前後のワルシャワのカラー写真はないかと探してそのサイトにたどり着きました。探し物は見つからなかったけど、廃墟と生い茂る雑草の鮮やかなコントラストが目に焼きつきます。

(カラー写真はいずれも Henry N. Cobb 撮影)

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とはいえ、気になるのはやっぱりこういう物たち。タイヤのついた荷車。

この時代、馬が曳くカートは木製のスポークが主流ですが、戦後の物資欠乏の時期にしては不釣り合いなほど立派なゴムタイヤを装着しています。戦時中は戦略物資として貴重だったゴムタイヤをこんなに荷車に供給していたはずはなくて、そう、これは放棄された軍用車両から収穫したものと考えて間違いはないと思います。戦車などでも放置されたものは車輪からなくなったと聞きます。
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(写真はクリックで拡大)

いったい何の車輪だったのかしらと、ちょっと観察してみました。
1枚目の写真の荷車の後輪は、どうやらSdkfz.250系の車輪。このタイヤは火砲牽引用のハンガーでもよく使われていたので、簡単に手に入ったと想像します。前輪はSdkfz.251系のものに見えます。ハブの周りのボルトなど特徴が一致します。

2枚目の写真の荷車の車輪はどうかというと、写真が小さくて判然とはしないのですが、5穴ホイールはフォードもしくはGAZ系のホイールと推定。前輪は何だろう... 後輪よりは小径で円錐状のホイール。軽車両用のトレーラーのものとも違うし、小型乗用車のホイールでも、ちょっと思い当たるものがない。独軍車両でなければ、ポルスキフィアット辺り..と思ったけどそれでもなさそう。

もっとも、これが判明したところで、何かの成果になるものでもないけれど。  

# by hn-nh3 | 2018-07-19 21:00 | 写真 | Comments(0)
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散乱する独裁者の肖像 1944.8 ワルシャワ:撮影:Eugeniusz Lokajski

ワルシャワ蜂起の話の続編。
特に準備もなく書いた話題ですが、前回調べきれなかったことや調べているうちに知ったことなど、忘れないように書き留めておきます。

先ずは蜂起部隊(ポーランド国内軍)鹵獲Hetzer「Chwat号」のバリケードのケーブルドラム検証続編。
前回の記事で判明してなかった、ドラム側面のステンシル文字の内容が判明。
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バリケードの全貌が写った写真を見つけました。出展はワルシャワ蜂起博物館の写真アーカイブから。この写真自体はWikimedia Commons にも公開されていたものですが、それはトリミング版であり、転がるケーブルドラムの内、右側2個しか見えなかったもの。アーカイブで見つけたのはフレームがそれより広くドラムが3個あったことが確認できます。ただし上の写真も訳あって不要部分をトリミングしたもの。

その理由は、写真に博物館のクレジットが入っていて「使いたかったら理由を書いてメールしてね!」とサイトに書いてあったから。個人的には著作権の問題は他人事ではないので、Bundesarchiv(ドイツ 連邦公文書館)や NARA(アメリカ公文書館)、Wikimedia Commonsなどでパブリック・ドメインとして公開されているもの、(+ネットで事実上共有状態になっているもの)でない限りは、プライベートコレクションなど著作権で保護されていて使用料が必要なものは極力購入するようにしてますが、ワルシャワ蜂起博物館のものは、e-Bay簡単決済ではなく、先ずはメールで使途を述べて、見積が送られて...と手続きは煩雑、しかもポーランド語のやりとりなんてこれまたハードルは高い。

という訳で、この写真は「無断借用」。ただし「引用」です。(WikimediaCommonsの解説によると著作権法が発表後50年から死後50年(アメリカ、EU、ロシアなどは70年)に切り替わった90年代後半以前に著作権が切れているはずなんですが)

d0360340_19111819.jpg脱線しましたが本題です。ドラム部分の拡大。側面の文字は"KABELWERK OZAROW”と読めます。ようやく判明しました。
ワルシャワ南郊のオジャルフという街にある電線ケーブル製造会社のようです。ドイツ占領下にあるのでドイツ語表記。検索すると、この会社まだあるみたいですね。...労働者のストでなんたらかんたら、という記述が見つかります。

Ożarów という街。戦時中はゲットーが設けられていたらしいです。市民の64%がホロコーストの犠牲になったとか。ドイツ支配の影の部分ですね。時として、知らなくてもいいことを知ってしまいます。たかがジオラマ・アクセサリーを通して。

もうひとつの話題。「写真」の話。
ワルシャワ蜂起に関しては、ワルシャワ蜂起博物館という展示構成もとてもよくできた博物館があるようで、そこのサイトに膨大な写真アーカイブが整備されています。
バリケードの写真などもそこで閲覧可能 >fototeka / barykady

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Eugeniusz Lokajski (1908-1944/9/25)

写真家、エウジェニウス・ロカフスキ。戦前はスポース選手で槍投げのポーランド代表。従軍してソ連軍の捕虜になり例のカチンの森の事件から逃れる。職業写真家ではなかったようだが、能力を見込まれライカを与えられてワルシャワ蜂起に関する1000枚あまりの写真を撮影。1944年9月、ビルの爆破に巻き込まれて死亡。

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彼の名を知らず前回の記事で使った写真(冒頭および文末)、そして今回の冒頭で使った写真は彼の撮影によるもの。
報道記録という目的を超えたいい写真だなと思います。他にも気になって拾った写真の多くは彼の撮影でした。

従軍カメラマンで有名なロバート・キャパのように写真史にその名を残した訳ではないけど、見る人の記憶に残るような写真を撮ってた人がここにまた一人いました。写真の資料的価値という以上にこういうものは個人的には気になります。

件のワルシャワ蜂起博物館にも彼の写真アーカイブがあります。>Eugeniusz Lokajski

パブリック・ドメインと明示されているWikimedia Commonsから彼の写真のINDEXをアップしておきます。(記事中の写真はいずれもクリックで拡大)

Chwat号の有名な写真も彼によるものでした。ただ、タテイチ構図の写真が多くて、(個人的にはタテイチ写真好きですが)WEB記事のレイアウト泣かせ。当時としても新聞雑誌などに掲載しにくい構図は、彼が仕事としての写真を撮っていた訳ではなかったことを物語っているような気がします。
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# by hn-nh3 | 2018-07-17 20:59 | 写真 | Comments(2)

8月のワルシャワ

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(当時の写真はすべてWikimedia commonsより)

1944年8月のワルシャワ。ナチスドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで、接近しつつあったソ連軍に呼応するようにレジスタンスが武装蜂起を起こすものの、ソ連軍の支援を得られず一月ほどで悲劇的な結末を迎える。
「ワルシャワ蜂起」として知られるこの出来事は、アンジェイ・ワイダの映画「地下水道」や「灰とダイヤモンド」などの映像としても記憶されています。

近年にタミヤからリリースされた無線操縦車ゴリアテやブルムベア突撃砲後期型などがワルシャワで使われた写真が残っていることもあり、AFVモデル的にも気になるところ。映画「地下水道」にもゴリアテがやってくるシーンがありましたね。

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前回の記事でMiniartからリリース予定のケーブルドラムのことを記事に書いたら、かば◎さんからワルシャワのChwat号のバリケードで使われてると指摘があったので、少し気になってあれこれ調べてみました。

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--- フファット(ポーランド語: Chwat)とは、ワルシャワ蜂起中の1944年8月2日にポーランド側が鹵獲したドイツ軍のチェコ製軽駆逐戦車ヘッツァーの愛称である。ポーランド側が火炎瓶を用い乗員を殺害してこの車両を鹵獲した時点で車体の大部分が焼け焦げており、当初はバリケードの一部として使用された。後に修理されたものの、バリケードを崩すことが認められず戦闘に投入されることはなかった。そののちに郵便局の建物に移されたが、この建物が爆撃を受け倒壊した折、瓦礫に埋もれ放棄された --- ( Wikipediaの記述より)


蜂起部隊に鹵獲されたこのHetzerは焼損していたこともあり、もっぱらバリケードの「構成材料」として利用されていた様子。その経緯など詳しく解説したページがあるのでリンク貼っておきます。

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バリケードがあった場所なども同定されているようで、地図にマッピングされてます。


このページの地図をクリックすると大きな地図に移動して、周辺で撮られた当時の写真を見て歩くことができます。
こんなページがあるなんて知りませんでした。蜂起部隊を撮った場所がほぼ同定されてます。

Wikipediaのページにも膨大な写真アーカーイブが整備されていて、ポーランド人の執念を感じます。
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街路にはあちこちでバリケードを構築。車両を使った即興的なものから市電や瓦礫を積んだものまで、さまざまなバリエーション。

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人力で特に重機も使わずに作るとなると、歩道の敷石や瓦礫など近くに転がる「ありあわせの材料」に限定され、件のChwat号もケーブルドラムやバケツと同様にバリケードの構成部材として利用されたのか。

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バリケードに使われてるケーブルドラムの側面には”KABELWERK”とドイツ語のステンシル文字が書いてあるのがなんとなく判読できて、これがドイツ軍の資材であったことが想像できます。
ドラムをよくみると、”KABELWERK”の先にも文字があってMIniartのキットのデカールとは違ってドラムの半周くらいを文字が占めるレイアウト。
"O......ROW" というような綴りと思われるものの、単語は特定できず。

このシーンを再現するなら、Chat号はタミヤのHetzer中期型をベースに初期型の防盾に換装するなど改造。バリケードのケーブルドラムは、規格やステンシル文字など多少の違いを問わなければMiniartのものは利用できそうだし、木箱や椅子の類もキット化されているので流用は可能。
あとはドラムの傍に転がるゴミバケツさえリリースされたら完璧。

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追記:蜂起は結局失敗に終わり、参加した人間は捕まり、街も破壊されてしまったけど、意外なほど写真は撮られていて保存されているんですね。残すべき記憶として。

# by hn-nh3 | 2018-07-15 10:17 | 構造物 | Comments(10)