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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )
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(7/30追記)
「Chwat」号の製作をぼちぼち進めていきます。この車両についてはこのブログでもたびたび取り上げてきましたが、ここで簡単におさらいしておきます。

1944年8月1日。敗走するドイツ軍に対して、ポーランドのレジスタンス(AK:国内軍)が蜂起を起こす。
8月2日。ワルシャワの中心部、ナポレオン広場にて蜂起部隊がドイツ軍の新型駆逐戦車、ヘッツァーを火炎瓶攻撃にて鹵獲。しかし車内の焼損がひどく、車両はそのまま街路を塞ぐバリケードとして利用される。8月5日にバリケードから回収されて中央郵便局の蜂起部隊拠点に運ばれて修理。
可動状態まで復旧した車両は鹵獲した小隊の名前をとって「Chwat」(ポーランド語読みでフファット)と命名、車両の両サイドと前面にマーキングが施される。
8月14日、戦闘に参加するために移動させようとしたものの、いくつかのバリケードを通過させるために壊すことが許可されなかったため、車両は中央郵便局に留め置かれる。9月4日のドイツ軍の爆撃にて建物が崩壊した瓦礫の下敷きになり、蜂起部隊の降伏後もそのままに。
戦後に掘り出されて修復、ポーランド陸軍博物館に展示される。1950年頃に当局の指示により車両は廃棄処分。「Chwat」のものとされる転輪のみ現存。

とまあ、要約するとこんな感じ。TANK ENCYCROPEDIA にも「Chwat」の項があるので、それを見るのがわかりやすい。

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この鹵獲されたヘッツァー第743戦車猟兵大隊に配備されていた車両で。チェコのBMM工場で1944年5月〜7月に生産された初期型の特徴が確認できる。車両の生産番号もNr.321078と判明しているようです。番号から推測すると6月生産車。

1/35のキットでヘッツァー初期型を探すと、ドラゴン(no.6030)とアカデミー(no.13278)からリリースされていて、どちらも「Chwat」号のマーキングがデカールで用意されている。
しかしドラゴンのキットは2002年頃のものであり、ディテールの再現度は現在の目からすると少々難あり。アカデミーのものは車体の長さが違ってたり転輪の立体感がいまひとつだったりと、後発のキットであるにも関わらずアドバンテージに乏しい。近年、ドラゴンからリリースされたヘッツァー車台の自走砲で足回りのパーツがリニューアルされていて、なかなか雰囲気はよいのでそれを利用するという手もあったが、もうちょっと手軽に作れるキットをと思い、今回はタミヤのヘッツァー(no.35285)を調達。

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タミヤのヘッツァーは1944年8〜9月頃の中期型の仕様のため、初期型を再現しようとなると防盾や砲身を交換する必要があり、DEFモデルのアフターパーツを利用するのが近道。
と、ここまでが前の記事で予告した製作のポイント。

しかし、調べてみると5~7月生産車にはこの他にも違いがあることに気がつく。軽い気持ちで初めて深みにはまるいつものパターンですが、要改造ポイントを書き留めておくと。
・初期型の防盾と先端にねじ切りのある段つきの砲身:DEFモデルのパーツを流用
・初期型のボルト耳付きマントレット:タミヤのパーツを切削改造
・車体天板にピルツがない:タミヤのパーツを修正
・車長ハッチに小ハッチがない:タミヤのパーツを修正
・車体上面後部に冷却水用ハッチがない:タミヤのパーツを修正
・同上部分に予備履帯:タミヤのパーツを利用追加
・排気管マフラーに防熱のパンチングガードがある:MSmodelsのエッチングパーツを利用
・車体後面誘導輪基部の履帯テンション調整具の形状が違う:38t戦車のジャンクパーツ流用
・リーフスプリングの基部のディテールが違う:タミヤのパーツを修正
・上部転輪の基部に5つボルトとリブ:あまり見えないからスルー?

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先ずはサスペンションのリーフスプリング基部の修正。初期型は板バネを束ねる部分がフラットで軸受け部分に軽め穴があいている。修正はプラ板で段を埋めて、ドリルで開口して穴の形を拡張整形。写真は途中段階で穴がヨレヨレしてますが、この後もう少しきれいに整えましたよ。

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といってもこの程度。穴の形になんとなくバラツキが出てしまっているのは手仕事の限界。
転輪をつければ隙間からちらりと見えるか見えないかなので、これで良しとして作業を「前進」。

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初期型のサスペンションは実車でも確認できます。この写真は戦後の修復時のものですが、ちょうど
第二転輪が外れていて基部の軽め穴があるのが見えてます。

ヘッツァーの生産が本格化した時期(1944年5月〜)とワルシャワで鹵獲された時期(1944年8月)から考えれば自明なことではあるのだけど、Chwat号は鹵獲修理時に撮影された写真や鮮明な動画フィルムがそれなりに残っていることもあり、実車でも詳しく確認できるのはありがたい。

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タミヤのキットは中期型の仕様であるため、履帯のテンション調整金具の形が初期型のものとは違う。
初期は38t戦車由来のパーツを利用していて固定ボルトが2穴であったが、中期型以降の金具では車体側板の角度にあわせてリファイン、ボルト穴が一つに減っている。

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初期型の金具はドラゴンの38t戦車系自走砲を作った時のジャンクパーツから流用。こういう時に役に立つから不要パーツはなかなか捨てられない。。

しかし38t戦車の部品がそのまま流用できる訳ではなく、ヘッツァーで斜めに角度のついた車体側板の角度にあわせて履帯テンション調整金具の取り付けプレートの上部が台形にテーパーカットされている。その様子を現存する初期型車両のディテール写真を見ながら修正。

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「Chwat」号の修理時の記録フィルムでも後部のディテールを確認。テーパーカットされた2つ穴の履帯テンション調整金具。排気管マフラーにはパンチングメタルの防熱ガード。後部上面のラジエーター冷却水補充用の小ハッチはまだなく、その部分に予備履帯を搭載。後部向かって右下の冷却水加熱口の蓋に増設される足掛けステップは、この頃はまだ未装備。なので、キットの足掛けステップのモールドは切除。

写真をよく見ると、エンジン始動クランクのキャップが脱落していたり、ワイヤーロープや予備履帯をつけたまま迷彩塗装をかけた痕跡など、「Chwat」号に固有の特徴も確認できるのですが、それを再現するのはもう少し先の作業になるかな? 

先ずは初期型の標準仕様へのキットの改修を進めます。(次回は車体上部)


# by hn-nh3 | 2019-07-28 09:48 | HETZER | Comments(8)

1/36 :朝顔図屏風

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暑中見舞い申し上げます。梅雨も心も晴れずの日々の気分転換をかねて、郵便局で買い求めた朝顔の切手を「組み立て」屏風仕立てにしてみました。

切手のモチーフとなっているのが、江戸時代後期は琳派の画家、鈴木其一の「朝顔図屏風」。六曲一双、各178cm×380cm

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(サントリー美術館「鈴木其一」展 2016.9.10-10.30)

数年前に鈴木其一の大規模な回顧展があり、メトロポリタン美術館所蔵のこの朝顔図も出品されると聞いて実物を拝みに行ったものです。やっぱり実物大で見る本物の作品はきれいでしたよ。

ただ、想像以上ではなかったという印象もありました。前に「キッテレビュー」でとりあげた尾形光琳の燕子花図屏風の実物を根津美術館に見に行ったときの体験に似ています。

どちらの作品も紛れもない傑作であることは事実。草花の複雑な自然の造形の写生に止まらず、グラフィックの「図案」のような抽象化を行って屏風絵という装飾性に見事に応えてます。しかしそれ故か、どこか実在感が希薄というか何というか。

絵に何を求めるのか、という話になってくるのだけど、上野の博物館で長谷川等伯の松林図屏風の実物を見たときは墨のついた筆をバサバサッと叩きつけたような筆致など、作品集の小さな画面ではわからなかった「原寸の質感」に心が震えたものです。
それに対して鈴木其一の朝顔図は型紙を使って描いたかのような朝顔の花の葉のミニマルな反復。拡大も縮小も可能なパターンというか、絵画特有の原寸の物質性を逃れるような軽やかさとでもいうのか。

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そんな意味ではこの朝顔図屏風の切手は、スケールを変えても美しさが維持されるというこの作品の特質をうまく捉えてます。ちなみにこの切手は今年(2019)年の切手趣味週間の切手として4月に発売されたもの。ゴールデンウィークの頃に1シートは買っておいたのですがその時は朝顔の季節には早いかなと、今回のレビューであらためて1シート追加購入。近所の郵便局にはまだ残ってましたよ。

プラモよろしく台紙から切り離して屏風に組んでみます。縮小スケールを計算すると、約1/36。惜しい!(何が..)
前にレビューした光琳の「燕子花図屏風」の切手は図柄の上下がトリミングされてしまっていて、正確なスケールモデルとは言い難いところがあったけど、今回の朝顔図屏風はほぼほぼ原画のプロポーションが維持されてます。

ただし、切手のフォーマットの制約で本来なら12分割(六曲一双)となるべきところが、10枚組(五曲一双)となってしまってるのが同様に惜しむべきところ。

それでも、こうやってスケールモデルの楽しみ方ができることろはモデラー的にはうれしいですね。

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余興で1/35の兵士を屏風の隣に立たせてみたよ。屏風は高さ方向は 1/37ぐらいの縮尺に相当にするので、実物より少し小さく見えるけど、だいたいこんな感じ。
銃を構えた米兵は、MiniArtの(no.35089)第101空挺師団 ノルマンディ1944 から。特に修正も追加工作もなく組んでこのプロポーションの良さ。これもまた名作なり。

朝顔に つるべとられて もらひ水(加賀千代女)

# by hn-nh3 | 2019-07-20 17:34 | 草花 | Comments(2)

ドラゴン・トラップ


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残念なお知らせです。
前々回の記事でDragonのlll号着弾観測戦車のキットには旧式の起動輪にスペーサーをはめて400mm履帯をつかえるようにした改修型起動輪がパーツで新たに起こしてある。これは絶対に買い! と言ってしまったのですが、どうやらこのパーツには罠がある模様。。

写真左側の丸穴があいたものがE~G型まで標準的に使われた360mm履帯用起動輪にスペーサーをかませた改良型。右端はH型後期以降に使われた400mm履帯用の新型起動輪。

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真横から見るとこんな感じ。左側が400mm履帯用新型スプロケット。手持ちのJ初期型熱帯仕様のキットのものから。継ぎ目にパテがラフに塗りつけてあるのは気にしないでください。パテの乾燥中でだいたい三年くらい寝かした状態。
そして右側のものが、スペーサーをかませた旧型タイプ。400mm履帯が使用できるように幅が拡張してあるのがわかります。

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仮組した状態。美しいディテールです。
ドラゴンはマニアックなバリエーションキットを展開するために、こうしたちょっとしたパーツの金型を追加で起こしたりするフットワークのよさは見事でしたね。(過去形)
このパーツでは歯車の裏側にリング状のスペーサーをかませて丸穴のあいたディスク部分との段差が大きくなった改修型の特徴を再現してます。

と、ここまではいいのですが...

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実車の写真と比較してみると、ん? キットのパーツのほうが段差が浅くない??

目の錯覚かなとあれこれと事例写真と見比べても、やっぱり実車のほうが段差が深い。
改修型スプロケットをつけてる現存車両もあるので、Primeportalのこの写真と比べてもやっぱり実車のスペーサーのほうが厚くみえる。その写真を見て他にわかることは、スペーサーリングには、ボルト穴を兼ねた軽量化の穴がリングに沿ってびっしりと並ぶ部材であることだ。鉄板を切り抜いたものではなく、鋳造部品なのだろう。

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試しに上の実車写真と同じアングルで撮ってみました。車体は撮影用に作りかけのJ型車体で代用。
確実にキットのパーツはスペーサーが薄いですね。実車と比べて丸穴ディスク部分との段差が不足気味。

Primeprtalのこの写真でスペーサーの厚みがよくわかります。
車体側の歯車と外側の歯車にはめられてるスペーサーの厚みに違いがあるのです。内側のものは薄く外側のものは厚い。
それなのにキットのパーツは内側も外側も同じ厚みのスペーサーで設計されてしまってるのです。やっちまったね、ドラゴン。。

内側と外側のスペーサーの厚みの違いは、360mm履帯から400mm履帯へと対応させる際に、中心振り分け両側20mmに拡張すると内側では車体の干渉がでてくるので外側により大きく拡張させるようにしたのだと思われます。

3号戦車の履帯の変遷は初期の360mm時代の次に380mm履帯が登場、それにあわせて転輪も75mm幅から95mm幅に拡張。そして400mm履帯では起動輪もそれにあわせた対応が必要に。。
その経緯を踏まえると、380mm時代に両側に10mmずつ軌道を拡張、400mm履帯対応では内側10mmを維持して外側に30mmオフセットさせてトータル40mm(360→400)のスプロケット幅の拡張を行ったのか。

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手持ちの資料をあらためて読み返したら、GROUNDPOWERの2019/ 5月号 ドイツlll号戦車(3) の寺田光男氏の記事に書いてありました。「...旧型起動輪へのスペーサーリングは、内側10mm幅、外側30mm幅のものが取り付けられた。」p21-22
この変更で履帯の軌道の中心線が10mm外側にオフセットした訳ですが、それに対応するため当初は転輪取付部に10mmのスペーサーをセットしていたなど、この履帯幅拡張に関しても詳しく解説してありました。。。資料は眺めるものでなく、読むものですね(^^;)

Panzertractsなども詳しく読めばそういう情報もあるのかもしれないですが、ハローというところでアロハと言っちゃうぐらいの語学力の身には、こうした日本語の詳細記事は助かります。寺田氏の記事はモデラー目線に応える情報が多く信頼性も高いので掲載号は保存版です。

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キットのパーツも修正したくなるところですが、実行するかは正直微妙ですね。
確かにスペーサーの30mmと20mmの違いは大きい。たかが10mmだけどスペーサーの厚みの差は1.5倍。1/35スケールで0.3mmプラ板ほどの厚みが不足。
レザーソーで地道に歯車を切り離してサークルカッターで切り出したプラ板のリングをはさんで..と、やってやれないことはないのでしょうけど、問題はその先。スプロケットの修正で0.3mm外側にシフトした履帯の軌道にあわせて、転輪や誘導輪も調整するのか、あるいは起動輪のデフレンシャルギアケースを削って帳尻をあわせるのか、地獄の扉を開けてしまいそうで。。。

# by hn-nh3 | 2019-07-14 12:16 | lll号戦車 | Comments(8)

迷彩工場

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1948年(昭和23年)3月。東京都北区豊島5丁目上空。米軍が戦後、全国を撮影した空中写真の一部は現在国土地理院のサイトで閲覧可能。この写真もそこから引用;写真No.USA-M866-34 の一部拡大

戦時中の高射砲陣地の痕跡についてブログで何度も記事にしてますが、その場所が明らかになってない陣地の場所を特定するのに米軍撮影の航空写真を見て回っていると、時々こんなものも見つけます。

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上の写真の部分を拡大。工場の屋根にちょっと不思議な市松模様が描いてあります。これは戦時中に軍需工場など爆撃機からカムフラージュするために描いた迷彩パターン。一帯の工場を住宅街に見せるために屋根に描いた模様が戦後三年が経ってもそのままになってたようです。

建物の迷彩は戦時中に熱心に研究されていたようで、当時の書籍で「擬装方法」を解説した本を見たことがあります。屋根や壁面に塗装で明暗差をつけて建物ボリュームを撹乱することを意図していて、周囲の建物のスケールに似せたパターンをつけるといい、というようなことが書かれてました。国会議事堂や東京丸の内のビルにも迷彩が施されていたことは、前に書籍:「米軍が見た 東京1945 秋」のレビュー記事で書いたのでそちらを参照。

しかし、工場の屋根に迷彩を描いた写真は意外に少ない。地上からの写真では当然のごとく写るものではなく、戦後に撮影された米軍の空中写真では、(迷彩が施されていた)軍需工場は空襲でことごとく破壊されて、その焼け跡ばかり。

米軍の艦載機が地方都市を機銃掃射した時に記録されたガンカメラの映像が残ってます。機銃発射と同時に撮影する仕掛けになってたようですが、それにカラーフィルムを使うところに米軍の底力を感じます。戦時中の地方都市をカラーで捉えたということでも貴重な映像ですが、そのなかにいくつか工場の迷彩が映ってました。

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フィルムの撮影された場所を特定するサイト”内地への機銃掃射(ガンカメラ)映像・改”から引用紹介

厚木飛行場のフィルムでは迷彩工場はほんとにちらっとしか写りませんが、なんというか。。制空権完全喪失の状況が痛々しいです。


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話を戻して豊島5丁目。ここの工場が空襲を受けなかった理由は定かではありませんが、肥料を作っていた工場(大日本人造肥料株式会社)だから爆撃の対象にはなってなかったとも想像します。しかし、このページを見てわかるように、北区には軍事施設や関連工場などが多くあった関係でこの工場も攻撃から逃れるために迷彩が施されたのかもしれません。

ここは蛇行する隅田川が荒川に極端に接近するちょっと面白い場所。戦後、工場が公害問題で移転した後、1972-73(昭和47-48年)に巨大な団地「豊島5丁目団地」が作られます。

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GoogleMapのキャプチャー。川に囲まれた巨大団地。陸の孤島につくられた人工世界。団地マニアなら一度はいくべき。
首都高速(中央環状線)江北ジャンクションから見るここのパノラマ風景は美しく、東京郊外の風景のなかでもピカイチではないかと勝手に思ってます。

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# by hn-nh3 | 2019-07-11 21:01 | 構造物 | Comments(4)

7月スタート

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いつの間にか7月。今年の半分が過ぎたことになるけど、何か完成したものあったかしら? まわりはどんどん動いてます。築地市場の跡地も解体がどんどん進められて、そこにあった記憶は巨大な空白に..  なくなるというのはこういうこと。

備忘録がてら始めたブログもとりあえず3年目。前に書いた「OVMは何色だったのか(後編)」はキラーコンテンツなのか、ブログ内のランキングはいつも上位。やっぱりOVMの塗装で悩む人は多いから当然の成り行きでそこに何の不思議はないのだけど、四谷駅前の謎の穴の話「四谷の穴」「四谷の穴(後編)」が最近、何故かランキング急浮上。四谷駅で降りる事もなくなってしまったので駅前の穴が今どうなっているのか知らないけど、何かが起きたのかしら? 気になる人はやっぱりいるんだね。


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去年の暮れの東京AFVの会の時にかば◎さんにもらった(押し付けられた) エレール1/72 コードロンシムーンの近況。
組み立ては最終段階。主翼を固定してキャノピーパーツも接着。このパーツは透明なガラス部分だけではなくキャノピー周囲のボディも含んだ成形になってしまっているので、継ぎ目を瞬間接着剤で埋めてサンディング。タミヤの瞬間接着剤「イージーサンディング」はクリアパーツが曇らないので重宝します。隙間を埋めるには瞬間接着材だけでは傷のリペアぐらいがやっとなので、ベビーパウダーを混ぜてどろどろのパテ状にして使用。

ピトー菅はWAVEのC-パイプを組み合わせたもの利用。プロペラのスピナーはパーツの形状がちょっとぽってりしすぎる感があったので削り込んでペーパーがけ。これで工作はほぼ完了。

こんなの2ヶ月ぐらいで完成だね、なんて考えてたけどもう半年。ようやく塗装に入れます。


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夏が来たことだし、そろそろ新しいアイテムもスタート。ワルシャワ放棄でポーランド国内軍(AK)が鹵獲使用したヘッツアーのChwat(フファット)号を作ります。作りかけのケーブルドラムも並べてバリケード仕立てにしたいなと。

興味はあれどそのままになってたアイテムですが、vol de nuitさんのサイトでワルシャワ放棄の時に使われた車両についてワイワイやったりしてワルシャワ熱がふたたび高まってきたこともあり、ここらで思い切ってスタート。(というか、少し前からちょこちょことは始めてました。)

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使うのはタミヤのヘッツアーですが中期型のモデルなので、Chwat号の初期型ヘッツアーに仕立て上げるには多少の改造の必要あり。初期型のキットはドラゴンやアカデミーから出てたりするんですが、それぞれに難ありなのでタミヤのをベースで行きます。初期型の防盾と砲身はDEFモデルのものを調達。

タミヤのキットは戦車砲の 装填部など車内造作がまるっと省略されているのですが、Chwat号は鹵獲時の火災で戦闘室天板が浮き上がってたりして隙間から砲尾部分がちらっと見えそうな予感。インテリアの完全再現ということは目指してないけど、覗いて何かあるかな程度には再現しておきたい。搭載砲は48口径の7.5cmPak39。手持ちのストックには流用できるちょうどいいものがなかったのでタミヤのラング用砲身追加パーツを購入、これで代用します。しかしラング用は70口径7.5cmPak42なので砲尾のガード部分の形状が48口径用とは少し違う。パーツを削り込んだり接着剤で溶かしたプラを盛ったりチマチマと修正。と言ってもハッチからはチラ見え程度なので改造はあくまでそれらしく。ほどほどに。


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もうひとつ新アイテムの準備。lll号着弾観測戦車を作ろうと作戦準備中。キットはドラゴンのno.6792。

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ドラゴンのlll号戦車のシリーズはどれも傑作揃いですが、そのバリエーションキットになります。通常の戦車型を砲兵隊の着弾観測用にカスタマイズした車両で砲塔にはカムフラージュで偽砲をつけるなどちょっと変わったシルエットが魅力。

特徴的な防盾や砲塔に増設された観測用のペリスコープといった着弾観測用車両ならではのパーツの他に、このキットでは旧式となったF型をベースに改装した車体を再現。操縦席前面には鉄板を切り抜いただけのような増加装甲。

足回りはH型以降で標準の40cm履帯を履かせるため旧型のドライブスプロケットにスペーサーをかませて幅を拡げた状態をしっかり再現してきてます。

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スペーサー付き旧型スプロケットはこのキットで初めて再現されたんじゃなかったかな。このためだけにでもこのキットを買う価値あり。lll号戦車H初期型(no.6641)でそれこそ必要なはずのこの「Wランナー」は入ってなかったみたいだし。

(最近ドラゴンから発表されたlll号突撃砲B型のキットにはスペーサー付き旧型スプロケットが同梱されてそうな予感)

lll号着弾観測戦車は1942~45年に使用されているので、写真のISU152の横で朽ちてる車両のように砲塔シュルツェンを装備している車両を見かけます。そんな仕様で再現したいのだけど、しかし残念ながらキットにシュルツェンパーツはなし。

ドラゴンのM/N型に出来のいいパーツがインジェクションで再現してあったりもするけど、そのためだけに買うのはもったいない。サードパーティのものでいいのはないかと探してみると、これが意外にない。Ⅳ号戦車用はいくつものメーカーから出ているのですが、lll号戦車用となると...
そしてようやく見つけたのがE.T.modelのエッチングパーツ。これを使ってみようと思う。

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# by hn-nh3 | 2019-07-06 13:03 | 日々 | Comments(9)

ブタ公園

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公園のブタ。東京都杉並区の大宮児童公園にて
善福寺川沿いの森に大宮八幡宮という神社がある。その昔、源頼義の奥州征伐にまつわる伝説があったりと古い歴史を持つ社なのだが、それ以前からの聖地だったようで古墳時代の祭祀跡があったり、川を挟んだ高台には縄文時代の大集落があったらしい。台地の先端には戦時中に高射砲の砲台(松の木陣地)が作られたことも。これについては機会を見て取り上げたい話題だけど、今日は公園のブタの話。

公園ファイルその1:大宮児童公園
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環状7号線の少し外側。善福寺川沿いの森にある神社の横の赤い星のところがその公園。

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神社の土地を区が借りて公園整備をしたのだろうか。静かな森のほとりにブタが3匹。
地図と空中写真はGoogleMapよりキャプチャ。

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コンクリートでできたブタ。この類の遊具を専門用語では象形遊具、というらしい。
ここには親豚1匹と子豚2匹。初詣にも訪れる神社なのでよく知ってる場所なのだが、近年にペンキの塗り替えで子豚が青くなるという事件が起こった。

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青の悲劇。。。なんでブタさんが青いの?と子供に聞かれたら答えに困る。既成概念にとらわれてはダメだよ、と教えたらいいのか。


公園ファイル2:玉川上水第三公園
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先の公園から南下して、神田川沿いの台地の端。中央高速につながる首都高4号線のすぐ北側。江戸時代の水道用水だった玉川上水の水路跡地を公園にした場所。

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この公園には敷地のあちこちに動物がいます。黄色く囲った場所にもたくさんの動物遊具が。

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キリンやゾウ、シロクマ、イノシシにオットセイ。写ってないけどワニやカバ、ウサギにカメもいます。すべてコンクリート製、同じ形のものが他の公園にもあるので、おそらくは型抜きでつくった量産品。

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このエリアにはブタが4匹。子ブタが2匹にひとまわりおおきい兄ブタとでもいうのかそれが2匹。

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子ブタを横から。正式は呼び方は知らないのでとりあえず分類の都合、子ブタをブタ(S)、兄ブタをブタ(M)、大宮児童公園にいた長い親豚をブタ(L)としておきます。

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ブタ(S)の4面図


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ブタ(M)の横姿。ぶた(S)は鋭い目がペンキで書いてあったけど、こちらは穏やかな寝顔。

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ブタ(M)の4面図

ぶたの形をMとSを比べて見ると、体格の違いもあるけど鼻の形が違うなど微妙な造形的変化もつけてあるようだ。尻尾の巻き方も違う。芸が細かい。


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Googleの検索でブタのいる公園を調べてみる。地元でブタ公園と呼ばれているものは結構あるらしく、それなりの数がリストアップされた。面白くなってきたので、ブタのいる公園を地図にプロットしてみた。キーワード検索で見つかったものをプロットしているので、実際のブタ型動物遊具の分布とは異なっている可能性はあるものの、東京23区内の広範に生息域を持つことが判明。杉並区、世田谷区、板橋区に多数生息。なかでも前回の東京オリンピックの時に整備された駒沢公園にあるぶた公園は有名で、センスよく塗られたブタたちがいるインスタ映えスポット。

港区や品川区、千代田区や中央区ではブタ公園は見つからず。都会にブタは住めないのか?
もっともGoogle検索ではリサーチに限界があって、単純に公園のブタに興味を持って写真を撮ってる人がいる場所といないエリア、ということが浮かび上がっただけかもしれない。

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検索エリアを南関東に広げてみる。
ぶた公園の分布を調べてみようと思ったのは、「大宮公園ぶた公園」というかば◎さんのブログ記事なのだが、その囃し唄の広まった一帯にはブタ公園が多数存在すると思いきや、埼玉の大宮市や千葉、茨城にはブタ遊具の置いてある公園は発見できず。そもそもブタはいないのか、あるいは絶滅したのかは不明。神奈川方面では横浜にはいるけど川崎では見つからないなどの地域偏差も。

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全国レベルに広げてみると。基本的な分布は東京23区とその近郊に限定されることが明らかに。
大阪の住吉公園にそれなりの生息数が確認できるものの、近畿圏では別の種類の動物遊具が多く、基本的には別の生態系。北海道の室蘭にある祝津公園が今のところ確認できてる生息の北限。

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渋谷区 代々木大山公園のゾウ型滑り台(撮影2007年 ※現存)

公園の動物遊具にはゾウの形をした滑り台とかタコの遊具など個性的なものも多い。そうした大型の遊具は現場制作の一品造形。それに対して、ブタ型遊具は明らかに同じ(S/M/Lのサイズの違う3種類の)型からつくられた量産品。だからあちこちの公園に設置が可能で普及もしたのでしょう。とはいえコンクリート製で重量もあるから遠距離輸送には難があり、さすがに全国的な広がりを持つことはできず、ローカルな生息圏にとどまっていると想像します。

ブタ公園がつくられた年代を調べたら、昭和40年代に集中していることがわかりました。高度成長期に増加する子供に対して自治体が児童公園を整備したときに大量に作られて設置されたのでしょう。団地の公園でよく見かけるのも同じ理由でしょうか。
郊外が都市化していく時代とブタの分布は重なるのかもしれません。

地域的な偏差に関して、たとえば新宿区にはいるけど隣の中野区にはいなくて、その隣の杉並区には多数生息、というようなブタの多い自治体とそうでないところがあるのは、児童公園整備の公共工事入札にブタ遊具のメーカーが入り込めたところとそうでないところの差なのかもしれません。想像ですが。

調べてわかったブタ公園のリストを貼っておきました。ここにもブタがいるよ、というのがあったらお知らせください。
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# by hn-nh3 | 2019-07-04 04:30 | 動物系 | Comments(6)
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製作中のFIAT500に添えるフィギュアを探している。イタリアに駐留する第4降下猟兵師団の医療部隊の車両の設定だから、救急車に乗ってやってくるちょっと変わり者のドクターがいたりしたら楽しい。そんなシーンに使えそうなフィギュアがないかしらとオーディションをしていたら、こんなフィギュアが。

D-Day miniature studio のレジンフィギュアのセット(no.35016)にドイツ赤十字の看護師。
救急バッグを肩にひっかけてタバコをふかしている看護婦とちょいワル傷病兵とセットのパッケージ。ヨドバシカメラで掃除機買った時のポイントが余ってたので、それを使って購入。

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メーカーの作例写真から。戦場を渡り歩いてきたような強さを感じさせますね。わーい看護婦さんだ〜と、うっかり近づこうものならヤケドしそう。火の着いたタバコをぎゅっと手に押し付けられる...そういうことじゃなくて。

ドイツ軍にはドイツ赤十字(DRK:Deutsches Rotes Kreuz)所属の医師や看護師が派遣されてたようですね。彼女たちの制服の色とかディテールはどんなだろうと例によって調べ物。だけど困ったもので、Google先生に "ナチスドイツ...看護婦... "そんな単語で聞いて見ると、なんだか違う世界の扉が開きます(笑)。いやいや、コスプレじゃなくていいから。。

d0360340_16285954.jpg白エプロンの下に着ている丸襟つきワンピースは白地に青のストライプ。遠くから見ると水色に見える。フィギュアの作例はそんな色合いで塗っているってことかしら。1/35でストライプを描き分けるのは至難の技だし。他にグレーの制服もあるようです。このあたりはまたリサーチ中。

襟の形にもバリエーションあるしボタンの色は? 
ストッキングは肌地が透けるタイプと膝丈までの黒いニーソックスの2つがあるのか?
靴はプレーンな紐靴かローヒールのパンプス、前ストラップのバレエシューズ型などいろいろ見かけるけど、ひょっとして靴は個人調達? ヒールの高さに規則はあるのか? などなど、どうでもいいディテールがあれこれと気になりだします。

こんなこと突然に語り始めたりして自分でも不安になりますが.. まー、帰ってこられる程度にほどほどにしておきます。

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パーツは4パーツ。ボデイと左右の腕とヘッド。腕にはダボがついてて、そのまま差し込めばポーズが決まるようになってて、これは親切。結構、合わせが難しいフィギュアも多いしね。
ヘッドは長めにつくられた首を差し込めばボディに固定できるようになっているのでヘッドとボディを別々に塗装するのが可能。...ミリタリーフィギュアはヘルメットとのバランスを考えてか、首が短いフィギュアが多いけど、首って実際、思ってる以上に長いんだよね。首の長さは大事。ちょっとした傾きで感情が表現できるのは手首と一緒。

...スカートの中はどうなってるの? と気になる輩に最初から言っておくと、残念ながらスカートの中はレジンのムクです。裾のラインからすっぱりと一直線にレジンの塊になってました。

しかし... それだとあまりにリアリティに欠けるかなと、ちょっと彫り込んでみたのが下の写真。ローアングルから写真撮った時にレジンの「底」が写り込むのも興ざめですし。バーチャルな境界面で足とスカートの色の塗り分けするのも変だし。

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最初は膝上ぐらいまでちょっとだけ彫り込んでおけばスカートの裾も薄く見えるよね、と作業しているうちに、意外に彫れるもんだねと調子に乗って...奥の奥まで掘り進んでしまいました。どこまで再現されてるかはナイショ。

(7/1 追記)
掘り込みに使った工具はコレ

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アイガーツール EF-06 と ハセガワのモデリングチゼルの平細TT4。
EF-06は市場価格で3000円前後と安価ではないけど、替刃式のナイフで刃先の形状が違うものが5本入ってるので、それを考えればお徳用です。
刃先がカーブしてるのが重宝します。カッターや切出しナイフのようにフラットで刃先が尖ったものだと、刃先を当てる角度が悪いと深く抉れてしまったり刃先が欠けたりしてしまうことがよくありますが、カーブした刃の腹の部分を使うと他の部分を傷つけることなく彫り込むことができますね。

フィギュアなど曲面の多いものだけでなく、装甲板からリベットを剝ぎ取ったり不要なモールドを削ぎ落とすのも周囲を傷つけることなく削り取れるので最近はもっぱらコレ使ってます。
曲線刃のナイフなら何でもいいと思いますが、EF-06は刃も柄もステンレスなのが医療用メスみたいで気に入ってます。フィギュアの目尻の切開など「オペ」には欠かせません。(結局そこかい..)

レジンなのでサクサク削れるというか掘り込みは思ったよりは楽でしたね。削ったあとは、ゴッドハンドのスポンジ布やすり:神ヤスでひたすら表面均し。奥のほうは小さく切ったものをピンセットでつまんでゴシゴシ。

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首と手のないトルソー。彫刻的で美しい立ち姿。ボデイも厚みがあって素敵です。何もおっぱいおおきいとかそういうことじゃなくて、西洋人的な骨格、という意味です。ヘソまわりはもう少しボリュームを絞ったほうがいい感じだと思うけど、うっかり削るとモールド殺しそうで難しいからそれはやめよう。

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モールドのシャープさはレジンならでは。インジェクションでは省略されてしまう身体側面の立体感もちゃんと再現されてるし、バッグをしょってる手の角度も雰囲気あります。煙草を持つ手のひらの傾き加減も自然。吸おうとする手ではなく煙草をくゆらしている感じがする。
お顔は.. すれっからしの、いかにもな感じで個人的には好みではない。もっと普通でもよかったな。
あ、煙草吸うんだ.. ぐらいな感じがちょうどいいと思うんだけど。

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いずれにせよ、AFV世界の女性フィギュアというと、とかく男性兵士の添え物的だったり、パラレルワールド的な女性アイコンだったりしてよいものは少ないのだけど、彼女は一人でも強く生きていけそうな感じで、なかなか貴重。

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FIAT500の救急車に合わせてみたよ。さてさて、どんなシーンが似合うやら。

# by hn-nh3 | 2019-06-30 17:59 | 人々 | Comments(15)
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久しぶりにプラモの話。( ...模型ブログではなかったんかい?)

製作中のFIAT500 トポリーノのバンタイプ、イタリア駐留の第4降下猟兵師団 救護部隊所属車両。と、設定まで書くと長々となってしまうので 短く ”FIAT500” でいきます。
BroncoModelsのキットは細部までこだわって表現していて、フロントグリルのエンブレムのプレートもエッチングパーツで用意してあります。だけどFIATの文字はそこに無し。大人の事情か忘れたのかは知る由もないが。

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せめてデカールでFIATのロゴが用意されていたらよかったのだけどそれも無し。エンブレムのパーツのサイズは長さ2.4mm、幅1.6mm 。何か自分で細工をするには小さすぎるけど何もしないにしてはちょっと大きすぎる余白。
なので、例の自作ドライデカール作戦は可能か検討中。欲を言えば赤とシルバーの2色刷りにしたいところだけど費用もかかるので、赤く塗ったパーツに白いレタリング文字を貼り付ける方法が有力。それなら制作構想中の車両(まだ秘密)の白いマーキングをオリジナルデカールで起こす際に、余白にFIATのエンブレムロゴのデーターを配置して一緒に制作できる。写真はイラストレーターで作ったデーターを家庭用インクジェットプリンターで試しに出力してサイズ確認しているところ。

FIAT500 の当時のエンブレムロゴはどんなのだったか調べてみると、ロゴは時代によって変遷がある。
FIAT500 トポリーノに使われていたのは下方にすぼまって尖ってる1938-59年頃のタイプか。
トポリーノA/Bタイプの生産年代(1938-47)からすれば、それが順当ではあると思われるが、実車の写真を調べてみても、はっきりしない。実物でも小さいものだからネット画像の解像度で個々に識別が難しく、現存車はレストア時にオーナーの好みで31年タイプのものに変えてしまっている例も多い。

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FIAT500のバンタイプは、運転席後部に箱型ボディを乗せて後部ドアに窓がないためにクーペタイプのようにバックミラーで後ろを確認するという訳にもいかず、左右両側にサイドミラーをつけて後方確認をしている。ブロンコのキットもサイドミラーの小さなパーツが用意されていて、ドアのサイドウィンドウのフレームに取り付ける指示。

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うっかりなくしてしまいそうなパーツのサイズ。取り付け強度を考えると真鍮線に置き換えた方が無難?
しかしそれ以上に悩ましいのが制作の参考にしている写真。

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一緒に写っている兵士がどうにも邪魔なのだけど、サイドミラーがあったらそこに手はかけないよねという雰囲気でどうみてもサイドミラーを装備しているようには見えない。実際、バンタイプの現存車でもサイドミラーがあったりなかったりで悩ましい。標準装備という訳ではないのか?

付けていないのか、とれてしまったのかは不明だが、とりあえず、今つけても塗装中に破損することは確実なので、つけるかどうかは後で考えることにして先に進もう。

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工作は完了して塗装の準備作業に入ってます。塗装下地にサフェーサー吹いて1200番のペーパーで磨いてを三回くらい繰り返し。ミリタリーモデルとはいえ、民生車だから半ツヤぐらいの塗装では仕上げたいので下地の荒れは極力少なく。
試しにフロントガラスのクリアパーツもはめてみた。クリアランスゼロ。ビタビタです。サイドウインドウのクリアパーツの勘合も確かめたけど写真撮る時は嵌めるの忘れました。ごめんなさい。

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ドアのパーツは開閉選択式。後部のドアも開ける設定にもできるように接着してません。だからずれて見えるのは仮組中の状態であって、パーツの精度が悪くてはまらない訳ではないので誤解のなく。
ドアを開けるかどうかはわからないけど、ブレーキランプの配線がドアの裏側に露出しているのもいちおう再現してあります。どうでもいいことだけど。

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運転席の助手席のシートの後ろに自作した予備タイヤホルダーにタイヤをセットするとこんな感じ。まだホルダーにきちんと止めてないので撮影中に倒れてきてしまいました。。

FIAT 500 はイタリアでは右ハンドルだったり左ハンドルだったりまちまち。ブロンコのキットでも左右どちらかを選択できるようになってました。制作の参考にしている車両が右ハンドルのタイプなのでそれに倣ってます。

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タミヤのシムカ5といっしょに記念撮影。シムカ5(サンク)はFIAT500 トポリーノをフランスでライセンス生産したタイプ。以外と細かい違いがあって、FIAT500では装備のサイドステップがシムカ5では省略、シムカ5ではバンパーがついてたり、方向指示器がFIAT500ではフロントピラーに外付けであるのに対して、シムカ5では車体側面に埋め込み装備。このあたりの話は以前にかば◎さんがブログで書いているのでそのページ "タミヤ新作、シムカ・サンク(2)”を読むとよくわかります。

タミヤのシムカ5はほぼストレート組。折りたたんだ屋根キャンバスの側面のシワを掘り込み強調したのと、省略されていた開閉フレームと引手ハンドルを真鍮線で追加工作してあります。ブロンコのFIAT500のバンタイプのキットにはクーペタイプの開閉フレームが不要パーツで入っているので、それを流用することもできたけど(先に作ってしまってたこともあるけど)今更細かいパーツを追加するのも...とそのままに。

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タミヤとブロンコのガチンコ対決。
車体裏面の作り方に両者のアプローチの違いがよく出てますね。タミヤは作りやすさを考えてパーツは極力一体化。シャーシーはボディやサスペンションのパーツに分割再現されていて、パーツを貼り合わせていくうちにいつの間にかシャーシが出来上がるようになってます。ブロンコは実車のメカニズム再現に忠実でシャーシはシャーシでパーツを用意していて、フロントアクスルもインジェクションキットでの再現の限界に挑戦しているかのような細い部品を実車同様に組み上げていくと出来上がるようになってます。ブロンコのキットは組む楽しさはあるけど細かすぎて疲れます。

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パーツ数を比較すると、エンジンやタイヤパーツをのぞいてタミヤは7個。ブロンコは18個。分割数に比例して出来上がりの違いは歴然、と言いたいところだけど精密度がパーツ数に比例しないのは、さすがのタミヤマジック。
シャーシは実際、丸い軽め穴が空いたフレームなのにあっさり省略しているのは両者共通(ICM社だったらはやってきそう)。ボディの底板にあるプレスの補強リブがタミヤのキットではそれっぽく表現してあるけど、ブロンコは省略。シムカとフィアットとの違いなのかは不明だけど、タミヤのキットではエンジン下面にオイル抜きのキャップのモールドがあります。ブロンコのキットは無し。

そうなんですよ。ブロンコはタミヤだったら絶対やらないような小さなパーツの再現にチャレンジしてくるけど、ディテールを徹底的に再現しようという志向ではないんですよね。だから平均点で考えるとタミヤのキットに軍配があがったりもするけど、このFIAT500に関してはブロンコのパーツの薄さや繊細さがFIATらしさを出しているような気はしますね。

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来週は塗装して完成した姿をお見せできると思います(..絶対に無理)

# by hn-nh3 | 2019-06-28 20:12 | FIAT | Comments(6)
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開園当初の披露山公園(昭和34年頃)逗子市HP"逗子フォト"より

かば◎さんのブログ、”かばぶ’の最近の記事と連動して披露山公園の高角砲台跡についての検証続編。
今回は遺構としての「小坪高角砲台」の話ではなく、その砲座跡を利用して作られた披露山公園の施設について。

1958年(昭和33年)6月に開園の披露山公園は戦争中に作られた高角砲台の遺構を利用して公園の施設整備をしたというだけでもユニークなのだが、デザインは戦後モダンの良質のエッセンスが結実したものだと思う。開園から60年を経て今なお使われているということだけでも貴重だけど、時代遅れのうらぶれた気配もなく、むしろSF的というか今なお新鮮さを失っていない。

いったい誰がデザインしたのか、開園にはどんな経緯があったのかを知りたいところであったが、ネット検索ではさっぱり情報が出てこないので、半ば諦めていたところだ。
最近のかばぶの記事に触発されて、何か開園当時の資料は見つからないだろうか、ひょっとすると開園前の砲台跡地の状況も詳しく書かれてたりしないだろうかと、リサーチ再開。

そして、国会図書館のデータベース検索があったのを思い出した。国会図書館というと国内の全ての出版物が納められる巨大なアーカイブ。自費出版など非流通本を除く全ての書籍が保存されているのだが、国会図書館の収蔵資料のデータベース検索はネットでも可能で、本のタイトルだけでなく目次の単語ぐらいまでは検索できる。

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そして見つけました。"都市公園=Public Parks(14)" 1958年の公園雑誌に披露山公園が開園したときに書かれた記事。
これを見れば積年の謎がすべて解けるかと心が騒ぎ、午後の予定を急遽「外出..」にして国会図書館に行ってきました。地下鉄の永田町駅で降りて徒歩8分。国会議事堂の横。来るのは二回目。

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図書館内での本探しや閲覧、複写手続きを利用するには「会員登録」する必要があって、登録するにはまずは新館に行く必要あり。名前と住所、メールアドレス記入して運転免許など身分証明書を見せれば10分程度で登録カードの発行。それを持って、ロッカーに不要な荷物は預けて図書室に入ります。巨大な吹き抜け、しかし館内は撮影禁止。撮ったらダメなのは著作権が絡む本だけだろとタカをくくってロビーの写真を撮ったら、警備員に怒られました。なのでブログでの内部写真の掲載は無し。

館内にずらりとならぶ検索PCに陣取って目的の本を探す。本を指定すると書庫から本が出てきて館内で読むことができます。今回目的とした本は電子化が完了していて、PC画面でも閲覧可能でした。複写のページを指定して印刷ボタンを押すと複写部に送られます。窓口に行って登録カードを渡すと、送ったデーターを印刷して持ってきてくれます。便利な時代になりました。まだ20世紀の頃、前に来た時は本を探すのに木製の引き出しに入った目録カードをひたすらめくって気が遠くなった思い出があるけど。

一部を引用します。
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都市公園=Public Parks No.14 表紙:国立国会図書館にて

こんな感じでスキャンされた本のページ画像をA4にプリントしてくれました。それを再スキャンしたものなのでちょっと不鮮明ですが雰囲気はわかるでしょうか。記事の公共性も鑑みて引用紹介。

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都市公園=Public Parks No.14 口絵:披露山公園の完成予想模型

本を開くと見返しにこんな写真が掲載されてました。完成予想イメージ。とてもモダンです。
プロジェクトに関わった人が判明。
計画 立案・造園/岡 強 氏、建築設計/萩原克彦 氏、施工/萩原建設株式会社  

披露山公園に関する記事の目次:
P13 逗子市長 山田俊介氏による挨拶文、P14〜19 岡 強 氏による公園構想の解説、P20~24 萩原克彦 氏による建築の説明、仕上、建設費など。

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都市公園=Public Parks No.14 p16抜粋

雑誌の発行は1958年8月。公園開園はその年の6月だから、記事もその頃には入稿済みのものだろう。当事者による証言と開園当初の状況がわかる写真など貴重な一次資料である。公園整備以前にもアプローチの道は常に手入れがされて桜並木も植えられていたなど、荒廃していた訳ではなかったらしいことなど当時の状況を語る記述は興味深い。しかし、総論的な報告が多く、期待していた公園施設の詳細な図面などの掲載はなかった。残存していた砲座遺構の写真や調査記録など公園整備前の遺構の状況にも触れられていない。

戦後10年ほどの頃である、戦争遺構などは披露山に限らず未だ各地に残存してさほど珍しいものではなかったのだろう。用途こそ特殊ではあるが、当時としては作られてから20年も経っていない構造物である。あえて貴重な紙面を割いて記録、説明するようなものでもなかったのだろう。

考えてみれば当然か。たとえば、今の時代(2019)に空きビルになっているバブルの頃に建てられた豪奢な建物をリノベーションして海外からの観光客用の簡易ホテルにする計画があったとして、改装前のバブル建築の特徴を延々と説明するだろうか。

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都市公園=Public Parks No.14 p20-21

それはそれとして、記事を読み込んでいくと、現在も使われている公園施設について目視観察だけではわからなかったことも判明した。いくつか気になる記述を引用します。

「展望台とレストハウスの中間の砲座には最初陳列場を設ける予定であったが予算の都合から取止めて、そのまま残土で埋めて花壇を設けた。将来必要であれば堀土して利用することができる」p17

「他の砲座は金網をかぶせて猿檻とした。これは木造による簡易工作物である」p17

つまり、花壇は当初から構想されたものではなく、ショーケースの類をつくる構想が予算不足で、ひとまず花壇になったこと。後々、別の計画で利用できるように砲座遺構はそのままに土をいれて花壇としたこと。猿舎は現在のような鉄製の檻ではなく木造の簡易なものであったようだ。

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現在の披露山公園(2017年撮影)砲座利用の花壇と展望台と猿舎

現在の花壇はただ砲座に土をいれただけという程、簡易なものではなく砲座の内側にぐるりと池を回した構造である。砲座の内側に築造された池の堰堤は当然にコンクリートであるから、「そのまま残土で埋めて花壇を設けた」というほどアバウトなものではない。埋めただけというのはプロデューサーがざっくりとした方針を語ったまでで、実際には実務レベルで細やかな設計がされた、と考えることもできるが、花壇の池は後の改修でつくられた可能性がある。

レストハウスは指揮所跡のコンクリート地下構造物を基礎がわりに木造で平屋のものを作ったとあり、屋根は当初はフラットルーフであったようだ。(現在は三角屋根)展望台は鉄筋コンクリート構造で公園予算の大半をつぎ込んだとのこと。仕上材も記載されていて、木製サッシ、ガラスは5mmとある。

現在の展望台は1階、2階ともに外気に解放されたベランダ状の空間であり、2階の外周は手すりと支柱のみ。材質がアルミなのは後の時代の改修で取り替えたものであろう。

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逗子市のホームページの写真アーカイブ”逗子フォト”に開園当初の展望台の写真が掲載されている。
写真の展望台2階の右端(赤い矢印の部分)にサッシの支柱とは違う細い線がうっすらと見える。やはり開園当初、2階はガラスをはめた展望台であったようだ。60〜70年代のドライブインや風光明媚なホテルでは最上階に円形のガラス張りの展望室がある建物がたくさん作られているが、その走りであったのだろうか。

記事の引用に戻る。
「計画者として気になるのは、レストハウスと展望台が準恒久建築であるのに対して猿島と藤棚が非耐久建築であることであるが、予算上から….(略)』p18

レストハウスや展望台に比べて、猿舎は写真も掲載されてなく雑誌記事での扱いはぞんざいである。猿の檻に至っては仕上の記載もない。人間とサルでは扱いが違う、という訳でもないだろうが。
設計者のコメントにて、猿の檻は藤棚と同じような簡易なものであることが示唆されている。予算不足でやむをえない選択だったのだろうか。それがためにあまり語られていないのかもしれないが、現在のものとは違う木造の簡易なものであったことが伺いしれる。

上に引用掲載した雑誌のカバーページに計画時の公園模型の写真を観察してみよう。園内の地面はコンクリート製の鋪石ブロックを敷き詰める予定であったが、それも取り止めとなったそうだ。一番手前の砲座は陳列場を取り止めて花壇になったということで模型は最終案なのだろうが、確かに花壇を縁取る池が計画されているようには見えない。やはり池は後で付け加えられたものなのだろう。

模型の左側、一番奥の砲座の部分を見ると、猿山らしき盛り上がりは作られているものの、そこにすっぽりとかぶせる檻の姿は見えない。設計者が「猿島」と言っているのも気になるところ。動物園のサル山展示でよくあるようなオープンなものとして計画されたのか。あっても網付きのフェンス程度のものだったのか。何せ開園時の「猿島」の写真が掲載されていないで詳細は不明。ちなみに猿島の工事費は当時の金額で19万8700円。藤棚(18m×15m)はというと6万8400円だから推して知るべし。

では現在のような砲座をすっぽりと覆う大きな鉄檻はいつ作られたのか。

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同じく、”逗子フォト”には開園当初の披露山公園として鉄製の猿檻の周りに集う市民の写真がある。

雑誌の記事の記述によると、
「第二期工事により近い将来小禽、小獣舎(林間火薬庫跡)パーゴラ(展望台左右)その他がある。」p18

開園当初は平屋のレストハウス、池のない花壇、ガラス張りの展望台、木製の簡易な構造物だけの「猿島」だけであって、園内に現存する動物小屋などは第2期工事で作られたことが伺い知れる。動物小屋を観察すると、鉄製のフレームは接合部に三角の補強プレートを配した構造で、往時の写真で確認できる鉄製の猿檻のディテールとよく似ている。

鉄製の猿檻は、第2期工事で鉄製のものに変えられたものなのだろう。
冒頭の園内風景の写真では花壇には既にに池があり、奥の猿の檻も鉄製のものが写っている。撮影時期の昭和34年という記述が正しければ、開園後すぐに第2期工事に着手した、ということになるのか。この辺りの事実関係はもう少し精査が必要かもしれない。

往時の猿檻の写真を見ていて気付いたのは、檻の基部にまわされたたコンクリートのサークルは現在のものより低いように見える。現在のものは(周囲の地面の状態で高さは変化するが)鉄網にそって30cm前後のコンクリート立ち上がりがぐるりと回る。それに対して往時の写真では縁石程度のもののようにも見える。ひょっとして現在の檻は一度作り変えた「三代目」の檻なのか?

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現在の猿の檻の屋根架構:撮影 かば◎さん

現在の檻のフレームを注意して見ると、屋根の同心円状のフレームはつなぎ材が曲線ではく、直線部材をつないだ擬似円であることがわかる。それに対して往時の写真のつなぎ材は曲線材のように見え、しかも現在のものより細い。

ここからは想像なのだが、「2代目」の鉄檻は老朽化もしくは強度不足で後の時代に建て替えられることになった。しかし猿を飼育展示しながら檻を建て替えるためには、猿の逃亡を防ぐために2代目の檻はそのままに一回り外側に三代目の鉄檻をかぶせるように建設、それから内側の二代目の檻を解体した。などなどそんな推理をしてみた。

この仮説には少し根拠があって、現在の檻の基部縁取りは砲座のすり鉢状コンクリートの内側から30cm以上離れている。砲座を利用して檻を建てるなら、砲座のコンクリートの縁の上に建てるか、構造上そこに載せられないなら、そのすぐ外側に沿わしてコンクリート基礎をつくればいいように思う、しかし現状は中途ハンパな余白があり、コンクリートで埋められてはいるものの猿がそこに座って網の外に手を伸ばせてしまうためか、檻には細かな鉄網を追加してある。

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縁の微妙な余白はかつてそこに二代目の檻があった痕跡なのでは、と勝手に想像してみた。
実際はどうだうだったのか当時を知る職員関係者か、地元の古老に聞いてみたいところだ。

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公園開発前の砲座跡(逗子フォトより)

砲台遺構についての話は少ない。
市長の挨拶文の中に、海軍用地だった国有地を関係省庁と交渉して使用貸借(無償貸与)をとりつけたこと、岡氏が立案した整備方針として、遺構は強固であるため壊さず利用することで工事費の節減にもつなげること、そして設計者は以下のように触れている。

「元海軍高射砲陣地跡で円形の鉄筋コンクリートベース(直径十二・五米、深さ一・六米)三基と煉瓦及び鉄筋コンクリート造半地下式監視所跡1箇所があった」P20

短くはあるが具体的な記述で興味深い。他の記事などでは砲座の直径は12mと説明されることが多いが、設計者は12.5mと述べている。この12.5mという言及をしているのが施設設計者であるだけに言い間違えということはないはずだ。一般論としてざっくり説明するのに約12mと表した言葉がどこかで一人歩きして直径12mという定説になった可能性がある。
しかし50cmというのは無視できない誤差ではある。おそらくは設計者である萩原氏はコンクリートの縁の外径が約12.5mであることを説明したのだろうし、直径12mという表現は、砲台としての機能寸法、つまりはコンクリートの縁の内法が約12mで出来ていることを言っているのかもしれない。

砲座のすり鉢の深さが1.6mというのも貴重な記述だ。現在、具体的に測るにはサルになって檻の中に入れてもらうしかなく、展望台のすり鉢は縁の上部から45cmの深さまで埋められてしまっている。(開園当初はもう少し深くまで残されていたように写真から伺える)

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これまで筆者が作図した図面は砲座外形12m、深さは猿の檻を定規に見立てた目測で1.8mと推定していた。これらは少し修正をかけたほうがよさそうだ。砲座の図面修正とともに、猿の檻の柱の立ち方や檻の中の小檻の形状を把握しやすい写真をかば◎さんにいただいたのでそれも含めて図面のアップグレードをしてみたいと思う。
前回の記事では写真の読み取りの間違いを指摘されて、すぐにでも修正しようと考えていたのだけど、この図面修正の作業の後にあらためて訂正をかけることにします。

猿の檻のガレージキット....と冗談めかしたコメントをいただいてましたが、ふふ。二年前、披露山の砲台についての最初の記事を書いた時、冗談でこういうものを作っていたんですよ。猿の檻の1/72スケールキット。もちろん外箱だけ。

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# by hn-nh3 | 2019-06-26 19:02 | 構造物 | Comments(5)
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披露山公園建設中の風景 1957年12月頃(逗子フォト 逗子市HP より)

逗子市のホームページに「逗子フォト」というコーナーがある。市の広報用に収集した逗子の昔の写真をオープンソースで公開していて、逗子市民でなくても見ていて楽しい。
逐次更新されているようで、また新しい写真がアップされていた。上の写真は"建設中の披露山公園(昭和32年)"から。

逗子市きっての高級住宅街のある高台の一角にある市民公園の建設中の風景。とタイトルだけ見ればその公園で遊んだ記憶もなければ、はいそうですか、で終わってしまう写真なのだが、よく見ると写ってるものがヘンなのだ。それは作りかけの公園遊具ではなく、戦時中に作られた高角砲の砲座なのだ。

横須賀軍港の防衛のため、逗子海岸に面した山の上築かれた高角砲砲台は、戦後に無用となって普通はこの類のものは取り壊されるのだけど逗子市の場合は、なんと公園の施設に転用されたのだ。3基あった砲座は花壇、展望台、猿舎となって現在も使われている。冒頭の写真は展望台となる砲座から猿舎を見たところか。
 ※建設中の写真は花壇になる砲座から指揮所跡につくられたゲストハウス方向を見たものではないかとの指摘あり。以下関連記述は後日修正します。

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写真は2017年に訪れたときのもの。日付を見たら6月23日。ちょうど2年前。
砲座の上に作られた展望台(右)と猿舎(左奥)。花壇は写真を写している場所の背後。

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猿舎は円形の砲座を囲むようにオリが建てられ、内部にはすり鉢状の構造物がほぼそのまま残っている。
この様子については、以前に記事をいくつか書いた。


この砲台のことを教えていただいた かば◎さんもレポートを書いている。

かば◎さんの記事の中で逗子フォトに戦後間もないころの砲座の写真が掲載されていることを知り、猿舎の小檻の奥に隠れてよくわからなかった待避所と思われる場所の形状がわかってきた。先日のレポートではその部分の現状を実地に検分した写真をアップしている。

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披露山公園高角砲台跡(逗子フォト 逗子市HP より)

戦後間もない頃の写真を見て分かることは、高角砲を据え付ける部分は艦載用に開発された高角砲のターンテーブルを納めるためか丸くくぼんだ形状になっている。階段脇の向かって左の壁龕は他の弾薬保管用の穴とは違ってアーチ型の開講形状。これは現在はコンクリートで塞がれているもののその痕跡が見て取れることをかば◎さんが確認している。その左隣には円形の砲座のすり鉢からはみ出すように待避所のニッチが作られている。奥に待避壕でもあるのか、壁に開口。床も砲座プラットフォームから一段低くなっているようだ。この場所は現在は小さな檻がつけられていて、中の様子は人間には見えないようになっている。

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以前に描いた砲台の推定復元図をアップデートしてみました。前ははっきりわからなかった。アーチ型の壁龕と待避所の部分を修正した。階段も9段ではなく8段に修正。
待避所の張り出しは扇型で作図したものの、スクエアな形状のほうが作りやすかったのではという気もします。
しかし、かば◎さんレポートを見ると、外周は円弧になっているらしい痕跡が確認できる。

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砲座の上に作られた猿の檻。中心部の池は砲座の円形の窪みの部分を利用していて、池の縁取りと丸い穴の隙間は砂か何かで埋められてる模様。

冒頭の公園建設中の写真を見ると、展望台の砲座にもアーチ型壁龕が写っているの、3つの砲座はほぼ共通の要素を備えていたことは想像できる。ただしアーチ型壁龕の配置は猿舎のものと少し異なっていて階段の隣にあるわけではないようだ。おそらくは3基の砲座の配置の関係で個別に位置を設定したものではないか。

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ゼンリンの住宅地図を下敷きに猿舎と展望台の砲座を配置してみる。展望台砲座のアーチ型壁龕の位置は写真から推定。ひょっとすると角度的にはもうひとつ隣かもしれない。同じく展望台砲座の待避所の位置は想像。
そこと想定したのは、展望台足元にある不思議なステージというかベンチが展望台を作る時に階段と待避所を埋めるために計画されたのではないかとの推理。

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全体配置。南から猿舎(黒)、展望台(赤)、花壇(緑)の砲座。戦後米軍が撮影した空中写真(1946/08/15_USA-R227-A-3-81)から階段の方向はほぼ一定と推定。周囲に存在した土塁の影から待避所の位置がなんとなく想定できる。砲座間の距離は地図から35mと割り出した。

例のアーチ型壁龕や待避所の配置を見ると、それらが地下壕で繋がれていたのではないかと想像もできるが、それを裏付けるような資料や物証は確認できていない。
配置図の北側の黄色い四角は指揮所があった場所。南側斜面の小屋らしきものは何の施設だろうか。

配備されていたのは、八九式十二糎七高角砲(2連装 127mm 40口径)が2門。
豆知識ではあるが、海軍では高角砲、陸軍では高射砲、と呼び表していたので、このブログの記事もそれに倣っている。

# by hn-nh3 | 2019-06-23 08:31 | 構造物 | Comments(6)