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断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )
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ターレットトラック、京都編つづき。
前回の記事に登場した「BENRYCAR」というロゴのあるターレについての補足。
この写真は2015年8月に撮ったもの。ターレというより、背後に積み上げてあるフォークリフト用の木製パレットが、どんだけ積むの!状態になってるのが面白くて撮った写真ではあるのですが、手前に止めてあるターレットトラックが「「BENRYCAR」の R-2号車。

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京都市中央卸売場にて、2019年8月撮影。(以下同様)
これも「BENRYCAR」で、ボディカラーはパープル。シャーシとバックガードは亜鉛メッキのシルバー色。ホワイトナンバーのR-8号車。

市場内に構内運搬車であるターレットトラックは、前輪の上のエンジンを収容する円筒状のボディが水平回転して方向転換のハンドルも兼ねるユニークな機構を持ち、そのメーカーは、その名前の由来にもなった朝霞製作所の「ターレットトラック」の他に、ニチユの「エレトラック」、関東機械センターの「マイテーカー」、富士重工の「モートラック」などなど。旧築地市場や豊洲市場で走っている車両を調べた限りでは、概ねこのくらい。以前にも記事「ターレについて知ってる20か30の事柄」でレポートしてるので、そちらも参照のこと。

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しかし、京都市中央卸売場では豊洲市場で現在主流のエレトラックなどは少数派で、むしろこの「BENRYCAR」というロゴのあるターレをよく目にします。ボディカラーも個性的でパープルとブラックのツートンの他にオレンジとブルーの車両が多い。写真のホワイトナンバーのR−9号車はシャーシとバックガードが亜鉛メッキのシルバーのタイプですが、バックガードがボディと同じ塗装仕上げで荷台のサイドがイエロー塗装のバージョンも見かけます。

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画像が少し荒れてしまっているのですが、パープルの車両の手前を走っているのも「BENRYCAR」で、ボディカラーはイエローとブルーのツートン。

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しかし、この「BENRYCAR」ですが、どこのメーカーの車両なのか調べようとネット検索しても情報がでてきません。既に生産中止してるのかしら。

検索でピックアップされるいくつかの写真を見ると、大阪の卸売市場でも多数使われている様子。ボディカラーはイエローとブルーのツートンが多そう。しかしそれ以上の情報がなく、想像するに、大阪や京都などの近畿圏でシェアを持ってたメーカーなのか。

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検索していて、ちょっと面白いことに気がついたのですが、写真の中のアルファベットの文字、たとえばターレのボディについているロゴの"BENRYCAR"という文字をGoogleの画像検索はちゃんと識別してるんですね。OCRかけて文字情報を紐付けしているのかしら。


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その他、京都市中央卸売市場で見かけた「車両」
小運搬用の手押車で、木製のシャーシ兼荷台に鋳鉄スポークの車輪を装備。築地でもよく使われていた台車で「小車(こぐるま)」と呼ばれている。「大八車(だいはちぐるま)」を小型化して、市場の狭い通路でも扱いやすくしたというのが、「小車」の名前の由来なのか。ちなみに京都の市場では何と呼ばれているのかは知らない。機会があったら聞いてみよう。

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コンビ台車。かご台車ともコンビテナーとも呼ばれる汎用ワゴン。これは市場に限った車両ではなく、物流現場でよく使われているものです。宅急便屋さんやスーパーのバックヤードでも目にしますね。折りたたみができて、この写真のように重ねて収容可能。軽量で省スペースなのが重宝される理由でしょうか。3台がひとまとまりになって4輪×3の「12輪車」になってる状態が面白くて撮った写真。

このコンビ台車が気になっている人はやはりいるようで。hiranumaさんが1/12スケールで模型再現を企てているらしい。真鍮線をハンダ付けして作るのかしら? 真鍮パイプでヒンジを作って可動式になったりすると楽しそう。

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by hn-nh3 | 2019-09-05 20:55 | ターレットトラック | Comments(8)
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京都駅から七条通りを西へ2キロほど。平安京の旧朱雀大路の上を走る山陰線の軌道と並行した七条通りから五条通りまでのエリアが京都市中央卸売市場。ここでは東京の豊洲市場ではもう見られなくなってしまった丸いハッドランプのターレーが残っている。確認できているのは2両ほど。場外エリアの「関連11号棟」の入り口付近にいつも停まっている「中央砂糖」号。

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もう1両は少し南側の農協エリアの「桂勘」号。いずれも旧朝霞製作所のターレットトラック。旧築地市場ではターレットトラックはガソリンエンジン車が一般的だったが、京都中央卸売市場に現存するこの2台はバッテリーモーター車のタイプ。

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停車場所を地図で示すと赤い星をつけた場所。いつもこの場所に停まっているので、その店の専用の車両なのだろう。地図は市場のホームページから借用。レイアウトの都合なのか、地図の南北が横方向(左が北、右が南)になっているので要注意。市場の中央を南北に新千本通が貫いているが、市場内の専用通路となっているので一般車両は通過できない。その通路と線路に挟まれた長大なエリアが卸売、仲卸の売り場になっている。

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中はこんな風景。ずらりと仲卸の店舗が並ぶ。買い出し人などプロの業者専用の場所なのでここでは一般の小売はしていない。以前の築地や現在の豊洲市場のように一般客にも開放している訳ではないので、探検は邪魔にならないように空気になって..そおっとそおっと。

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市場を歩いているとやっぱり京都だなと思うのは、魚の品揃え。鯛や甘鯛(ぐじ)、鱧(ハモ)などがずらり。金目鯛は見かけないけど真魚鰹があったり、食文化が東と西では違うのを感じます。
ターレも豊洲で主流の黄色いエレトラックもいるにはいるけど少数派。見つけてすかさず撮ったのが上の写真。

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京都のターレは、意外にカラフル。よく見かけるカラーです。これは「BENRY CAR」 という車種。メーカーはどこなのか資料が見つからず調査中。

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オレンジ。「BENRY CAR」のノーマルカラーと思われます。これもよく見かける。

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ボディ部分のアップ。これも電動車のようですね。「BENRY CAR」でネット検索しても情報が出てこないのですでに存在しないメーカーのものなのかしら。いい情報あったら教えてください。

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グリーン。これはマイティカー、関東機械センター製です。マイティカー自体は旧築地市場でもよく見かけた車種ですが、グリーンボディは見なかったかも。エリアによって色の好みも違うみたい。

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レッド。これはエレトラック。現在、豊洲市場でも主流の車両ですが、豊洲では黄色とグレーのボディが標準ですが、こっちは赤と黒。うーん、京都は派手ね。車両の仕様も納入される市場毎にカスタマイズしているらしく、京都のターレは荷台がチェッカープレートで周囲に折り曲げたチェッカープレート製の縁取りが施されてます。積荷が走行中にずれ落ちないようにする工夫なのでしょう。これはエレトラックに限らず、市場内の他のメーカーの車両でも同様なので京都中央卸売市場の共通仕様のようです。

築地や豊洲市場ではターレの荷台は水産棟ではチェッカープレートではなくゴムシート敷きが一般仕様。市場内の洗浄水に海水を使っていたから耐食性の高いものが求められたのでしょう。京都の市場ではさすがに海から遠いし海水は使わないからチェッカープレートでも十分に耐えられるのかも。

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ブラック。マイティカーですね。前掲のグリーンボディのマイティカーとはモデルが違ってライト周りにリブ付きフェンダーが施されたデザイン。業務用車なのにハンドルは白。カラーリングにこだわりを感じます。

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丸型ヘッドランプのターレットトラック、11号棟に停まる「中央砂糖」号の観察。車両の名前は便宜的に自分でそう言ってるだけなので本当の名前はお店の人に聞いてください。

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ボディを斜め上から。前輪と一緒に回転するボディ。中はガソリンエンジンではなく電動モーターなので、放熱穴は少なめ。ヘッドランプはボディの鉄板とは繋がってないので、ランプの角度を変えられそうな感じがしますね。こんど行ったとき触ってみよう。

だいぶ年季が入っているらしく、塗装も光沢が失われてマットな質感。ヘッドランプの上の「ターレーット」のロゴや注意書きのシールも退色してしまって文字が読み取れなくなってしまってます。円形リングのハンドルを握りながら指で操作できるように小さく作られたシフトレバーが可愛い。

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斜め前から。台形のステップ部分はガソリンエンジン車では全面チェッカープレートで縁も折り返しのついた一体型であったが、このバッテリーモーター車では、チェッカープレートは足元の一部のみ、サイドの踏み板も三角に切った鉄板を溶接しただけのシンプルな仕様で、「簡易生産型」といった風情。運転シートは折りたたみ式。

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チェッカープレート製の荷台。荷台下部にバッテリーを納めているので、中央部は取り外し式の蓋。手掛けのくぼみは前日が雨だったにもかかわらず水は溜まっていない。おそらくは水抜きの穴があるのだろう。

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シャーシ側面。荷台下部のバッテリーボックスが確認できる。密閉式の鉄箱ではなくアングル材で吊り下げた開放性のあるラックになっているようだ。シャーシには中央部に荷台を支持する桁材。荷物を結わえるロープを掛けるフックがついてる。

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ブレーキペダルのディテール。踏み込むとクランク式に後輪を制御するロッドが引っ張られる機構。ちなみにアクセルはボディ上部の円形ハンドルの上のリング。傾けるとスピードが出る形式はメーカーによらず共通。

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荷台後部。周囲に三角に折り曲げたチェッカープレートが溶接してあるのがよくわかる。荷物のずり落ち防止のためのディテール。後端のバルジが寸足らずになっているのはそこから水が抜けるようにするための工夫だろう。小さなフックが溶接してあるのも確認できる。これらは豊洲市場のターレにはない、京都の市場に固有な仕様。

このターレが停まってる11号棟は市場のゲート外側で周囲の街とも繋がっているので気軽に入れる場所。朝早くからやってる食堂や喫茶店などもあります。豊洲みたいに観光化もされておらず市場で働く人に交ざって朝飯を食べるのも乙。ご飯の盛り付けは普通と言っても世間でいう大盛りがデフォルトなので、ご飯は少なめでオーダーしましょう。

写真の撮影は2019年8月14日と31日。

by hn-nh3 | 2019-09-01 18:53 | ターレットトラック | Comments(4)

京都。8月。七条風景

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毎年この季節は京都に里帰り。

実家の古ぼけた天井を見ると、この家に住んでいた祖母が「戦時中は焼夷弾の火の粉が屋根裏に入らないように、天井板を外してたんだよ」と言っていたのを思い出す。外した天井板を軒下に置いておいたら雨に打たれたもんだからこんなに汚くなってしまったということもよく聞かされた。縁側の下には防空壕が掘ってあったらしい。


京都は原爆の投下目標の候補になっていたため、空襲被害に遭わなかったいうのはよく聞く話ではあるが、全くなかった訳ではなく、馬町空襲、西陣空襲など5回ほど小規模な空襲で100人近い死者は出ていた模様。京都市内の防空体制がどのようなものだったのかは知らないのだが、戦後米軍が撮影した空中写真を見ていて、市中に高射砲陣地らしきものが写っているのを発見。自転車を走らせてその跡地に行ってみた。



場所は、京都駅の西側、七条通りを3キロほど行ったあたり。赤い丸で1の番号をつけたところ。地名でいうと御所ノ内西。

京都にも高射砲台は記録ではいくつかあったようだがその場所ははっきりせず、2の番号をつけた花山天文台の南山麓に砲台があったことがわかっているぐらい。ちなみに「0」をつけた場所が原爆投下予定地であった梅小路の機関車庫(現:京都鉄道博物館


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国土地理院:no.USA-R275-A-7-161

1の場所を戦後米軍が撮影した空中写真。撮影日は昭和21年10月2日。画面中央を横切るのが七条通。七条佐井を西に進んで西高瀬川を超えた辺りの畑地の中に周囲に土塁を持つ円形陣地らしきものがいくつも並ぶのが見える。

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高射砲の砲座と思われる地形を黄色でプロットしてみた。4基の方座が北東方向に向けた扇型のラインに並んでいる。扇の要の部分の点線の丸で囲ったところは指揮所の一部か。

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中部軍高射第三師団関係地・現状等一覧より抜粋
(出典:西淡路(国次)高射砲陣地調査報告書)

京都に配備されていた高射砲部隊がわかる資料を見ると、独立高射砲第13大隊第1中隊の一小隊が御所之内北に八八式七糎野戦高射砲4門の装備で配置されていた記載があり、この場所の現在の住所は御所ノ内西ではあるが、砲座の数から見てこれと考えて間違いはなさそうだ。

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標準的な陣地の構築パターンを示した図。原典は「高射砲陣地築設要領」
御所内北の陣地に配備された高射砲は4門と数は少ないが、概ねこんな構造だったと想像できる。

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現在の地図(Google Map)に重ねて見る。敷地はケイヨーデイツーというホームセンターになっていて、ちょうど陣地があったあたりに大型の建物が建てられているのがわかる。

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ケイヨーデイツー七条店に到着。かつて、この場所に高射砲陣地があったのか。8月14日、台風が近づいてることもあり雲だけが不穏な気配。地上は至って平常。

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屋上から眺める。ホームセンターの園芸売り場と駐車場。当時の痕跡は結局見つけられなかった。向かい側の巨大な建物はパチンコ屋。どこにでもある郊外の風景。

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側面に回り込んで見るも、当時につながる手がかりはどこにもなかった。ホームセンターで父に頼まれていた買い物をして帰る。この場所は実家から歩いても15分くらいで行けるところなので、終戦時に小学生であった父に、この場所に何かがあったか聞いてみたところ、そのあたりは畑が広がってる場所だったということしか覚えてないそうだ。当時、小学校の低学年であるし、日常の行動範囲の外側だったら、そこに何があるかなんて知らないのが普通だ。ましてや軍事施設である。

空襲が頻繁にあれば、そこに高射砲があるということが子供にもわかってくるのだろうが、京都にはほとんど空襲がなく、配備された高射砲も結局、一度も使われすに終わったのだろう。結局、原爆の投下目標から京都が外され、疎開先で骨折して家に帰ってきていた父は、幸いにも戦火にあわずに終戦を迎える。それから74年。

by hn-nh3 | 2019-08-17 01:31 | 構造物 | Comments(6)

ふたたび船岡山

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8月16日早朝。毎年の盆の京都、今年もまた船岡山に登る。目的は山頂にあるサイレン塔の「追加調査」。昨年の夏に書いた記事(船岡山に登る)の続編。

船岡山の山頂にある謎の構造物は、戦前に作られたサイレン塔というもので、戦時中は空襲警報を鳴らし戦後しばらくは時報を流していた、ということらしい。しかしそれ以上の情報はネットでは得られず、その詳細は不明。

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全景はこんな感じ。高さ6m程度の小さな構造物。船岡山はかつての平安京の中心軸北方に位置する標高差45m程度の小山で平安京の造営基準になったと言われていて、中世の応仁の乱の時には西軍の陣地が築かれたこともあるような周囲から独立した山。周囲からの視認性もよいので、サイレン塔の手前には地図測量用の三角点が据えられている。

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サイレン塔の構造はコンクリート。外壁表面には化粧モルタルが塗られ、現在はペンキ塗り。側面には横長の66cm幅の小窓。木枠が残っているものので、当初は何らかの窓部材があった可能性あり。

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建物裏側には地面に近いところに小さな小窓。何のための開口なのだろう。窓の横には配線を通すための鉄管が残存。


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巻尺とレーザー距離計で簡易計測して図面化してみました。外面寸法で1.7m弱の矩形に内寸50cmの半円形の煙突状の塔が付属する平面構成。

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塔は中空。中から見上げると上に抜けているのがわかる。塔というよりも煙突というべきか。上に抜けているだけなのでサイレンの音を遠くに飛ばす構造には思えず、何のためにこうした形状になっているのかが分からない。まさか煙を焚いて狼煙(のろし)をあげていた訳ではないだろうに。

「煙突」の内側頂部をよく見ると何かの金具が残っているのが確認でき、おそらくは頂部に4方に向けたスピーカーなどが取り付けられていて警報などを発していたのか。この塔は煙突の機能というよりスピーカーを高所に設置するための「台座」として便宜的に形作られたものと想像します。むろん全て憶測の域をでるものではないのですが。


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塔を裏側から見たところ。裏面はフラット。水平に回された2段の庇は正面からの見え方だけのために設置、というデザインの割り切りがすごい。裏側をよく見ると所々に金具の痕跡が見られ、おそらくは梯子がついていたものと推測。庇が裏側にないのはそのため、ということもできる。

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断面図、立面図も作成。塔の高さは2段目の庇までをレーザー距離計で測って頂部までの距離は写真からの推測。平面寸法は作業に必要なスペースなどの機能寸法から導かれたものと思われるが、塔の高さは何を基準に設定されたんでしょうね。2段目の庇の上端までの高さは約4m85cm。尺貫法でいうと、一丈六尺。釈迦の身長といわれる丈六仏の高さと符号しますが、塔の頂部までの高さではないから、特に関連はなさそうです。

塔の曲線を生かした水平の庇を上部に回すデザインは戦前の1930年代に流行したモダン建築に見られるもの。昭和12年(1937)に完成した関西電力京都支店のビルも同様のデザイン。

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内部の壁はコンクリートの素地。西面に奥行30cm程の錆びた鉄箱。上面にはスリット、下部は底がないのか腐食して抜けてしまったのか。箱内部は上下に合計8本の機器(or配線)固定用のペグ。北側の外壁から飛び込む配線用配管が下部に、上部には西側外壁上部に抜ける配管が残存。

今回のサイレン塔調査はここまで。30分ほどの簡易計測なので、図面精度もそのぐらいのものですが、例によってDropBoxリンクでPDF図面をダウンロードできるようにしておきます。


文献資料に関してはやはりネットでは限界あるので、どこかで京都市の図書館にでも行って手がかりを探してみたいところ。

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船岡山は現在、東の山麓に建勲神社、西側は船岡山公園。写真は公園の入口付近にあった案内版を撮ったものなのでガラスの映り込みがあって見づらいところもあるものの、サイレン塔などの位置関係はだいたいこれでわかると思う。
写真で見切れてしまってる部分には昭和10年の開園当初からの広場に「ラジオ塔」が残っています。

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d0360340_09533276.jpg高さ2.5mほど、花崗岩が貼られた四角い塔の上部には四方に四角い開口があり、内部にスピーカーがあるのが網越しに確認できます。胴部にはラジオ塔の由来を書いた銘版があり、それによると昭和10年(1935年)の開園にともなって建設されたものだとか。ニュースやラジオ体操を流していた様子。

現在はラジオ塔は使われていないものの、公園の広場ではラジカセ持参で近所の人たちがラジオ体操してました。


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d0360340_10372286.jpg船岡山の南側の山麓は急峻で斜面にはあちこちにチャート石の露頭が姿を見せていて、山全体が大きな岩盤でできているように思われます。西賀茂断層の一部なのでしょうか。

山の頂にも古代の磐座と思しきチャート石の露頭。隣にある丸い花壇のようなものは正体不明。


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案内図に記載のあった旧猿舎を探すものの特に目立つ痕跡はなし。周囲に低い土留めを築いた丸い土壇が猿の檻があったところなのだろうか。ただの空地。兵どもが夢の跡ではなく猿が夢の跡。

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d0360340_11231391.jpg例によって年代別の空中写真の比較。写真は国土地理院の空中写真閲覧サービスのページから。空中写真は上が北。
上掲の案内板の地図は南が上に描かれているので位置関係が左右逆に見えるのは要注意

2008年(平成20年)、1975(昭和50年)、1946年(昭和21年)の写真で共通に確認できるのは明治期に設置された測量用三角点。サイレン塔もあるはずなのだが解像度の限界で判別はできず。現在、東西2箇所の広場にある円形の花壇のようなものは、1975年の写真では確認できないことから比較的新しい時代のものか。猿舎は2008年、1975年の写真で確認できるように思われるものの像がぼやけていて定かではない。


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猿舎の跡地からの南側の眺め。猿の見た京都もたぶんこんな風景。

by hn-nh3 | 2018-08-18 11:46 | 構造物 | Comments(0)