断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )

タビメモ

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旅先での写真から。
フランス、アルザス地方の平野部。ライン川西岸の乾いた黄褐色の土、雨が近づく空の光の色。9月。

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南部ドイツの田舎のあぜ道。砂利混じりの乾いた道の轍に沿って点々と生える雑草。よく見ると低い地這性の植物とロゼット状に伸びる草の濃いグリーンの2トーンがあることがわかる。

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道端に生える芝草の類。一様なグリーンではなく、ひとつひとつ独立した草株が密生して一面のグランドカバーを形成。一面の緑のカーペットではなく、疎らに地表面が残っているのが自然。

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少し丈のある下草。高さは30cm~50cm程度。すみません名前はわかりません。「ヨーロッパの雑草図鑑」なんていう便利な本はないのかしら?

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これは、タンポポですね。なんだ、ドイツも日本と生えてるものは変わらないんだね.. というより日本の野山に咲いているタンポポの殆どは、ヨーロッパ原産のセイヨウタンポポ。いわゆる帰化植物。

植物の国境は曖昧です。近所の空き地なんかでよく咲いている白いヒメジョオンも江戸末期に移入されて明治の頃にはすでに雑草化してたんだとか。
その逆でススキは園芸植物としてヨーロッパのあちこちの庭園で栽培されてましたね。日本原産のギボウシもあちらではホスタという名前でナチュラルガーデンの必須アイテム。農家の庭先の花畑もエキナセアとか日本の園芸ショップで売ってる花と変わらず、流行はワールドワイド。世界中の植物はオランダに集められて世界中に拡散しています。

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ドイツ南部の小さな街の石畳の表情。ヨーロッパの旧市街の路面は必ずと言っていいほど石畳。舗石というとモノトーンなイメージあるけど、使っている石は意外に色とりどり。白やグレーだけでなく赤っぽい色の石も混じってます。赤御影ではなさそうだからチャート石の類? 前にプラハの石畳は何色なのか調べたことあったけど、その時も意外に赤っぽい石を使っている写真が多かった。そういえばヘルシンキの石畳も赤みが強い石。

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石の隙間に生える雑草。基本的には石畳の作り方は下に砂利や砂を敷き詰めて石を叩き込んで動かないようにするから、草は生えにくいはずだけど、長い間に落ち葉や土が隙間に溜まったのかしら。写真を撮った場所は小さな教会のある広場の片隅でそこが影ができやすく、いつも湿ってるので草が生えたのかも。

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マンホールと石畳。マンホールの周りにぐるりと石を並べて納めてましたね。石も不揃いで古そうな感じですが、ヨーロッパの石畳は必ずしも古いものではなかったりする場合も多いのだとか。戦後のモータリゼーションで一度はアスファルト舗装の車道にしたものの、旧市街の環境保護のため、路面電車を復活させて車の通行を制限してアスファルトをやめて石畳に戻した事例など。だから、石畳のある街並みだからといって、必ずしも昔からの風景、という訳でもなかったりするみたい。

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ケーブルドラムも見かけました。前に記事で書いたことがあったので、ちょっと反応して写真を撮ってしまいました。風化した色合いとかモデリングの参考になります。

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ドラムの直径にはいくつかのバリエーション。大きなドラムは太い電線。小さなドラムに巻いてあるのは細い電線。こう書くと当たり前に思うけど、これを見るまではドラムのサイズの違いはなんだろう?と思ってましたよ。

ドラムが勝手に転がっていかないように、適当なものでストッパーをかませてあります。こういうリアルは意外と盲点。

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by hn-nh3 | 2018-10-16 20:24 | 資料 | Comments(2)

戦争のかたち

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既刊本の紹介。「戦争のかたち」(下道基行 著  2005/7 発行 リトルモア 20.8×14.6×1.6cm 120P )
かれこれ10年以上前になるが、北海道の十勝平野の海岸線に戦時中に作られたトーチカ群が今も残っていることを知った。軍事構造物としてはナチスドイツが大西洋岸に築いたアトランティックウォールの要塞群が有名であるが、旧日本軍が米軍の上陸に備えて北海道の太平洋岸に構築したトーチカはなんとも貧弱で、侘しく取り残された風景が気になってしまった。

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そのころに見つけて買った本です。紹介する画像はすべてこの本から。

2005年というと、Googleの画像検検索、気になる本はAmazonで購入というのが情報との出会い方として一般的になっていただろうか。発信の仕方も大きく変わっていった頃か。カメラではなく、携帯で写真を撮って、HTMLを知らなくても使えるブログにアップしたり。

著者は1978年生まれ、2001年に武蔵野美大油絵科を卒業。卒業後にピザ屋で宅配をしている時に偶然出会った戦争遺跡に衝撃を受けてカメラを買って旅に出た、ということだ。決して軍事研究者だった訳でもなく、写真家だった訳でもなく。

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d0360340_19495288.jpgだから最初に言っておくと、廃墟マニアやミリオタのための写真集とか、歴史遺産の記録資料といったことを期待すると、少し拍子抜けするかもしれない。カメラを生業とした作家の写真集、といった風情でもない。..もっともっと軽い、のである。

だから面白い。戦争を知ってるとか知らないとか、そういう話ではなく、日常に紛れ込んでしまった「日常のかたちではないもの」を拾い集めた記録。

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前回の記事で少し紹介した大阪の東淀川区、西淡路高射砲台はこの本に載っている写真で知った。住居として改造されたこの砲台跡に住んでいた人もその頃は健在で、著者が2004年にインタビューした記事も掲載されている。

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同じく前に記事で紹介した東京の葛飾区 白鳥の高射砲陣地跡逗子の披露山公園の花壇に改造された高射砲陣地も写真が載っている。キャプションは地名のみで詳細な解説がある訳ではないので、ひとつひとつの写真の印象は薄く、昨日ふたたび本を開くまですっかり忘れていたくらい。もちろんそれは写真としての強度云々の話ではなく、通り過ぎる風景のように、気になった時にまた出会えばいいのだ。それだけの話。戦争ネタだからと言って別に懐古趣味的に語る必要もないし反戦的なフリをする必要もないし。

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「戦争のかたち」の歩き方 という見出しで、遺構のある場所の地図も載ってる。トーチカ、砲台、掩体壕などなど、実際に見に行く人は少ないと思うけど、これは便利かもしれない。というかこのフラットなビジュアルが、この本に通底するトーン。

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遺構が転用されて住居や公園施設になっている事例をポップなグラフィックに起こして説明している。物件毎の固有のディテールを捨象してタイポロジカルに表現したビジュアルは、楽しいけど写真に対して必ずしも成功していないように思う。気分はわからない訳ではないけど。


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その黄色いページに載っている「砲台パーク」こと、大分県の丹賀砲台園地の現存する砲台内部。トップライト屋根と螺旋階段を作って見学施設とした空間は圧巻。これはちょっと見に行きたい気もするけど、GoogleMapで調べたら地の果てのような場所

これに限らず、よくもまあこんなところまで行ったな、というのが多いです。自分もいくつかは実際に訪れたことがあるからわかるのですが、写真というのは1方向的なものだから必ずしも風景をリアルに捉えたものではない、という気がするのも事実。しかし、この本、間違いなく「買い」ですね。

本に載っている写真やビジュアルの一部、砲台住戸の住人インタビューなど、著者のホームページで見ることができます。

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(写真は全て「戦争のかたち」下道基行 著 より)

by hn-nh3 | 2018-09-12 22:04 | 資料 | Comments(4)

3年後

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1944年8月のワルシャワ蜂起の話の3回目。ひとまず今回でいったん区切ります。
前回、前々回とポーランド側からの視点で書いたこともあり、以前に書いたプラハ蜂起関連の記事など話題の傾向が、なんだか反乱軍モデラーの様相を呈してきたので、ちょっとバランスをとってドイツ側から撮った写真も載せておきます。

(写真はBundesarchiv、Wikimedia commonsより)
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蜂起部隊を攻撃するのはパンターのような対戦車攻撃能力の高い戦車ではなく、ブルムベアや60cmカール自走臼砲などの重砲兵器、28/32cmロケット弾、ゴリアテやボルグバルトⅣといった遠隔操縦の爆薬搭載車.. なにか圧倒的に非対称な戦争。
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そして、三年後。1947年8月のワルシャワ。徹底的に破壊された傷跡が戦後2年経ってもそのまま残る風景が痛々しい。
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カラー写真を撮影したのは、アメリカ人のHenry N. Cobb。ニューヨークの建築家。
戦後の復興の研究でイングランド、チェコスロバキア、ポーランドを回った時の写真のようです。

蜂起軍部隊の自作装甲車クブシュの塗装色の手がかりはないかと、終戦前後のワルシャワのカラー写真はないかと探してそのサイトにたどり着きました。探し物は見つからなかったけど、廃墟と生い茂る雑草の鮮やかなコントラストが目に焼きつきます。

(カラー写真はいずれも Henry N. Cobb 撮影)

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とはいえ、気になるのはやっぱりこういう物たち。タイヤのついた荷車。

この時代、馬が曳くカートは木製のスポークが主流ですが、戦後の物資欠乏の時期にしては不釣り合いなほど立派なゴムタイヤを装着しています。戦時中は戦略物資として貴重だったゴムタイヤをこんなに荷車に供給していたはずはなくて、そう、これは放棄された軍用車両から収穫したものと考えて間違いはないと思います。戦車などでも放置されたものは車輪からなくなったと聞きます。
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(写真はクリックで拡大)

いったい何の車輪だったのかしらと、ちょっと観察してみました。
1枚目の写真の荷車の後輪は、どうやらSdkfz.250系の車輪。このタイヤは火砲牽引用のハンガーでもよく使われていたので、簡単に手に入ったと想像します。前輪はSdkfz.251系のものに見えます。ハブの周りのボルトなど特徴が一致します。

2枚目の写真の荷車の車輪はどうかというと、写真が小さくて判然とはしないのですが、5穴ホイールはフォードもしくはGAZ系のホイールと推定。前輪は何だろう... 後輪よりは小径で円錐状のホイール。軽車両用のトレーラーのものとも違うし、小型乗用車のホイールでも、ちょっと思い当たるものがない。独軍車両でなければ、ポルスキフィアット辺り..と思ったけどそれでもなさそう。

もっとも、これが判明したところで、何かの成果になるものでもないけれど。  

by hn-nh3 | 2018-07-19 21:00 | 写真 | Comments(0)

荷車メモ

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At the market in Baryssau, Russia 1942:Franz Krieger

1942年、旧ソ連領内(現ベラルーシ)ミンスク近郊の都市、ボリソフ(Барысаў)の市場での一枚。撮影はフランツ・クリガー(1914-93)。オーストリアの写真家で戦時中はPKに所属。> LENS | World War II Mystery Solved in a Few Hours
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AT THE BERESINA NEAR BARYSSAU, RUSSIA 1942:Franz Krieger

写真はいずれも PIXPAST より。カラーフィルムのプライベートコレクションで、WEBで公開されている大戦期のカラー写真はフィルムからの色再現が見事で当時の実際の色調を知ることができる貴重な資料。
AFVに限定した写真コレクションではないので、それを期待すると少しがっかりしますが、それでも独ソ線初期のソ連戦車(BT,T-35)やドイツ軍(3号戦車、8輪装甲車、ソフトスキン)やフランス線で遺棄された仏軍戦車など、原版自体の発色や退色で再現しきれてない色もあるけど、このコレクションに登場する戦車や車両の色調は模型製作の参考になります。白眉はアフリカでロンメルが使用していた”MAX”のカラー写真でしょうか。個人的には当時の街や村の風景、人々の姿などAFV写真集では得られない情報がたくさんあって好きですね。
写真にはいずれも著作権があるので、上記2点は有料データー購入。



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製作中のKV-1戦車は、必要なメッシュ材料の調達や細部仕様の確定作業で、ちょこっと休憩タイム。(そのまま中断、ってことにはならないので大丈夫..) 

今日のお題は当時の写真に登場する農業用カート。

秋葉原のパーツバラ売りコーナーでちょっと前に購入。
このコーナーは戦車のキットのパーツランナーをバラ売りしていて、欲しい部品の調達に便利だったりしますが、フィギュアセットもランナーを細切れにしてフィギュア単体でバラ売りしてたりします。セットはいらないけどあの人は気になるなーなんていうときに、出会えると嬉しいですね。

もちろん全てのキットが並ぶ訳ではないので(どっちかというと在庫処分?)パーツとの出会いは一期一会。使うあてもないのに、つい買ってしまったりします。
                        
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小型のカートのパーツはMasterBox 3567「第二次大戦期の西欧市民」のセットに入っているもの。キットの箱絵には姿は描かれてません。農夫の傍に置く小道具にでもとセットされたのでしょうが、しかし2人の大人と少年少女が並ぶシーンにはちょっとそぐわないので表紙からは省かれたのか。いずれにせよ、このキット(セット未購入)に小型のカートが入ってるなんて知りませんでした。

d0360340_13394751.jpg余談ではあるけど、このキットにはシリアスな話題に触れてしまう部分があって、ボックスアートの右側に登場するヒゲを生やしたおじさんは実はユダヤ人だというような話。
これについては、かつて ”赤軍博物館別院 別当日誌”や模型慕情さんが記事で扱っていたのでそちらも参照。

ボックスアートの裏側には小型のカートと4人の組立図。帽子姿のヒゲのおじさんはキッパ(ユダヤ帽)とのコンパーチブル。少年も帽子を選べます ..軍帽をかぶって台車で何を運ぶんでしょうね。箱裏絵の構図からなんだかいろいろと想像してしまう。

どうしたものか、荷車の風景写真でピックアップした冒頭の2枚。意図したものではなかったのだけど、ボリソフ、ミンスクという街は、避けがたくそのことに関わる場所だったようです。
それ以上はここで語ることはしませんが。

話題を変えましょう。
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組み立ては一瞬です。荷台のフレームや車輪のスポークなどパーティングラインの処理は少し面倒だったけど、簡単に組みあがります。
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カートの裏側。前輪は引棒にあわせて方向転換できるように構造。引棒も高さを変えられるようなディテール。接着してしまいましたが、真鍮線を軸打ちすれば可動にもできそうです。動かして遊ぶことはないと思うけど。
なんとなくひっくり返ったカブトムシみたい。本来は何を運ぶためのカートなんでしょうね。

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このタイプのカートはポピュラーなのか、MiniArtの最近作:「ミルク缶と小型カート」(no.35580) のセットにも入ってますね。荷台のコーナーに柱のないタイプでMasterBoxのものとは細部が異なります。特にどこかのメーカーが専売特許で生産しているものではないだろうから、いろいろなバリエーションはありそうです。

d0360340_14285900.jpgMiniartnのキットの組立て説明図を見ると、前輪周りも少し複雑な構成。どちらが正解というものでもなさそうですが、モールドなどはこちらのほうがシャープな予感。ミルク缶は使う用事ないしとスルーしてたけど、買わないとだめかな。

この小型カートはアンティークとしても人気があるようで、Farm CartとかGoat Cartで検索すると、e-Bayなどで売ってるのが見つかります。花屋とかパン屋の店先においたら可愛いのでしょうね。

名前の話。Farm Cartというのはわかりますが、なんで「Goat Cart」というのか。検索するとヤギに牽かせた小さな馬車の写真がでてきて、「Goat Cart」というのは、総じて子供が馬車遊びをするためのおもちゃと思われます。しかし、それは2輪のいわゆるリンバーの子供版がほとんどで、キットでも再現されたタイプの4輪のカートをヤギで引いている事例は見つからず、なぜこの4輪カートも「Goat Cart」というのかは結局わからず。馬車とか西洋アンティークに詳しくないのではっきりとしたことは分からないけど、小型のトイカートのことをゴート・カートと呼ぶのかもしれません。ひょっとして、ゴーカートというのもそこからきてるのか?

この小型のカートが当時の写真に写っているのを探したのですが、見つかりませんでした。考えてみれば、目の前をティーガーとかパンターとか通り過ぎるのはカメラマンもすかさず写真に撮るけど、スターリン戦車に背を向けてこんな民生用カートを撮ったりはしないと思うし。

(築地市場でターレーを撮らずにゴミ収集ビークルにカメラを向けるようなもの...)

とはいえ、意地もあるから見つけました。キットのタイプそのものではないけど。
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YouTubeの動画:Rhineland-Palatinate in April 1945 (in color and HD) 10:00頃に登場

荷台がフレームのスケルトンタイプではなくて板で組まれた箱型タイプ。スケルトンタイプはミルク缶とか干し草運んだりするには便利ですが、小物を入れて避難するにはこっちの箱型タイプのほうが役に立ちそうです。暇なときにでもキットの荷台をこのタイプに改造してみようかしら。

この動画が撮られたのは1945年4月。ラインラント=プファルツ州ということで地理的にはベルギー、ルクセンブルグ、フランスと国境を接するあたりか。

「Goat Cart」は検索すると、German Farm Cart という名前ででてきたりもするから、ロシアや東欧ではなく、ドイツやフランスなど西ヨーロッパで一般的な小型荷車という気もします。(要確認)

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1/35スケールのキットで民生用/非武装カートにどんなものがあるかを集めてみました。軍用タイプは除いて、その他にも、件のMasterBoxのゴートカートのようにボックスアートに載ってないもの、一輪車など手押車のタイプ、見落としたものなどまだまだあるかも知れません。レンジキットメーカー:スターリングラードから出ている農業用カートはまさに冒頭の写真に登場するようなタイプ。タイトルにロシアの荷車とかウクライナの荷車とかありますが、地方によってどう違うのかはちょっと調べたくらいではわからない奥深き世界。

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レジンメーカーのスターリングラードからは、荷車に避難民を乗せたセットも出てます。上掲の動画もそうですが、民間用カートが登場する風景を探すと、従軍カメラマンが写真を撮ってる場所というと、やはり戦場から避難する、占領地から逃れる難民の写真にぶつかります。

この母子が荷車に乗った写真はドイツ軍がいなくなった村に帰還する時の写真のようですが、いずれにせよ戦争は抽象的な戦場ともいう無人の荒野で専ら行われていた訳ではなく、日常の街や村、畑があったところで起きていたことなんだなと..

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小さなカートが気になってキャプチャした写真ですが、背景は完全に破壊された村。

MasterBoxの小型カートのキットは、この前のSUMICONで制作したT-60のジオラマで使えるかと思って買い込んだものでした。
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記事は:ROSTOV 1942.8 :T-60 (Plant no.264) INDEX 参照

舞台設定はスターリングラードの前哨戦、近郊都市ロストフ陥落の少し後の風景。撤退、そして新たな戦線に送られる兵士、占領された街や村から逃れる住民の姿など、小さなベースの外側で起きている出来事が見えてくるように、何かベースの中に関連した小物を配置したくて、その候補のひとつで買ったのがMasterBoxの小型カート。

結局、スペース的な制約もあったし、小物の設定に作り込みが足りないと冗長になるだけなので、壊れたカートを配置するのはやめましたが...
戦場ではあるけど同時にそこは誰かが普通に暮らしていた日常でもあるような。
それもあって、戦車に踏み荒らされるのは草原ではなく麦畑。

戦車の模型を作る以上は、反戦を声高に訴えるとか戦争の悲惨さを伝えよう、なんてこと言うつもりは全くありません。しかし、戦車の模型を置くための「ベースという模型」は戦車がくる前からそこにあった場所、ともいうような日常世界をどこか表現しておきたいという気持ちがいつもあります。戦場だけど日常世界でもあるベース、の表現。 兵士たちがトランプに興じる戦場の日常ということではなくて。
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なんとなく雨の日は内省モード。





by hn-nh3 | 2018-05-13 18:23 | 資料 | Comments(4)

4BO色

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ソ連戦車の色。4BOと言われるロシアングリーンは実際どんな色だったのか。
第二次大戦当時の写真はモノクロが大半で、カラーフィルムで撮影されたものの発色の問題があったり時代を経て退色してしまっていたりで、実際に目で見た感じのリアルな色からは程遠い。

d0360340_19113575.jpg最近出版された「AFVリアルカラー」は塗装色の資料本としてかなり充実した本です。当時のカラーチャートやオリジナルの塗装が残る部品の写真、最新知見に基づいた解説、何よりも日本語版というのが有難い。

ソ連戦車の色も詳しく解説されてます。戦前のプロテクティブグリーン、ZB AU、そして標準色となる「4BO」。迷彩用の6Kブラウン、7Kサンド、6RPブラックなど、再現された色見本や車両への塗装例の綺麗なイラストでとても参考になります。

4BOはダークグリーンに少しイエローオーカーが入ったような色調ですが、実際には色の配合比率にばらつきがあって、いろいろなニュアンスのグリーンがあった、とのこと。

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「AFVリアルカラー」からの抜粋。(ページを写真に撮った段階で発色が変わっているので正確さには欠けます)左が出版に際して再現された色調。右は当時のカラーチャート。退色したのか、左のサンプル色とも既に違ってますね。

「4BO」は正確にはどんな色だったのか、というのは気になるところですが、それ以上に知りたいのは4BOに塗られていた車両が戦場ではどんな見え方をしたのか、という部分です。例えば同じ色の塗料でもツヤありとつや消しでは色の濃さが違って見えるし、退色したり土埃にまみれて色が変わって見えたり、レニングラードとコーカサスでは光の色が違っていただろうしで、実際にはどんなトーンの色調で見えたのか。

当時のカラー写真はそのイメージを探る貴重な資料ですが、フォルム特性で青みが強く発色していることも多く、またそこにフィルムの退色が発生して赤みが強くなり、紫色を帯びて補色となる緑が黒っぽくなっていたりします。

実験ですが、当時の写真をPhotoshopで色補正。退色して抜け落ちてしまっている色もあるので擬似的な退色補正でしかないけど、なるべく目で見た感覚に近い色調が出るように調整してみました。2枚組の右側はオリジナル画像。左が補正後。

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3枚目と4枚目の写真のT-34/76は1942年ウクライナで撮影のものと思われますが、夏の強い日差しと土埃でかなり白っぽく見えてます。4BO自体が明るめのグリーンだった可能性や塗料の劣化でチョーキング(白亜化)を起こして明るい色調になったと言うことも考えらます。ただ、4枚目の写真の先頭のT-34の砲塔上面〜防楯や右フェンダーに強いグリーンが残っているので、やはり埃まみれになってこんな色調で見えていたのでしょうか。3枚目の写真も防楯周りに4BOらしき色。

d0360340_21263874.jpgただ、よくわからないところもあって、右のモノクロ写真はT-40Sのスクリュー廃止部分がわかる貴重なバックショットですが、この車体の色調はどう見ても暗色の4BOではないような気もします。

上からのショットなので、光の反射で明るく見えるということもありますが、別のカットでアイレベルから撮ったものでも明るい色調。新品車両だから退色したり埃をかぶって真っ白ということもなさそうだし。

グリーンというよりドイツ軍のダークイエローにも似た明度は、迷彩用の7Kサンドの単色で塗っているのかとも考えられますが、確たる証拠もなし。

さてさて、製作中のT-60 はどんな色調で仕上げようかしら..






by hn-nh3 | 2018-03-04 21:56 | 資料 | Comments(2)

SATELLITES

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1961年4月、ユーリィ・ガガーリンは、ボストーク1号に乗って地球の周りを一周、1時間48分の人類初の有人宇宙飛行のミッションに成功。
写真は地球に帰還した再突入カプセル。大気圏突入時の焼け焦げがリアル。
ソ連の宇宙船が戻ってくる時に、アメリカのアポロ計画のように海に着水するのではなく、ソ連南部(現カザフスタン)の草原砂漠に落ちるというのを知ったのはずっと後になってからだが、この写真を見てると別の惑星に着陸したSF風景のようでもあり、最新技術を駆使した宇宙船といえど物体を空にを打ち上げてそれが再び地上に落ちてくるだけというような妙な物質的生々しさを感じる。
旧ソ連のSF映画、例えば「惑星ソラリス」とか「不思議惑星キンザザ」に感じるざらっとした非日常感はそんなところから来てたのかもしれない。

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Satellites -Photographs from Fringes of the former Soviet Union:Jonas Bendiksen 2006

草原に舞う白い蝶と宇宙船の残骸。まるでSF世界のような不思議な写真に惹かれてこの本を買ったのはずいぶん前のことだった。落下してくる衛星の残骸と、そんな宇宙からゴミが降ってくる日常があるソ連の辺境地帯(衛星都市、衛星国家)、社会主義というイデオロギーで諸民族をまとめた実験国家の残骸。Satellitesという本のタイトルに何か響くものがあった。

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”Satellites -Photographs from Fringes of the former Soviet Union”

写真家 Jonas Bendiksen が世界の果てのようなソ連の周辺地帯の日常風景を撮り歩いた写真集。版形18.3×23.7cm 152P 出版 2006年

当時、5000円くらいで買ったような記憶がありますが、なんだかいつの間にかプレミアついてしまってますね。でも今は本を買わなくとも彼のサイトで掲載写真を閲覧することができるようになってます。
>Jonas Bendiksen Satellites

ロケットの打ち上げは赤道に近い方が有利なのだそうです。ロケットの加速に地球の遠心力を利用することで燃料を節約できて打ち上げの費用を抑えることが可能。だから大抵はその国の南側、例えばアメリカはフロリダのヒューストン、日本は種子島のJAXA宇宙センターなど、周囲に人家の少ない海の側にロケット基地を作っています。
ソ連は南側に海はなく、広大な草原や砂漠のある南部地域(現カザフスタン)にバイコヌール宇宙基地を作ってロケットの打ち上げと宇宙船の回収を行ってます。

スペースシャトルが退役して以降、ISSなど宇宙施設への往復は専らロシアのソユーズロケットが使われるようになって、帰りの宇宙船がカザフスタンの草原に着陸(落下)する風景はテレビでも目にするようになりましたが、打ち上げの際のブースターロケットなどの「宇宙ゴミ」も草原地帯に降ってくるということはあまり知られてない事実です。

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写真出展:Satellites -Photographs from Fringes of the former Soviet Union:Jonas Bendiksen 2006

この本では「宇宙ゴミ」の降る日常が写ってます。まだ燃料が残って炎をあげたまま落下するブースターロケット。残骸を金属屑として回収するブローカー。上の写真はどことなくファンタジックな風景にも見えるけど、またそれが日々の糧になっている現実。発がん性物質を含む有害なロケット燃料による環境汚染といった問題も。

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落下したロケットや人工衛星の写真集かと思って買うとある意味がっかりするのですが、この本の主題はそこではなく、旧ソ連の辺境のエリアだった場所で暮らす人たちの風景にあります。

辺境、周縁などという言葉を使うと、それは中央からの視点になってしまいますが、モスクワからは遠く離れて目の届かないような場所、見捨てられた街、世界の果てのような遠い現実のような風景。そんな世界の片隅もそこは紛れもなく現実。
ソ連崩壊後の民族運動と内戦、宗教的な迫害、国境地帯の麻薬の密輸。ロケットの落下する日常も。

バイコヌール宇宙基地は、初の人工衛星スプートニクやガガーリンの宇宙初飛行など旧ソ連の宇宙開発の輝かしい歴史を担った場所です。ソ連崩壊後、その地はカザフスタン共和国になったため、ロシアは年間1億6500万ドルを払って租借しているそうです。落下事故や環境汚染といった問題も抱えつつもカザフスタン国家にとってはいい家賃収入になっているのかも知れません。

ちょうど朝のテレビのニュースで日本人宇宙飛行士がソユーズで宇宙に飛び立ったことを伝えていますが、TVの向こう側の村ではまたいつもの天気予報のようにロケットが降っているのでしょうか。


by hn-nh3 | 2017-12-20 08:28 | 写真 | Comments(0)

8月のプラハ(1968)

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プラハと写真の話の続き。前回の記事(「5月のプラハ」)で少し触れた写真家 ジョセフ・クーデルカ。彼が1968年のチェコ事件に遭遇して撮影したものをまとめた写真集があったので、思わず買ってしまいました。2014年に東京国立近代美術館であった彼の回顧展は行った記憶がありますが、2011年に東京都写真美術館で行われた「プラハ侵攻 1968」の展覧会は未見でした。その時に合わせて出版された日本語版写真集(原典は2008年に発表)

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ジョセフ・クーデルカ Invasion 68 Prague /プラハ侵攻 1968 平凡社 2011刊

版形は31.8×24.6cm 厚み2.6cm 295 ページ。でかいです。
表紙はシルバーに黒のロゴタイポでまとめられて至ってシンプル、かっこいいです。大きさの比較で、机の中に眠っていた未現像のフィルムを横に置いてみました。と言ってもフィルムなんか最近使わないから、大きさのイメージが掴めないですね..

Amazonで中古本を買ったのですが、表紙に少し使用痕がある程度で美品。プレミアついて当時の価格よりも高いですが、それでも中身の質と洋書を買うこと考えたら、全然お買い得。

この本の出来事の前提として少し説明しておくと、1968年1月、ワルシャワ条約機構の一員として社会主義国だったチェコスロバキアで、A.ドプチェクがチェコ共産党第一書記に就任。「人間の顔をした社会主義」を掲げて、検閲の廃止や市場経済の導入など、「プラハの春」と呼ばれる民主化の流れが生まれます。改革はやがて体制批判など党の存在基盤を揺るがす話にもなり、波及を恐れたソ連が突如、同盟国であるはずのチェコに軍事介入。ドプチェクは拘束、モスクワに連行されてしまいます。

(以下、写真出典は全てこの本より)
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冒頭に当時のラジオ局の放送の内容。1968年8月21日の未明にソ連軍が国境を超えてチェコ国内に侵攻。暴動などソ連軍に占領の口実を与えるような動きをしないよう市民に呼びかけるなど、緊迫した状況を伝えてきます。チェコとスロバキアとの微妙な空気感の違いも読み取れて興味深いです。

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侵攻するソ連軍と国旗を掲げて抗議するプラハ市民。銃を持っての武力抵抗にエスカレートしなかったのは、ラジオ局の放送が功を奏したのか。ソ連兵の乗る装甲車はBTR-40でしょうか。この時代の車両にはあまり詳しくはないのですが、ミリタリーモデラーのブログとしてはその辺りも少し触れておきます。

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プラハを占領するソ連軍車両。車両はASU-85空挺戦車か。撮影したジョセフ・クーデルカ(チェコ語読みではヨゼフ・コウデルカ)は当時30歳、航空技術者の職を辞して写真家としての道を歩み始めたところで、ルーマニアでのジプシーの撮影旅行から前日に帰国してこの事件に遭遇、その後の人生を大きく変えていく写真を撮ることになるのです。

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夜が明けて現れたソ連軍。戦車はT-54/55。BTR-152装甲車なんかも写ってます。識別マークとして白いラインを車体に描いているのがわかります。

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抵抗するプラハ市民。バスのバリケードを突破しようとするASU-85の姿が当時のニュースフィルムにも残ってます。

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抗議のデモに向かう市民の車列。撮影はプラハ市内のCKD工場の裏だそうです。CKDと言うとドイツ占領時代はBMM工場という名前で38(t)戦車やHetzer駆逐戦車を作ってた場所ですね。ミリオタ以外にはどうでもいい話ですが

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デモ隊の運転するこの車はなんだろう? こういうの好きなんですが、知識がなくて車種がわかりません。

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抗議集会。長くなるので紹介しませんが、抵抗する市民の姿をクーデルカは克明に追っています。見開きで30×50cmの写真はとにかく圧巻。これらの写真は当局の目を盗んで西側に持ち出され、匿名の写真家の撮影したものとして事件の真実を伝える大きな役目を果たします。
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クーデルカ自身は1970年にイギリスに亡命。これらの写真が自分の撮影であると名乗ることができたのは、国内に残る父親が亡くなり家族への迫害の危険が去った後の1984年。ロシアでゴルバチョフのペレストロイカが始まったのが1985年だから遠い話ではないことに気づかされます

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トレーラーの落書き。モスクワに帰れ!というメッセージ。1968年のソ連軍侵攻、1938年ミュンヘン会談で決まったナチスドイツによるチェコ併合。大国の都合で翻弄される小国の歴史の哀しみが伝わってきます。

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チェコ事件を伝えるこれらの写真は、映画「存在の耐えられない軽さ」でのプラハの騒乱のシーンの考証に使われたそうです。
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「存在の耐えられない軽さ」監督:フィリップ・カウフマン 1988年製作 171分

ミラン・クンデラ原作の小説の映画化。自由の風が流れ始めた1968年のプラハを舞台にダニエル・デイ・ルイス演じる脳外科医のトマシュ(ただし無類の女たらし)と彼に恋をしてしまった写真家志望のテレーザを演じるのはジュリエット・ビノシュ。彼らも否応なく事件に巻き込まれてしまいます。
ニコニコ動画ですが、http://www.nicovideo.jp/watch/sm6119205
この動画の11分あたりから騒乱のシーンが再現されてます。当時のニュースフィルムと再現映像をつなぎ合わせて、ソ連軍の侵攻してきたその時、彼らが本当にそこに生きていたかのように見せてます。

深夜のプラハに戦車がやってくる映像はさすがにT−55は借りてこれなかったのかT-34/85が「代役」を勤めているのはご愛嬌ですが、深夜の痴話喧嘩の最中に突然地響きでテーブルのグラスがカタカタと音を立て始めて異変が起きていることを気づかせ、そのまま広場を埋め尽くす群衆と戦車のシーンに繋がっていく編集は見事。テレーザは夢中で写真を撮りまくり、取材に来ていた西側の記者にフィルムを託すくだりはクーデルカの姿がダブります。

映画のこのシーンの続き(http://www.nicovideo.jp/watch/sm6120939)では、少しネタバレになりますが真実を伝えるために撮った写真が当局によってデモに参加した市民の告発に使われます。西側の記者に託してニューヨークタイムズに掲載された写真が「証拠」として使われてしまうシーンはたまらなく切ない。

それにしても、この頃のジュリエット・ビノシュは可愛かったですね。当時、招待券をもらったとかでガールフレンドと試写会に行った記憶があります。レオス・カラックスの「汚れた血」に出演してた時もよかったな。
...こんなこと言ってると、歳がバレるのですが。

by hn-nh3 | 2017-11-19 18:19 | 写真 | Comments(8)

5月のプラハ

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1945年5月5日、ベルリン陥落の後、当時ドイツ領出会ったチェコに侵攻してくるソ連軍に呼応してプラハ市民が武装蜂起。5月9日にはドイツ降伏となるので、いわゆるプラハ蜂起は都合4日程で終結。その時の混乱の中でも写真は意外に残されていて、冒頭のベルゲパンター?に37mmFLAKを搭載した改造車両など戦争末期の風変わりな車両がいろいろと記録されています。

蜂起軍のクレジットには載ってこないようなので、ドイツ軍がこの車両を使用している状況(蜂起部隊を警戒中?)を写したものと推測されます。
広場に面した窓から撮ったこの写真は、いったい誰がここから撮ったのだろう?

忘れがちではあるけど、写真は「誰かが写した」ものということ。忘れがちだけど。
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決起したプラハ市民を写した写真。この緊迫した場面でカメラを構えていた人間は間違いなくチェコ民兵と同じ側に立つ「味方」のカメラマンであったと思われます。だからこそ、立ち上がった市民が銃を構える場面を撮ることができて蜂起の瞬間を間近に記録した貴重な写真を今に伝えています。
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ここで気になるのは状況の複雑さ。このような写真は決して「普通の市民」が散歩の合間にポケットカメラで撮ったものではなく、その殆どは目的を持って「写真家」が記録した写真だったのではないか。というような話。

チェコスロバキアは1938年にナチスドイツに併合されて、ドイツ軍として連合国相手に戦っていたのだから、チェコの工場で生産される戦車(38t戦車やHetzer駆逐戦車)はドイツ戦車として前線に送られていたように、写真を撮ることを仕事としていたなら、当然にドイツ軍の様子を記録するカメラマンでもあったのかもしれない。
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この写真はいわゆる「プラハのヘッツアー」を撮ったもの。プラハ市内の工場で最終組立てをしてドイツ戦車として完成する前に蜂起部隊が奪取して未完成のまま使用した蜂起軍車両です。昨日まではドイツ軍に所属してドイツ戦車を撮っていた写真家も、その翌日には蜂起軍側で蜂起軍車両の写真を撮っていたのかもしれない。この戦車のように。

もちろん、中立的に撮っていたカメラマンもいただろうし、戦場カメラマンには弾は当たらない(敵味方の双方から撃たれない)という話もあるけど、蜂起したプラハ市民が勝利するのかドイツ軍に制圧されるのか帰趨がわからない状況で「何処に立って何を撮るのか」という問題は決して簡単な話ではなかったはずだ。そう思うと、残された写真にはカメラマンの立ち位置も写り込んでいるような気がしてくる。

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5月9日。ソ連軍はプラハを占領する。ドイツ残存部隊の掃討は11日頃まで続く。果たして赤軍は解放軍であったのか。首都にやってきた遠い国の戦車がどのように見えたのか、今となっては確かめようもないけど。

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最後の写真はその23年後。1968年8月のプラハ。
チェコスロバキアにソ連軍が侵攻。「プラハの春」と言われる民主化の運動はあっけなく潰されます。
プラハに侵入したソ連戦車とそれに抵抗する市民の様子を写した写真は密かに西側に持ち出されて、撮影した写真家の名は伏せられた匿名の写真としてロバートキャパ・ゴールドメダルを受賞。その有名な写真がジョセフ・クーデルカの撮影であったと明かされたのは、その16年後(1984年)のことだったという。
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by hn-nh3 | 2017-11-13 21:52 | 写真 | Comments(8)
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Grille改造3cmFLAK制作編 その10。
戦闘室内の工作は、ディテールが不明な部分もあって停滞していたものの、先日、入手したプラハ蜂起の写真集(レビュー記事はこちら:プラハ 1945.5 )の中に手がかりとなる写真をいくつか発見。
写真左が、オリジナルのアングル。右は部分の拡大。(写真出典:Prahou pod pancirem povstalcu Ceske kvetnove povstani ve fotografi)写真自体は有名な未完成ヘッツアー(蜂起部隊が工場から未完成車両を引っ張り出して使用)を写したもので、その前方にチラリと見えるのが、お目当のGrille改造3cmFLAK。しかし手前のヘッツアーと写真のアングルが災いして車体の大半が見切れてしまっているのが何とも惜しいところ。ただ、ちょっと面白いことに気がつきました。黄色い丸で囲った部分に注目。

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グリレ車体は自走砲専用車台としてミッドシップ型のエンジン配置になっているため、排気管は車体側面を伝って後部のマフラーに導かれる構造になっています。しかし、この車両、途中の継手のところで排気管が外れてしまっている様子。後方に向かって周囲の装甲板が黒く煤けたように見えるので、何らかの原因でそこで外れてしまって、しばらくこの状態で走り回っていたと思われます。

ここに排気管のジョイント部分があるのは知っていたので、現存車両の写真を見ながら、何とかく再現したのが右の写真。ただ、ちょっと間違ってます。実際にはバンド後方が段付きのパイプソケットになっていて、それをエンジンからのパイプに差し込んで、ボルトで締めて固定する、という構造になってます。時間があったら段付きのパイプに修正したい部分でしたが、どうやら、その必要はなくなりました..

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排気管自体をバッサリと切り落として、実車のように排気管が脱落した状態を再現。自作した固定バンドも不要になったので除去。ちょっと勿体なかったけど。

車体後部がはっきり写った写真は見つかってないので、マフラーが外れていたのか残っていたのかは不明。せっかく作ったものを取るのも忍びないので、写真に写ってないことを幸いとして残しました。排気管は何かにぶつかったかで潰れてしまったのでジョイントのフランジ部分から外した、という解釈にしてみました。切断面に穴を開けてパイプらしく見えるように加工。

そして改造のついでに、ちょっと余興。
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車体後部右側の誘導輪にヘッツアー後期型の6穴タイプの誘導輪を使ってみます。
追突されて排気管と一緒に誘導輪も壊れてしまったので、これ使ってみる?という感じで近くにあったヘッツアーの誘導輪を応急処置でつけてみた、という設定を考えてみました。車体右側の誘導輪の付近が写った写真は見つからないので、実際にどうなっていたかは不明。特定車両の再現というリアリズムの中にも、ちょとしたフィクションが紛れこむ隙間がこういうところにあります。

アカデミーから発売されていた「プラハのヘッツアー」の不要部品から6穴タイプの誘導輪を流用。整形が厚くて野暮ったかったので、穴の縁を削って薄板のプレスに見えるように修正。車軸はドラゴンの車軸に嵌るようにプラパイプを埋め込んで調整。

ヘッツアーの足回りは新規に設計されているので、38t戦車系列の足回りとはサイズが異なってます。転輪の直径は775mmから825mm、誘導輪は535mmから620mmと一回り大きくなってます。誘導輪は半径で42.5mm大きくなってますが、まあ使えない大きさではなさそう。履帯の幅もヘッツアーは広がってるもののガイドホーンの幅は変わってないので、車軸部分に互換性があれば多分使える、はず。ベアリングとかは変えたりしないはず、という想定。

そういえば、ソ連軍のSU-85にパンターの転輪をはめて使ってるのがあったような。

by hn-nh3 | 2017-09-07 19:45 | 38(t)系列 | Comments(2)