断片的思考のメモ


by hn-nh ( or hn )
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散乱する独裁者の肖像 1944.8 ワルシャワ:撮影:Eugeniusz Lokajski

ワルシャワ蜂起の話の続編。
特に準備もなく書いた話題ですが、前回調べきれなかったことや調べているうちに知ったことなど、忘れないように書き留めておきます。

先ずは蜂起部隊(ポーランド国内軍)鹵獲Hetzer「Chwat号」のバリケードのケーブルドラム検証続編。
前回の記事で判明してなかった、ドラム側面のステンシル文字の内容が判明。
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バリケードの全貌が写った写真を見つけました。出展はワルシャワ蜂起博物館の写真アーカイブから。この写真自体はWikimedia Commons にも公開されていたものですが、それはトリミング版であり、転がるケーブルドラムの内、右側2個しか見えなかったもの。アーカイブで見つけたのはフレームがそれより広くドラムが3個あったことが確認できます。ただし上の写真も訳あって不要部分をトリミングしたもの。

その理由は、写真に博物館のクレジットが入っていて「使いたかったら理由を書いてメールしてね!」とサイトに書いてあったから。個人的には著作権の問題は他人事ではないので、Bundesarchiv(ドイツ 連邦公文書館)や NARA(アメリカ公文書館)、Wikimedia Commonsなどでパブリック・ドメインとして公開されているもの、(+ネットで事実上共有状態になっているもの)でない限りは、プライベートコレクションなど著作権で保護されていて使用料が必要なものは極力購入するようにしてますが、ワルシャワ蜂起博物館のものは、e-Bay簡単決済ではなく、先ずはメールで使途を述べて、見積が送られて...と手続きは煩雑、しかもポーランド語のやりとりなんてこれまたハードルは高い。

という訳で、この写真は「無断借用」。ただし「引用」です。(WikimediaCommonsの解説によると著作権法が発表後50年から死後50年(アメリカ、EU、ロシアなどは70年)に切り替わった90年代後半以前に著作権が切れているはずなんですが)

d0360340_19111819.jpg脱線しましたが本題です。ドラム部分の拡大。側面の文字は"KABELWERK OZAROW”と読めます。ようやく判明しました。
ワルシャワ南郊のオジャルフという街にある電線ケーブル製造会社のようです。ドイツ占領下にあるのでドイツ語表記。検索すると、この会社まだあるみたいですね。...労働者のストでなんたらかんたら、という記述が見つかります。

Ożarów という街。戦時中はゲットーが設けられていたらしいです。市民の64%がホロコーストの犠牲になったとか。ドイツ支配の影の部分ですね。時として、知らなくてもいいことを知ってしまいます。たかがジオラマ・アクセサリーを通して。

もうひとつの話題。「写真」の話。
ワルシャワ蜂起に関しては、ワルシャワ蜂起博物館という展示構成もとてもよくできた博物館があるようで、そこのサイトに膨大な写真アーカイブが整備されています。
バリケードの写真などもそこで閲覧可能 >fototeka / barykady

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Eugeniusz Lokajski (1908-1944/9/25)

写真家、エウジェニウス・ロカフスキ。戦前はスポース選手で槍投げのポーランド代表。従軍してソ連軍の捕虜になり例のカチンの森の事件から逃れる。職業写真家ではなかったようだが、能力を見込まれライカを与えられてワルシャワ蜂起に関する1000枚あまりの写真を撮影。1944年9月、ビルの爆破に巻き込まれて死亡。

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彼の名を知らず前回の記事で使った写真(冒頭および文末)、そして今回の冒頭で使った写真は彼の撮影によるもの。
報道記録という目的を超えたいい写真だなと思います。他にも気になって拾った写真の多くは彼の撮影でした。

従軍カメラマンで有名なロバート・キャパのように写真史にその名を残した訳ではないけど、見る人の記憶に残るような写真を撮ってた人がここにまた一人いました。写真の資料的価値という以上にこういうものは個人的には気になります。

件のワルシャワ蜂起博物館にも彼の写真アーカイブがあります。>Eugeniusz Lokajski

パブリック・ドメインと明示されているWikimedia Commonsから彼の写真のINDEXをアップしておきます。(記事中の写真はいずれもクリックで拡大)

Chwat号の有名な写真も彼によるものでした。ただ、タテイチ構図の写真が多くて、(個人的にはタテイチ写真好きですが)WEB記事のレイアウト泣かせ。当時としても新聞雑誌などに掲載しにくい構図は、彼が仕事としての写真を撮っていた訳ではなかったことを物語っているような気がします。
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by hn-nh3 | 2018-07-17 20:59 | 写真 | Comments(2)

8月のワルシャワ

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(当時の写真はすべてWikimedia commonsより)

1944年8月のワルシャワ。ナチスドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで、接近しつつあったソ連軍に呼応するようにレジスタンスが武装蜂起を起こすものの、ソ連軍の支援を得られず一月ほどで悲劇的な結末を迎える。
「ワルシャワ蜂起」として知られるこの出来事は、アンジェイ・ワイダの映画「地下水道」や「灰とダイヤモンド」などの映像としても記憶されています。

近年にタミヤからリリースされた無線操縦車ゴリアテやブルムベア突撃砲後期型などがワルシャワで使われた写真が残っていることもあり、AFVモデル的にも気になるところ。映画「地下水道」にもゴリアテがやってくるシーンがありましたね。

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前回の記事でMiniartからリリース予定のケーブルドラムのことを記事に書いたら、かば◎さんからワルシャワのChwat号のバリケードで使われてると指摘があったので、少し気になってあれこれ調べてみました。

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--- フファット(ポーランド語: Chwat)とは、ワルシャワ蜂起中の1944年8月2日にポーランド側が鹵獲したドイツ軍のチェコ製軽駆逐戦車ヘッツァーの愛称である。ポーランド側が火炎瓶を用い乗員を殺害してこの車両を鹵獲した時点で車体の大部分が焼け焦げており、当初はバリケードの一部として使用された。後に修理されたものの、バリケードを崩すことが認められず戦闘に投入されることはなかった。そののちに郵便局の建物に移されたが、この建物が爆撃を受け倒壊した折、瓦礫に埋もれ放棄された --- ( Wikipediaの記述より)


蜂起部隊に鹵獲されたこのHetzerは焼損していたこともあり、もっぱらバリケードの「構成材料」として利用されていた様子。その経緯など詳しく解説したページがあるのでリンク貼っておきます。

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バリケードがあった場所なども同定されているようで、地図にマッピングされてます。


このページの地図をクリックすると大きな地図に移動して、周辺で撮られた当時の写真を見て歩くことができます。
こんなページがあるなんて知りませんでした。蜂起部隊を撮った場所がほぼ同定されてます。

Wikipediaのページにも膨大な写真アーカーイブが整備されていて、ポーランド人の執念を感じます。
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街路にはあちこちでバリケードを構築。車両を使った即興的なものから市電や瓦礫を積んだものまで、さまざまなバリエーション。

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人力で特に重機も使わずに作るとなると、歩道の敷石や瓦礫など近くに転がる「ありあわせの材料」に限定され、件のChwat号もケーブルドラムやバケツと同様にバリケードの構成部材として利用されたのか。

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バリケードに使われてるケーブルドラムの側面には”KABELWERK”とドイツ語のステンシル文字が書いてあるのがなんとなく判読できて、これがドイツ軍の資材であったことが想像できます。
ドラムをよくみると、”KABELWERK”の先にも文字があってMIniartのキットのデカールとは違ってドラムの半周くらいを文字が占めるレイアウト。
"O......ROW" というような綴りと思われるものの、単語は特定できず。

このシーンを再現するなら、Chat号はタミヤのHetzer中期型をベースに初期型の防盾に換装するなど改造。バリケードのケーブルドラムは、規格やステンシル文字など多少の違いを問わなければMiniartのものは利用できそうだし、木箱や椅子の類もキット化されているので流用は可能。
あとはドラムの傍に転がるゴミバケツさえリリースされたら完璧。

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追記:蜂起は結局失敗に終わり、参加した人間は捕まり、街も破壊されてしまったけど、意外なほど写真は撮られていて保存されているんですね。残すべき記憶として。

by hn-nh3 | 2018-07-15 10:17 | 構造物 | Comments(10)

2018 始動

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謹賀新年。今年はどんな年になるでしょうか。昨年は、春にこのブログを立ち上げ、夏から秋にかけてはSUMICONに参加したりと、いろいろな方とも話ができて、自分にとっても大きな変化のあった1年でした。何でもっと早く始めなかったのかしらとも思うけど、万事そんな感じですね。仕事だってお尻に火がついてからが本気モードだし、いつも。

ここでちょっとお知らせと言うかご挨拶というか。
私のハンドルネームのことなのですが、ブログの立上げ以前から「hn」を使っていたりしたこともあって、これまで表記が「hn」だったり「hn-nh」だったりでしたが、以降は「hn-nh」で統一していこうと思います。改めてよろしくお願いします。

「hn-nh」というのは単純にブログ登録の都合でできたハンドルネームですが、何となく履帯のピースみたいな形してるし、結局それを使う頻度が増えたので。まあ、「hn」自体、「ハンドルネーム」のイニシャルなので殆ど意味はなかったのですが。

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今年の目標は年間4個以上の完成。計算上は3ヶ月に1台完成...考証1ヶ月、工作と塗装にそれぞれ1ヶ月。自分にとっては結構ハード。

・ターレ2種(ターレットトラック、エレトラック)
・T-60軽戦車2種以上(第264工場製、第37?工場製)

いちおうこれだけで目標達成ですが、新年の抱負なのでもう少し目標は高く掲げるとすれば。

・バレンタイン戦車2種(カナディアンバレンタインMk.Ⅵ、Mk.Ⅳ増加装甲型)
・15cm砲搭載ロレーヌシュレッパー(ノルマンディ型:レジンキット)
・プラハ蜂起の鹵獲未完成ヘッツアー

このくらいまでは年内に何とか形にしたいところ。でないと在庫が減らないし。
この他にも工作が殆ど完了している車両もいくつかあるので、その気になれば月産1台も夢ではない話ですが...
これまでの行いを考えれば、夢は夢のままでしょうね。

今年もヨロシク。

by hn-nh3 | 2018-01-05 17:22 | 日々 | Comments(6)
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Grille改造3cmFLAK制作編 その10。
戦闘室内の工作は、ディテールが不明な部分もあって停滞していたものの、先日、入手したプラハ蜂起の写真集(レビュー記事はこちら:プラハ 1945.5 )の中に手がかりとなる写真をいくつか発見。
写真左が、オリジナルのアングル。右は部分の拡大。(写真出典:Prahou pod pancirem povstalcu Ceske kvetnove povstani ve fotografi)写真自体は有名な未完成ヘッツアー(蜂起部隊が工場から未完成車両を引っ張り出して使用)を写したもので、その前方にチラリと見えるのが、お目当のGrille改造3cmFLAK。しかし手前のヘッツアーと写真のアングルが災いして車体の大半が見切れてしまっているのが何とも惜しいところ。ただ、ちょっと面白いことに気がつきました。黄色い丸で囲った部分に注目。

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グリレ車体は自走砲専用車台としてミッドシップ型のエンジン配置になっているため、排気管は車体側面を伝って後部のマフラーに導かれる構造になっています。しかし、この車両、途中の継手のところで排気管が外れてしまっている様子。後方に向かって周囲の装甲板が黒く煤けたように見えるので、何らかの原因でそこで外れてしまって、しばらくこの状態で走り回っていたと思われます。

ここに排気管のジョイント部分があるのは知っていたので、現存車両の写真を見ながら、何とかく再現したのが右の写真。ただ、ちょっと間違ってます。実際にはバンド後方が段付きのパイプソケットになっていて、それをエンジンからのパイプに差し込んで、ボルトで締めて固定する、という構造になってます。時間があったら段付きのパイプに修正したい部分でしたが、どうやら、その必要はなくなりました..

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排気管自体をバッサリと切り落として、実車のように排気管が脱落した状態を再現。自作した固定バンドも不要になったので除去。ちょっと勿体なかったけど。

車体後部がはっきり写った写真は見つかってないので、マフラーが外れていたのか残っていたのかは不明。せっかく作ったものを取るのも忍びないので、写真に写ってないことを幸いとして残しました。排気管は何かにぶつかったかで潰れてしまったのでジョイントのフランジ部分から外した、という解釈にしてみました。切断面に穴を開けてパイプらしく見えるように加工。

そして改造のついでに、ちょっと余興。
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車体後部右側の誘導輪にヘッツアー後期型の6穴タイプの誘導輪を使ってみます。
追突されて排気管と一緒に誘導輪も壊れてしまったので、これ使ってみる?という感じで近くにあったヘッツアーの誘導輪を応急処置でつけてみた、という設定を考えてみました。車体右側の誘導輪の付近が写った写真は見つからないので、実際にどうなっていたかは不明。特定車両の再現というリアリズムの中にも、ちょとしたフィクションが紛れこむ隙間がこういうところにあります。

アカデミーから発売されていた「プラハのヘッツアー」の不要部品から6穴タイプの誘導輪を流用。整形が厚くて野暮ったかったので、穴の縁を削って薄板のプレスに見えるように修正。車軸はドラゴンの車軸に嵌るようにプラパイプを埋め込んで調整。

ヘッツアーの足回りは新規に設計されているので、38t戦車系列の足回りとはサイズが異なってます。転輪の直径は775mmから825mm、誘導輪は535mmから620mmと一回り大きくなってます。誘導輪は半径で42.5mm大きくなってますが、まあ使えない大きさではなさそう。履帯の幅もヘッツアーは広がってるもののガイドホーンの幅は変わってないので、車軸部分に互換性があれば多分使える、はず。ベアリングとかは変えたりしないはず、という想定。

そういえば、ソ連軍のSU-85にパンターの転輪をはめて使ってるのがあったような。

by hn-nh3 | 2017-09-07 19:45 | 38(t)系列 | Comments(2)

プラハ 1945.5

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買ってしまいました。プラハ蜂起軍が使用した車両の写真集。
"Prahou pod pancirem povstalcu Ceske kvetnove povstani ve fotografii "

d0360340_11492470.jpg1945年5月、連合軍を相手に崩壊していくドイツ軍に対して、プラハ市民が反旗をあげた5月5日〜9日までの抵抗戦。蜂起軍が使用したドイツ軍からの鹵獲車両や呼応して寝返ったROA(自由ロシア軍)の車両、はたまた工場から引っ張り出してきた未完成の戦車(HETZER)など、こんなものまでという雑多な車両の写真を集めた本です。2010年 既刊本。

製作中のグリレ改造3cmFLAKも、ネットの写真の多くはこの本がソースと思われます。3cm MK103をベルゲヘッツァーに搭載した車両もこの本が原典。さすがにネットで未だ見たことのない驚愕のカットがわんさか載ってるとは思わないものの、何か別の車両を写した写真の片隅に探しているものが写ってたりする可能性はあるかなと、気になってました。

蜂起軍が使用した未完成ヘッツァーのことを以前に調べていてこの本があることを知ったものの、国内では既に売り切れ。

しかしやっぱり気になって、チェコの通販サイトから取り寄せられるのかしらどうかしらと思案したりしてる時にPanzerbookさんに何気に問い合わせてみたら、1冊残ってるとのこと。聞いてみるものですね。

24cm×17cm B5版を一回り小さくしたくらいのサイズ。215ページ、厚みでいうと1.5cm 。撮影のため、インスタグラム風に片手で持ってみたらずっしり重くて親指の爪が白んでますね。
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目次です。見事にチェコ語です。英語対訳は本文、キャプション共にありません。私、チェコ語はさっぱりなので何が書いてあるのかわかりません。蜂起軍の編成表とかあったりする ..らしいのですが、眼に映る全てのものはフルヘッヘンド。

掲載車両とかこの本のデーターはPanzerBook.comの紹介ページに詳しいのでそちらを参照のこと> 1945年5月 プラハ蜂起

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写真集のパートは見開きに大きく1枚から2枚の構成。ネットではトリミングされてた写真も周囲の背景まで写っていて当時の状況がよくわかります。ヘッツァーに関してはドイツ軍からの鹵獲、寝返りROA、「未完成ヘッツァー」など含めて写真100枚も掲載されてて圧巻です。

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今回のお目当、グリレ改造3cm FLAK。ばっちり写ってます。予想どうり「ネット未掲載」の目ぼしいカットは残ってなかったものの、ヘッツァーの隣にちょこんといるのが写ってたりとか、いくつか新しいアングルの写真を発見。

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変態車両の写真もあります。有名なパンツァーベルファー改造MG151/20 ドリリンク搭載車。全ての写真には出典が明示されているので、気になる人はプラハの公文書館とかで記載の写真番号を手がかりに他のカットを探したりとかもできそうです。

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フランス軍からドイツ軍が鹵獲して使ってたAMR35をさらに蜂起軍が鹵獲したもの。砲身がないオチキスH39なんてのも登場。戦線後方ではこんな中古品戦車も結構残ってたんですかね。当時のフィルムにもAMR35が走り回ってる映像が残ってて見てると結構かわいいです。1/35のキットは出てないものかしら。

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本の紙質はマットな半光沢で上品な仕上がり。だけど写真の印刷には少し不向きなのか、別の本にも載ってるものと見比べても元の写真のポテンシャルを十分には引き出せてない感じはあります。
比べるには酷ですが、Panzerwrecksを並べてみると、デジタルエンハンスをかけて光沢紙にプリントした高精細の写真画質には遠く及ばないところで、写真の再現度という点では少し残念かな。

ヘッツァー・シュタールがさりげなく写ってますね。左上の写真。

とは言え、この本をスキャンしてネットで流通している写真では潰れて見えなかったディテールもここでは十分に解像度があがって読み取れるし、この本の価値は実際、そこではないのだとも思う。

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ネットなどで断片的にバラバラで見かけていた写真が一つの本にまとまっていて、撮影日が特定され、前後の文脈が(チェコ語わからなくても)読み取れる写真は、画質云々以上に語りかけてくるものがあります。

by hn-nh3 | 2017-08-27 18:03 | 資料 | Comments(4)
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製作中のGrille改造FLAK。1945年5月のプラハ蜂起の前後に登場する車両の迷彩が、1944年8月に起きたワルシャワ蜂起でバリケードに使われたChwat号の迷彩と似ているのではないか、とかば◎さんがSUMICONのBBSで指摘していた件。ここでも少し書き留めておきたいと思います。

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Chwat号。ワルシャワ蜂起の際に捕獲され、バリケードに利用されたヘッツァーですが、砲身防盾や耳付きの装甲カバー、マフラーの有孔放熱板などの車体的特徴から1944年5〜6月頃の生産車と推定されます。迷彩は丸い斑点状のユニークなパターンでグリーンの輪郭が細吹きのブラウンで縁取られた構成。

d0360340_18111657.jpgこちらの写真はプラハのグリレ改造FLAK。迷彩パターンはワルシャワのChwat 号のような斑点状ではなく、連続した雲のような形状ですが、グリーンをブラウンで縁取る構成は共通しています。似たパターンは38(t) 戦車系列の車両に見つけることができます。

d0360340_18471337.jpg1945年5月にオランダのユトレヒトで撮影されたMarderlll(M)の後期型の写真です。
溶接構造の車体、軽め穴付きの駆動輪等、プラハのグリレと同じ車体の特徴が見られます。迷彩はイエローベースにグリーンの斑点、ブラウンで囲い込み。と上の2両と共通点が見出せます。

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Marderlll(M)、グリレ、ヘッツァーの生産時期と工場の関係を表にしてみました。
1944年3月から5月。38t戦車系列のこれらの車両がチェコのBMM工場で並行して生産されている時期があるのがわかります。

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1944年8月、それまで現地にて個別に塗装されていた迷彩を、工場で予め行うよう改められ、ヘッツァーにおいてはいわゆるアンブッシュ(光と影)迷彩が施されるようになります。その後もパターンの変遷を経て、最終的にはハードエッジの雲形の3色迷彩が工場塗装にて行われいます。

ヘッツァーCwhat号が生産された時期と推定される44年5〜6月頃は、工場で迷彩塗装を行う通達が出される前の時期にあたります。
しかし、ヘッツァー、マーダーlll、グリレと同じBMMの工場で並行生産された車両に共通項のある迷彩塗装が施されていることを考えると、これは前線で個別に迷彩が施されたものではなく、工場で共通のルールに従って塗装されたものと考えるのが自然です。恐らくは、通達がだされる以前から試験的に工場での迷彩が試みられていたと推測されます。

Chwat号については、必ずしも工場での迷彩とも言い切れない部分が残りますが、グリレやヘッツァーで類似性の高い迷彩を施している事例は他にも確認できます。こうした視点に立つと、それぞれの図柄の違いは、むしろその後の制式パターンに収斂していく際の振れ幅のようにも見えてきます。45年5月にプラハで現れるグリレ改造FLAKの迷彩も44年8月以前の工場迷彩のバリエーションの一つだったのでしょう。

この8月以前の38(t)系迷彩については、どこかの本にさらっと書いてある気もしないではないですが、引き続き追跡してみたいと思います。


1945年の雲形迷彩も少し調べてみたいパターンです。4色迷彩という説もあるみたいだし、それ以上にこの最終パターン、どことなくチェコ併合以前の迷彩パターンを思い出させたりもします。戦争末期に統制が緩んだところで、以外にも文化的な基底面が現れたようにも思えるからです。

同様の事例で、魔改造先生ことアルフレート・ベッカー少佐がフランス中古兵器を改造した車両が配備されたノルマンディの第21戦車師団の迷彩にも同じ匂いを感じたりします。(それもまた機会があれば..)



by hn-nh3 | 2017-06-01 22:02 | 資料 | Comments(7)